3 砂漠の主
灼熱地獄とはこの事だろうかと、リクスは暑さでボーっとする頭で考えていた。
祭壇のある神殿を出て森を抜ければ、その光景は広がっていた。
一面の砂に覆われた、所謂、砂漠である。大きく波打った砂は丘が連なっているのではないかという程に凸凹としていて、砂漠に出てからもう何度目かになる丘越えの真っ最中だ。通常の道でさえ、これだけ上り下りを繰り返していれば体力は奪われると言うのに砂に足を取られて速く進む事ができず、ギラギラと照りつける太陽の熱が体力の減りに拍車をかけてくる。
砂漠の真っ只中にあるアクバールに向かうにはそれ相応の準備が必要だと、神殿内の清流を汲んで持ってきているのだが、思った以上に体内の水分の減りが早い。理由は、汗の量だ。水を飲んでも、飲んだ矢先から蒸発していくような気分だ。
キースは仕事の関係で何度か砂漠越えを経験しているが、リクスは確実に、スフィアは恐らく初体験だ。その二人を連れての砂漠越えがどれだけ大変な事か、改めて突き付けられているような気がした。
「にしても、あっつ~」
「ホント。スフィア、大丈夫?」
「……うん……」
力無いスフィアの頷き。目は虚ろで、顔は火照り、顔を上げるのすら辛いのか俯き気味に歩いている。足元もどこか覚束ない。
しかし、フィエスタが比較的涼しい気候だった為にリクスもキースも暑さには不慣れで、正直スフィアを庇っている余裕は殆どなかった。それでも必死にスフィアに声をかけ、気が滅入るのを防ごうと頑張っているリクスには恐れ入る。本来ならば最年長であり、体力もあり、慣れているキースがせねばならない事なのだが。
汗を拭い、リクスはふと口を開いた。
「森を抜けた途端、どうしてこんなに暑くなっちゃったんだろう」
その呟きに、キースは眉を顰める。
この暑さは元々のものではない。確かに、砂漠な上に今日は快晴なので気温が上昇するのは致し方ない事なのだが、ここまでの暑さをキースは体感した事がない。優に四十度を超えているのではないだろうか。
森を一歩出て砂漠に入った瞬間から、温度が一気に上昇したのだ。それはまるで、全く別の空間に入り込んでしまったかのよう。気候にも境界線があるとはいえ、あそこまではっきりと違う事など有り得ないと言ってもいい。
「確かに異常ではあるな」
「そなの?」
「ああ。普通は、一瞬でこんなに気温が変わることはないからな」
大人しい声で訊ねてくるスフィアに、キースは優しく教えてあげる。スフィアが水晶から出てからまだ数日しか経っておらず、また、記憶も殆ど戻ってはいない。今は世界の事も常識も何もかもが分からない状態で、まるで幼い子どものように知らない事は何でも訊いてくる。
だからその度に、リクスもキースもきちんと説明してあげる事にした。記憶を探して旅をしているとはいえ、全ての記憶が戻るとは限らない上に、いつになったら記憶を取り戻すのかも分からない。万が一記憶が戻らなくても生活していけるように、自分達が知っている事は何でも教えようと思っての事だ。
訊いてくるという事は、スフィアは様々な事を知りたいという事。それを拒む理由は何もない。
そうして砂漠を小一時間ほど歩いた頃だった。
「ひゃっ!」
短い悲鳴が聞こえたかと思うと、スフィアがドサリと前のめりに倒れてしまった。ビタンと顔面から何から綺麗に砂にくっついていて、これが硬い地面ではなく柔らかい砂で良かったと思うような光景だ。
「大丈夫? スフィア!」
慌てて駆け寄るとリクスは膝をついてしゃがみ、手をついて上半身を起こしているスフィアの体を支えてやれば、スフィアは砂の上に座り込んだ。比較的なだらかな所で、傾斜でなくて良かったと少しばかりホッとする。
服や髪や顔についた砂を払ってやれば、大丈夫だと笑うスフィア。怪我をするような場所ではないので大丈夫ではあるだろうが、問題は倒れた事。砂に足を取られて転んだだけであればまだ良いのだが、体力の限界、若しくは眩暈のせいだとすればこれ以上無理はさせられない。
不安そうな心配そうなリクスの表情に、けれども彼女がその心情を察する事はない。
「スフィア、平気か?」
先頭を歩いていたキースは、リクスが向かったので自分まで行く事はないとその場で立ち止まっていた為に、そこから声を投げかけた。それは決してスフィアの事がどうでも良いというわけではなく、心配しているという事は声音から感じ取れる。
立てるかとリクスが訊ねればスフィアは頷き、リクスに手を引かれながらキースの許までやって来た。
「平気。転んだ」
「そうか」
スフィアの金の双眸を見つめ、それが嘘ではないのだという事を感じ取ると微笑を浮かべ、キースはそっとスフィアの頭に手を置いた。
「あんま無理すんなよ」
「ぅん?」
キョトンとするスフィアに何でもないと言い、くしゃくしゃと頭を撫でて再びアクバールに向けて歩き始めようとして、けれどもすぐにスフィアが再びペタンと座り込んでしまった為に足が止まった。
どうしたのかと、スフィアを覗き込むリクス。
「スフィア、本当に大丈夫?」
やはり具合が悪いのかと思い、見たスフィアの頬は赤らんだままで、しかしリクスにはどこか蒼白に見えた。
「違う」
スフィアの口から漏れた言葉にはどこか緊張の色が見え、何がと訊ねる前にスフィアが再び言葉を紡ぐ。
「グラグラ、した」
刹那、言葉が合図になったかのようにリクス達の後方の砂が盛り上がったかと思うと、地中から巨大な物体が姿を現した。太陽を覆い隠してしまいそうなほど高く伸びた巨大なミミズ。それが地中から顔を出し、首をもたげている。ワームと呼ばれる類の魔物。
十メートルはあろうかという大きさに、リクスもキースも目が点になっている。
「何、あれ……」
「分かんねえけど、ヤバくね?」
「だよね」
キシャアアという奇声を発した魔物に危機を感じ取ったキースは、すぐさま剣を引き抜いた勢いで真空波を打ち込んだ。真空波が命中した事で、巨大ワームは動きを止めた。
「今だ! 走れ!」
「スフィア!」
キースの言葉にリクスはすぐさまスフィアの手を掴むと立ち上がらせ、全速力で走り出す。柔らかな砂にバランスを崩しそうになりながらも懸命に走って行く。後方から怒り心頭といった様子の巨大ワームが追いかけて来ていて、その距離は徐々に縮まりつつある。
「マズいよ、キース。このままじゃ……!」
「分かってっけど、どうすりゃいいんだ……!」
ただ走っているだけではいずれ、否、すぐにでも追いつかれてしまう。けれど、体力の殆ど残っていない状態で戦闘になったところで倒せる保障も確証もない。どちらにせよ、逃げ切る事はできない。
やられるのを待つしかないのかと最悪の事態が脳裏を過った時、声が降ってきた。
「こっちだ!」
凜とした声に右の方を向けば、小さな砂丘の上にすっぽりとフードを被って顔を隠したマント姿の人物がそこに立っていた。聞き覚えのある声と姿。反射的にキースとスフィアもその人物の方を見ていて、キースは訝るように目を細める。
「何だ、あいつ」
「とにかく行ってみよう。スフィア、走れる?」
「うん」
「行こう、キース」
「……仕方ねえな」
どこか不服そうなキースに、しかし構っている余裕も立ち止まっている暇もない為に走って砂丘を上っていく。リクス達がついて来ている事を確認するとマントの人物は砂丘を下って行き、リクスとスフィアがそれに続き、キースは最後尾で巨大ワームを牽制しながら走っている。
それから平坦な道を走って行けば、少し先にオアシスが見えてくる。どうやらリクス達はオアシスとは別の方へ向かって歩いていたようだ。
オアシスまであと数十メートルというところでマントの人物は立ち止まり、リクス達もその場で止まった。
「どうしたの?」
乱れた息を整えながらマントの人物に訊ねてみると、その人は息を乱す事無くその場に立っている。
「もういいだろう」
そして、涼しい声でただ一言そう言った。
その視線は後方を向いていて、各々呼吸を整えながらリクス達も後方を見てみれば、先程マントの人物がいた砂丘の辺りで立ち往生し、辺りを見回している巨大ワームの姿が見て取れた。
まだ追いかけて来るのかと思って身構えていれば巨大ワームはピタリと動きを止め、何事もなかったかのように来た道を戻って行った。どうやらこれで危機は脱したらしく、リクスはハーッと息を吐き出す。
もう体力は限界に近く、少し休みたいものだと思いながらもマントの人物の方を振り返った。
「また助けてもらっちゃった……ね……あれ、またいない」
しかしそこには誰の姿もなく、困ったように頬を掻いた。
「また? 何だリクス、知り合いか?」
「そういうわけじゃないんだけど……ほら、キースが帰って来た時に俺、魔物に襲われてたでしょ? その時にも助けてくれたんだ。多分、同じ人だと思うんだけど」
その時もマントにフードだった為に確実に同じ人物とは言い切れないが、あの声と雰囲気は間違いないと思う。それに、どちらも同様に、お礼を言う前にいつの間にか姿を消してしまっていた。
話すと、そんなこと言ってたなとキースも思い出した。
二回も会ったならまた会う事もできるだろと言えばリクスは頷いていたので、とにかくオアシスで体を休ませようとスフィアを連れてキースは歩き始めていて、リクスはすぐに後を追いかけたけれど数歩で立ち止まり、振り返って蒼空を見上げる。
「あの人、誰なんだろう……」
リクスの呟きは砂混じりの風に流されて消えていき、振り返ったキースに促されると走ってキース達の許へと向かった。
少し進むと街を取り囲むように砂の壁ができていて、そこから降りて行くとメルクリウスの下を通り抜ける。
砂漠のオアシス アクバール。
ダール砂漠の中心部に位置する唯一のオアシスで、広大な砂漠を越える為に必要な休息場として使われる事が多いが、オアシスに創られたアクバールという街は小さくはない規模の街だ。
一歩街に入った瞬間に、リクスは異様な視線を感じていた。難しい顔をしながら話をしていた商人らしき男達、不安そうな顔で砂漠の方を見つめていた年配の女性、立ち尽くしている夫婦らしい男女。街の出入口付近にいたそれらの人物達が、一斉にリクス達の方を見てきたのだ。
砂漠の中央部に位置するオアシスに創られた街なのだから、余所から来た者に慣れていない訳では無い筈だ。砂漠を越える為にはアクバールで一度、休息を取る必要があるのだとキースも言っていたので、行商人も多く訪れるような場所なのだから。
けれども驚いたような表情のその人物達は会話をピタリと止めてリクス達をじっと見ていたかと思うと、わっと一斉に駆け寄って来た。
「あ、あんたら、砂漠を越えて来たのか?!」
「い、一応……」
興奮気味の彼らにあたふたとしているリクスだが、とりあえず頷いてみる。
「途中、サンドワームに会わなかったか!?」
「えっと、おっきいワームの魔物だったら会いましたけど……」
「倒したのか!」
「ビックリして、逃げてきちゃいました」
あはは、と苦笑を浮かべると全員が落胆し、元いた場所へと戻って行った。
一体何だったのかとリクスはキースを見上げるが、肩を竦めて返される。
暑さに負けず、人々の明るさが印象的な街、それがアクバールだった。メルクリウスが結界の役割をしているからか街の中は砂漠ほど暑くはなく、汗がじんわりと滲む程度のもの。このくらいの気温だったら、リクスにも耐えられそうだ。息を吸い込めば熱された空気が肺を熱くするけれど、先程のように息をする度に喉が渇くという事はない。
泉と呼んでも支障がないほどの小規模な湖が街の西部にあり、そこに行けばもっと涼しいだろうと通りを抜けて湖のある広場へと向かったリクス達は、広場に入って愕然とする。
「水が、ない……」
広場には大きな窪みがあり、そこに湖が存在していたのだろうという事は明らかだった。だが一滴の水もなく、湿った形跡さえもない。
この暑さで干からびてしまったのだろうかと思うが、街中の温度は広場に入ったとてさほど変わらない。干上がる程の気温ではない筈なのに、これは明らかに異常だった。
呆然と嘗て湖であった場所を見つめていると、少し離れた所から会話が聞こえてきた。
「聞いたか。また、傭兵の男達がサンドワームにやられたって」
「あいつが現れてもう五日……気温は上がる一方だ」
「湖の水が干上がったのもあいつの仕業だって言うし……誰か倒してくれる奴はいないだろうか」
「馬鹿。もう何人死んだと思ってんだ。あいつのテリトリーに入ったら感知されて、あっという間に喰われちまう。アクバールに入って来ないことだけが唯一の救いだよ」
先程、砂漠で襲ってきた魔物はサンドワームと言うらしい。何でもサンドワームは体内で熱を生み、その熱を体外に放出するのだとか。そのせいで気温が上がり、湖の水が干上がってしまったという事だ。そしてサンドワームは目が付いていない代わりに動く物を感知する能力が高く、ある一定の距離まで近づくと感知されてしまうらしい。
その為、砂漠越えは今や困難となっており、傭兵を雇って渡ろうとする行商人もいたようだが、サンドワームの餌食となってしまっているのが現状だ。つまり、サンドワームがいる限りアクバールから出る事も入る事もできなくなったという事だ。街に入った時に住人達が、サンドワームがまだ生きている事を知って落胆した理由はそのせいだろう。
サンドワームが出現してからもう五日が経っているという話だ。だとするならば、食料や水の貯えがあったとして、一週間が限度といったところだろう。砂漠の街という事で他の街や村よりは貯蓄があったとしても、だ。何より頼りにしていたであろう湖の水がないとなると、もっと早く枯渇する可能性だってある。
このまま立ち往生をしていれば、いずれはリクス達の命も危ない。
「サンドワーム……聞いたことあるな。水を何より嫌い、自分の体から発した熱を利用して水を封印するらしい。湖の水はなくなったんじゃなく、視覚できないだけだ」
リクスはぎゅっと拳を握り、どうするか思案するように顎に手を当てているキースを見上げる。
「俺たちでサンドワームを倒そう」
「ま、それしかないな。見たとこ、アクバールに戦える人間はいなさそうだし。けどいいのか? 魔物を倒すんだぞ」
「分かってるよ。でもキースが言ってくれたんじゃない。護る為に剣を抜けって。俺は、この街の人たちを助けたい」
見つめてくる若草色の瞳に迷いなどない。つい数日前まで魔物相手に剣を抜く事を躊躇っていたとは思えないその変貌ぶりに、キースはボーっとした表情のスフィアに視線を移す。憧れの女神に瓜二つの少女。その存在がここまでリクスを変えているのだとすれば、この出会いはリクスにとっての大きな転機だったのかもしれない。
今のキースがリクスにしてやれるのは、覚悟を見守る事か。
もう一度リクスを見、ふっと微笑んだ。
「よく言った、リクス。いっちょ、街を救う英雄になってやろうぜ」
茶化すように言われ、リクスは笑いながら頷いた。ふざけてくるキースの言葉に肩の力が抜けたような気がする。失敗できないと思うと怖いけれど、キースがいてくれれば大丈夫だと思えてくる。
覚悟も決まり、リクスはスフィアに声をかける。
「スフィア、俺とキースは魔物退治に行ってくるから、スフィアはここで待ってて」
サンドワームは街には入って来ないと先程話していたので、ここに残っていればスフィアに危険が及ぶ事はないのでそう言うが、スフィアはすぐさま首を横に振った。
「一緒、行く」
「危険だから連れて行けないよ。ここで帰りを待っててほしいんだ」
「や。スフィア、一緒行く。スフィア分かる。魔物いる分かる。場所判る。一緒行く」
魔物がいる場所が分かると言っている。その言葉に、スフィアが砂漠で転んだ時の事を思い出した。最初に転んだのは確かに砂に足を取られたからだろうが、歩き出してすぐに再び座り込んだ時、スフィアはグラグラしたと言っていた。そして直後にサンドワームが現れた。
あれが偶然などではなかったとするならば。
「スフィア、魔物の気配が分かるの?」
「けはい? スフィア、グラグラ分かる」
「なるほど、地面の僅かな揺れが感じ取れるってわけか」
コクンと頷いたスフィアを真っ直ぐ見つめると、リクスはそっと微笑んだ。
「分かったよ。サンドワームが近づいて来たら教えてね。スフィアのことは、俺が絶対、護るから」
言葉の意味を理解できていないのかキョトンとしながら聞いていたスフィアだったけれど、すぐにニッコリと柔らかな笑みを浮かべていて、リクスはキースと顔を見合わせると笑い合った。
それからすぐに、アクバールの北に位置するアーチへ向かった。
「あんたら、何してるんだ」
先程、必死の形相でリクスに話しかけてきた男性が顔面蒼白のまま見つめてくる。
「外に出るんです」
「やめておけ。サンドワームから逃げ切れたのは偶然だ。二度はない。命を落とすだけだ」
その言葉に、リクスはただ微笑んだ。そしてそれ以上何も語ることなく、アーチを潜り抜けた。
アクバールを囲むように聳える高い砂の壁を上り、真っ直ぐ歩いて行く。いつ、どこから出て来るのかは判らないので慎重に進んでいく。外気の熱と太陽の熱で肌が焼けそうだ。それでもやると決めた事だ、立ち止まるわけにはいかない。
倒せるかどうかなど、正直分からない。けれどもやらなければ自分達も危ない。死を待つのであれば、一か八かの賭けに出る方がいい。いつもは冷静で危険な事には首を突っ込ませないようにリクスを制止するキースが今回、反対しなかった理由もそこにあるのだろうとリクスは思う。
そうして歩いていて、突如、ピタリとスフィアが足を止めた。
先行していたリクスもキースもその事に気が付き、立ち止まると剣を引き抜いた。気を張り詰め、出現に備えるリクスの額から汗が零れ落ち、砂を濡らす。
「下!」
声に、リクスはすぐさまスフィアの体を抱き抱えるとキース共々、砂を強く蹴って飛び退き、直後、砂が盛り上がるとサンドワームがその姿を現した。奇声を発し、威嚇してくるサンドワームにすぐさまキースが向かって行く。数メートル離れた所にスフィアを下ろすと、リクスも剣を握り直して駆け出した。
衝撃波を中て、間合いを一気に詰めて縦に横に斬りつけるが効いている様子はなく、それどころかサンドワームは口から炎の球を吐き出して攻撃してくる。懐に入り込んでいるキースは死角になっている為、炎の球は真っ直ぐリクスに向かっていて、さっと避けるとリクスは右側から回り込み。
「牙針!」
横っ面に、溜めて踏み込み、強烈な突きを打ち込んだ。
吐き出された炎の球がキースの顔の横を通り過ぎたが怯む事無く右足で踏み込み、再び懐に入り込むと背中から回転しながら飛び上がり、剣を振り上げ遠心力で斬りつける。
「リクス!」
「うん!」
逆手に持った剣を握る手首を返し、前に向けていた剣先を後ろに向けるキース。胸の前で腕を大きく交差させるリクス。各々の剣の、刀身の付け根に埋め込まれているガラス玉がキラリと光った。
「双刃!」
「一閃!」
ピタリと同じタイミングで水平に斬りつけると大量の血が吹き出し、サンドワームは悲鳴に似た奇声を発すると砂の中へと潜っていった。砂埃が巻き起こり、目を眇めながらキースは舌打ちをした。
「くそっ、逃げやがった」
「追いかけないと!」
深手を負った事は間違いないが、ここで逃してしまえば傷を癒される可能性が高い。その間は恐らく姿を現さない可能性が高く、アクバールの住人達を砂漠の外へ連れ出すという方法がとれる。しかし、傷を癒されれば再び砂漠に人が入れなくなり、根本的な解決にはならない。
今ここで、この場で倒す以外に解決方法はない。今が最大のチャンスと言ってもいい。
何とかして見つけなければ。
「スフィア、サンドワームは近くにいる?」
「いる。リクス後ろ、下いる」
「身を隠しただけってことか。だったら誘い出してやろうじゃねえの。リクス、スフィアのこと頼んだ!」
分かってるよと頷き、リクスはスフィアの方へ駆けて行くと腰に腕を回してしっかりと抱きしめる。何が起こるのか分かっていないスフィアはキョトンとリクスを見上げているけれど、しっかり掴まっててねと優しく言い、リクスはスフィアを抱く腕に力を込めた。
キースは両手で剣を逆手に持ったまま剣先を地面に向けていて、意識を集中させると風が渦を巻き、キースを取り巻いた。
「はあっ! 爆!」
剣を砂の地面に突き立てると爆風が巻き起こり、巨大な竜巻が起こったかのように周囲の砂が爆散し地中に潜っていたサンドワームが奇怪な声を上げながら巻き上げられる。
自分が盾になる事で爆風からスフィアを護り、ここにいてねと優しく告げるとすぐさまリクスはサンドワームへ向かって行く。キースの放った衝撃波が命中し、これまでのダメージが蓄積していたせいか、捨て身の攻撃とばかりに火の弾を次から次へと吐き出してくるサンドワームに怯む事無く、リクスは右に左に避けながら懐に潜り込む。
これで最後だと剣を振り上げた次の瞬間、視界の端に影が映り込んだと思った時には右脇腹に鈍い痛みを感じていた。死角から伸びてきた尾がリクスの脇腹に命中し、声にならない声を上げたリクスは空中に弾き飛ばされ、無防備になったところにサンドワームは火の弾を吐き出す。その内の一つが右腕に直撃し、衝撃で後方へ飛ばされると重力に従って地面に落ちていき、リクスは砂の上を転がった。
「リクス!」
炎の流れ弾を剣で斬りつつもリクスの方を見やると、肩で息をしながら地面に座り込み、腕を抑えているリクスの姿が目に映った。まだ起き上がれる元気はあるらしい。しかし、遠目からでも分かるほどリクスの体はダメージを受けている。
特に酷いのが、火の弾が命中した右腕の火傷。あれではもう右腕は使い物にならない。早くサンドワームを倒して治療をしなければならず、もう一刻の猶予もなくなったという事だ。幸い、サンドワームに与えたダメージも大きい為、そこまで時間はかからない筈だ。キース自身もすでに体力は限界に近い。それでもやらなければ。
剣を握り直し、砂を蹴る。
「うおおぉおお!」
空刃を撃ち込み、畳み掛けるように連撃をサンドワームに叩き込む。すると突然、サンドワームは暴れ出したかと思うとがむしゃらに火の弾を吐き出し、それらはキースの頭上を通過し後方へと向かって行く。その先にいるのは、リクス。
しまったと振り返りリクスを見つめるが、火傷の痛みのせいか座り込んだまま動けないでいる。
「リクス!」
切羽詰ったキースの声は、遠く響いている。走って来るキースの姿と向かって来る火の弾がスローモーションのように映っている。動かなきゃ、逃げなきゃ、そう思っても体は言う事をきいてくれない。
ただ呆然と見つめる事しかできないリクスの耳に確かに響いた、凛と澄んだ涼やかなベルの音。それが何かと思う間もなくリクスの周囲に幾つもの小さな水の紋章が浮かび上がり、そこから小さな水の珠が現れたかと思うと、弾丸のように撃ち出されたそれらは、一直線に火の弾に向かっていった。ぶつかると相殺され、全ての火の弾を霧散させると残った水の珠はスピードを上げてサンドワームへと激突した。
蒸発するようにサンドワームの体から水蒸気が上がる。
何が起こったのか振り返ると、リングのついたキラキラと輝くベルを掲げているスフィアがそこに立っていて、あれをスフィアがやったのだと気付くまでに少し時間を要した。
凛としたスフィアの姿に、リクスはヴェルミナの影を見たような気がした。ぐっと足に力を込め、地面に落ちた剣を左手で握りしめ、立ち上がったリクスは真っ直ぐサンドワームを見据えると左足を引き、切っ先をサンドワームに向けたまま剣を引く。
未だ暴れた状態のサンドワームに近づく事はできず、キースは無作為な攻撃を避けるのに必死だ。
息を吐き出し、全ての気を剣に集中させると光が剣に収束していく。
狙いを定め。
「キース、離れて!」
咄嗟に飛び退くキース。
「閃光波!」
突きを繰り出すと剣先から光がビームのように放たれ、光はサンドワームの体のど真ん中を撃ち抜いた。サンドワームは断末魔を上げながら砂になっていき、光も消えていった。
砂と化したサンドワームは風に乗って砂漠に降り注ぎ、その様子を見つめていたリクスは途端に力が入らなくなったように剣を手放し、その場に座り込んだ。すぐさま駆け寄って来るキース。
「リクス、ケガ見せろ!」
「だ、大丈夫だよ。掠っただけだから」
「やせ我慢も気遣いもいらねえんだよ! バレバレなんだから観念しろ」
怒鳴られた事でリクスは素直に腕を見せ、火傷を見た瞬間にキースが眉を顰め、こちらを睨んできたので苦笑を浮かべて誤魔化してみる。今もジンジンと痛む二の腕。自分で見る事さえも躊躇われるほど酷い火傷だという事は、怪我をした本人なのだから分かっている。誤魔化していないと、大丈夫だと心を偽っていないと痛みに負けそうだ。
これ程の火傷を見るのは初めてだと思われるキースは、応急手当の方法を考えあぐねているようで、とにかくアクバールに戻ろうとキースが提案して来た時、リクスの傍までやって来たスフィアが不意にその場に座り込むと、ベルを両手で持って火傷した部分へと翳した。
一体何をするのかと問う暇もなくスフィアは目を閉じると、リンッとベルが鳴るとキラキラとした光が降り注ぎ、音が水のように染み渡ると見る見るうちに火傷が消えていく。数秒も経たずに跡形もなく火傷は消え去り、驚いたようにスフィアを見つめているとベルは光の粒子に変わり、胸元のロザリオの中央についているルビーような紅い宝珠の中へと入って行った。
「スフィア……今のは……?」
それは今の治癒術とベルの事についての質問で、けれども理解していないらしいスフィアは首を傾げると一言こう言った。
「できるようなった」
スフィア相手に詳しい説明を求めていたわけではなかったけれど、本人もどうやら理解していないらしいという事に、これ以上の情報を得られるとは思えなかった二人は顔を見合わせて肩を竦め、立ち上がるとアクバールへ向かって歩き始めた。
街に戻るとアーチの傍には、最初に街に入った時に声をかけてきた者達が心配そうな面持ちで立っていて、けれどもリクス達の姿を見止めるとその表情は一変した。
「おお、帰って来たか!」
「良かった……二度も逃げて来られるとは運がいい」
とりあえず命が無事だったのならばそれでいい、これからの事はまた考えようという住民達。殆ど怪我もなく帰って来たリクス達を見て、どうやら再び逃れて来たと思っているらしい。強靭な傭兵達が悉くやられたという話を聞いていたので、この三人で倒したと思わないだろうと予測していた為に、リクスとキースは顔を見合わせて笑い合う。
そこへ街の奥から息を切らし、男性が走って来た。
「み、水、水が、湖の水が戻ったぞ!」
その一言で街に本来の活気が戻って来たかのように、一瞬にして空気が歓喜の渦へと変わり、皆が湖の方へ駆けて行くのをリクス達は微笑みながら見送った。
誰かが倒してくれたんだ、一体誰が、お礼をしなければ、と口々に声を上げる人々の言葉を聞きながら、リクスは腕を伸ばし一息ついた。
「さすがに疲れちゃったね。一休みしよう」
「だな。宿屋に人がいてくれりゃいいけど」
「スフィア、暑いのは平気?」
「へーき。暑いなくなった」
「確かに温度下がった気がすんな」
「これでアクバールの人たちも大丈夫だね」
つい数分前に魔物との死闘を繰り広げ街を救ったと言うのに呑気な会話をしながら、リクス達はサンドワームを倒したと名乗り出る事もなく、のんびりと歩いて宿屋へと入って行った。
一部屋借り、二階奥の部屋に入るとベッドが三つ置いてある簡素な内装で室内は外の暑さが嘘のように涼やかだからか、スフィアの表情がウキウキしたように心躍っているように見えてリクスはそっと微笑んだ。
パタパタと部屋の奥にある窓の方へと向かって行くスフィア。リクスは手前のベッドに腰掛け、キースはテーブルに添えられている二脚の椅子の内の一脚を引き寄せると、リクスの傍に置いて座った。その数十秒後には奥の方から規則正しい寝息が聞こえてきて、奥のベッドを見やるとすやすやと気持ち良さそうに眠っているスフィアの姿があって、二人とも顔を綻ばせる。
「女の子には砂漠はキツいよな」
「それもあるけど、スフィア暑いの苦手みたいだし、ひんやりしてて気持ちいいんじゃないかな」
「確かに」
涼やかではあるが決して肌寒いという事はなく、快適な温度が保たれている。何でも湖の水を利用して室内の温度を下げているのだとか。砂漠の街ならではの知恵といったところだろう。
少しの間スフィアを見つめていたリクスは、立ち上がると自身が座っていたベッドにかけられていた薄手のブランケットを手に取り、スフィアの方へと歩いて行く。
「キース……俺、もっと強くなりたい」
呟くように漏れた言葉に、キースは少しだけ目を細める。
スフィアの傍に立ち、ブランケットをかけてやるとそのままスフィアを見下ろし佇むリクス。
「俺がスフィアのこと護るって言ったのに、スフィアに助けてもらった。サンドワームに止めを刺そうとした時、俺、迷っちゃったんだ。だから攻撃されて、キースも危険に晒した。情けないよ……」
俯き、語るリクスの言葉を黙ったまま聞いているキース。そのままリクスは言葉を続ける。
「決めたんだ。俺はスフィアを護る。スフィアを護れるように強くなる」
振り返ったリクスの瞳には確かな強い意思が宿っていて。
「キース、戦い方を教えて」
これがほんの数日前まで、魔物を倒したくないからと剣を抜かなかった者の言葉だろうか。
心の奥底ではきっと、戦いたくないと思っている。戦う事が嫌いだというのは変わっていないだろう。しかし、それでも戦わなくてはならないと思っている。強くならなければと、変わろうとしている。それは全て、スフィアという少女を護りたいという一心で。
思い起こされる昔の記憶。無情で残忍な幼い少年の姿が思い浮かび、けれどもすぐに消えていった。首を横に振り、真っ直ぐにリクスを見つめると微笑を浮かべる。
「いいぜ。その覚悟、受け取った。お前は技術だけはあるからな、後は実戦経験を積むだけだ。戦いの中でアドバイスしてやる」
「よろしくお願いします、師匠」
「おう、任せとけ」
笑い合い、眠っているスフィアを残してリクスとキースは、活気を取り戻した街に買い物へ出かけて行った。
夜も更け、月明かりが差し込む静かな部屋の中。深夜と呼べる時間に、リクスは目を覚ました。朝かと思ったけれど辺りは真っ暗で、変な時間に目を覚ましたと思いながら上半身を起こし、眠い目を擦る。砂漠越えに戦闘と疲れていた筈なのに眠りが浅かったのかなと、隣のベッドを見ればキースは深い眠りについている。
起きるには早すぎる時間。これからの旅の為にも休息はしっかりとっておかなくてはともう一度寝ようとして、けれどもカタンと物音がした為にリクスは動きを止めた。柔らかな風が髪を撫でた事に疑問が浮かぶ。窓が開いている。開けっ放しにして眠ってしまったのかと窓の方を見た瞬間、リクスの脳は完全に覚醒した。
開け放たれた窓の前に立っている黒い影。その腕に抱えられているのは、ぐったりとした様子のスフィア。
「っ、スフィア!」
反射的にベッドから飛び降り、傍らに立てかけていた剣を鞘ごと掴み構えると、その人物を睨み付ける。頭からすっぽりと被った黒い布のせいではっきりと見る事はできないけれど、確かに人だ。
「キミは誰? スフィアをどうするつもり!?」
威嚇するように声を張り上げるが、動じた様子の無いその人物に、リクスはどこか恐怖を感じていた。どこか異質で、まるで巨大な悪意を前にしているようだ。人の負の塊とでも言うのだろうか。段々と心が蝕まれていくような感覚に、ゾワリと背筋が寒くなった。
それが心の隙となったのだろうか。黒衣の下から覗いた赤く光る目が見えた途端、ずんと全身が重くなったような気がした。
「っ! 体が……」
動かない。恐怖からくるものか、否、恐らくは今、何か術のようなものをかけられたに違いない。ピクリとも動かなくなった体に苛立ちを覚える。金縛りのように動かず、全身が重く、力が入らない。足の力も抜けていくようで、ペタンとその場に座り込んでしまった。
立ち上がろうとしてもできない。このままではスフィアが。
「リクス、どうしたんだ?」
不意に聞こえた声に、視線をキースのいるベッドへと移せば、上半身を起こしてこちらを見ているのが分かったが、どうやら事態を呑み込めていないらしい。しかし、キースが動けるという事が分かるなり、リクスは声を張り上げる。
「キース、あの人を捕まえて!」
「……は? 何言って……――」
「スフィアが!」
切羽詰ったようなリクスの声に訝りながらも、リクスの視線の先――窓の方を向いて、漸くその人物を瞳に映した。そしてその腕に抱かれているスフィアを見て一瞬にして状況が理解できると、バッとベッドから飛び出し窓の方へと向かう。手を伸ばし、スフィアの腕を掴もうと握ったが手は空を切る。勢いのまま窓枠にぶつかって見下ろせば、黒衣の人物が窓から飛び降りて地面に降り立つ姿が見えて舌打ちをした。
振り返り、リクスの方へ向かうと剣を支えに立ち上がっているリクスが見え、慌てて腕を肩に回して支えてやる。
「お前、一体……」
何があったのかと言おうとしたキースに首を横に振って大丈夫だと示すと、キースはリクスから離れて鞘ごと剣を手に取ると、共に部屋から駆け出した。
窓から飛び降りた黒衣の人物に追いつけるとは思えなかったけれど、それでも全速力で階段を駆け下り、宿屋を出ると本通りを駆けて行く。黒衣の人物は街の出口の方へと向かっていた筈だと真っ直ぐに進んでいると、メルクリウスの近くに佇む黒衣の人物を視界に捉えた。
「待て!」
リクスの声に振り返る黒衣の人物。数メートルの距離を置き、対峙するリクスとキース。鞘を抜かずに剣を構える。
「スフィアをどうするつもりなの?」
先程と同様の言葉をぶつけるが、先程と同様に返答はない。
このまま行かせるわけにはいかないと、柄を握る手に力が入る。その時、黒い影が幾つか左右の家の屋根から落ちてきたかと思うと、スフィアを抱えている黒衣の人物と同じ黒衣を身に纏った者が六人現れた。
その隙に街の外へと走って行く、スフィアを抱えた黒衣の人物。
すぐさま追いかけようとしたが、当然の如く後から現れた者達に行く手を阻まれる。
「ちっ、やっぱ邪魔してくるか」
「今は相手してる場合じゃないのに……キース、すぐ終わらせよう!」
「おう!」
地面を力強く蹴って飛び出し、リクスは真正面にいた者の腹部に突きを打ち込み、キースは右からやってきた者の脇腹に鞘をぶつけると薙ぐように吹き飛ばした。すると、攻撃を受けたところから砂になっていくのが見えて、リクスもキースも目を見開いた。
「なっ、こいつら魔物か?!」
砂になるのは魔物であるという証拠と言っていい。
人間ではない。その事実を知るなり、リクスは鞘に手をかけ、剣を引き抜くと鞘を地面に投げ捨てた。
「だったら、本気でいくよ」
鞘が地面に落ちた事が合図となったかのように、キースも鞘を投げ捨てると剣を逆手に持ち、一斉に襲い掛かってくる黒衣の者達を迎え撃つ。
向かって左側にいる二体に向かって行くキースは縦横無尽に斬りつけ、黒衣の魔物は砂になって消えていく。右側にいた三体を相手にするリクスは中央・右・左と一体ずつ、縦・横・斜めと斬りつければいとも簡単に砂になって消えた。そして最後に残った一体を前に、背中合わせに立った二人は強烈な突きを打ち込み、吹き飛ばされながら最後の一体も砂になって消えていった。
動じることなく十数秒という短い時間で一掃し、これでスフィアを追えるとアーチに向かって駆け出そうとしたリクスだったけれど、一歩踏み出した所でそれ以上は進めなくなった。
腕を掴んでいるキースを振り返る。
「どうして止めるの。早く行かないとスフィアが!」
「今から行ってどうなる。時間を考えろ。夜は魔物が活発になる上に、俺らには地の利がねえんだ。奴がどこへ行ったかも分かんねえ。何の準備も無しに砂漠を歩き回るのがどれだけ危険か、昼間分かっただろ」
「けど、その間にスフィアにもしものことがあったら、俺……」
「その心配は多分ねえ。憶測だがな、スフィアを殺すつもりなら、わざわざ連れ去ったりしないだろ。とにかく、今は落ち着け」
「……分かったよ」
窘められ、ざわざわとしていた心が少し落ち着いた気がする。いつまでも外にいるわけにもいかず、宿屋の部屋へ戻るとリクスを手前のベッドに座らせ、キースは何があったのか訊ねた。
リクスは自分が見た状況をそのままキースに伝えると、キースは顎に手を当てて何かを思案している。
「何かしらの術がかけられてた可能性があるな」
「……術……? 俺が動けなかったのは、そのせい?」
「だろうな。それに俺が起きなかったのも、だ。あれだけ騒いでんのに起きないなんて有り得ねえ。それは、この街の住人もだ。街中に魔物が入り込めたのも気に掛かる」
「誰かが手引きしたっていうこと?」
「恐らくな。誰かが街の中で強力な催眠術のようなものを使い、同時に結界を弱めたってとこだろう」
そのような術があるなど聞いた事はない。けれども体内を巡る気を操る事で技を放ったりスフィアのように魔術として用いたりする事ができるので、一概に否定する事はできない。
しかし今の段階では推測にすぎず、情報が圧倒的に足りない為にこれ以上の思考は意味を持たないだろう。
「今は目的も手段も分かんねえ。全ては明日だ。スフィアを助けたいなら、さっさと寝ろよ」
「分かってるよ、キース」
スフィアの事が心配でとても眠れそうにないと思っている事などキースにはお見通しで、それでも体力を回復しておかなければいざという時に力が出なくなる可能性もある。
隣のベッドに潜り込んだキースを見てリクスもベッドに横になると、静かに目を閉じた。無事でいてと、心の中で祈りながら。