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MEMOLIA LINK  作者: 氷滝 流冬
第一部 女神降臨篇
2/21

2 光の十字架

 一夜明けて、村には朝から力無い声が溢れていた。

 フィエスタにあった家のうち、半分は全壊状態、三割が半壊、残り二割が辛うじて家として使えるという有様だった。リクスの家は村の外れにひっそりと建っていた為にほぼ無傷で残っており、キースとスフィアとエレナはリクスの家で一晩を過ごした。

 数人の子どもやその親は、同じく残っていた村長の家で眠り、他の者達は隣町の家族を訪れ、聖堂に寝泊まりをする事になった。夕方になり道中は危険が伴うという事からリクスとキースが護衛につき、聖堂へと連れて行った。

 そして今日になり、皆が村へと戻ってくると哀しみの余韻を残す事無く瓦礫の撤去に勤しんでいる。

 そんな中で、リクスの家の中に響いてくるのは明るい子ども達の声で、ソファに片膝を立てて座り背もたれに頬杖をつき、キースはそんな声を聞きながら窓の外の、朝日に輝く銀色を見つめていた。

「朝から元気だな、特にスフィアが」

「そうだね。子どもたちも凄く楽しそう」

 生き残った子どもは全部で六人だけだった。元々人口の少ない村ではあったが、十数人の子どもがいた筈だったのに、半分以下になってしまった。エレナより小さな子も大きな子もいるが、亡くなった者を埋葬する時に我が儘を言っていたのはエレナだけだった。眠っていたり、何も理解できていなかったり、大きい子はぐっと堪えていたけれどエレナが泣きじゃくった事で子どもは皆、堰を切ったように泣いていた。そんな子ども達を作業の間、誰かに預けておかなければいけないと話し合った結果、スフィアに預ける事となった。

 理由は、女神ヴェルミナにそっくりだからというもの。別人だと話したものの、子ども達が安心できるのはやはりヴェルミナ様だろうという結論に達したからだ。女神に似ている、それで落ち着いてくれればという思いが村人達にはあった。

 その考えを否定するつもりはないが、どこか複雑な思いがキースにはある。

 だから微笑ましい筈の光景を見ていても、どこか不服そうにリクスの目には映っていた。そんなキースに、ソファの肘掛けに腰掛けるとリクスはキースを見下ろす。

「キース。ああやって笑って遊べるっていうのは、いいことだよ」 

「まあな。それ自体は別にどうこう言うつもりはねえよ。昨日の今日だ、ショックで塞ぎ込んだ姿なんか見たくねえからな。けどよ……」

「落ち着くきっかけだったらいいんじゃないかな。ヴェルミナ様に似てる、だから安心できる、一緒に遊べる、楽しい。きっかけはヴェルミナ様でも、今あの子達を笑顔にしてるのはスフィアだよ」

 追いかけっこをしたり、馬跳びをしたり、抱っこしてぐるぐる回したり、それを一緒にしているのはスフィアで、ヴェルミナではない。それは子どもとて理解している。実際、子ども達はスフィアを名前で呼んでいるのだから。警戒心を解くのにヴェルミナが必要だったのであれば、それはそれでいいのではとリクスは言う。

 今のフィエスタで、子どもの涙ほど辛いものはない。哀しいのは皆、同じなのだから。けれども、哀しい中でも子どもの無邪気な笑顔を見られれば、笑い声を聞ければ、気持ちは全然違ってくる。忘れる事はできないけれど、絶望する事はなくなる。頑張って生きようと思える。子ども達に未来と希望を見る事ができるのだから。

 キースは視線を外し、目を伏せ、微笑を浮かべた。

「そうだな」

 それからリクスを見上げる。

「ところで、お前、どうするんだ」

「え? どうするって?」

 質問の意図を理解していないのかキョトンとする弟に、溜め息が出そうだ。今、話題はスフィアの事だったのだからこの流れで気付くかと思いきや、そうではないらしい。長い付き合いながら、こういうボケたところは少しずつでいいから直してもらいたいものだ。

「大聖堂。司祭様が言ってただろ、大聖堂に行かなきゃなんねえって。それが、キア・ソルーシュとしてのスフィアの役目だって」

「うん、そうだね。どのくらい時間がかかるか判らないけど、俺はスフィアと一緒に行くよ。一人でなんか行かせられないし、それに俺、スフィアのこと放っておけないんだ」

 神秘的で不思議で、どこか儚くて危なっかしい。無邪気に笑いながら子ども達と遊んでいるスフィアを見ると、ずっとここで静かに暮らせれば一番いいのではないかと思ってしまう。しかし、大聖堂を目指すべき使命が彼女にはある。スフィア自身は何も憶えていないけれど、スフィアの事は聖伝に書かれているのだと司祭は言っていた。それが彼女の運命。

 昨日、大聖堂から帰ってきて夜になり、スフィアを交えて話をした。大聖堂に行かなくてはならないという事を、彼女が理解できるようにきちんと順序だてて。何とか理解してくれたスフィアは大聖堂に行くという事も理解しててくれて、今日出発するという事も伝えている。

「キースだって行くんでしょ?」

 それは、行く事が確定しているような率直な問いで、キースは頭をかいた。

「エレナのことがあるから残る……って言いたいとこだがな、ついてくよ。お前らだけじゃ心配だ」

 天然お人好しと記憶喪失娘に二人旅などさせられるわけがない。リクスは剣を抜く事ができるようになったとはいえ、未だ躊躇する部分がある。リクスを支え、護れるのは今、キースしかいない。

 エレナにも、これから暫く会えなくなるという事は話してある。元々、昨日の内に仕事に出る筈だったのだ。リリアが亡くなって淋しがるかと思ったが、大丈夫だとエレナは笑って頷いてくれた。どういう心境の変化があったのか計り知れないが、それはきっとスフィアのおかげなのだろうと思う。今も外で笑って遊んでいるのを見れば、一目瞭然だ。

 拳を握るキースに、リクスは立ち上がってキースの前に立つと真っ直ぐキースを見つめ、そしてふわりと笑う。

「ありがとう、キース。キースがいてくれると心強いよ」

「当たり前だろ。それに、約束したからな。俺はずっとお前の傍にいるって」

 それは遠い昔の話。一人で泣いていたリクスに告げた言葉だ。お前には俺がいる、だから安心していいのだと、そう思っての言葉だった。その気持ちは今でも変わっていない。

 弟であり親友であり息子であり―――例えそのどれかが欠けてしまっても繋がっていられる関係。独りには決してならないのだという意味が強かった。それをこの天然がどこまで理解しているかは定かではないが。

 それから旅の支度を簡単に済ませると家の外に出、子どもと遊んでいるスフィアへと近づいた。

「スフィア」

 名を呼ぶとスフィアは真っ直ぐリクスを見返してくる。リクスがスフィアを呼んだ事で他の子達は子ども同士で遊び始めてどっかへ行ってしまい、エレナだけがスフィアと共に残っている。

「これから大聖堂に向かおうと思うんだ。子どもたちはもう大丈夫そう?」

「うん。笑うする。哀しいない。泣くしない、約束」

「そっか」

 スフィアの言葉を聞きながら、キースはエレナと向き合い、そして小さな両の手を包み込むとしゃがみ、目線の高さを合わせて双眸を見つめる。

 突然のキースの行動にも、ただ真っ直ぐ見返してくるエレナ。

「これから、俺とリクスはスフィアと一緒に村を出る。いつ帰って来れるか判んねえ。それでも、ちゃんと良い子で待ってられるか?」

「うん。エレナ、ちゃんとまってる、いい子にしてるよ。スフィアお姉ちゃんと、やくそくしたの!」

 ニッコリと満面の笑みを浮かべるエレナに、キースもニコリと笑う。

 とても優しい兄の笑み。

「そっか……元気でな」

「うん!」

 コクンと頷くとエレナは子ども達の方に走って行ってしまい、その後ろ姿を見つめながらキースは複雑な思いを抱いていた。

 そんなキースに一声かければ、リクス達は村の中央へと向かって歩き始めた。

 中央広場近くになって、忙しそうに動き回る人々を横目に見ながらスフィアを村の出入り口であるアーチの所に行くよう言うとスフィアは歩いて行き、見送る事無くリクス達は真っ直ぐ中心にいる村長へと近づいて行く。すると、リクス達に気がついた村長は回りにいた村人達から離れ、リクス達に近寄ると口を開いた。

「整理はついたということか」

「はい。スフィアを大聖堂まで送って、それからキースと二人で村を襲った人達のことを調べようと思います」

 真剣な表情のリクス。静かなざわめきと、遠巻きに見てくる視線を受けながら、村長は辛そうに目を伏せた。

「すまないのう。昨日は皆、混乱しておったから何も言わなかったが、村の中で唯一戦闘のできるお前たちがいれば家族が死ぬことはなかったと言う者がおる。結果論に過ぎんというのに……」

 突然の近しい者の死に嘆き悲しんでいた村人達が、一晩明けて口にしたのは「何故家族を助けてくれなかったのか」とリクスとキースを責め立てる言葉だった。本来ならば男手であり動ける人間として、村の復興作業に従事する筈だった二人が家にいたのもその為だ。非難や罵声が飛び交う中に居させられないと、自宅に居るよう言い渡されていた。

 それは昨夜遅く、夜も更けた時間帯に訪ねて来た村長から聞かされた事だった。「お前たち二人は村を出るべきだ。お前達にとっても、村人にとってもそれが一番良い事だ」と、村長は言った。

 今はまだ気持ちの整理がつかないだろうが明日には決意を固めてほしいと言われ、今に至る。村長の許を訪ねるのは整理がついた証、村を出る決意をした証だった。

「俺が、俺たちがいれば助かったかもしれないっていうのは、事実だから……それに俺、恨まれてもいいよ。俺を恨んで少しでも気が晴れるなら、構わない」

「……嫌な役回りをさせてしまって……すまんな」

 目を伏せ、頭を下げる村長に、リクスはそっと微笑んだ。

 恨まれてもいい。お前のせいだなど、本心から村人達が言っているわけではない事をリクスは知っているから。十数年前、素性の知れないリクスを受け入れ、ここまで育ててくれたのは村の皆だ。当然ながら感謝をしているし、本当に心優しい人達なのだと知っているから。

 時が経てば憎しみの心は消える。それまで村を出るべきだという、村長の言葉に素直に頷く事ができた。それに、村を出てやるべき事が今はある。

 顔を上げた村長は眉間に皺を寄せていて、リクスもキースも背筋を伸ばす。厳しい面持ちの村長を見るのは初めてかもしれない。いつも優しく、村人の事を何よりも考えている村長。見つめられれば萎縮してしまう。村長の雰囲気に気圧されたのか、周囲のざわめきもやんでいた。

「リクス、キース。お前達には此度の件の責任として、村を襲撃した者達の追跡、及び討伐の任を言い渡す」

 ビリビリと空気が震えている。威厳と威圧感に押し潰されてしまいそうだ。けれど、リクスもキースも臆する事無く、胸の前で右拳を左手のひらに当てると目を閉じ、頭を下げる。

 言葉はもう必要なかった。

 頭を上げるなり、リクスもキースもそのまま村の出口へと向かって歩き始めた。振り返る事無く、顧みる事無く、真っ直ぐ前を見据えて。ただ、村長の横を通り過ぎる刹那、小さく小さく声を発した。

「今まで、お世話になりました」

「エレナのこと頼みます」

「うむ」

 たった一言、それだけを。

 表情を変えず、互いに見向きもせず、村長は頷く事もせず。

 村長から言い渡された言葉。その表向きは襲撃者の捜索だが、事実上の追放を言い渡されたも同然だ。村長の言葉を聞いていた村人達もその事は感じ取っていただろう。追放した者に慈悲はかけられない。それが村長としての彼の責任だから。それでも、村長の真意は明け方に聞いていたから辛さはなかった。

 だからその足取りは決して重くはなく、迷いもなく、アーチの下でボーっと青空を眺めているスフィアと合流する頃には笑みが浮かんでいた。

「お待たせ、スフィア」

 声をかければこちらを振り返ったスフィアの傍に近寄り、リクスは金の双眸を見つめる。

「これから大聖堂に向けて出発するんだけど、その前に」

 そう前置きをしてからゴホンとわざとらしく咳払いをし、右手を差し出す。

「リクス・ユーリティ。改めてよろしくね」

 それに続き、キースもニッと笑みを浮かべる。

「キース・アルキードだ。判んねえことは何でも聞けよな」

 ニコッと笑うリクスとウィンクをするキース。突然の自己紹介にキョトンとしているスフィアだが、小首を傾げ、リクスとキースを交互に見、俯いたり口元に手をあてたりしていたかと思うと、戸惑うように声を発する。

「えと、スフィア。一緒行くする、嬉しい。よろ、しく?」

「うん、よろしく!」

 恐る恐るといった様子で差し出された右手を掴み、握手をすればスフィアははにかんだような笑みを浮かべた。この手の優しい温もりを、ずっと感じていたいとリクスは思う。憧れの人と良く似たこの少女を護りたいと。

 フィエスタから伸びる一本道を歩いて行けば、T字路が見えてくる。そのまま真っ直ぐ進めば聖堂のあるエテレインの森だが、今日は左へ曲がる。ここから先は、リクスにとっては未知の土地となる。その第一歩を今、踏み出した。

 隣町までは数時間の距離で、話しながら歩いていればすぐに入口のアーチが見えてきた。

 緑に覆われていたフィエスタとは対照的な、木造の建物で埋め尽くされた石畳から成るドーナツ状の街。仕事の街 グラファイト。キースを初めとする、フィエスタの男達や小さな村から仕事を求めて集う街。故に、男の姿ばかりが目立つ街だ。

 活気溢れる街中に入れば、様々な露店や工房が目に入ってくる。閑静な村で暮らしていたリクスにとって、店が立ち並ぶ道は非常に珍しいのだろう。辺りをキョロキョロと見回しているリクスに、キースは思わず笑った。

「そういや、初めてだもんな。近いから遊びに来いっつったのに、一回も来てくれねえんだもんな、お前」

「いいでしょ。エレナちゃんとリリアさんのこと、キースに任されてたんだから」

 むくれて、ふいっと顔を背ければ、キースは助かったよと笑顔で言いながら頭を撫でてきて、久しぶりに子ども扱いされているなと苦笑しつつも一瞬で笑顔になった。こういうやり取りが昔は当たり前だったのに、今は何だか嬉しく感じている。大切な人が傍にいるという事がこんなに嬉しい事なのだと、改めて思った。

 そうして話していて、リクスはふと辺りを見回した。

「何だよ、まだ興味あんのか?」

「違うよ。スフィア、どこに行っちゃったかなって」

「へ? さっきまでそこに……」

 傍で興味深げに露店を見て回っていた筈だったのだが、そこにスフィアの姿はなく、代わりに見えた人だかりにキースは頭を抱えた。

「今のスフィアが一人でいりゃ、ああなるわな」

「呆れてないで行こうよ!」

 記憶がなく、人にもあまり慣れていないスフィアは囲まれれば戸惑うだろうし、何より皆はスフィアの事をヴェルミナだと思うだろう。そうなれば、街中が大騒ぎになってしまう事は目に見えている。

 なるべくなら騒ぎは避けたいと近づけば、聞こえてきたヴェルミナの名にリクスとキースは人々をかき分けてスフィアの元へと辿り着くと、リクスはキョトンとしているスフィアの手を掴み自分の後ろへと身を隠させる。キースと背中合わせに立ち、スフィアを人々の目から隠す。

「すみません、この子、俺たちの友達です」

「こんな所にヴェルミナ様がいるわけないだろ。似てるだけで囲むな」

 宥めようと人々とスフィアの間に立ったリクスとキースだったが、ざわめきが一瞬ピタリと止まった。そして見る見るうちに街の者達の表情が驚いたようなものへ変わり、静かになったのも束の間、わっとリクスとキースに群がって来た。

「リクス! キース! 無事だったのか!」

「お前がフィエスタに帰ってるって知って心配してたんだぞ、このヤロー!」

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられたり、じゃれて首を絞められたり、涙目になっている周りの人々は皆一様に嬉しそうな事だけは間違いなかった。それはフィエスタの住人だった。

 フィエスタの訃報は昨日の内に、このグラファイトにも伝えられていたが、ここにいる者達はフィエスタに戻っては来なかった。理由は各々違うだろうが、フィエスタに帰ろうと思わなかったのは皆同じだった。

 嬉し泣きする良い年した男達に囲まれて少々複雑な気分のキースは、苦笑しながらも言葉を紡ぐ。

「心配かけて悪かったよ。俺らはこうして無事だ」

 だからもう泣くなと言えば、汗ばんだ腕でごしごしと乱暴に目を擦っている。

 こうして無事を喜んでくれる事には嬉しく思うが、嬉しさの反面、悔しさも滲んできてリクスは目を伏せる。

「ごめんなさい。俺、村の人たちを護れなかった」

 胸元辺りをぎゅっと掴み、唇を噛む。

 昨日の夜、村長から話を聞いた後にリクスは家から外に出た。元々夜になると薄暗かった村は、家の明かりすらなく真っ暗闇に覆われていて、見上げるとキラキラと輝いている星々の明かりがとても眩しく感じた。

 何がしたかったわけでもないのでただ風に当たりながらボーっと星を眺めていた時に、微かな声が聞こえてきた。どうしてあの子達は村に居てくれなかったの、という悲痛な嘆き。誰の事かは伏せて曖昧な言い方をしていたが、それがリクスとキースの事だというのは考えなくても判った。

 翌朝、村長の許へ向かう途中に、ひそひそと話しているのも聞いた。こちらに、明らかに憎悪を向けていた。

 責められた事が辛かったわけではない。自分があの時居られたら、とそう思っているから自責の念が押し寄せてくる。 

 だからせめて謝ろうと思った。他に何もできる事がなかったから。

「何言ってるんだ。お前達のせいじゃないだろう」

「でも……」

「それ以上、自分を責めるんじゃない。もう一度でも謝ったら怒るぞ」

「……」

「フィエスタの住人は皆、家族。特に、親のいないお前さんらは皆の子。生きててくれるだけでいいさね」

 言葉だけで分かる。この人達は本気だ。生きていた事を本気で喜んでくれて、責めていた事を本気で怒ってくれて、本気で子どもだと思ってくれている。家族だと思っていたのはリクスだけではなかったのだ。

 自分は何て恵まれているのだろう。改めて、リクスはそう感じていた。素敵な人達に囲まれて、幸せだと。

 だから笑みを浮かべ、ありがとうとお礼の言葉を口にした。

 リクスの返答に満足したらしい皆は暖かい笑顔を向けてくれて、本当に幸せだ。

「キース、おやっさんのとこ行ってやれよ。あれでも心配してたんだぜ」

「おう、行ってくるわ」

「みんな、元気でね!」

 見送られながら手を振り、ドーナツ状の道を歩いて行く。当初の思惑とは違ったが、スフィアから気を逸らす事ができて良かったと、リクスはホッと胸を撫で下ろした。隣を歩いているスフィアを見れば、彼女は何故囲まれたのかもリクス達の会話の内容も理解できていないのかキョトンとしながら見上げてきて、リクスは苦笑を浮かべた。

 それから、少し前を歩くキースに声を投げかける。

「おやっさんって、キースがお世話になってる人?」

「おう。頑固一徹って感じのじいさんでな。お前のその剣を鍛えてくれたのもおやっさんだ」

「そうなんだ……俺も一緒に行っていい? お礼言いたいから」

 訊ねれば振り向き、横目でリクスを見てきたと思えば、ニヤッと悪戯な笑みを浮かべるキース。

「だったら覚悟しとけよ」

 それだけ言うと前に向き直り、楽しげに鼻歌を歌い始めるキースに、リクスは首を傾げる。何をどう覚悟するのか一切伝わってこなかったが、とりあえず気を引き締める事にしてみた。

 少しすると見えた、煙突から煙をはいている工房。鉄でできた看板には刀鍛冶の文字。扉を開けて中に迷わず入って行くキースに続き、リクスとスフィアも工房に足を踏み入れれば、もわっとした熱い空気が逃げるように中から出てきた。

 熱が篭っていて少しばかり暑い屋内で、老父が一人、燃え上がる火の傍で赤く熱した鉄を叩いている。右目に大きな傷、真一文字に固く結ばれた口、眉間には深く皺が刻み込まれている。

 職人だと、一目で分かるような人だ。

 カンッ、カンッ、と鉄を打つ音だけが響く中で、キースは一歩前に出た。

「おやっさん。俺……ここを出ようと思う」

 鉄を打つ音だけが響く。それはキースが声を発しても変わらなかった。

 息を吸いこむ度に熱い空気が肺の中に入り込んで息苦しい。それなのに顔色一つ変えないおやっさんはやはり、職人なのだろうと思う。

「…………そうか」

 しわがれた声で紡がれた返事は、酷くあっさりしていた。しかし、手を止める事はない。

「次の仕事はどうするつもりだ」

「……仕事とってきてもらって、悪い。こいつらと大聖堂に向かうからできない」

「そうか。だったらどこにでも行くがいい。二度と帰って来ぬ覚悟があるのだろうな」

 驚いたようにキースを見上げるリクス。けれど、キースは拳を握るだけ。

「分かってる。破門してくれていい」

「そうか。覚悟が出来ているならいい。出て行け」

「ああ」

 踵を返すキース。言葉を交わしただけで、目は合わせない。歩いて行き、戸に手をかけようとした時。

「あの!」

 リクスが声を上げる。

「剣、ありがとうございました! キースから、あなたが作ってくれたって聞いて、どうしてもお礼が言いたかったんです。俺、剣を握るのが怖かった。傷つけるのが嫌で、剣はその為の道具でしかないと思ってた。でも、あなたの剣は違う。戦いはやっぱり怖いけど、でも、あなたのおかげでスフィアを護れた。ありがとうございます」

 そう言って頭を下げるリクス。

 一方的な言葉。言葉だけではなく、想いも。けれども、どうしても伝えたかった。戦いたくない、傷つけたくない、それだけだったリクスの中に護りたいという気持ちが芽生えたのはキースの言葉のおかげだ。けれど、ただの剣であれば魔物を倒した事に心を痛めていただろう。哀しくないわけではない。けれど、握っている剣から温かい気持ちが溢れているような気がしていて、少し楽だったのも事実だ。 

 それが剣を打った人物の心だったのではないかとリクスは思っている。

 おやっさんの手が停まったのは一瞬だった。

「やはりガキだな。何も分かっておらん。剣は所詮、人殺しの道具。それを忘れた者に剣を持つ資格などない」

「それでも、俺の考えは変わらない。あなたの作った剣は武器だけど、大切な人を護る為のもの。俺はずっとそう思います」

 ふっと、おやっさんの目が閉じられる。

「小僧ども。グラファイトを抜けた先にある森の中に水煙の祭壇がある。大聖堂へ行くのなら先ずはそこへ行く事だ」

「……おやっさん……」

「ただの餞別だ……仕事の邪魔だ。とっとと出て行け」

 言って作業の手を進めるおやっさんに、キースはただ頭を下げた。言葉はなく、今までの感謝を有りっ丈込めて。

 それでもおやっさんが鍛冶屋を出て行くキース達を振り返る事はなく、キースもまた振り返る事はせずにグラファイトの道を歩いて行き、北のアーチまでやってくる。鍛冶屋を出てからずっと、ニコニコとした顔のリクスとキョトンとしたままのスフィアに両側から見つめられているキースは、立ち止まると大きな息をついた。

「何だよ、リクス。その顔は」

「んー、別に。ただ、振り返らなかったなって思って。キースもおやっさんも。意地っ張り。」

「いいんだよ。昔っからああなんだからな、おやっさんは。お前も見ただろ? あれが心配してた奴の態度かっつーの」

 確かに、一度もキースを見ず、手を止める事さえせず、何より心配していたという言葉すらなかった。助かって良かったとも、無事で何よりだったとも、何も。

 頑固一徹。キースが言っていた通りの人物だ。昔からあんな感じだったという事は、今更、素直になる事などできないのだろう。

 それでも、キースはふっと笑みを浮かべた。

「みんなが心配してたっつーんならそうなんだろうけどな。俺とおやっさんはこれでいいんだよ」

「キースがいいならいいけどね」

 ふふっと笑うリクスに、何だか敗北感のようなものが込み上げて来て、キースは悔しくなってリクスの頭をべしっと叩く。するとリクスは、何するのと叩かれた頭をさすりながらむーっと頬を膨らませている。

 それからリクスは助けを求めるように視線をスフィアへと向けた。

「酷いよね、スフィア。キースが八つ当たりしてるよ」

「やつあたり、何?」

「自分が悪いのに、他の人が悪いって当り散らすんだ。俺、悪くないのに叩かれたんだよ」

「キースひどい。リクス叩く、ダメ」

「本当は淋しいからって、ねぇ」

 キースを挟んでの会話に口を出すまいと聞かぬフリをしていたキースだったが、耐え切れなくなったのか、ふるふると拳を震わせ。

「だー、もういい加減にしろ、お前ら!」

 ぶつけようのないものを吐き出すように怒鳴れば、リクスはわーっと逃げるように森の方へと駆け出し、スフィアもそれに続いて駆けて行く。リクスは至極楽しそうに笑いながら、スフィアはとりあえずリクスについているといった様子で。

「キースが怒鳴ったー! 恥ずかしいから怒鳴ったー」

「そなの?」

「そうだよ。キースは恥ずかしいとね、怒鳴って誤魔化すんだ」

「キース、子ども」

「ねー。スフィアもそう思うよね!」

「他人の知られたくないこと暴露して笑って、ガキみたいなことしてるお前らに言われたくねえよ!」

 言いながら笑い合うリクスとスフィアを追いかけるキース。まるで子ども達が鬼ごっこや追いかけっこをしているような楽し気な光景に、仕事も十分こなせる年齢になっているにも関わらず何をやっているのかとキースは溜め息をついたが、この場に誰もいない事は不幸中の幸いだっただろうか。

 森の中での追いかけっこは数分間に及び、途中から全力での鬼ごっことなってしまった為にリクスとキースはぜーはーと息切れしていて、座り込んだまま樹に体を預けている彼らはとても辛そうだ。途中から傍観者となっていたスフィアはしゃがんでその様子を見つめていて、キースは木々の間から空を仰ぐ。

「ったく、何で、こんなとこで、鬼ごっこしなきゃ、なんねん、だよ……っ」

「キースが、ムキになる、からでしょ……ちょっとイタズラ、しただけじゃない」

「俺に勝負を挑んだ、お前が悪い」

「勝負じゃないでしょ、もう……」

 段々と乱れた息が整ってきて、リクスはハーッと肺の中の空気を吐き出す。

 普段は兄として父親としてとても頼りになるキースなのだが、勝負事となると途端に熱くなる所が玉に瑕だ。本人は気付いていないかもしれないが、そういう時だけリクスよりも子どものように見える。言えばきっと怒られるだろうから口にする事はないけれど、それでも心の中で思いながらいつも笑っていた。そういう子どもらしい部分を見られる事がリクスは嬉しかった。

 大分呼吸が整ってきて、ふと視線の先にいるスフィアを見つめると、キースは徐に口を開く。

「なあ、リクス。お前、スフィアのどこがヴェルミナ様に似てると思う?」

「え、何、急に」

「いいから答えろよ」

「え? えーっと……」

 どこがと言われて考えつつスフィアを見つめ、すぐにキースを見返す。

「顔」

「いや、まぁそれが前提なんだけどな……顔じゃどうしようもねえし。他」

「他? 他って言われても……」

 困ったように頬を掻く。

 いきなり何の話をするのかと思ってみるが、改めてスフィアを見て思う。顔は確かに瓜二つなのだが、似ていると感じる理由は他にもある。スフィアの纏っているどこか神秘的な雰囲気と、その容姿。

「髪、じゃないかな。髪型って重要だと思う。特に女の人は髪型で印象が変わるから。スフィアの髪が短かったら、本人と間違える事はないんじゃないかな」

 確かにその通りだ。顔が似ていたからと言ってすぐにヴェルミナだと思う事は、普通ならば有り得ないだろう。ただ似ている人だと思う筈。しかし、スフィアは髪型から雰囲気から何もかもが似ている。それは服装についてもだ。ヴェルミナ像とは違う服だが、それでも似ていると思う。総括して似ているからこそ、ヴェルミナと見間違えるのだ。

 リクスとキースに見つめられたスフィアは、何故見つめられているのか、何を話しているのか理解できていないのかキョトンとしていて、そんなスフィアを見ながらキースは頷いた。

「スフィア、そのリボン借りていいか?」

 リボンというのは、スフィアのスカートの左右に飾りとしてつけられている、二つの花のようなリボンの事だ。首を傾げたスフィアは、とりあえずコクンと頷くとリボンを外してキースに渡し、どうするのとリクスに訊ねられればキースはウィンクをして返した。

 結局説明はしてくれず、どうするのだろうと不思議そうに見ていればキースはスフィアの後ろに回り込み、地面に座ったスフィアの髪を手際よく中央から左右に分け、耳の上辺りで結んでいく。よくエレナの髪を結っていたからか、あっという間にスフィアの髪は結い上げられた。

「よし、これでいいだろ」

 位置は低いもののツインテールにした分、髪を下ろしていた先程までとは打って変わって幼さが増したような気がする。記憶がないせいか言動が元々小さい子と同じようだっただけに、雰囲気も年相応になったようだ。

「これなら分からないかもしれないね」

「だろ。スフィアは変わった実感ないだろうけど、嫌じゃないか?」

「イヤ違う。よく分かるない。はじめて」

「そうなんだ。でも、よく似合ってるよ、スフィア」

 本当にとても良く似合っていて、スフィアにぴったりだと思う。だからニコリと笑ってそう言えば、スフィアは目をぱちくりさせると微笑んだ。

「ありがとう」

 そろそろ体力も回復した事だからと、再び水煙の祭壇を目指す為に森の中を歩き始めた。

 どの方角にどう歩いて行けばいいのかという事は一切言っていなかったが、とりあえず森の奥へ奥へと向かって歩いている。一般に知られる事のない、祭壇という存在。聖堂の司祭からだけではなく、おやっさんの口から聞くとは思っていなかったが、知られていないという事は道標もないという事。せめて方角くらい教えてもらえば良かったと思うものの、あの状況で訊けない事くらいリクスにだって分かっていた。

 だから闇雲に歩いているのだが、このままでいいものかどうなのかと思っていると、不意にスフィアが方向を変えて走り出した。

「スフィア? どこ行くの?」

 慌てて声をかけるがスフィアはどんどん遠くへ行ってしまい、リクスも後を追って走り出す。

「ったく、またかよ」

 勝手に走り出すのは、どうやらスフィアの得意技らしい。こうなってしまうと誰の言う事も聞かないようで、困ったように頭を掻くとキースもすぐに後を追って行く。

 森の奥とは別の方向へと向かって行ったスフィア。しかし、行けども行けども森を抜ける気配はない。こんなに広い森だっただろうかと考えながら、スフィアとリクスの後ろ姿を見失わないように走って行けば、その足が途端に止まって慌てて速度を緩めるがリクスにぶつかってしまい、二人揃って前のめりに地面に倒れた。

「いってー……急に止まんなよ、リクス」

「ごめん、キース。でもスフィアが止まったから」

 上に覆い被さったキースが先に立ち上がり、すぐにリクスの手を掴んで立たせれば、二人とも服についた砂埃を払っている。それから何故、急にスフィアが立ち止まったのかと前方を見つめ二人共、目を丸くして瞬きをした。

 思わず口をぽかんと開ける。

「何で建物がこんなとこに……?」

「しっかし、でっけーな」

 白塗りの神殿のような巨大な建物。山が一つすっぽり入っているのではないかと思う程の大きさに唖然としてしまうのは当然だろうか。森の奥にあるというのに、古びているという感じはなく、むしろ最近建てられたものであるかのように綺麗だ。

 怪しい。神殿という事もそうだが、人の立ち入らない場所にこのような建造物があるという事も、怪しい。

 訝るキースの耳に遠くからリクスの声が届く。

「何してるの、キース。早く来ないと置いてくよー!」

 声の方を見れば、つい今し方まで目の前にいた筈のリクスが数段の石段を上って、ぽっかりと空いた入口前まで行っていて、そんなリクスと共にいるスフィアにキースは溜め息をついた。リクスには危機感というものがないのだろうか、と。あからさまに怪しい建物へと平然と入って行こうなど、危険極まりない。

 しかし、言ったところでもう止まらないであろう事は目に見えていて、キースも石段を上ると神殿らしき建物の中へと入って行った。

 中は、緑溢れる丘だった。木々や草花が生い茂り、一本の小川が流れている。入り口からすぐの所に小川があり、置かれた石を渡って向こう側へと行くと、小川の脇に上流に向かって伸びる道がある。道なりに進んで行けば、岩でできた所や土でできた所など、人の手が入っていないような作りの道は小川を蛇行したり小川から離れて木々の間を通り抜けたりと、本物の自然の中を歩いているような錯覚を覚える。

 神殿の中である筈なのに空があり太陽の光溢れるこの場所は、とても明るく、小川が流れているからか暑いという印象はないので、明るく綺麗な場所という印象が強い。

「何か、森の一角を建物で囲ったって感じのとこだね」

「確かにな。っつーか、俺はこの川がどこに通じてるのか不思議でしょうがねえよ」

「あの森に川はなかったもんね」

 入り口からでは小川がどこに向かって流れているのかを見る事はできず、また、神殿のある森に川がない事で、どこかで行き止まりになっているのかどうなのかが非常に気になる所だった。しかし、入口より下流に続く道はなかったので上流を目指している為に、真実を知る事はできないだろう。

 そのまま十数分歩いていただろうか。上へ向かっている坂道は傾斜があまりなく、緩やかなので疲れる事はないが、大分上流へと近づいてきただろうと思った頃にそれは見えてきた。暫く小川から離れている所を歩いていた為に、リクスもキースも目に入ったその光景を、信じられないといった表情で見つめている。

「……おい」

「見えてるよ、キース」

 着いた先は切り立った崖の上で、木々を抜けた先が小さな広場のようになっている場所だった。そして視線の先には、豪快に轟音を立てながら流れる滝。幅も広く、水量も多いのだろう。崖下数十メートル先に滝壺があるようで、どうやらそこから小川が流れているらしい。小川から離れて随分上ったと思っていたが、まさか崖まで来ているとは思いもよらなかった。

 滝の上方を見上げてみても、見えるのは青空ばかり。

「どうすんだよ。ここが最奥じゃねえのか?」

「そうだと思うよ。一本道だったし……」

「つまり、ここは何の関係もなかったと。こりゃ、引き返すしかねえな」

 分かれ道も行き止まりすらなかった一本道で突き当たってしまえば、引き返すしか道は残されていない。これだけ怪しいというのに何もなかった事が信じられないが、実際に何もなかったのだから納得するしかない。しょんぼりした様子のリクスに、キースは息をつく。

 大聖堂への手がかりが見つかる筈だったのだが、それがなくなった今、再び森の中を彷徨わねばならないのだからがっかりするのも仕方ないだろう。しかし、そうして落ち込んでいる暇があるならば先に進むべきだとキースはリクスの肩に手を置いた。

 しかし、数秒前まで落ち込んで俯いていた筈のリクスが顔を上げて滝の方を見ている。それも、どこか驚いたような表情で。

 どうしたのかと声をかけようとして、すぐに口を噤んだ。

「スフィア……?」

 リクスの口から漏れた声にスフィアを見つめれば、スフィアは崖の先に立っている。それは、数歩進めば落ちてしまうような場所。本来ならば危ないからと止めなければならない筈なのだが、リクスもキースもその場で立ち尽くしたまま動かない。

 スフィアの立っている地面に、円形の複雑な紋様が刻み込まれた陣が描き出されたかと思うと、蒼く光り輝いた。直後、地鳴りのような音が響き渡り、滝の中から分厚い白い石で出来た板が伸びてきて崖の先端に結合し、板に水平に亀裂が入ると上部分が、板と同様の石で出来た石柱に押し上げられて垂直に上がっていく。石の板が滝を押し上げ、滝は板に邪魔され二つに裂けると板の横を流れ落ちる。石の板は三メートル程の高さに達すると、重い音を立てて止まった。

 滝の奥へと続く道ができた事でスフィアの足元にあった紋様は消え、リクスはすぐさまスフィアの許へと駆け寄った。

「スフィア、これ……どうやったの?」

 一体どんな仕掛けがあったのかと訊ねるが、スフィアはただ首を横に振るだけ。

 どういう事なのかと困ったリクスはキースを振り返るが、キースは肩を竦める。今の現象について訊ねられたところで、その答えをキースは持っていない。何せ、キースとて何が行われたのか理解できていないのだから。

 それはリクスとて分かっているので、滝の方を見据え、スフィアの手を取った。

「行こう、スフィア」

「うん」

 ここに何か手がかりがある筈だ。大聖堂へ行く為の手がかりが。

 スフィアの手を引いて石でできた道へ、一歩足を踏み入れる。水の流れ落ちる音が響き、左右には水しかないその道はとても不思議な感じがして、まるでこの世界のどこでもない場所にいるかのようにリクスは感じた。

 数メートルもなく、滝の奥にあった場所へ辿り着くと、立ち入り禁止の洞窟にあったスフィアが入っていた水晶の置かれていた場所に酷似した台座と四本の支柱があり、その中心に中央部に蒼い大きな宝石をあしらった、装飾の施された十字架が浮いている。

 台座の周りには溝があり水が引かれていて、滝によって陽の光が遮られ薄暗いこの場を、十字架についている宝石が淡く光っている事で照らし出している。

 水煙の祭壇。これがそうなのだろうとリクスもキースも直感していた。

 滝壺から立ち込める霧は、まさに水煙。

「これが、祭壇……」

 その幻想的な美しさに見惚れていると、スッとスフィアの手がリクスの手から離れた。どうしたのかとスフィアを見れば、引き寄せられるように十字架を見つめている。

「スフィア、知ってる……」

「え……?」

 銀色の髪を靡かせ、スフィアは水を越えて台座へと足を踏み入れ、台座に乗ると自分よりも大きな十字架の中央部に埋め込まれた宝石に手を伸ばし、そっと触れた。

 瞬間、淡い蒼い光が宝石からすぅっと出てきたかと思うとスフィアの胸の前で停滞し、スフィアは蒼い光を両手で包み込み、目を閉じると光はスフィアの体を包み込み、水がスフィアを取り巻いた。

「強き龍が水と舞う」

 紡がれた声と共に水は弾けて消え、スフィアを包んでいた光が弾けて霧散すれば、スフィアはスッと目を開けた。

 何が起こったか分からず、けれども心配そうにスフィアを見つめているリクスの方を振り返り、スフィアは口を開く。

「スフィア、キラキラ庭いた」

「え?」

「髪、黄緑、金いっぱい。スフィア見て楽しそう笑った。暖かい庭、スフィア、いた」

「……スフィア、記憶が……?」

 一瞬何の事を言っているか理解できなかったが、もしかしたらと思って訊ねてみればスフィアはコクンと頷いた。つまり、記憶が戻ったのだと。瞬間、リクスの顔がぱあっと明るくなる。

「良かったね、スフィア!」

「憶えてる、それだけ。他知る無い」

「そっか、ちょっとだけだったんだ……でも、少しでも思い出せたんなら良かったよ。スフィアの大事な記憶だもん」

 そう言って微笑むリクスはまるで自分の事のように喜んでいて、それがスフィアにはどうしてなのか理解できなかったが、リクスの顔を見ていると自然と笑みが零れた。

「良かった。リクス、いる良かった」

 はにかんだように笑い合う二人の姿に初々しいなと思いつつ、キースは今一度、十字架を見つめる。中央に埋め込まれた蒼い宝石から光が出てきてスフィアを包み込んでいたが、未だ淡く光りを放っている事が気に掛かる。祭壇が何の為にあるものなのかを知る事はできなかったが、まだ役目を終えていないとでも言っているような気がした。

 しかし、ここでそれを解明する事はできないだろうと頭を切り替える。

「しっかし、大聖堂の手がかりになるようなもんはなさそうだな」

「うん。もしかしたら、祭壇を廻ればスフィアの記憶が戻るってことを言いたかったのかな?」

「どうだかな。ま、祭壇でスフィアの記憶が戻るのは事実みてえだし、それらしい場所を手当たり次第ってとこだな」

「わー、何か荒っぽい」

「しょうがねえだろ。じゃ、他にいい案でもあんのかよ」

 腕組みをしながら冷めた目でリクスを横目で見やれば、ごめんごめんと苦笑している。つまり、何も考えはないという事だ。兎にも角にも先に進んでみなければ分からない、行き当たりばったりという事になる。

 司祭も祭壇を巡れば大聖堂に辿り着けると言う曖昧なことしか言っていなかったので覚悟はしていた為に、特に文句があるわけでもなかった。

 それに、大聖堂に近づけてスフィアの記憶も戻るというのであれば一石二鳥ではないか。少々都合がいい気がするけれど、それでも今のリクス達には他に選択肢はなく、ただ前に進むのみだ。

「じゃあ、次の街で情報集めだね」

「次っていや、砂漠のオアシス アクバールだな」

「そこ行く?」

「そういうこと」

「それじゃ、アクバールに向けてしゅっぱーつ!」

 気合を入れて元気よく滝の下の道を駆けて行くリクスとそれに続くスフィアの後ろ姿を見て、はしゃいでまた疲れるんじゃないかと心配しながらキースは歩いて行くのだった。


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