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MEMOLIA LINK  作者: 氷滝 流冬
第一部 女神降臨篇
5/21

5 大陸へ

 ミレニスと別れ、トイコスバレーから抜け出したリクス達は再び砂漠に入り、南東を目指して歩いていた。リクスにとっては三度目になる砂漠越えだが、トイコスバレーからそう遠くない場所だとキースが言っていたので歩いていれば一時間程で砂漠が途切れ、普通の地面と所々に生えた草が見えてきた。

「キース、今どこに向かってるの?」

「隣のアルテイア大陸だよ。アクバル橋って長い吊り橋があるんだ。そこを渡って島に行き、そっから船に乗る」

 二つの大陸から成る世界、リルアーテル。リクス達の暮らしていた小大陸で、大聖堂の話を聞いた事はない。とするならば、隣の大大陸であるアルテイア大陸にあるのではと考えての事だ。

 キースの話では、この先の漁港を使うよりも島に渡ってから船で向かった方が、安上がりで早いとの事だ。

 そうして会話をしていると、スフィアがひょっこりと顔を覗かせ、リクスの服の裾をくいくいと引くと不思議そうな顔でリクスを見上げている。

「橋、なぁに?」

 訊ねられ、リクスとキースは困ったように顔を見合わせ、リクスは苦笑を浮かべる。

「えっと、橋って言うのはね……」

 しかし言葉はすぐに途切れ、完全に口籠る。助けを求めるようにキースを見上げてみたけれど肩を竦められるだけだった。つまり、お手上げ状態だと。あたふたとしているリクスを見兼ねて溜め息をつくと、キースはスフィアを見た。

「スフィア、記憶もないし知らないことが沢山あるだろうが、説明できることとできないことがあるんだ。橋は……実際、見た方が良さそうだな」

 下手に説明をしたところで伝わらないものが数多くある。それは、エレナの世話をしていたリクスとキースには身に染みてよく理解していた。幼い子の好奇心に勝るものはなく、何で、どうして、あれは何、これは何と、今のスフィアのように訊かれていたものだ。それは、自分達を困らせようとしているのではないかと思う程に。

 フィエスタから出る事のないエレナには口で説明しなければならなかったが、スフィアは違う。こうして外に出、実際に自分の目で見る事ができる。確実な方を選んだ方がいいだろうと、会話もそこそこにアクバル橋へと歩みを進めて行き、数分で橋に差し掛かった。

 そこで目にしたものに、リクスもキースも息を呑んだ。

「何だ、これ……」

「橋が焼け落ちてる……」

 黒焦げになって焼け落ちた橋。最早、橋と呼べるような代物ではなく、残骸と言った方が正しい程、完全に焼けている。

「何だろう、雷が落ちたみたい」

「ああ。発火した焼け跡じゃねえ。人為的にも見えないしな」

「これ、橋?」

「橋だったものだね」

「これは橋だと認識するな」

 言っている意味がよく分からないと、キョトンとしながら首を傾げるスフィアに、リクスもキースも苦笑するしかなかった。また今度、機会があれば教えると言えば納得したように頷いていたけれど、本当に理解しているのかは怪しい所だ。

 橋を渡って聖堂を目指す事が不可能になり、キースは困ったように頭を掻く。

「なるべく近道したかったが、道がないんならしょうがねえ。目指すは、漁港ハイドレンジアだ」

 アクバル橋からハイドレンジアまでは歩いて数時間の距離があり、それだったら近場から目指そうとここまで来たのだが、通れないのであれば致し方ない。まだ昼を過ぎて間もない時間なので、今から歩いて行けば夕方になる前にはハイドレンジアに到着するだろうと、リクス達は再び歩き始めた。

 砂漠を通る必要はないので、暑さの苦手なスフィアも大丈夫だろうと道なりに歩いて行く最中で、話すのは海の事だった。

「海に出るんだよね?」

「まあな。若干距離があるが、まあ、悪くないだろ」

「船旅かぁ。俺、海も船も初めてだからワクワクするよ」

 フィエスタから殆ど出る事のないリクスにとっても、海や船は初めての事だ。仕事で遠くまで出掛けているキースから聞いて沢山の事を知っているリクスだけれど、それでも本物を見られるとなるとまた別になる。

 嬉しそうに目を輝かせているリクスを見上げ、今までキョトンとしていたスフィアの表情まで明るくなった。視線を受けたからか、リクスは隣を歩くスフィアを見た。

「スフィア、何だか嬉しそうだね」

「そなの?」

「だって、すっごく笑顔だよ」

「スフィア、分かるない」

 言いながら首を傾げるスフィアだったけれど、その顔にはやはり笑みが浮かべられていて、そんなスフィアを見ながらリクスとキースは顔を見合わせて首を傾げるのだった。

 ここまで数日一緒にいたけれど、スフィアの事は、正直よく分からない。

 まだまだ言葉もカタコトで、自分の話もしないし意思すらも見えないからだろうか。思考も言動も、リクスと同年代には見えない。本当に小さな子、それこそエレナと同等くらいではないだろうか。それも記憶がないせいなのだろうが、それにしても不可解な事が多すぎる。リクスとキースの話も殆ど理解できていない様子なので、何が伝わっていて何が伝わっていないのかもよく分かっていない。

 だが、それでも彼女と一緒にいるのが楽しいと感じる、それだけは確実だった。

 一時間ほど歩いた頃、先頭を歩いていたキースが不意にリクスとスフィアを振り返った。

「リクス、スフィア。前見てみろ」

 それだけ言って、再び前を向いて歩き始めるキースに、リクスもスフィアも首を傾げながらその後を追って、そしてキースの先に見えた物に目を輝かせた。

 陽の光を反射してキラキラと揺らめいているそれ。

「わぁ、海だ!」

 道の向こうに広がっているのは大海原だった。

 リクスにとっても、スフィアにとっても初めて見るそれは、想像を絶するものだった。

「海、キラキラ。すごい。美しぃ」

「俺も初めてだけど、感動するね。とっても綺麗でしょ?」

 問いかけてくるリクスの方を見て、スフィアはニッコリ笑って頷いた。スフィアは本当に嬉しそうで、一瞬で海が気に入ったのだとそれだけでよく分かったので、キースとリクスは顔を見合わせて笑った。

「あの海を渡って、ずっと向こうの大陸まで行くんだよ」

「渡る、どう?」

「船に乗るんだ。水の上に浮いてる乗り物なんだが……」

 説明をしたところで、スフィアにはそれがどういうものなのか想像もつかないのか、考える事すらしていないのか首を傾げていて、見れば分かるさと言うと、間近に迫った漁港を目指して再び歩いて行く。

 この先には山があり、そこを越えれば漁港に着くのだと言う。

 緑のないゴツゴツとした岩山はあまり整えられておらず、大きな山ではなかったけれど大分体力を奪われる。岩肌に沿って続いている細い道には草木が殆どなく、風景は淋しいものだ。

 遭遇する魔物はリクスとキースがいれば容易く倒せる為に、ただ歩いているのとあまり変わらない時間で頂上部まで来ることができた。先程の道よりもずっと広くなった道幅。その中央辺りには広場が設けられている。見れば、古びた石碑のようなものが建っていた。

「こんな山頂に石碑なんてあったんだな」

「あれ? キースは来たことあるんじゃないの?」

「まあ、そうだけど……傭兵中はそこまで気が付かなかったな。何て書いてあるんだ?」

「キースも読めないの?」

「ああ」

 見た事もない文字で綴られている為に、リクスは愚か、キースでさえも読む事はできなかった。石碑を見ても分かるが、相当古いものらしい。

 そうして石碑を見つめていると、二人の後方からスフィアが「あ」と声を漏らした。

「スフィア、どうかしたの?」

 そう言って振り返ったリクスと、同時に振り向いたキースの目に映ったものに、顔から血の気が引いた。

 そこにいたのは自分達よりも数倍大きな骸骨。朽ちた鎧を身に纏い、同じように朽ちた巨大な剣と盾が握られている。無い筈の目に、赤黒く鋭い眼光が宿っていた。

 劈くような凄まじい奇声を上げる骸骨に、身が縮こまる。ヤバい。

「に……逃げろ!」

 キースの声を合図に、三人は一斉に走り出した。

「おっきい魔物、いる」

「スフィア、もう遅いよ!」

 向かって来ている骸骨に、そんな呑気なやり取りをしている余裕はすぐになくなり、そのまま一気に山を駆け下りた。山頂部から骸骨が追って来なかった事に気が付いたのは、すでに麓までやって来た頃だった。

 思っていたよりもずっと早く山を下りる事ができたのだが、リクスは手と膝を地面についてがっくりと項垂れるように息を整えていて、キースは尻餅をつくように座り込んで両手を地面についている。

 全力で結構な距離を走ったのだから、致し方ないだろう。

 しかし唯一人、スフィアだけは全く変わらずに涼しい顔でそこに立っている。

「スフィア! キミ、疲れてないの?」

「うん? 疲れる、なぁに?」

 首を傾げてキョトンとしながら疑問符を浮かべているスフィアに、リクスとキースは呆気にとられたような表情になった。

 砂漠の時にあんなに辛そうだったのは、やはり暑さのせいだけだったようだ。ここまで相当な距離を歩き、走っていたのに汗一つ掻いていないと言う事はつまり、そういう事なのだろう。

 華奢な体の一体どこに、そんなに体力があるのだろうかと不思議で仕方がなかった。

 スフィアは一体何者なんだろうという疑問が、二人の頭に浮かんだのは当然だろうか。

「それにしても、何だったの、あれ……」

 漸く息が整い始め、リクスは隣に座っているキースを見やる。

「そういや、聞いたことがある……確か、ルヴナントクリーヴァって魔物だ。元々は人間だったらしいが、強い戦闘意欲から死んだ後に魔物になったって話だ」

「あれで、元人間なんて……」

 今まで何度も山越えをしているキースも、遭遇するのは初めてなのだと言う。

 聞いた話では、サンドワームよりも何十倍も強いのだとか。戦闘になれば、先ず勝ち目はなかっただろう。直感的に感じ取った恐怖から逃げたのは正解だったらしい。

 息が完全に整ったところで、一行は再び漁港ハイドレンジアへ向けて歩き始めた。

 キースが言うにはそう遠くないそうなので、これ以上疲れる事はないだろうとの話だった。

 しかしそれは、突然やって来た。

 向こうから何かがやって来るのが見てとれた。漁港から砂漠に向かう為に歩いているのだろうと思ったのだが、その姿を見てリクスもキースも表情が一変する。

 その人物達は、黒衣を頭から被っていたのだから。

「漆黒の服を身に纏った人……!」

 それは、フィエスタを焼き払い、リリアや多くの人間の命を奪った者達。

 それが目の前にいると思うと、リクスは走り出していた。黒衣の二人組の前に立ちはだかるリクス。

「キミたち、キミたちが、やったのか……! キミたちが、村を!」

「にゃ? ……あ、てめえらあそこの奴か!」

「え?」

 そう言って踵を返そうとした一人に、もう一人が驚いたように相方を見た二人組の眼前で、リクスの握っている剣が空を切った。すっぱりとフードが切れ、はらりと二人組の前髪が数本切れて地面に落ちる。あまりの速さと近さに、黒衣の二人組は腰を抜かしてしまった。

「次は……外さない」

 見据えるリクスの目には光などなく、殺気だけを放っている。今一度剣を構えたリクスはその切っ先を、最初に逃げ出そうとした紫髪の男の首へと向けた。それを見て、紫髪の男は慌てて弁解するかのように言葉を紡ぐ。

「ちょ、待った待った! 盗んだ鉱石は返すって! だから命だけは勘弁!」

 半泣き状態の男達。一人は派手な紫髪の、どこか猫っぽい男。もう一人は金に黒のメッシュの入った髪の、軽そうな男。どちらも年齢は十七、八といったところだろうか。

 紫髪の男の言葉を聞いて、キースとリクスの口から声が漏れる。

「は?」

「……え……? 鉱石って……フィエスタ襲撃犯じゃ、ないの?」

「へ? 何言ってんだよ。オレ様はハイドレンジアから鉱石を盗んだだけだだって」

 きっぱりと言い切った紫髪の男に、威張ってんじゃねえよとキースが睨み付けると、ヒッという情けない声が漏れた。

 先程のリクスとのやり取りでも十二分に分かっていたのだが、どうやら相当な小物らしい。

「え、え? じゃあ、俺の勘違い?」

「ま、とりあえずはそういうことだな。強ち、言い切れねえけど」

「ごめんなさい。俺、てっきりフィエスタでの犯人だと思っちゃって……」

「まあ、今日のところは許してやんねえこともないけど。もうすんなよな!」

 そう言って立ち上がる紫髪の男。後に続く様にメッシュ髪の男も立ち上がり、その場から歩いて立ち去ろうとする紫髪の男を、すかさずキースが剣を引き抜いて剣先を向ける。

「ちょっと待て。とりあえず、盗んだ鉱石置いてけや」

 引きつった笑顔を浮かべたキースは青筋をも浮かべていて、怒気の篭った声を聞いた紫髪の男は冷や汗をかいており、そんな紫髪の男に対してメッシュ髪の男は冷ややかな視線を向けている。

 観念したかのように紫髪の男は持っていた袋を地面に置き、二人組はそのまま逃げるように山とは別の方へと向かって一目散に走って行った。

 そんな後ろ姿を見送り、リクスもキースも剣を鞘に納める。

「何だったんだ、あいつらは」

「分からないけど……盗まれた物を取り返せたのは良かったんじゃないかな」

 言いながら笑みを浮かべているリクスだったけれど、その表情はいつもの笑顔とは違って浮かないもので、キースは息をつくとリクスの頭を乱暴に撫でる。

「ちょ、何、キース、痛いよ」

「いいんだよ、焦んなくて。お前の憤りも分かるけどな、もう少し落ち着け。いずれ必ずその時は来るさ。その前に気が滅入っちまうぞ」

「うん……ごめんね、ありがとう」

 見上げてくるリクスの頭を今度は優しくぽんぽんと撫でると、キースはニッと笑った。

「そんじゃ、気を取り直して漁港に向かうか」

「うん!」

 元気よく返事をしたのはリクスではなくスフィアで、リクスとキースは声を出して笑い、状況を理解していないらしいスフィアはキョトンとしていた。

 けれど確実に空気は軽くなり、リクスとキースは二人でスフィアの頭を撫でるとハイドレンジアへと向けて歩き始めた。

 それから三十分程経った頃、その場所は見えてきた。

 小さな広場をぐるりと囲む屋台が立ち並ぶ、幾つかの家と宿のみが立っている浜辺の小さな漁港。そこが、ハイドレンジア。

 メルクリウスのアーチを潜り、桟橋の方へと向かうと人だかりができているのが見えた。

 何かあったのかと近づき、声をかけてみる。

「あの、どうかしたんですか?」

 訊ねてみると、数人の男女が一斉にこちらを向いた。その形相と視線に、たじたじといった様子のリクスだったが、それだけでは済まなかった。

「余所者!?」

「お前が犯人か!」

「ええっ!?」

 突然の犯人宣告に、何が何だか分からずに驚いているリクスを、漁港の者達が取り囲んだ。

「惚ける気か! 俺らの大事な船を壊し、燃料まで盗んだだろう!」

「とにかく、とっ捕まえろ!」

 有無を言わせず飛びかかって来た屈強な体の男達に地面に押し倒され、数人がかりで取り押さえられたリクス。

 勢いに押されて傍観者となっていたキースだったが、すぐさま仲裁に入る。

「その燃料って、もしかしてこれのことじゃないか?」

 言いながら、先程黒衣の二人組から奪った袋とその中身を見せる。

 大きな麻袋から出て来た鉱石に、人々の表情が変わった。

「そうだ、これだよ! やっぱりお前達が犯人じゃないか!」

 しかし、盗まれた燃料を持っているという事から犯人であると確信を得たらしく、更に詰め寄られる事となった。

 こうなると、無実を証明するのはとても難しい。漁港の人達は気が立っていて、更にリクス達は物証となる鉱石をこうして持っているのだから。

 どうするべきかと思案しているキースだったが、不意に、背の高いキースよりも更に大きくガタイのいい海の男といった風貌の男が、キースとスフィアの前に立った。誰かが、バッシュさんという名を口にしていて、恐らくは目の前に立っている男の名だろう。

「おい兄ちゃん。そいつぁ、どこで手に入れた」

「これは、ここに来る途中で黒いマントの二人組の男達から奪取した。そいつらは、ここから盗んだって言ってたぞ」

 ざわめく人々。しかし、目の前に立っている男だけは態度を変えない。

「黒いマントの二人組。そいつらなら少し前に見たぜ。ってことぁ、この兄ちゃんたちの言ってることぁ本当のことだな。第一、犯人だったら盗んだもんを持って戻ってこんからな」

 バッシュの言葉にどうやら皆が納得したらしく、男達はリクスを解放してくれた。

「すまんな、坊主。頭に血が上っちまってて」

「いえ。そんなことがあったなら、仕方ないですよ」

 実際、先程リクスも似たような事をしたので、気持ちはとても良く理解している。

 和解したところで、他の漁港の人々は散って行き、残ったリクス達はバッシュを見やる。

「さっき、船が壊されたって言ってただろ。全滅したのか?」

「何だ、船に乗りたいのか。だったら俺の船で連れてってやろう」

「え、いいんですか?」

「燃料を取り戻してくれた恩人だからな。定期船じゃないがいいぜ。ちょっと準備に時間がかかっから、お前さんらは広場で適当に時間潰しててくれ」

 そう言うと、キースから鉱石の入った袋を受け取り、港の方へと向かって行った。

 時間がかかるというのならば待つしかなく、今の内に買い物をしておくのも悪くはないだろう。

 バッシュに言われた通りに広場へとやって来ると、広場の中心部にある円形の台にスフィアは座り、リクスはそんなスフィアを心配そうに見ている。

「疲れた、わけじゃないんだよね。スフィア、どうかした?」

「足、痛い」

「怪我、はしてる様子はなかったし……沢山歩いたり走ったりしたからかな」

「疲労が溜まってんだろ。お前らは少し休んでな」

 俺も一緒に行くと言おうとしたが、キースには目だけで止められた。お前も休んでいろと言っているのはその表情を見ればすぐに分かったので、大人しくスフィアの隣に座り、離れていくキースの後ろ姿を見送った。

 無理について行ったところで怒らせるだけだから。

 こうして二人きりになって、リクスは何となく聞いてみたかった事を口にする。

「ねえ、スフィア……」

「なぁに?」

「あの、さ……」

 しかし、それ以上の言葉は出てこなかった。何だか訊き辛い。それでどうなるというものでもないのだが、訊いていいものなのかと迷っている自分がいる。

 中々話そうとしないリクスに首を傾げていたスフィアだったが、不意にリクスから視線を外した。

「スフィア、楽しい」

「え?」

 突然の言葉に、今度はリクスがスフィアを見る。

「旅、楽しい……リクス、キース、いる。スフィア、一人違う……リクス、キース、優しい。スフィア、嬉しい。ありがと」

 話の繋がりは、正直よくは分からなかった。けれどもリクスはその言葉を聞いて、素直に嬉しいと感じている。それは、リクスが訊こうとしていた事と似た内容だった事もあったのかもしれない。そうであってほしいと思っていた言葉だったからかもしれない。

「えっと、俺はただ、スフィアの記憶が戻ったらいいなって思ってるだけだから、感謝されることは何もしてないんだけど……」

 照れ隠しのような言葉を返すと、スフィアはふるふるっと首を横に振る。

「一緒、いる。嬉しい」

 ニッコリと、他意など何もない純粋な笑みを向けられて、リクスは恥ずかしくなってはにかんだような笑みを返した。

「ありがとう」

 そして今度はリクスがお礼を言う。

 一緒にいるだけでいいと言われた事が、これ程までに嬉しいなんて。スフィアを連れて来た事を、リクスは心のどこかで後悔していたのかもしれない。魔物の蔓延る世界を旅には危険が付き纏うのだから。スフィアは一度、魔物に攫われている。あの時に怖い思いをした事は事実で、それに巻き込んだのはリクスだ。

 だから、今のスフィアの言葉はリクスの気持ちを軽くしてくれていた。

 そうして話していると、ふと視界の端に見知った少年を見つけてリクスは立ち上がった。

「ミレニスだ」

「え? ミレニス?」

「うん。あそこ」

 そう言って指差した方向には、確かに三度リクス達を助けてくれてトイコスバレーで別れたミレニスがいる。その様子はどこか困っているように見えて、リクスは行ってみようとスフィアと共にミレニスに近づいた。

「ミレニス」

 声をかければ、ミレニスは振り向いた。

「リクス、スフィア……キースはどうした」

「キースなら、買い物してるけど。ミレニス、こんな所でどうしたの?」

「大陸へ渡ろうと思っているのだが、船が壊されているらしく立ち往生していてな」

「俺たちもだよ。橋を渡って近道しようと思ってたんだけど、焼け落ちちゃってて通れなかったんだ」

「焼け落ちていた?」

 眉を顰めるミレニス。訝り、訊き返されてリクスは頷いた。

「うん。ねえ」

「橋、真っ黒」

「まるで雷でも落ちたみたいだったよ」

 そう言って説明すると、ミレニスは顎に手を当てて考え込んでしまい、そんなミレニスにリクスもスフィアも首を傾げた。

 そんな風に考えるような事を言っただろうか。ただ橋が焼け落ちていたと話しただけなのに。

「だが、これからどうするんだ。今は船もない状態で、大陸に渡るのは暫く無理だろう」

「あ、それなんだけどね、実は一隻だけ無事だったんだって。俺たち、その船に乗せてもらえることになって――」

「リクス!」

 言葉を遮るように、リクスの名を呼ぶとミレニスは勢いよくリクスの両の二の腕を掴んだ。急に呼ばれ、腕を掴まれてビクリと肩を震わせるリクス。

 驚いた理由は、突然だった事と、ミレニスの声が大きかった事だ。これまで見たミレニスはいつだって落ち着いていて、取り乱す事もせず、声を荒げる事だってなかった。

 汗を浮かべ、引きつったような顔でミレニスを見るリクス。

「えと、何?」

「僕もその船に乗せてもらえないだろうか」

「……えっ……!?」

 リクスの口から出た言葉に、ミレニスは頭を振るとリクスの腕から手を放した。

「すまない、当然の反応だな。得体の知れない人間と共に船旅などできまい」

 今のは忘れてくれと踵を返そうとしたミレニスの手を、今度はリクスが両手で握る。

 一体何をするのかとリクスを見れば、その目はキラキラと輝いていた。

「ホントに!?」

 何に対する言葉なのか理解できず、ミレニスは眉を顰めた。

「ホントに一緒に来てくれるの? ありがとう、ミレニス! ミレニスが一緒だなんて嬉しいよ!」

「ミレニス、一緒、スフィア嬉しい!」

 そう言って笑い合うリクスとスフィアに、面食らったように目を丸くしているミレニス。今、一体何が起こっているのか理解できていないといった様子だ。

「……嫌がっていたのでは、ないのか……」

「え? ビックリはしたけど……だって、ミレニスからそんなこと言ってくれると思わなくて」

 ミレニスの手を放し、笑顔で言い切ったリクスに、ミレニスは小さく息をついた。

「頼んでおいて言うことではないが、貴様らだけで決めていいのか?」

「どうして?」

「いや、キースが何と言うか」

「俺がどうかしたか?」

 背後から聞こえてきた声に、反射的に振り返ったミレニスの後ろから歩いて来るキース。その手に大きな紙袋を二つ持っている事から、どうやら買い物は終わったらしい。

 何となくバツの悪そうなミレニスと、どうしてミレニスがここにいるんだという表情のキース。すぐさまリクスがこれまでの事を話した。

「大陸に行きたいから、一緒に船に乗せてもらいたいって」

「へぇ、いいんじゃないか」

 あっさりと肯定したキースに、ミレニスは面食らってしまった。

 砂漠で出会った時にはあれほどまでに敵意をむき出しにしていたキースなのだから、反対すると思っていた。それなのに、いいんじゃないかなど、聞き間違いかと思ってしまうのも致し方ない。

「まあ、バッシュに頼まなきゃ何とも言えねえけど。とりあえず、俺はいいぜ」

「……いいのか?」

「何でだよ」

「……僕のことを、疑っていたのではないのか?」

 身構えるようなミレニスに、キースはやれやれというように息をついた。

「そりゃ、あん時はな。スフィアが攫われた後だったし、妙にタイミングいいし。けど、スフィアを助けてくれたのは事実だろ。だったらこれ以上、疑う必要ねえよ」

 そうと決まればバッシュに交渉しなければならないと、別れる間際に聞いたバッシュの船のある港へと向かって歩き始めた。

 初めての海と船旅に「楽しみだね」と楽しそうに話しながら歩いて行くリクス達の後ろ姿をじっと見つめているミレニス。

 その表情は、複雑なものだった。

 すぐさまリクスに呼ばれて後を追いかけるミレニスだったけれど、その表情が変わる事は無かった。

 港に停泊していた船は、思っていたよりも大きな船だった。定期船と何ら遜色のない規模だ。船室と前方後方に分かれた甲板と見張り台のついた船。

「お、来たな」

「これ、定期船じゃねえか」

「昔ぁな。今ぁもうお役ご免だったんだが、こんな事態だ」

 つまり、廃船になったもので海を渡ろうという事だ。

 急に不安になり、キースは顔を引き攣らせる。

「大丈夫なんだろうな」

「ま、お前さんらを送る分にゃぁ問題ないだろ」

 つまり、片道もたせるのがやっとという事だ。本当に大丈夫なのか心配になるところではあるが、バッシュの事を信じる他に道はない。

「ん? そっちの坊主も友達か。だったら乗ってけ! 部屋なんていくらでも余ってんだし、お前さんらの為に航海すんだ、遠慮すんな!」

 訊ねるまでもなかった。

 何も言っていないのに自己完結すると、バッシュはガッハッハと豪快に笑っている。海の男という部類の人間だからだろうか、何も気にしてなどいないらしい。乗せてもらえるというのは有り難いので素直に礼を言うと、準備の終わっているらしい船へと乗り込んだ。

 リクス達が乗り込むなり船は出航し、バッシュに好きな部屋を使っていいと言われたので適当な部屋へと入った。

 中は四人分のベッドが置いてある広い部屋だったので、大陸に着くまでこの部屋で過ごす事になるだろう。荷物を置き、ベッドに腰掛けたり窓の外を眺めたりと各々好きにし始めたので、キースは何となく口を開いた。

「もうすぐ夜になる。着くのは明日の昼頃だろうから、こっからは自由行動にしようぜ。食料は漁港の人がくれたから好きに食ってくれ」

 そう言って紙袋を、備え付けの小さな棚の上に置いた。

 中には調理済みの食事が入っているので、お腹が空いたら食べればいいという事らしい。

 それぞれが了承の返事をし、ミレニスはすぐさま無言で部屋を出て行ってしまった。

 キースとスフィアもそれに続く様に出て行き、一人になったリクスはどうしようか考えたのだが、一人で部屋にいてもつまらないので甲板に行こうと決め、部屋を後にした。

 甲板へと続く階段を上り、扉を開いて外に出る。


 船尾の方の甲板へと出て来たキースは一人、風に当たっていた。

 涼しい風とオレンジ色の暖かな陽の光が心地良く、手摺に両腕を乗せて上機嫌で海を眺めている。天気が良く、水面に光が反射してキラキラと輝いている。最近、少し気を張り詰めていたせいか、今日は余計に気持ち良く感じた。

「キース」

 そうしていると、不意に呼ばれた自分の名。

 けれども振り返る事はせずに、目を瞑って笑みを浮かべる。

「どうしたんだ、ミレニス。俺に声かけるなんて、どういう風の吹き回しだ?」

 当初、唯一人ミレニスに警戒心を剥き出しにしていたキースは、正直、ミレニスに好かれているとは思っていない。疑わないのか、と漁港で言われてもいたのだから、むしろ嫌われているのではという思いが強かったのだが、こうして話しかけられた事から嫌われているわけではなさそうなので、少し安堵した。

 その声音からも、嫌悪は取れなかったから。

 訊ね、暫し返答を待っていると、ミレニスは数十秒後に漸く口を開いた。

「……少し、話したい事がある」

 その言葉を聞いて、キースは自分の腕を乗せている手摺をミレニス側にある左手で二回ほど、ドアをノックするようにコンコンと軽く叩いた。

「来いよ、隣。この距離じゃ話にくいだろ」

 数メートル離れた状態で話すというのは聊か不自然な気がしたので提案してみれば、ミレニスは眉を顰めている。どうやら、少々気に障ったらしい。しかしそれでも無言でキースの隣までやって来たところを見ると、本当に嫌がっているというわけでもないようなので、再び安堵の息を漏らした。

 隣まで来るとミレニスはキースと並ぶように立ち、海を眺めている。

 少しの間、二人は言葉を発しなかった。

 キースはただ、ミレニスが話し出すのを待っている。急かす事無く、気持ちが向いたら話せばいいと。 

 そうしていると、ミレニスから呟きのように声が漏れた。

「貴様らは、どうして簡単に人を信じられるんだ」

「……は?」

 思わず間の抜けた声を上げた。

 そんなキースに、ミレニスがキースを見上げる。

「何だ、その反応は」

「いや……まさかそんなこと言われるとは思ってなくてな。何でそんなこと、俺に訊くんだ?」

「まさか、奴らに訊けとでも? 能天気なリクスと、何も考えていないようなスフィアに」

 きっぱりと言い切ったミレニスに、思わずキースは半眼になってしまった。

「随分ストレートだな」

「そうか。褒めても何も出ないぞ」

「いや、別に褒めてねえし」

 意外に天然なのかとミレニスを見下ろしているキースだったが、思えば年齢はリクスと同じくらいなのだろうから、そのくらいの方が可愛げがあるというものだ。

 溜め息混じりに息をつくと呆れた目でミレニスを見やり、逸れ掛けた話を戻す。

「何でそんなこと訊くんだ。いきなり、しかも俺に。そんなこと言うからにはそれなりの理由があるんだろ?」

「それは……」

 口籠り、キースから視線を逸らしたミレニス。言い辛い事なのだろうか。しかし、話しかけてきたのはミレニスなので、言う覚悟はあった筈だ。

 俯いたミレニスは一度息を呑み、紡がれた言葉にキースは唖然とした。

「貴様らが、僕を簡単に信じるからだ」

「……はい?」

「どうして僕を受け入れられる? 何故、得体の知れない僕と共に行動などできる? 貴様らは、人という生き物を信じすぎている。人など、狡猾で薄汚い生き物なのに……」

 言いながら再び俯いてしまったミレニスを、暫しの間キースは様子を窺うように見ていたのだが、今度は本当に溜め息をついて半眼になったまま手摺に頬杖をついた。

 その表情と様子は、何を馬鹿な事を言っているのだというもの。

「お前、歳は?」

「は? 十六だが」

「十六ね……まだまだ子どもじゃねえか。子どもがそんなこと考えてんじゃねえよ」

「なっ!」

 ふざけているのかと怒って反論しようとしたミレニスの頭に手を乗せて止めると、暫し見つめ合った。その内にミレニスの怒気はなくなっていき、ミレニスの表情を見てから手を下ろすと、海を眺める。

「たかが十六歳で全てを悟ったみたいなこと言うな。お前が言う奴なんて、ほんの一握りしかいねえよ」

「そんなことはない! 僕は今までそういう人間を嫌という程、見てきた。人間なんて所詮――」

「だったら何でリクスに、一緒に船に乗りたいと頼んだんだ? リクスのことは三度助けてんだろ。スフィアを助けるのも、自分から手伝うって言ったよな。他人を信じたのは、お前も同じなんだよ」

 最初は、聖堂からフィエスタへと向かう帰り道、ピンチに陥ったリクスを、声を出して助けてくれた。その後キースが駆け付けたとは言え、ミレニスが助けてくれなければリクスは大怪我をしていただろう。

 そして、砂漠を歩いているリクス達をサンドワームから逃がしてくれた。サンドワームによって襲われ、命を落とした人間が数多くいる中で逃げおおせられたのは、ミレニスのおかげだ。

 スフィアが攫われた時には、二人だけでは危険だからと共に行ってくれた。何の見返りもなかった筈なのに、だ。

 そして今回、大陸を渡りたかったとは言え、頼み込むというのはミレニスの性格を考えると普段からするわけではないだろう。それなのにも関わらずそうしたのは、これまで助けたリクス達が相手だったからだと言えよう。

「質問の答えは、お前の中にある筈だ。ただ、自覚するまでにはまだ時間がかかるだろうな。その間、もっと他人のことをよく見てみろ。そうすりゃ、絶対に分かる筈だ。人がどういうもんなのか、お前がどうしてそうしたのかがな。結論を急ぐ必要なんてねえんだ。のんびり行こうぜ」

 そう話すキースを黙って見上げていたミレニス。その表情から、何を思っているのかを読み取ることはできなかった。

 少し目を伏せると、ミレニスは海を眺める。

「年寄り臭い」

「お前な、誰の為に言ってやってると――……」

 反論しようとしたキースの言葉は、それ以上紡がれなかった。瞳に映るミレニスに対してかける言葉は、それではないと察したからだ。

 替わりに笑みを浮かべるキース。

「少し、ゆっくり休もうぜ。せめて、この船にいる間だけでも」

「……ああ」

 並んで海を眺めているキースとミレニスの姿を見ながら、何だか入って行ってはいけないような気がして、リクスは船内へと戻った。

 ギクシャクしていた様子だったミレニスとキースの関係が良くなるのならば嬉しい事だと、リクスは前方の甲板に向かって歩き始めた。甲板に出てみてもスフィアの姿はなく、どこにいるのだろうと捜していて操舵室のバッシュに訊いてみると、操舵室の先にある扉の先の見張り台に向かったという話を聞いた。

 お礼を言って扉から外に出、見張り台に登れば潮風を受けながら、スフィアがそこに立っていた。

「スフィア、こんな所にいたんだ」

 梯子を登って声をかければ、スフィアがこちらを見る。

「何してるの?」

「海見るしてる。海、キラキラきれい。スフィア、キラキラ好き。海、空、太陽、星、月。みんな好き」

「俺も好きだよ」

 全て、旅に出てからスフィアに教えたものだった。

 最初の頃のスフィアは本当に何も知らなくて、歩きながら手当たり次第に教えていった。花、風、太陽、木、草、葉っぱ、鳥、石、家――夜になって野宿をしながら、夜の事を教えた。その時にとても反応が良かったのが、星だった。キラキラと瞬いていて綺麗で、スフィアは飽きずにずっと見続けていて、それがとても印象的だった。

 海も星同様に、ずっと見続けていたのだろう。

「海ってさ、凄く広いんだって。ずっと向こうに見える水平線の向こうまでずーっと続いてる。だから、その先には何があるんだろうって、よく考えるんだ。空を見てても同じ。空と海はずーっと果てしなく続いてるから」

 話してスフィアを見下ろすがスフィアはキョトンとしていて、リクスは苦笑を浮かべる。

「スフィア、よく分かるない」

「ごめん、俺も言っててよく分かんなくなっちゃった」

「リクス、変」

 言いながらクスクスと笑うスフィアに、リクスも本当だねと笑った。

 この楽しい時間が続いてほしいと、そっと願いながら。


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