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MEMOLIA LINK  作者: 氷滝 流冬
第一部 女神降臨篇
4/21

4 救出

 翌朝、出かける準備の為に、賑やかなアクバールの街を回りながら情報を集めたリクスとキース。魔物がいそうな場所はないかと訊ねると、どの住人も一様に答えたのはトイコスバレー。その名に、キースは聞き覚えがあった。昔は特殊な鉱石の取れた採掘場のある深い谷で、今では魔物の巣窟になっており誰も近づかないのだとか。

 攫われたスフィアがいる可能性が一番高い場所だと確信し、リクスとキースは準備を終えてアクバールを出ると、真っ直ぐにトイコスバレーを目指して歩き始めた。

 アクバールから北西に進んだ先にあるというその場所まで数十分の時間を要する為に、否が応でも体力は削られる。サンドワームがいなくなった事で気温は下がったものの、快適と言えるわけではない温度。なるべく魔物との遭遇を避けながら進んでいく。

 数分歩いたところで、キースは先程から黙々と歩いているリクスの背中を見つめると、不意にリクスの右肩をバシッと力強く叩いた。その衝撃で前のめりに転びそうになったリクスは慌てて体勢を立て直すと、キースを振り返る。

「痛っ。何するの、キース……」

 叩かれた肩を摩りながら見てくるリクスの目の前に立ち。

「焦る気持ちは分かるけどな、思い詰めてもしょうがねえだろ。ここ、力入ってんぞ」

 言いながら自分の眉間に指を当ててここだと教えると、リクスはハッとしたように慌てて自分の眉間を指で摩って皺を消そうとしている事にキースは、これは重傷だなと肩を竦め腰に手を当てる。

「リクス……俺が言いたいことは分かってるな?」

「……焦りは目を曇らせる。辛く苦しい時こそ気持ちは前を向け。そうすれば道は切り開かれる……でしょ」

「そういうことだ。前、見えるようになったか?」

 何度も聞いたキースの言葉を復唱すると、ニッと笑みを浮かべているキース。こうしていつも助けてくれるキースがいてくれるから、すぐに自分を取り戻す事ができる。そうだ、焦ったって駄目なんだと焦る気持ちを振り払うように頭を振り、それから真っ直ぐにキースを見るといつもの笑みを浮かべる。

 ありがとうとお礼を言えば、いつもの事だろと軽く返される。これでいい。余計な力が入っていては良い結果は生まれない。

 気持ちを切り替え、リクスは再び歩き始める。

「トイコスバレーに行って、スフィアを助けなきゃね」

 改めて気合を入れるリクスだが、不意に聞こえてきた声に再び足が止まった。

「たった二人であの谷に行くつもりか」

 聞き覚えのある、威圧感のある少年の声に振り向けば前方に、フードを頭からすっぽりと被った、マントに身を包んだ人物が立っている。いつからそこにいたのかと思うほどの近距離に驚きつつも警戒するキースだが、リクスはお構いなしに嬉しそうに少年へと近づいていて、そんなリクスを見てキースは溜め息をついた。

「俺たち、スフィアを助けに行くんだ」

「……あの少女か。だが、二人だけでは危険すぎる」

「危険だとしても、お前には関係ねえだろ。何で止める。まさか、奴らの仲間だって言うんじゃねえだろうな」

 威嚇するように言葉を吐き、少年を睨み付けるキース。少年の表情は見えなかったがどこか一触即発の空気が流れる中で、それでもリクスは自分の意思を言葉にする。

「俺たちのことを心配してくれるのは嬉しいけど、行かなきゃならないんだ。スフィアが待ってるから」

 真っ直ぐに、フードで隠れて見えない少年の目を見つめるリクス。暫しの沈黙が降り、それから少年の口から小さな息が漏れた。

 何を仕掛けてくるのかと身構えるキース。しかし、少年から発せられた言葉に唖然とする。

「分かった。ならば、僕も共に行こう」

 突拍子もない言葉、少年の口から出る筈のない言葉に、キースは一瞬その言葉の意味を理解できなかった。二人では危険だから自分が同行するなど、おかしくはないだろうか。命の危険があるからと、行く事を止めたのは他でもない少年自身なのだから。

 それに何より、キースは昨日一度見ただけ、リクスは二度助けられただけで何の接点もないのだが、その少年はつまり力を貸してくれると言っているのだ。

 おかしい。リクスから話を聞いた時もそうだが、昨日のサンドワームの一件にしても今回の同行の件にしても、少年はタイミングが良すぎではないだろうか。見計らっているとしか思えない。ピンチを救い、信頼を得て何かを企んでいるような気がしてならない。

 だから断ると言おうとしたキースだったが、それよりも先にリクスが少年の手をしっかりと握っている。

「ありがとう! 一緒に来てくれるなんて心強いよ!」

「そうか」

 嬉々として話すリクスの姿を見るととても断る事などできなくなり、同行する事で話も纏まっているようで、キースは盛大に溜め息をつくのだった。

 分かっていた事ではあった。もう何年もリクスと一緒にいるのだから、性格は知り尽くしている。予想していた事だったけれど、それでも疲れが押し寄せてくるような気がした。ここで断らなかった事が吉と出るか凶と出るか、それはリクスの人を見る目にかかっていると言っていいだろう。

 だが、こうして一緒にいる事になったのならば、自分が見張っていれば良いとキースは思う。リクスに危険が及ぶような事があれば、自分が制裁すれば良いのだと。

「俺はリクス・ユーリティ。こっちはキース・アルキード」

 いつの間にかリクスから解放された手でフードを脱ぐと、少女とも少年ともとれるような中世的で誰が見ても美少年だと言うような端正な顔が現れる。

 かっちりとした紺の上着と白い細身のスラックス。首元を隠すように、短い立て襟はしっかりと上まで閉められている。その上から、宝飾品のついたプレート状の金具で留められた古びたマントを羽織っていた。

 茶色の肩につきそうな髪を無造作にセットしている、アメジストのような瞳が印象的な少年は形の整った唇を動かした。

「僕はミレニスだ」

「よろしくね、ミレニス」

「ああ」

 軽く挨拶を交わし、ミレニスを加えてリクス達は再びトイコスバレーを目指して歩みを進めて行く。

 それから数十分ほど歩いて行けば、その谷は見えてきた。幅の広く深い峡谷は、その縁に立って底を見下ろすと身震いするほどの高さだった。

 予想していたよりもずっと高いその場所に立ち尽くすリクス達。

「あそこに洞窟がある。隠れるとするならば洞窟の中だろう」

 ミレニスが指差した先には、確かに洞窟のような窪みが見える。しかし、そこに行く為の道は見当たらない。縄梯子のようなものがあれば降りられるのだが、そういったものがない以上ここから先に進むのは困難だ。

 先程の言葉から推察するに、ミレニスはこの場所を知っている筈だ。ミレニスにどうするのかと訊ねれば、彼は平然とこう答えた。

「飛び降りる」

 耳を疑うような言葉に瞬きをし、キースの思考が暫し停止する。

「は? 飛び降りるって……死ぬだろ、普通に」

 下を覗けば目が眩むような高さだ。家の二階から飛び降りるのとは訳が違う。助かる可能性などないだろう。他に道がある筈だと辺りを見回すものの、先程見た通り、降りる為のすべなど影も形もない。

 言った本人であるミレニスとて、不可能な高さである事は重々承知している筈だ。普通の人間が飛び降りれば、単なる自殺になる所なのだから。それはリクスも同じ考えだろうと右隣を見てみると、リクスはう~んと唸りながら顎に手を当てて何かを考えていて、キースは思わずたじろいだ。

 一体何を考えているのかとリクスを見つめていると、不意にこちらを見たリクスがいつもの笑みを浮かべる。

「大丈夫だよ、キース。見て、ところどころに出っ張りがあるんだ。あれを使ったら降りられそう」

 言いながら下を覗きこむリクスに倣って下方を見れば、確かに台のように出っ張っている部分があちこちにあるのが見て取れる。しかし台はまばらで、上から見ただけではどのくらいの強度なのか不明な上に、距離も恐らくは正確に測れないだろう。

 一体何をどう解釈すれば大丈夫だと確信できるのか全くもってキースには理解できない。もしもの事は一切考えていないのだから。リクスとミレニスの思考回路はどうなっているのかと、率直に思う。

「いやそれでも、何メートルあると思ってんだよ」

「大丈夫だって。きっと何とかなるから」

「いや、だけどよ……」

 焦るな、変な力を入れるなとは言ったが、平常心のリクスの方が危険ではないかと思った。大丈夫の言葉が、これほど無責任に聞こえた事はない。

 そうして躊躇っているキースに、ミレニスが痺れを切らしたのか一言告げる。

「もたもたしている暇はないと思うが」

「そうだよ、キース」

 続いてリクスにまで念を押され、年下二人から言われた事で観念したらしいキースは、あーもーと投げやりに言葉を吐き捨てる。

「わぁーったよ。行きゃいいんだろ」

「うん! 行こう!」

 頷くとすぐさま、何の躊躇いもなく飛び降りるリクスに続いてミレニスもさっと飛び降りてしまい、取り残されたキースは今一度大きな溜め息をついた。

「もうどうにでもなりやがれ!」

 悪態をつきながらも置いて行かれまいと意を決し飛び降りると、思っていたよりもずっと楽に着地する事ができた。三人が飛び降りてもビクともしていないところを見ると、どうやら相当頑丈らしい。この分ならば、安心して飛び降りられるだろう。

 そう思い、ホッと胸を撫で下ろすキースにニコッと笑いかけるリクス。

「ほら、大丈夫だったでしょ」

「ああ、そうだな」

 結果オーライだったから良かったものの、と遠い目をしながら「ははっ」と乾いた笑いを漏らすキース。悪運が強いと言うか勘が良いと言うか、何はともあれ無事だという事に代わりはないので、もやもやとする気持ちを抱いたまま次の出っ張りに降りようとした時、ミレニスがいつの間にか取り出した薙刀を握り、リクスとキースを制した。

 一体何を、とミレニスを見やれば、その視線は真っ直ぐ前に向いていた。

「休んでいる場合ではない。僕らは随分と歓迎されているようだ」

 途端に、空を飛ぶ魔物がリクス達を取り囲むように現れた。十や二十ではきかない数に、慌ててリクスとキースも剣を引き抜き構える。魔物の巣窟と言う話は事実らしい。

 虫型の魔物や鳥型の魔物、下を覗けば森で出会ったガルムなどの動物型の魔物が犇めいている。

 このまま一点に集中している事は得策ではないと考え、下で合流しようと言うリクスの言葉に頷き、キースは右、ミレニスは左、リクスは中央に立つとそのまま飛び降りた。

 その間に向かって来る魔物を斬りつけ、下の足場に到着すると魔物の攻撃を避けながら、瞬時に次の足場を確認して魔物を薙ぎ払うと飛び降り、谷底を目指していく。

 中央を突破するリクスは、時には緑色の鷹の姿をした魔物であるウィンドホークの背に乗り、一度上の足場に降り立って体制を立て直して再び下の足場に移動するなど、地形を上手く利用しながら魔物の数を減らしつつ下を目指し、十回目となるジャンプで谷底へと辿り着いた。

 周りに集まっていた空の魔物達は全滅し、ここからは地上戦となる。だが、時間がない事に代わりはなく、なるべくなら短い時間で大量の魔物を倒したい。

 キース達の到着していない今だからこそできるかもしれないと剣を握り直し、前を見据えるとガルムが集団で向かって来るのが見える。それを避けるでもなく飛び出して向かって行くと前方の一体を横に斬りつけて倒し、その勢いを殺す事無く一回転すると、周りにいたガルム達を一掃する。その奥に待っている猪の姿をしたボア達が突進して来る。それが見えた瞬間に、地面に向かって斬りつけると衝撃波が放たれ、地面が爆発し砂礫が飛び散り、ボア達が怯んだ隙に今し方降りてきた崖に向かって駆け出す。背中を見せているからか、砂礫をぶつけられて怒りに触れたか、物凄い形相で向かって来るのを見向きもせずに崖下までやって来るとそのまま壁を走って少しだけ上り、壁を蹴って飛び上がると気を剣先に集中させる。

「閃光弾!」

 剣を振り抜くと気が光弾となって幾つも降り注ぎ、光弾がボアの体を撃ち抜くと断末魔を上げて砂になって消えていった。

 周りにいた筈の全ての魔物が消え、リクスは軽い音を立てて着地すると剣を背中の鞘へと収める。すると、地上に降りて来ていたらしいキースとミレニスがやって来る。

「無事か、リクス」

「うん、平気だよ。キースもミレニスも大丈夫みたいだね」

「当然」

「問題ない」

 多少の傷はあっても掠り傷程度で、殆ど損傷はない。リクスに至っては服が汚れているだけで攻撃を受けた痕さえ見られない。恐らくは一番、魔物を相手にしていたであろうリクスが一番ダメージを受けていないという事に、キースは少しばかり恐怖を抱いた。

 その戦闘力の高さは、傭兵をやっていたキースから見ても目を瞠るものがある。実戦経験の少なさから荒さが目立つ部分もあるが、それをカバーできるだけの技術が確かにある。そして魔物を倒すと決意した事で迷いがなくなり、その強さがはっきりと見て取れるようになった。

 頼もしくもあり、怖ろしくもあると言ったところだろうか。

 ミレニスがその事を気にしている様子はなく、リクスと何か言葉を交わしているのが見えて、キースは暫しリクスを見つめていたが、すぐに頭を切り替えると洞窟に向かい始めた二人の後を追った。

 洞窟の中は所々にある燭台に火が灯っているだけで薄暗く、炎が揺らめいている様がどこか不気味で、リクスは率直に思っている事を口にする。

「何か不気味だよね……」

「いかにもって感じだな」

 悪党が隠れるならば、ここほど打って付けの場所はないだろうと言うのが初見の印象。ついでに悪党以外のものも出てきそうな雰囲気があって、リクスは生唾を呑み込んだ。

 そんなリクス達の事を気にする事無くスタスタと早足で歩いて行くミレニスに、何とかついて行くといった様子のリクスとキース。こんな状態で仲間を助けられるのだろうかと呆れ顔のミレニスだったが、この場所を知っているのはミレニスだけなので黙々と先へと進んで行く。

 途中、幾つも道が分かれていたが、ミレニスは一切迷う素振りは見せずに先へ先へと向かって歩いていて、ミレニスがいなければ確実に迷って外には出られないだろうとリクスもキースも思いながらミレニスの後をついていた。

 途中で何度か魔物と遭遇したが難なく倒して先へ進み、細い通路から広い採掘場へ出るとミレニスが不意に口を開いた。

「貴様ら、共鳴技-シンクロレイド-は使えるな」

 当然のように訊いてきたミレニスだが、返事がない事に驚いたようにリクス達を振り返る。

「えっと……シンクロレイドって何?」

「共鳴石を持っているのに使ったことがないのか」

「きょうめいせき?」

 首を傾げるリクスを見て、それからキースを見やると肩を竦めていて、ミレニスは眉間に皺を寄せた。常識なのかとキースに問われ、眉間の皺を濃くすると息を吐き出し、口を開く。

「人間の体内には気が巡っているだろう。気は属性と相対していて、各々違う属性を持っている。見た所、リクスは光、キースは風だ。技に反映させることはできているようだな」

 先程の戦いを見ていたのだろう。自分も戦闘をしていたというのに、大した余裕だとキースは思う。

「その気をマテリアと呼んでいる。共鳴石はマテリア同士を結びつける性質があり、それによって結びついたマテリアを持つ人間の心が同調することで、強力な技が使えるようになる」

「その共鳴石って、もしかして、これのこと?」

 剣を引き抜き、その刀身の付け根に埋め込まれているガラス玉のような透明感のある石を見せると、ミレニスはそうだと頷いた。思い出すのは、サンドワームと戦った時の事。あの時、お互いの剣についている共鳴石が光り、普段使う技とは性質も威力も異なった技を放つ事ができた。

「あの時のって、シンクロレイドだったんだ」

 呟きを聞いて、無意識に使っていたのならば話は早いとミレニスは止まってしまった足を動かす。それに続くように、リクス達も再び歩き始めた。

「マテリアを使い、共に戦闘することで共鳴石は響き合う。共鳴石が光ればそれが合図だと思えばいい」

「へぇ。ミレニスって物知りなんだね」

「旅をしていればいろいろある」

「俺は傭兵やってたけど、初耳だわ」

「シンクロレイドを使う条件は他にもある。共鳴石を持っていることと、心を通い合わせることができるということだ。誰とでもできるものではない」

「ふぅん。つまり、俺とお前じゃ無理ってことだな」

「その通りだ。貴様がその調子では一生な」

 見下ろすようにミレニスを見ているキースと、横目でキースを睨み付けているミレニス。何だかバチバチと火花が散っているような気がするが、今のリクスにはそこまで気にしている余裕はないようで、ただ真っ直ぐに道の先を見据えている。

 段々と近づいている気がする。スフィアの許に。大分奥まで進んできたからだろうか。けれどそれだけではないと、リクスは思う。確かに感じられるような気がするから。

 けれど採掘場を抜け、再び細い道に入って何度目か曲がった先にある、先程よりも小さな採掘場に出て、リクス達は立ち止まった。そこは完全に閉鎖された空間で、来た道以外に穴はない。

 すぐさまリクスは壁の方に走って行き、その後ろ姿を見ながらキースはミレニスに言葉を投げかける。

「行き止まりだ。道、間違えたんじゃねえのか」

「そんな筈はない」

「どっからくんだよ、その自信。採掘場だった頃のこと知ってるわけじゃねえだろ」

「当然だろう。もう何十年も前に閉鎖されたのだからな」

 静かな言い合い、探り合いが続く中でリクスは一人、奥の壁の前に立ってそっと壁に手を添えている。この先にスフィアがいる筈なのに、これ以上進む事ができない。それが歯痒くて、そっと目を伏せた。

 その時だった。視界の端にキラキラと輝く小さなものが映り込んだ。

 驚きに「えっ?」と右の方を向いて、キラキラと光っているものの正体を知った。透明感のある緑色の蝶が、輝きながらヒラヒラと飛んでいる。蝶は真っ直ぐに壁の方へ向かって行くと、そのまま壁の向こうへと消えていった。

「今の……」

 慌てて蝶の消えた壁の前まで行くと、そのすぐ傍に文字のようなものが書かれているのが分かった。「<」という文字が一文字だけ。記号のようにも見えるそれを、リクスは真っ先に文字だと感じ取った。これが何の意味を持つのかも分からないが、キースとミレニスの言い合いを聞きながら、そっと文字に触れてみた。

 瞬間、脳裏に浮かぶ言葉をリクスは口にしていた。

「ハーディ」

 言葉にした直後、フッと文字の隣にあった筈の壁が消え去り、奥へと続く階段が一瞬にして現れた。

「キース、ミレニス! 道ができたよ!」

 無邪気に喜んで振り返ったリクスに、言い合いに夢中になっていたキースとミレニスは漸く口を止め、リクスの方にやって来た。

「本当か」

「ほら」

 指差された先にある階段を見て、キースもミレニスも興味深そうに階段の先を見つめる。

「なるほど、隠し通路か。盲点だったな」

「俺も失念してたわ。変な言いがかりつけて悪かったな」

「気にしていない。貴様には貴様の役割があるのだろう」

「可愛くねえ言い方」

 互いに見合い、再び言い合いが始まるかと思われたが背後から同時に、リクスに背中をバシッと叩かれると二人の視線がリクスに向いたが、一歩踏み出したリクスは階段の先を見据えている。

「行こう、キース、ミレニス。スフィアが待ってるよ」

 言って階段を駆け下りて行くリクスの後ろ姿に気が削がれてしまったキースとミレニスは、肩を竦めて息を吐くと、すぐさまリクスの後を追って階段を降り始めた。

 緩やかなカーブを描いている長い階段を降りて行くと、炎の明りとは違う、青白い光が目に入った。それは階段の終わりを示していて、駆け足で一番下まで降り立ち青白い光が漏れている方を見ると、採掘場よりも広い空間があった。それは採掘場と言うよりも、リクスとキースがスフィアと出逢った空間に近く、中央には四本の支柱と円系の台座があり、台座の上には球体の乗ったオブジェが置かれている。

 その球体の中には、水の中にいるかのように浮いているスフィアの姿。

「スフィア!」

 目を見開き、駆け出すリクス。

 直後、キインッと耳鳴りがした。この音は、風の震動。それを感じ取ったミレニスは声を張り上げる。

「下がれ!」

 それでも止まらないリクスに、キースが走り出す。

 球体の前で立ち止まったリクスはガラスのような硬質の球体に触れる。その中にいるスフィアも気付き、底の方にしゃがむとリクスの手に触れるように内側から触れた。

 何かを口にしているようだけれどスフィアの声は聞こえてこない。何か特別な術が施されているのかもしれない。宿屋で出会った時にかけられたような、特殊な術を。

 もしかしたら、こちらの声もスフィアに届かないかもしれない。そう思ったけれど、言葉は口をついて出ていた。

「スフィア、もう大丈夫だからね。俺が、そこから出してあげる」

 キョトンとしたスフィアの表情に声が届いていない事を知るが、伝える事はできたと思う。だから微笑んでスフィアを見たのだが、次の瞬間、体が強く引き寄せられたかと思うとその場所から引き離されるように、リクスの体はその場から飛びのいていた。

 勿論、リクスの意思ではない。地面に着地した時に見上げたキースの顔に、キースに抱えられて場所を移動したのだとすぐに理解した。けれど何故、と考えるのと同時に威嚇するような鳥類の鳴き声が耳に届き、スフィアの方を見て理由を知った。

 自分達の何倍も大きな翼を広げた鳥型の魔物が、スフィアのいる球体の前に停滞している。風を身に纏ったその魔物を見て、ミレニスが低く呻くように呟いた。

「シムルグ……何故このような場所に……」

 その名に、リクスを下ろしたキースも驚いたように目を見開く。

「聞いたことあるぜ。並の傭兵じゃ相手になんねえ、サンドワーム級の魔物だ。手厳しいな」

「でも、戦うしかないよ。サンドワームだって倒せたんだ。きっと大丈夫」

 言いながら背中の剣を引き抜き、構えるリクス。

 その様子を見て、そう願うよと呟いて剣を引き抜き逆手に持つキース。いつの間にか取り出した握った薙刀を、ミレニスも構える。

「奴は纏っている風を攻撃に使用する際、空気を振動させる。耳鳴りがしたら、とにかく離れるんだ」

 忠告に分かったと頷き、リクスとキースは共に衝撃波をシムルグに撃ち込んだ。畳み掛けるようにキースが剣で斬りつけ、床を蹴って飛び上がったリクスは剣を振り降ろし斬りつける。

 攻撃を受け、一旦飛び上がり距離を取るシムルグ。だが、その真下にはミレニスが立っていて、薙刀を高く掲げると電気が刃先に集中する。

「雷閃衝!」

 地面に突き刺すと電撃がシムルグへ向かっていき、避ける事のできないシムルグの体に命中した。この隙に一気に攻め込むべきだと飛び出した時、キィンッと酷い耳鳴りがする。この音は合図だ。

 一斉にシムルグから距離を取るように飛び退けば、その直後に小さな竜巻が幾つか巻き起こった。向かって来る竜巻を避けるリクスとミレニス。キースは剣で真っ二つに斬り裂き、その間に構えた剣で一閃する。

「吹き飛べ!」

 剣を振り切ると風が巻き起こり、風圧に押されたシムルグは壁に激突していて、その間にリクスは再び球体へと近づいた。今の内にスフィアを外に出すべきだと判断しての事だ。キースの方を見れば、時間稼ぎは任せろと笑みを浮かべて頷いているので、頷き返すと球体の傍を調べ始める。球体の大きさは直径三~四メートルといったところで、スフィアと会った時の水晶とは異なり、この球体はどこか機械じみている。

 どこかにスイッチのようなものがある筈だと、球体やその下のオブジェに触れてみる。何か、何かある筈だ。

 後方ではキースとミレニスがシムルグの動きを止めてくれている。このチャンスを潰すわけにはいかない。

 隅から隅まで、見落とす事無く触れながら捜していくと、不意に、見覚えのある文字が目に入った。記号のような文字。それは隠し通路を出現させた時に見た、あの文字と同じものだ。

 これだ、と文字に触れる。

「スフィア、下がってて!」

 聞こえていないと分かっていてもスフィアを真っ直ぐに見て言えば、スフィアは戸惑いながらも後方へと下がった。

「ハーディ!」

 瞬間、球体は空気に溶けるかのように跡形もなく消え、ふわりとオブジェの台座の上に座り込んだスフィアにリクスも台座の上へと上がると、スフィアの傍にしゃがんだ。

「大丈夫、スフィア」

「だいじょぶ。リクス来る、待ってた。助ける信じた」

「スフィア。あの魔物を倒して、一緒にここから出よう」

 コクンと頷き、リクスに差し出された手を掴んで共に立ち上がると、リクスは剣を握り直し、スフィアは胸元についているロザリオの中心に埋め込まれている紅い宝珠に触れると、姿を現したベルを握った。

 風に吹き飛ばされ、距離を取られているキース達の姿が目に映る。

 スフィアに援護を任せ、リクスは駆け出すとマテリアを剣先に集中させる。

「はあぁぁあああ!」

 地面を蹴って飛び上がり、剣を振り切る。

「閃光弾!」

 マテリアが光弾となってシムルグを撃ち抜き、そこにリンッとベルの音が響き渡る。

「自由なる氷晶-アルディクリオリーテ-!」

 シムルグの頭上に水色の氷の紋章が展開されると、氷の紋章から現れた手のひら型の氷像がシムルグの体を押し潰すように、床に抑えつけている。どういうセンスなんだろうと思いつつ、地面に降り立ったリクスは、駆け寄ってきたキースと顔を見合わせる。

「上手くいったみてえだな」

「うん。キースとミレニスのおかげだよ」

「そんじゃ、こっから一気にやっちまおうぜ」

 床を蹴って飛び出すと、リクスとキースはマテリアを駆使しながら剣技を揮っていく。コンビネーションと隙のない攻撃の数々に、シムルグは風を使って反撃する事もままならず、突進してくるのが精一杯といった様子だ。このままなら押し切れる。

 ミレニスの電撃が落ち、スフィアの水の魔術が撃ち込まれシムルグが怯んだ時、リクスとキースの剣についている共鳴石が光を放つ。

「準備はいいか?」

「もちろんだよ!」

 互いに剣を構えると、マテリアを高めて剣に集中させる。

「双虎の牙-ティグリスコルヌ-!」

 同時に振り切ると、リクスの剣から放たれたマテリアは白い虎に、キースの剣から放たれたマテリアは緑の虎の姿になりシムルグへと真っ直ぐに向かって行き、その牙がシムルグを捉えた。

 マテリアの虎に喰われたシムルグは断末魔を上げて砂になって消えていき、剣を鞘へと納めるとリクスとキースは腕を合わせる。

「やったね、キース」

「俺らは無敵だな!」

 そうして喜んでいるとスフィアが駆け寄って来て、近くにいたミレニスもマントを留めている銀のプレートの中心についているアメジストのような宝珠に触れ、薙刀がマテリアへ変貌すると宝珠の中へと消えていき、ゆっくりとリクス達の方へ歩いて来る。

 戦いが終わった途端、駆け寄って抱きついてくるスフィアに笑いながら声をかけるリクスの頭を笑顔で撫でているキース。先程まで魔物と戦闘していたとは思えないようなほのぼのとした光景に、暫しの間、ミレニスは少し距離を置いたまま傍観していた。

 けれどもすぐにリクスがミレニスに気が付き、ミレニスの方へと軽い足取りでやって来る。

「ミレニス、ありがとう。ミレニスがいなかったらどうなってたか分からなかったよ」

「いや……」

 無表情のまま顔を背けるミレニスに、何かしたかなとキョトンとするリクスだが、すぐにやって来たスフィアが首を傾げながら自分より少し身長の高いミレニスを見上げた。

「だれ?」

「ああ、スフィアはちゃんと見るのは初めてだよね。砂漠で最初にサンドワームに襲われていた時に助けてくれた人で、ミレニスって言うんだ。スフィアを助けるのを手伝ってくれたんだよ」

「そなの……ありがと。スフィア嬉しい」

「僕は別に何もしていない」

 そう言って再び顔を背けてしまうミレニスに、リクスとスフィアは顔を見合わせると微笑んだ。何だかキースが照れ隠しをしている時に似ていると思うと、自然と笑みが零れていた。

 それから、長居しても仕方がないと言うミレニスの一言で廃坑から外に出ると、久しぶりの太陽がとても眩しく感じた。

 これからどうしようかという話をリクスがきり出した時、不意にミレニスがマントを翻し、背を向ける。

「僕はこれで失礼する」

 一言そう言うと歩き始めてしまったミレニスに、リクスは慌てて声を投げかける。

「ミレニス、助けてくれてありがとう! また会えるよね!」

 立ち止まり、けれども振り返らずにミレニスは言葉を紡ぐ。

「……可能性は0ではない。運命にかけてみるのだな」

 そう言うとフードを被り、ミレニスは崖の台座を軽々と飛び移りながら崖を上って行ってしまった。凄い身のこなしだなと感心しつつ、リクスはその後ろ姿をずっと見つめていた。

 ミレニスがいなかったら、今頃どうなっていただろう。リクスは実質三回も助けてもらった事になる。前二回は、リクスに危険が及んだ時、魔物から護ってくれた事になる。けれど今回はスフィアの事を知らずに、危険な状況下でもないのに声をかけてくれた。

 どうして助けてくれるのか――その理由は分からなかったけれど、それでも感謝している。だから心の中で見えなくなったミレニスに、もう一度ありがとうとお礼を言うと、キースとスフィアを振り返った。


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