18 ヒトと女神と神獣と
水の神殿に向かう西側ではなく東の森の方へと歩いて行けば、小高い丘の上に一軒の家が建っているのが見えた。
「あそこなら休めるだろ」
言い、家の前まで来ると平然とドアを開け、ズカズカと中へ入って行ってしまうキースに、他の者も家の中へと入った。
「あの、勝手に入って良いのでしょうか」
「ああ、別に構わねえよ。最近はめっきり来なくなったが、俺が世話んなってるおやっさんの家だ。好きに寛いでくれ」
グラファイトで鍛冶屋を営む老父で、幼い頃から世話になっている人だと説明し、遠慮はいらないと言えば皆、机やベッドなど最低限の家具が置かれただけの室内で、椅子やベッドの上に各々で腰掛けた。
漸く腰を落ち着けられた事で、暫し沈黙が降りる。
疲れが出ているというのもあるが、一番は何から話せばいいのか考えあぐねているといったところだ。皆、リクスが話し出すのを待っている。今、話さなければならないのは明らかにリクスだからだ。
だから大きく息を吐き出し、決意を固めたリクスが静寂を破った。
「ちゃんと、話すね。と言っても、何から話せばいいのか判んないんだけど……」
「リックーの好きに話せばいいさ」
「ああ。できる範囲で話してくれ」
改めて、話さなければならない事が沢山あるのだと、記憶を辿っていて思った。それら全てを話すのは骨が折れるが、それでも話さなければならない。
今一度、大きく息を吐き出した。
「そうだね。とりあえず、昨日の夜からかな。部屋で寝てたら、ヴァンルースの声がしたんだ。一人で来いって、呼び出された」
ヴァンルースがずっと手にしていた結晶はリクスの心の欠片で、心の欠片を通してリクスの心に声が届いたのだと、ヴァンルースは言っていた。
あれが心の欠片だったからこそ、リクスの心を支配し操る事が可能だったのだと。
「そして、コアを持って来いって言われて、俺……」
「まあ、妥当な判断だな。断れば再びお前に僕らを襲わせる。最悪の状況は避けられたという訳だ」
「……そう思ったけど、やっぱり心苦しかったよ。辛かった。けど、ラディウスが教えてくれたんだ。依り代を移せばいいって。コアには神獣のマテリアが残ってるから、誤魔化せるはずだって」
だからディラルドの部屋でコアから別の依り代へと神獣を移動させ、依り代を置いて出て行った。
その話を受けてディラルドはワンドを取り出し、そこに巻きついている八つの宝石が埋め込まれたチェーンを見せる。それぞれの神獣に対応した色の宝石は煌々と輝いていて、その光は神獣の光と同じだ。
「ええ。最初は驚きましたが、ラディウスとレヴナントが教えてくれました。そのおかげで、僕達もエアリスへ行く事が出来ました」
エフィリスにコアを調べられた時には肝を冷やしたが、ラディウスの言っていた通りマテリアが残っていたおかげで難なくやり過ごす事が出来た。
その後、霊峰の頂上から仕徒四人と共にエアリスのあの城へ行き、そこでラルディミオンと出逢った。彼に案内された先には女神ヴェルミナが座っていて、直接、顔を合わせた女神から衝撃の言葉を聞く事となった。
「ミレニス達もヴェルミナ様の言葉は聞いたよね。俺と話してる時も、内容は変わらなかった。ベルティエラは……女神を信仰してないから、価値はないって……」
聞いた言葉を伝える事でさえも躊躇われる。
女神の言葉であると、認めざるを得ないから。
そして聞いたミレニスは激昂し、椅子から立ち上がると机を乱暴に殴る。
「そのような事が許されると言うのか! ただ、女神を信仰しなかっただけで滅ぼされるなど、神の所業ではない!」
「さすが、あの神官共の親玉だね。そんなのを信仰してたなんて、反吐が出るよ」
「まったくだ。女神に縋る人間は好きじゃなかったが、その女神も腐ってんな」
「どうして、そのような酷い事が出来るのでしょうか」
「……」
言葉が出ない。
皆が言っている事は、事実だ。女神ヴェルミナの言葉を聞いて、そう思うのは当然の事。
それでもまだ、辛いと感じる。
司祭の時に身を持って知った筈なのに、それでも、心が痛い。
「今から、女神を信仰しても決定事項だから、ベルティエラを救うことはできないって。ごめん、俺……何にも、できなかった」
俯いたまま、そう告げる。顔を上げる事が出来なかった。
「何を謝る必要がある。お前のせいではないだろう。誰が話をしていても結果は同じだった。謝罪など不要だ」
「そう……だね」
慰めの言葉は心に届いたけれど、それでも心は晴れるどころか痛みが増していく。諦めたからだろうか。女神ヴェルミナはそのような存在だと肯定されたからだろうか。心の欠片で操られていた時よりもずっと、心が痛い。
ここから話す事は、残酷だろうか。彼らが今、抱いている気持ちを全て覆す事になるかもしれない。
それでもやはり話さなければならない。知り得た事実を。
「……信用できないっていう気持ちは分かるけど、それでも、ラルディミオンって人は俺のこと助けてくれたんだ。ヴァンルースに殺されそうになった時は止めてくれたし、心の欠片も返してくれた。それに、逃げる時も枷を外してくれて……」
また、肩を持つような事を言っている。司祭の時と同じだと思うだろうか。
「それに俺、あの場所、知ってるんだ」
「……えっ?」
「あの花畑、知ってるんだよ。どうして知ってるのかは判んないけど、凄く懐かしかったんだ。俺、キースと出逢う前のこと全然、憶えてないから、もしかしたら……」
スフィアだけではく、リクスにも過去の記憶がない。
その事実を知るのはキースと、キースからリクスとの出会いを聞いていたミレニスのみだった為に、その事に対してもディラルド・メルヴィーナ・スフィアは驚きを見せていた。
その中でも特に反応を見せているのはスフィアで、驚きの表情はすぐに笑顔へと変わり、隣に座っているリクスを見つめている。
その視線に、笑顔に、見つめ返したリクスはずっと感じていた事を口にした。
「……スフィア……君は一体……」
けれども言葉はそこで途切れ、それ以上紡ぐ事が出来なかった。言いたくないという事なのだろうか。それとも、言う事が出来ないのだろうか。
考えを否定するように、振り払うように首を振った。
それから、そっと目を伏せる。
「スフィアと同じで、俺にも昔の記憶がないんだ。あの花畑……クルスタリスの試練で、水晶で見た映像に出てきた。間違いないよ」
それはつまり、リクスが以前にもエアリスに行った事があるという事を示している。
何故、エアリスに居たのか――。
どのようにしてエアリスに行く事が出来たのか――。
総ては謎のまま。そして恐らく、答えはリクスの失われた記憶の中にある。しかし、リクスがキースの許に来てからもう十年になるが、記憶が戻る気配はまるでない。謎は深まるばかりで、解決の糸口など見えない。
皆が言葉を失い、沈黙が降りる。
嫌な静寂だ。
そんな静寂を破るように口火を切ったのは、メルヴィーナだった。
「ま、分かんないもんは考えててもしょうがないさ。こうしてリックーが無事だっただけでも良かったんだしさ」
こういう時、メルヴィーナの底なしの明るさには救われる。皆の空気感が軽いものへと変わったのは、表情からも読み取れる。
「そうですね」
「いきなり神の御前でどうなるかと思ったが、結果オーライだったってか」
「おかげで、言葉を交わせたのだからな」
そういう意味ではヴァンルースに感謝するべきなのだろうか。リクスの心の欠片も戻り、もう操られる事はない。
後は、これからどうすべきかを考えるだけなのだ。
「しっかし、これからっつってもどうすりゃいいんだろうな。正直、俺らの手に負えるとは思えねえけど」
ヴェルミナがベルティエラを滅ぼすと言った以上、この先は神と仕徒を相手にする事になる。それをリクス達だけでやろうと思うのは無謀であり、荷が重すぎる。そもそも、リクス達で決めていいものでもない筈だ。
「とにかく、僕は一度メイスタッドへ戻る。兄上に報告しなくてはならんのでな」
「僕も、一度アリスハイトへ戻ろうと思います。それと、お師匠様の所へ。これからの事について、何かヒントを得られないか調べてみたいんです」
「そんじゃ、アタシもウィスタリアの聖堂に戻ろうかね」
「えっ? でもまだ指名手配されたままじゃ……」
「平気さ。ウィスタリアじゃ神官もでかい顔できないし、兵士達も協力なんかしないさ。あそこの連中はリックー達に借りがあるしね」
確かに、無実の罪でメルヴィーナを処刑しようとしていて、それを止めたのは他でもないリクス達で、更に侵入した魔物を退治したのもリクス達だ。
恩義を感じているのであれば、メルヴィーナに対して負い目があるのであれば、そう酷い事にはならないだろう。
「明日、エレウテリアで皆を送り届け、僕はベルティエラへと向かう。お前達はどうするんだ」
お前達、と言うのは、リクス・キース・スフィアの三人の事。ミレニスもディラルドもメルヴィーナも、これからどうするのか、何をするのかという事が決まった。リクス達も決めなければならない。
「俺は……メイスタッドに行く。ランバルドさんには、俺から話したいんだ。ヴェルミナ様の言葉をちゃんと聞いたのは俺だから……いいかな」
「ああ、構わん」
「俺はリクスについて行く」
「スフィア、も、リクス一緒」
ここから先は行動してみなければ進めない。皆が、それぞれに出来る事をするだけだ。
それからは各々で話をしていて、夜も深まった頃に眠りについた。月明かりに照らされた小屋の中で目を覚まし、むくりと起き上がったリクスはラディウスと共に、小屋の外へと静かに出て行った。
翌朝。二日後にウェッジウッドでディラルドと、ウィスタリアでメルヴィーナと再会する事とし、リクス達はディラルドとメルヴィーナをそれぞれ送り届けるとエレウテリアでベルティエラへと向かった。
メイスタッド港で降り、脇目も振らずに向かったメイスタッド王宮に入ると、そのまま謁見の間を目指した。そしてミレニスは何も言わずに扉を開けて中に入ると、誰かと話をしているランバルドの姿が目に留まった。
「王、話があります」
突然のミレニスの乱入にランバルドは頬杖をついたまま目を細め、ランバルドと話をしていた男は驚いたようにこちらを向いた。
「見て判んねえのか。客人が来ている。後にしろ」
「一刻を争う大事な話です」
全く退く気のないミレニスに、ランバルドは暫し黙ったままミレニスを見つめていたが、ふぅっと小さく息をついた。
「……分かった」
溜め息混じりに頷き、謁見に来ていた初老の男へと視線を向ける。
「そう言う訳だ。今日は帰ってくれ。先の提案については検討しておく」
「し、しかし……」
「話は終わった。下がれ」
食い下がる男を一瞥するその瞳は鋭く、見据えられた男は明らかに委縮している。
「……はい……」
その目から逃れるように頭を下げると男は踵を返し、悔し気にミレニスを睨み付けると足早にリクス達の横を通り過ぎた。しかしリクスの横に来た時に見えた男の口元には笑みが浮かべられていて、思わず振り返り、けれども男はすでに謁見の間を出て行ってしまっていたのでその表情を確認する事は出来なかった。
「リクス、何をボーっとしている」
「え……あ、ごめん」
咎めるようなミレニスの声に、皆と共にランバルドの前まで向かった。
玉座の前に立ち、改めて見たランバルドは以前、王宮を訪ねた時に会ったランバルドとはまるで違う。雰囲気も、表情も、話し方も、何もかも。今、リクス達の目の前にいるのが、メイスタッド王。ベルティエラを統べる人物だ。
「で、大事な話とは何だ」
「僕らは神獣を総て集め、エアリスへ行く事に成功しました」
「そうか……よくやってくれた」
「その際の詳しい話はリクスがします」
促された事でリクスは一歩、前に出た。
息をついて心を落ち着かせる。自分から志願したというのに、口にするのはやはり怖い。キース達に、仲間に話すのでさえ怖かったのだから、当然か。ベルティエラの者達は女神ヴェルミナを善く思っていないから尚更だろう。
けれど、ここで立ち止まってなどいられない。
意を決し、ランバルドを見据える。
「ヴェルミナ様は、世界の異変を知っていました。マテリアのバランスがおかしい事も、ベルティエラが闇に呑み込まれていってる事も。知ってて、何もしてないんだって……そう言ってました……ベルティエラが、ヴェルミナ様を信仰しないからって……」
「なるほどな……蓋を開けてみりゃ、いたくシンプルな理由だな……神に見放された世界、か……」
そこで言葉を区切り、ランバルドは静かに目を閉じた。
数秒もせずにすっと開けられた目は誰をも映さない。
「今更だな。ベルティエラはもう何百年と女神信仰をしていない。神を信じない人間を神が見捨てたところで、当然の結果と言われりゃそれまでだ」
ランバルドは、えらくあっさりとしていた。
取り乱す訳でもなく激怒する訳でもなく、冷静に話を聞き、冷静に言葉を紡ぐ。まるで、予め答えを知っていたかのように。
そんな兄を、ミレニスは厳しい表情のまま見据える。
「この事実を知り、兄上はどのようにお考えですか」
「そうだな……」
問われ、ランバルドは一度ミレニスを見、そしてリクス・キース・スフィアを見回し、それから目を伏せた。
「女神を殺す」
瞬間、室内の気温がぐっと下がったような気がし、ゾクリと背筋に悪寒が走った。
「ってのが、ジイさんらの意見だ」
だが次の言葉で、すぐさま雰囲気が、普段のランバルドのものへと変わった。
ミレニスが前に、ランバルドはまだ若い王の為、元老院と呼ばれる老父達が政務の手伝いをしているのだと話してくれた事があった。リクスにはミレニスが何の話をしているのか理解は出来なかったけれど、ディラルドが要約してくれた話で理解する事が出来ていた。
その元老院が女神を殺すべきだと言っているという事だ。
「正直なところ、女神を消滅させたとて現状が変わるとは思えんな。女神の力無しに、神獣が己の意思でマテリアの量を変更できるなら、すでにやっているだろう。神獣が女神の意思に従順って言うならお手上げだが、神獣を集めてエアリスに向かったという事は、そういう訳じゃねえんだろ」
「神獣の話から察するに、神獣達も今の女神には疑問を抱いている様子。何より、神獣は世界の異変を軽視するつもりはないようです」
「だろうな」
頷き、ふむと息をつく。
神獣が世界の異変を放置するつもりだったならば、リクス達を女神の許へ導きはしなかっただろう。それが例え偶然、神獣の許に辿り着いてしまっていたとしてもだ。そもそも、そうならば初めからリクス達と誓契などしない筈。
暫し思案していたランバルドは今一度、頷いた。
「話すべきか……先程ここに来ていた男だがな、リルアーテルに攻め込むべきだと進言してきた」
「なっ、攻め込むとは、何ゆえですか!」
「ベルティエラが闇に消えるのならば、リルアーテルに移住し、新たなベルティエラとすれば良い、と……愚策だな。女神が見放したベルティエラの人間がリルアーテルへ移住した所で、今度はリルアーテルがベルティエラと同じ運命を辿る事となる。最悪の結果だ」
女神を消滅させたとしても、闇の広域化が止まる訳ではない。神獣が止められる事態ではないのだから、核心をもって言える。例えリルアーテルへ移住したとしても、リルアーテルの人間を巻き込み滅ぼされるだけだ。ベルティエラの人間が女神を信仰していない事は明白であり、住む世界が変わろうとも信仰心は変わらず、今更信仰したところで救う価値がないと女神自身が告げている。
元老院の提案も、先の男の提案も、解決策とはならない。
「でも、貴方は……王様は、ミレニスをエアリスへ行かせたかったんですよね? どうして……」
ミレニスは王の命で神獣を集めていた。その理由は、エアリスへと赴く為。ベルティエラの異変をどうにかする為だ。
しかし今、ランバルドはその考えを否定した。無意味だと言い切った。
では何故、ミレニスにエアリスへ行かせたのか――ランバルドの話では、答えは初めから出ていたようだった。
「王というものは窮屈なもんでな、憶測では動く事が出来ないもんだ。たった一言で、国を、世界を左右する。確証がなければ元老院を黙らせる事も、民を納得させる事も出来んからな」
納得させる事が出来なければ、民は動かない。命令し従わせる事は出来ても、暴君では君主としての資格などない。世を統べる王として必要な事だったという事だ。
ミレニスも納得の上でエアリスを目指していたという事は、ランバルドの話に頷いた事で理解した。それでも女神ヴェルミナの言葉を聞いて激昂したのは、やはりベルティエラを想うが故だろうか。
これ以上、リクスが言及する事など何もない。疑問は解消されたのだから。
だが、話が止まり策も尽きた事で、これまで傍観者となっていたキースが口を開いた。
「でも、これからどうする? 女神に言っても駄目、神獣もどうにもできねえ、リルアーテルに行けば共倒れ。他に手立てがあんのか?」
考えられる方法はそのくらいだと言うキース。
確かにそうだ。他に世界を救う為の方法が見つからない。否、一つだけ、無い訳ではない。それを口にしたのは、思案していて何かに気付いたリクスだった。
「……キア・ソルーシュ……」
呟くような言葉に、皆がリクスを見る。唯一人、キア・ソルーシュを知らないランバルドは話に耳を傾け静観している。
「あれって確か、女神の器を作る為の儀式、だったよね」
「神官共がそう言っていたな。全てを女神に捧げる存在だと……だが、女神を新たな器に宿したところで何も変わらないだろう」
「うん。でも……中身も違ったら?」
聞いた瞬間、ミレニスは眉を顰め、キースは驚いたように目を丸くした。
信じられない事を言っているという自覚はあるのだろう、リクスの表情はどこか不安気で複雑なものだ。
「女神の器……それが、ただの受け皿じゃなくて、中身もだったら?」
「……女神としての器を得るよう、育てようとしたという事か」
「それだけじゃないよ。俺、思ったんだ。どうして、神官がメルやスフィアに執着するのかなって。前にミレニスが、ヴェルミナ様は元々人間だったって言ってたでしょ」
そこまで告げると、ミレニスがハッとしたように息を呑んだ。
「……スフィアとメルが、女神ヴェルミナの子孫、だと……?」
「子どもじゃなくても、兄妹がいたら可能性はあるんじゃないかなって」
元々人間だったのであれば、子を宿していたとしてもおかしくはない。兄妹が居たとしてもだ。その後ヴェルミナは女神となり、子や兄妹が子孫を残していたとすればスフィアやメルヴィーナがそうだったとしても、否、そうだったとすればキア・ソルーシュがスフィアかメルヴィーナである事に執着した事と辻褄が合う。
「けど、仮にそうだとしてだ。あのアーヴァインって野郎は神官だが仕徒だろ。仕徒が新たな女神を作るなんて考えられんのか?」
「アーヴァインに知らされていない可能性は低いだろうな。神官共は、アーヴァインが仕徒だという事を知らないのだから、その上で彼にだけ隠す理由などないだろう」
「それにヴァンルースの態度も、とてもヴェルミナ様に忠誠を誓ってるようには見えなかったよ。俺をエアリスに連れて行ったのはヴェルミナ様の命令だったみたいだけど、それでもヴァンルースは俺のこと、本気で殺そうとした」
ヴァンルースに、ハーティリーに、アーヴァインに、エフィリスに囲まれ、武器を突きつけられ、ラルディミオンに助けてもらわなければあの場で命を落としていてもおかしくはなかった。
そのラルディミオンに従っているのも、エフィリスだけのように見えた。
「仕徒は、すでに一枚岩ではないという事か」
「あのラルディミオンって人はヴェルミナ様に忠実で、多分、俺たちの敵でもないんだと思う」
「リクスを助けてくれたってのは事実だろうしな」
そこで話が一段落したのか、矢継ぎ早に紡がれていた言葉が止まった。
話についていけていないスフィアはいつもの如く黙ったままで、話している内容を知らないランバルドもずっと静観していたのだが、話が一旦終わった事で、漸く口を開いた。
「話は大体分かった」
吐き出す息と共に紡がれた言葉に、リクス達は驚きに目を丸くした。
「え、今ので分かったのか……」
「今くらいの話を聞けば、流れで分かるだろう」
それは、普段から民や軍の者達の話を聞いている王だからこそなのだろう。
王の仕事は、初めて会う者が多い事だろう。中には、順序立てて話をする事が出来ない者もいるだろう。王の前という事で、緊張のあまり上手く話せない者もいるだろう。そうした中で、話の本筋を見抜き、的確に指示を出し、解決へ導かなくてはならないのだから、今のリクス達の話からある程度の事を理解できるのは当然なのかもしれない。
「神官の行おうとしている女神交代の話は、阻止するべきだな。女神を信仰する神官が女神を引き摺り下ろそうとしているなど、聖職者どころか常人の考えとも思えん。仕徒も信用しすぎる訳にはいかん。が、ラルディミオンという男とは今一度コンタクトをとるべきだろう。そして、スフィア、メル。この二名のどちらかが本当に女神の子孫であるか検証し、女神を継承できるのか調査する必要がある。女神交代について詳しく知る人物の協力が必要だな」
一気に言い切ったランバルドの言葉を、リクス達は呆けたように聞いている。
本当にこれが今、初めて話を聞いた者の答えだろうか。まるで、これまでずっと行動を共にしていたかのようだ。
「一先ず、神官は後回しだ。二人が狙いだと言うなら、確証が得られるまで逃げれば良いのだからな。女神交代、ラルディミオンとの接触。優先すべきはここだ。出来るか?」
「はい。僕らの仲間にディラルドという学者が居るのはご存知でしょう。彼の師が詳しいと聞きます。ディラルド自身も神獣に関する事ならば右に出る者はおりません。この後、リルアーテルに戻り合流予定ですので、早速進めます」
「頼む。こちらでも出来得る限りの事はしよう。元老院は黙らせとく。ただ、一つだけ注意しろ。リルアーテルへ攻め込むべきだと進言して来た男、あれは普通の人間じゃないな。警戒は怠るな」
それは、予感だったのかもしれない。
その時のランバルドの言葉は、胸に刻み込み決して忘れてはいけないのだとリクスは思った。沢山の人と出会い、沢山に人を見てきたランバルドだからこその、言葉だと思ったからだ。
だから各々の言葉で頷き、一礼をすると謁見の間を後にした。
本来ならばメイスタッド城に泊まっていきたいところなのだが、これからの道が決まった以上はすぐに行動しなければならない。メイスタッド城を後にしたリクス達はエレウテリアが停泊しているメイスタッド港へと向かっており、道中、不意にキースは立ち止まった。
「しかし、リクス……」
そこで言葉を区切り、腕を組んでキースは、声をかけられ驚いたように立ち止まって振り返ったリクスを見やる。
「お前、いろいろ考えてんだな。こんな風に考えて喋んの初めてだろ。熱でも出たか」
「うう……すごい言われよう……でも、否定できないところが辛い」
「リクスは見るからに流されて生きていそうだったからな。素直なところも他人を簡単に信じるのもお前の長所だが、意思や主張は持つべきだと常日頃から思っていた」
「ミレニスまで……」
自ら口にしたが、否定できないので苦笑を浮かべるだけなのだが、やはり直球で他人から言われると凹むものだ。
けれどそう思っていたからこそ、思われていたからこその変化なのだ。
そっと、リクスは目を伏せる。
「ヴェルミナ様に会った時、俺、何もできなかったから。キースだったらどうしたかな、ミレニスだったら何を言ったのかなって、そればっかりだったんだ。そこにいたのは、俺なのにね」
苦笑を浮かべるリクスだが、それはどちらかと言うと自嘲の笑みだ。
後悔しているという事は、エアリスから戻って来た後の話し合いの時から分かっていた。負い目も感じているのだと分かっていた。それが何に対するものなのか――、一人で行ってしまった事に対するものか、誰にも告げずに行ってしまった事に対するものか、命令とは言え裏切り行為をしてしまった事に対するものか。
「ミレニスの言う通り、俺、何にも考えないで生きてきたんだ。フィエスタのみんなに、キースに護ってもらってたから、考えなくて良かったんだ」
村に護られ、村の大人に護られ、メルクリウスに護られ、キースに護られていた。リクスが考えて行動する事はなかったが、それで良いのだと思っていた。何も不自由なく、何も知らないリクスでも生きていられたのだから。
スフィアと出逢い、キースと共にフィエスタを出たけれど、それは変わらなかった。傍にはキースが居て、ミレニスが居て、ディラルドが居て、メルヴィーナが居て――考え無しに行動しても誰かが止め、諌め、フォローしてくれていた。
その事に漸く気付いた。皆と離れて、漸く気付く事が出来た。
「それじゃいけないんだって判ったから、俺もちゃんと考えていこうと思ったんだ。まだまだ知らないことの方が多いけど、それでも考える。これから先のこと、俺のこと、みんなのこと、世界のこと」
それは、強い意思。受動的だったリクスが、自らの考えを持った事の表れだ。
それは、ただ誰かを助けたいという漠然としたものや、好奇心が向いたからという感情的なものではない。
女神との邂逅は、これまでのリクスの全てを覆す程の事だと理解していた。幼い頃から心酔し憧れ続けた女神が、世界を崩壊させようとしていたのだ。その事実は心を乱し、心を壊してしまってもおかしくはなかったが、リクスはそれを乗り越え成長しようとしている。
そう思うと、キースはリクスの頭を乱暴にクシャクシャとかき回すように撫でていた。
「ったく、いつの間にそんな強くなったんだよ。嬉しくて淋しいじゃねえかよ」
「ちょっと、キース、痛いよ」
「うるせえ」
嬉しそうに笑いながら、止める気のないキースは頭を撫で続けている。
その様子を呆れたように見ているミレニスの隣に立ち、ずっと話を聞いているだけだったスフィアが、不意に口を開いた。
「リクス強い、ずっと知ってた。キース、知るなかった?」
さも当たり前のようなスフィアには、当然の事ながら他意はない。口から出た言葉はそのままの意味だ。
その言葉にキースもミレニスも面食らったように目を丸くし、すぐにプッと噴出し、キースは声を上げて笑う。声を押し殺して肩を震わせているミレニスも、笑っている事実を隠しきれてはいない。何故、キースとミレニスが大笑いしているのか理解できていないリクスとスフィアは、キョトンとしながら顔を見合わせた。
「いや、ホント、お前らは凄いわ。ずっとそのままでいてくれよ」
「えっと、キース。俺、変わりたいって話してたんだけど……」
「だからそう言ってんだろ。お前はお前のままでいいってな」
「何か噛み合ってないんだけど。ねえ、ミレニス」
「いいや。今のはキースが正しい」
納得のいく回答が返ってはこず、リクスは腑に落ちないとばかりに困ったような顔になる。そんなリクスと、やはりキョトンとしているスフィアの頭を、キースは再び撫でる。
今度は優しく、ぽんぽんとあやすように。
「いいんだ。これで。いいんだ」
優しく、力強いキースの言葉。ミレニスも、普段見る事のない優しい目をしている。その言葉にどんな意味が込められているのか、どんな想いが込められていたのかを、その時のリクスはまだ知らなかった。
それが、どれ程の意味を持っていたのかも。