表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MEMOLIA LINK  作者: 氷滝 流冬
第二部 神獣篇
17/21

17 天上の国

 朝焼けに染まる、ゴツゴツとした岩肌の目立つ巨大な山を見上げる。土で出来ているというよりは、巨大な鉱石が山の形をしているといったその姿。人も獣をも阻むように岩肌は尖っていて、足を踏み入れるのを躊躇ってしまう威圧感を放っている。

 その霊峰の麓、霊峰へと続く一本道の両側は崖となっていて、霊峰は大陸の途切れた先にあるということを知った。道の両脇は靄がかかっていて下を見る事は出来ず、真っ直ぐに伸びるその道を歩いて行く。霊峰の手前に立つ、もう見慣れてしまった白い服の四人組を見ながら。

 相変わらず他人を不快にさせるような笑みを浮かべているヴァンルース。

 数メートル手前で立ち止まり、仕徒を見据える。

「ちゃぁんと来たなぁ。偉い偉い。それで? ちゃぁんと持ってきたんだよなぁ?」

 挑発するような物言いに眉を顰め、それでもリクスは握っていた手を開いてその手の中にあったものを差し出すように見せる。

「……これでいいんでしょ」

 ディラルドが身に着けていたブレスレットを見せると、代表してエフィリスがリクスの方へ近付いて来てブレスレットに自身の右手を翳して目を閉じ、数秒すると目を開けて他の仕徒を振り返った。

「確かに神獣の気配が感じられるので、本物ですね」

「コアをどうするつもり」

「どうもしねぇよ。そいつがフェアトラークから離れて、こっち側にあるってコトが重要なんだ。持ってていいぜぇ。フェアトラークじゃねぇから、何にもできねぇしなぁ」

 その言葉に、少しばかり安堵した。

 左手首にブレスレットを嵌めると、エフィリスに左の二の腕を掴まれた。

「一緒に来て下さい」

「……嫌だって言ったら?」

「ヴァンルースの持っている心の欠片を壊します。貴方の心の一部ですから、貴方の心も壊れます。それでいいのでしたら、逃げて下さって構いませんよ」

 やはり、あの心の欠片を取り戻さなければリクスは手も足も出せない。

 今のリクスに出来る事は、仕徒の命令に従う事しかないのだ。苛立ちと不安と後ろめたさと――複雑な気持ちを抑えつつ、それでも精一杯の抵抗とでも言うかのように、腕を掴んでいるエフィリスの手を乱暴に振り解くとヴァンルース達の方へと歩き始めた。

 逃げ出す意思はないと感じたのかエフィリスも歩き始め、先頭にヴァンルース、左右にエフィリスとハーティリー、後ろにアーヴァインと仕徒の四人に囲まれながら、リクスは霊峰へと足を踏み入れた。

 見た目と変わらぬゴツゴツとした、どこか清廉な空気を纏った道。狭くも広くもないその道には、体の透けている動物の姿をした生き物が横行している。靄のようにも見えるマテリアで出来た緑の鹿や青い蝶など様々な姿のその生き物。

 それらは何かを見定めるようにじっとこちらを見ているだけで、その間をリクス達は通って行く。もしかしたら、資格のない者には襲い掛かるのかもしれない。そんな視線を受けながら険しい道を歩いて行く。

 道は霊峰を渦巻くように螺旋状に伸びていて、元々高い山というのもあるのに先が見えないからか余計に長く感じられる。それは、無言で歩き続けているせいもあるかもしれない。

 そうして歩いて頂上へと辿り着くとそこは、広場のようになっていた。その中央には三段になった台座と四本の柱。台座には陣の様な複雑な模様が刻み込まれている。

 見覚えのあるその台座は、スフィアと初めて出逢った時に見たものと同じだった。違うのは、水晶がない事。そして、台座に八つの宝石のような石が埋め込まれているという事。その石は、神獣と同じ色をしている。

 その前に立ち、リクスは左腕のブレスレットに触れた。

「ここから、天上に行けるの?」

「まぁ見てなって」

 リクスが大人しく従っているからだろうか。随分と素直に、馬鹿にするようなものは何も含めずにそう言うと仕徒は四つの柱へとそれぞれ近付き、模様の刻み込まれた柱に手を当てた。

「ラーフィア」

 四人の声と共鳴するように柱に触れている手のひらを中心に波紋が広がり、大きく広がっていく波紋は互いに重なり合い台座を覆った。そして手のある内側から波紋が消えていくと台座の中央には、それまでなかった扉が設置されていた。純白の扉は神秘的で、神々しいとさえ感じる。

「行くぜ」

 開かれた扉の中へ入るとそこは、大聖堂と城を合わせたような荘厳で美しい建物の中だった。この世のものではないような、足を踏み入れてはいけないような、清廉な空気を纏ったその場所。それは、霊峰とはまるで比べ物にならないほどの清らかさ。

 床を踏む事さえも躊躇われるようなそこは大広間のようになっており、奥には幅の広い半円状の階段があり、狭まった先に扉が備え付けられている。

 ここは一体――。

 そう思いながら辺りを見ていると、もう逃げられない場所まで来たからだろうか、手も足も出せない程にされていた警戒は解かれ、前後左右に居た仕徒達はバラバラに散り始めた。

 今はリクスに背を向けていて、尚且つ油断もしている。心の欠片を取り返すなら、今しかない。

 力強く床を蹴って跳び出し、油断しきっているヴァンルースの左手に向かって手を伸ばした。手のひらの上に乗っている心の欠片を取り戻せば、この状況から脱却できるかもしれないと。

 けれどそんな淡い期待は、振り向きざまに繰り出された腹を抉られるようなヴァンルースの強烈な蹴りによって打ち砕かれた。体は後方へ吹き飛び、痛みと衝撃に顔を歪めながらも勝ち誇ったようなヴァンルースの顔を捉えて苛立ち、負けたくないと宙返りをして床に膝と手をついて着地をすると、背中の剣の柄に手を伸ばしたところで動きを止めた。

 左の首筋にはハーティリーの持つ、持ち手に三日月型の刃がついた大輪刀の刃が。

 右の首筋にはアーヴァインの持つ、六つの矢じり状の突起がついたチャクラムの刃が。

 首の後ろにはエフィリスの持つ、花をモチーフにしたバトンが押し当てられ。

 そして眼前にはヴァンルースの持つ、持ち手に左右と前面に刃のついた双槍の刃先が向けられている。

「残念だったなぁ。油断してるように見えたかぁ?」

「……」

「ここの空気は特殊なので、近場でしたら空気の振動だけで何をしようとしているのかを知る事が出来ます。何をしても無駄ですよ」

「それになぁ、今すぐココで殺したって構わねぇんだぜ!」

 ヴァンルースの持つ双槍の刃先が頬に当たり、赤い線が入る。

 そうだ。今ここで、リクスがこの場に居続けなければならない理由はない。今のリクスは仕徒に生かされているだけなのだ。生かすも殺すも仕徒の自由。この場に来てしまったリクスには、異を唱える事すら許されない。

 ただ彼らの言動を静観している事しか出来ない。例えこの場でヴァンルースの槍に貫かれようと、ハーティリーとアーヴァインに首を落とされようとも。

「お止めなさい」

 突如、精悍な声が空間いっぱいに響いた。

 聞こえた声に、チィッとヴァンルースが舌打ちをして振り返る。目の前にいたヴァンルースが居なくなり、開けた視界に映ったのは、階段上に踊り場に立っている男。橙色の装飾品があしらわれているヴァンルース・アーヴァインとデザイン違いの白い服に身を包み、左肩で留めたマントを靡かせた、黄緑色の清潔な髪をしたその男は、声と違わず精悍な顔をしている。

 その背後のドアが開いている事から、ドアから出て来たのだろう。

 彼の出現に、エフィリスもハーティリーもアーヴァインも武器を引っ込めていて、たった一言で手を引かせてしまった階段上の男は仕徒の中でも位が高いのだろうと思った。

「何しに来たんだよ、ラルディミオン」

 どうやらラルディミオンという名らしい男は、厳しい視線をこちらに向けながら、一段一段ゆっくりと階段を降りて来る。

「帰って来た事が判りましたので、様子を見に来たのですが、来て正解でした。女神のおられる神聖なる城で血を流すおつもりですか」

「……別に、脅しただけだろ」

「仕徒にあるまじき行為ですね」

「こうしてコアを持って来たんだから文句ねぇだろうが」

「やり方に問題があると言っているのです。その心の欠片も、もう必要のない物でしょう。返して差し上げなさい」

 バチバチと火花が散っている。ラルディミオンは落ち着いているが、ヴァンルースのそれは殺気に近いものがある。一触即発といった雰囲気が漂っているものの、他の三人は我関せずといった様子だ。

「ざけんな! せっかくコイツでもっと遊べんのに、何で手放さなきゃなんねぇんだよ!」

「女神に逆らうおつもりですか?」

 痛い所を突かれたのだろう。ぐ、と声を詰まらせるヴァンルース。

 背中しか見えない為に表情を確認する事は出来ないが、それでもその表情は容易に想像がついた。これまでヘラヘラとしかしていなかったヴァンルースが苛立ち悔しがっているという事を、強く握られた拳が象徴している。

「……イイ気になんなよ」

 行き場の無い怒りをぶつけるようにリクスに向かって心の欠片を投げつけると、ヴァンルースは苛立ちを隠す事無く階段脇の奥へ続く道に向かって歩いて行った。

 興醒めしたようなハーティリーもフンと顔を背けてヴァンルースとは別の、左へと続く道に入って行き、終始興味無さそうだったアーヴァインは右へと続く道に入って行った。

 リクス、エフィリス、そしてラルディミオンの三人だけとなり、未だ跪いた状態のリクスは目の前に立つラルディミオンを見上げた。仕徒の中でも、大人のように見えるラルディミオン。その態度からも口調からも、まともな人なのだろう。

 リクスに合わせるかのように、片膝を立ててしゃがんだラルディミオンはリクスを真っ直ぐに見てくる。光彩の鏤められた金色の目がとても綺麗だと思い、そして、その目はどこかスフィアと似ているような気がした。

「手荒い事をしてしまってすみませんでした。心の欠片を胸にあてて下さい。元に戻りますよ」

 優しい口調と声音。浮かべられた微笑みから、他の仕徒と違って信用しても良いと感じたリクスは右手に持った心の欠片を自分の胸にあてた。すると、すぅっと吸い込まれるように胸の中へと心の欠片は入っていき、心にあった隙間が埋まったような気がした。

「あの……ありがとうございます」

 素直にお礼を言ったからだろうか。ラルディミオンは、ふふっと優しく笑った。

「いいえ。こちらの落ち度ですから。けれど、勝手に動き回られると困るので、枷はさせて頂きますね」

 ラルディミオンがリクスの手首に触れると光状の枷が嵌められ、両手首がくっつく形で拘束されたのだが、それでもやはり口調は穏やかで優しいもので、本当にヴァンルースと同じ仕徒なのだろうかと疑ってしまう。

「さあ、立って、ついて来て下さい」

 呆けたように見ながら、促されるままにリクスが立ち上がればラルディミオンは階段へと向かって歩いて行き、その後を追うようにリクスも歩き始めた。

 すぐに振り返って見ればエフィリスが頭を下げていて、彼女だけは他の仕徒とはラルディミオンに対する態度が違うのだなと思い、余所見をしていると階段に躓きそうになったのですぐに前を見て階段を昇って行く。

 開きっぱなしの扉を潜ればそこは広い廻廊になっていて、その造りは大聖堂と似ていた。

 ずっと奥へと続いているその道を歩きながら、無言だというのが何だか気まずく思えて、リクスは口を開いた。

「あの……訊いてもいいですか?」

「何でしょう」

「俺、何でここにいるのかなって……さっきヴァンルースも言ってたけど、俺がここにいる理由ってないんじゃないかって思って」

 何故ここに連れて来られたのかという事を、リクスは理解できていない。仕徒の目的はコアであり、リクスではなかったのだから。コアを手に入れればリクスは必要なかった筈なのだ。

 若干一名、別の理由でリクスを置いておきたかったようだが、それはヴァンルースの個人的なもの。ヴァンルースから離れた上にリクスの目的である心の欠片はリクスの許に戻ってきたのだから、こうして今、ラルディミオンと歩いている事に疑問を感じずにはいられなかった。

 率直に訊ねると、ラルディミオンは歩みを止めてリクスを振り返る。

「ヴェルミナ様からの仰せです。エアリスへの扉を開こうとしている人間に会ってみたいと」

「ヴェルミナ、様が……?」

「興味があるのだそうです。幾千年の時の中で、エアリスの存在を突きとめた者も、エアリスへ立ち入ろうとした者もおりませんでしたので、興味を引かれたのだと」

 その言い方は、あまり歓迎されていないように感じた。

 神の住む領域を人間が調べ回る事、ましてや足を踏み入れようなど畏れ多い事だ。それは、神と人間が同格の存在となってしまうから。

 ここまで歩いて来てしまったが、今でも床を踏むのが怖く思える。神聖な場所を穢してしまっているような、そんな恐怖が拭えない。神と人間は全く異なる存在であると、そう言われているかのようで。

「何で、俺だったんですか……? ここを目指してたのは俺だけじゃないのに」

 どうしてここに連れて来られたのかは判明したが、それでも、どうしてそれが自分だったのかということは知り得ない。スフィアもキースもミレニスもディラルドもメルヴィーナも居たというのに、どうしてリクスだったのだろうか。

「貴方だから、という訳ではありませんね」

 フェアトラークであるディラルドは危険だという事で除外。ベルティエラの人間でありエアリスへ積極的に来たがっていたミレニスも、女神ヴェルミナにとって危険分子だという事で除外。キア・ソルーシュにされようとしていたスフィアとメルヴィーナも、ヴェルミナに対してどのような感情を抱いているのか判断できないので除外。

「そして、貴方は心の欠片を奪われていて御しやすかったので選ばれました。結局のところは、誰でも良かったのですよ」

「あ、そう、ですか……」

 妙な期待をしていた為に、若干凹んだ事は黙っておこう。

「では、参りましょうか。ヴェルミナ様の許へご案内致します」

 暫し立ち止まっていたが、再び奥へと向かって歩き始めたラルディミオンの後を追ってリクスも歩き始めた。

 これからヴェルミナ様に会う。

 そう思うと、途端に鼓動が早くなる。緊張している。神と対峙するのだから、緊張しない人間などいないだろう。心臓が張り裂けてしまいそうな程の息苦しさに、段々と近付いているのだと肌で感じていた。

 長い廊下を歩いて行き、何度か階段を昇り廊下を歩きと繰り返し、より一層広い廊下へ出ると奥に大きく豪奢な扉がついているのが見えた。一段、二段、三段と広い幅で段になっているその廊下を歩き、扉を目の前にすると緊張は最高潮になっていた。心臓が口から飛び出てしまうのではないかというほどの緊張感。

 扉の前まで来ると、触れる事無く扉がこちらに開いた。その瞬間、冷やりとした空気が流れてきた。清らかで、息をする事さえも躊躇われるような空気。足が竦み上がりそうになるけれど、足に力を込めて歩みを進める。

 いよいよだ。

 どんな結果だとしても、受け止めようと心に決める。

 宿を出る時にはすでに覚悟を決めていたのだ。もう、迷わない。

 開いた扉の先に広がっていたのは、透明感のあるタイルで埋め尽くされたフロア。透けた先には広い空間が広がっていて、タイルより下の床は見えない程の高さだ。中ほどから、透明感のタイルが配置されただけの階段が五段ほどあり、その先のフロアには巨大な水晶を彫って作られたような繊細な彫刻の施された玉座が置かれ、そこに女性が座っていた。

 ふわふわとしたウェーブのかかった、長く透き通るようなプラチナブロンド。優しい眼差しを宿しているマリンブルーの目。その姿はこれまで聖堂でずっと見てきた姿と同じであり、ノヴァーリスの上空で見たままのその人がそこにいる。

 ずっと憧れ続けていた。毎日毎日、聖堂の彫像に会いに行っていた。彫像に会いに行く事が毎日の楽しみだというほど、恋い焦がれていた。彫像に会うだけで幸せだとずっと思っていた。

 けれど今、本人がいる。同じ空間にいる。ノヴァーリスの時とは違う、本物のその人が。

「ヴェルミナ様。お連れ致しました」

 女神ヴェルミナ。今のリルアーテルとベルティエラを守護している神。

 片膝をついて跪いているラルディミオン。足には力が入らないのに、座る事すらも出来なくなった。

「よく来ましたね、地上の人。待っていましたよ」

 すぅっと心の中に沁みこんでくるような澄んだ声。それは言葉というよりも、調べのようだ。

「どのようにして、エアリスのことを知ったのでしょうか」

 問い掛けられたけれど、声は出ない。喉の奥が痺れているかのように、声を出す事が出来ない。ひゅ、ひゅ、と息が喉を通過するだけで音にならない。

 そんなリクスを見て、ヴェルミナは微笑を浮かべた。

「下界の者にシレスティアル城の空気は合いませんね」

 手のひらを口の前に持ってきてフッと息を吹くと、途端に冷やりとしていた空気が柔らかいものへと変わった。そして喉の痺れもなくなり、力の入らなくなっていた足が膝から頽れた。

「これで話せますね。問いに答えてくれませんか」

「……あ……俺は、仲間から聞いて……」

「仲間、ですか」

「ベルティエラのお姫様が仲間にいて、その人から聞きました」

 今、何を喋っているのだろうか。

 呆然としたまま、ただ声だけが勝手に紡がれる。勝手に口が動いて声が出ているという感覚だけしかなくて、話す内容も自分が考えているというよりは頭の中にある記憶を引っ張り出されているかのようだ。

「そうですか……やはりベルティエラは危険ですね。エアリスへ来るのに神獣が必要だと知ったのも、ベルティエラの姫からですか」

「はい……フェアトラークであるディラルドを捜す為に、リルアーテルに、来ました」

「祭壇には封印が施されていた筈ですが」

「それは……」

 けれどもそこで、言葉が止まった。頭が警鐘を鳴らしているかのように、声を発する事を拒否している。言ってはいけないと言われているような気がして、するすると出ていた言葉が止まった。

「どうしました」

「あ……俺たちが近づいたら、祭壇が現れて……それで」

「そうですか」

 隠しているという事が知られただろうか。少しばかり厳しい視線になったのを肌で感じて身震いをしたけれど、今の直感を信じて口にはしない。例え女神ヴェルミナであろうとも言えない、言ってはいけない。それに嘘はついていない。ただ、詳しい事を話さなかったというだけ。

 騙ったとまではいかずとも、隠し事をした恐怖感のせいもあるだろうが、冷たい視線のヴェルミナを前に再び息苦しさを感じている。

 それが気のせいではないのだという事を、次にヴェルミナの口から出た言葉で知る事になった。

「やはり、ベルティエラは存続するに値しませんね」

 彼女の告げた言葉の意味が一瞬、理解できなかった。

 存続するに値しない。それはつまり、不必要だという事。その瞬間、レヴナントの言葉が頭の中で響いた。

『全てが女神に通ずる』

 それは、リクス達が氷の神殿で水晶の中に見たものだけではないのではないだろうか。メルヴィーナのキア・ソルーシュの件も、ディラルドのアリスハイトの件も仕徒絡みだった。もし、今回の旅全てと関わっているのだとしたら――。

「ヴェルミナ様……世界に異変が起きてるのは、知ってますか……?」

「マテリアの均衡が崩れている事ですね」

 至極あっさりと答えたヴェルミナ。

「そんな……知ってて、放っておいてるんですか……?」

 呟きにも似たその問いかけの答えを、リクスは知っているような気がした。

 今し方、女神が答えた言葉があまりにも淡白だったから。そして先程、ベルティエラが存続するに値しないという言葉を聞いてしまったから。更にはここに来る前に、このままマテリアのバランスが崩れ続ければどうなるのかという事を、ミレニスから聞いていたから。

「そうなるように、マテリアを調整したのはわたくしですから」

 そうしてヴェルミナの口から語られる言葉は、とても女神の言葉とは思えない、清らかな声とも似つかわしくないものだった。

 手始めに、仕徒を地上に送り大聖堂と聖域を穢して光のマテリアを弱めて闇を増大させた。そうする事でベルティエラはじわじわと闇に飲まれていき、やがて消滅する。

 それが狙いだったのだと、ヴェルミナは言うのだ。

「何で、何でベルティエラだけ……」

「元々、ベルティエラでは女神信仰は希薄でしたが、女神交代以降、女神信仰は完全に途絶えました。女神を信仰しない人に、価値はありません」

 何て、冷たい目だろうか。

 心から冷えきり、何の感情も持たず、興味すら失ってしまったような冷淡な目をリクスは初めて見た。全てを拒絶し、蔑むような目に身震いすらする。

 不意に、ヴェルミナの眉が顰められた。嫌悪を抱いているような、女神には不釣り合いなその表情。

「エアリスへと侵入した者がいるようですね」

「侵入者……見て参ります」

「いいえ、構いません。すでに、エフィリスが対応しているようです」

 言い、ヴェルミナの口元に笑みが浮かんだ。

 何かを愉しむように。

 今、目の前にいる女性は、本当に女神なのだろうか。リルアーテルを魔物から救い、仮に封印が解けてしまっても魔物が街に入り込まないようにメルクリウスを各町に設置してくれた、あの女神ヴェルミナなのだろうか。

 けれど、この否定したい気持ちは自分の欺瞞ではないだろうか。幼い頃から憧れていた人の本性を知って、受け入れられずに否定したいだけではないだろうか。

 女神ヴェルミナを信仰する者としては、目の前にいるヴェルミナを受け入れるべきではないだろうか。それが真実なのだと。その覚悟を持って、この場へ来たのだから。

 だから、リクスは拳を握り締め、声を絞り出す。

「ヴェルミナ様! もし、もしベルティエラの人も女神を信仰したら、ベルティエラの人は助けてくれるんですか?!」

 先刻のヴェルミナの言葉はつまり、自分を崇拝しないので消すという事だった。ならば、ミレニスにその事を話せば、ベルティエラが女神信仰を始めればベルティエラを滅ぼす必要はなくなる。

 そうすれば、そうすればきっと。

 そんな淡い期待を抱いてヴェルミナを見上げれば、ヴェルミナはニッコリと美麗な笑みを浮かべた。

「ベルティエラの消失はすでに決定された事です。神を冒涜した罪は、今更、改心したところで赦されません」

 それ以上、言葉は出なかった。

 もう、手はない。今のが、ベルティエラを救う為にリクスに出来る精一杯の事だったというのに、いとも簡単に砕かれてしまった。

 どうして、こうなってしまったのだろうか。どうして、自分には何も出来ないのだろうか。せっかくチャンスを与えられたのに。女神ヴェルミナと直接言葉を交わすという、この上ない好機だったというのに、何も出来ない。

 ミレニスだったら、キースだったら、もっと上手くやれたのかな。

 そう思うと、胸がズキリと痛んだ。

 弱さも無力さも痛感させられたから。

 もう、何も出来ないのだろうかと考え、落胆に目を伏せた時だった。勢い良く扉が開いたのは。

 音に振り返ると、扉から入って来たのは、エフィリス。

 そして。

「リクス!」

 重なる、聞き慣れた二つの声。

 キースとスフィアだ。更にその後ろには、ミレニス・ディラルド・メルヴィーナの姿もある。

 皆が入って来た事で、ラルディミオンが目を細めた。

「エフィリス。貴女が居ながら、失態ですね」

「申し訳ありません、ラルディミオン様」

 キース達を、バトンを構えたまま牽制しつつラルディミオンに謝罪の言葉を述べたエフィリス。彼女の表情は相変わらず無表情で、口は真一文字に結ばれているのだが、謝意は伝わってくる。

 それでもラルディミオンが反応を示す事はなく、彼はエフィリスの前に立つとキース達を見据える。

「ここが神聖なる神の城だと知っての行動ですか。何用でこちらに?」

「決まってんだろ。探し物と抗議だ」

 力強く言い放ったキース。

 探し物は当然リクスの事だ。そしてもう一つの目的は、女神ヴェルミナに意見する事。

 階段上にいるヴェルミナを見上げ、ミレニスは一歩近付くと声を張り上げた。

「女神ヴェルミナ! 世界の調和は女神の役目だろう! 何故、放棄するのだ!?」

 真っ直ぐなミレニスの声と言葉。

 冷たい目で見下ろし、動向を眺めていたヴェルミナは、目を細めて笑った。その顔は笑顔などではなく、まるで滑稽だとでも言うよう。

「放棄などしていません。これは決められた事です。ベルティエラが消えるまで、私が手を加える事はありません」

 言葉に、表情に、ミレニスは目を閉じて奥歯を噛み締める。何かを押し殺すかのように。

「それにしても、どのようにしてエアリスへ……いえ、訊ねる必要はありませんね。ラルディミオン、後を頼みましたよ」

「はっ」

 ヴェルミナが静かに目を閉じると、空気に溶け込むかのようにスウッと姿が消えてしまった。

「待て!」

「待つのは貴方達です」

 ヴェルミナのいる階段の方へと駆け出そうとしたミレニスの前に、すかさずエフィリスが立ちはだかった。バトンの先端をミレニスへ向けて牽制している。

「退け。僕はまだヴェルミナに話がある」

「許可できるとでもお思いですか」

「押し通るまでだ」

「貴方達にはここで果てていただきます」

 一触即発の張り詰めた空気に、誰かが生唾を呑んだ。

 先に動いたのは、ミレニスだ。

「迅雷-ヴォルテックビート-!」

 薙刀の刃を床にあてれば数本の雷が地面を奔るようにエフィリスへと向かっていくが、エフィリスはバトンを縦回転させ上空へと放り投げる。

「銀の氷刃-アージェントオルム-」

 回転するバトンから氷の結晶が放たれ、雷に当たると氷は爆発するように砕け散り、砕氷が霧のように辺りを埋め尽くした。

 一瞬で視界には何も映らなくなり、何も見えなくなった。

「リクス、今だ! 来い!」

 だが、聞こえてきたキースの声が導のように響き、声から方向が推測できる。後は、走るだけだ。

 そう思い駆け出した直後、不意に見えた人影とぶつかってしまった。それがラルディミオンだと判った瞬間、ラルディミオンの手がこちらへと伸びて来た。マズい。未だ枷で手を拘束された状態で、捕まれば逃げる事など出来ない。何とか、少しでも遠くへ行かなければと思った時、ラルディミオンの手が枷に触れ、手枷が光の粒子になって靄の中へ消えていった。

「え……?」

 訳が分からずにラルディミオンを呆然と見れば、彼はただ笑みを浮かべている。そして、口が少しだけ動いた。耳に届いた直後、すぐに靄によって姿が見えなくなり、促すようなキースの声にハッとすると、踵を返して再び駆け出した。

 開け放たれたままの扉から空気が抜けているおかげで扉から出ると靄が晴れ、そこで皆と合流すると、再会を喜ぶ暇も話をする暇もなく入り口へと向かって走って行く。

 真っ直ぐに伸びる廻廊を走り続け、長い廊下の先にある扉を潜ると階段があった。そこは最初にリクスが着いた広間だ。階段を駆け下りて入口と思われる扉へと近付いた時、突如として扉が床の方から凍りついた。

 エフィリスが追いかけて来ているのだろう。

「くそ、これでは……」

 道が塞がれてしまった。ディラルドの神術で氷を溶かしてもらう事も出来るが、氷は扉全てを覆い尽くしている上に、その厚さは重厚な扉の何倍にもなる。術で術を解除する事も容易ではない。

 このまま追いつかれればどうなるのか――想像に難くない。何とか逃げなければ。

「一度、身を隠してやり過ごすしかあるまい」

「それはダメだよ。ここの空気は特殊で、どこにいても見つかっちゃうんだ」

 どこか別の道を探して城から出なければ、リクス達が助かる事は出来ない。とにかく、広間に居るよりどこかの通路に入るべきだと思った時、不意にスフィアが扉に向かって右手側にある、横へと真っ直ぐに伸びる通路へ駆け出した。

 どうしたのかと、思案している余地はなかった。一刻も早くこの場を離れるべきだと、スフィアを引き留める時間すら惜しい。だから何も言わず、合図さえもする事無く、スフィアの後を追いかける。

 その道は、ヴェルミナの居た最奥へ続く廊下とは違って、細く長く伸びている廊下。走る靴音だけが響き渡っている。流れる景色は変わらぬ壁と柱で、けれども時折スフィアは数瞬立ち止まって辺りを見回すと、右へ左へと道を曲がる。どこを目指しているのかは定かではないが、どこかを目指しているというのは確実で、ただついて行く事しかリクス達には出来なかった。

 そうして幾度か道を曲がり、真っ直ぐに走って行けばいつの間にか、壁のない柱が立つだけの通路へと出た。左右の開けたその通路は、花の咲き乱れる花畑を割るように設けられている。

 花の甘く芳しい香りが溢れ、花びらがヒラヒラと舞う美しい光景が広がっている。花畑をリクスは呆然と見つめ、速度が落ちた。

「リクス!」

 しかし、キースに叱咤され腕を引かれた直後、通路の両側に氷の花が咲いたかと思うと爆発して氷の礫が四散してリクス達を襲う。

 再び駆け出しつつ、キースは舌打ちをした。

「ちっ。姿は見えねえってのに……どんだけ攻撃範囲広いんだよ!」

「遠距離であろうと、場所さえ特定できれば届かせる事は出来ます。要は、紋章を展開させた所で発動するだけですから」

「エアリスから出ないと、どこにいても攻撃が届くってことだよね」

「判ってんなら止まんな。全部、後で聞いてやるから」

「……うん」

 前を走るキースの表情は見えず、その声音から感情を読み取る事も出来ない。

 今は、考えないようにしよう。恐怖に、立ち止まる事は許されない。全てはエアリスを出た後だ。

 数十メートル続いた通路はやがて、木々の茂る森の中へ入り、そしてぽっかりと空いた洞窟内へと入った。洞窟に入ると柱と天井はなくなり通路だけが更に奥へと続いていて、幾何か走った頃、暗闇を抜けた。

 淡い、エメラルドグリーンの光が下方で輝いている、楕円形の上下に広い空間。中央に浮かぶ、祭壇を切り取ったような四本の支柱で支えられたランタン型の建物。そこに向かって伸びる通路以外には何もないその空間。

 思わず、足を止めた。

 道を外れればどこまでも落ちてしまいそうなその場所で、恐怖を抱かずにはいられない。

 絶句している一同を尻目に、スフィアだけが中央へ向かって歩みを進める。

「スフィア、大丈夫なの……?」

 恐る恐る声をかければ、エメラルドグリーンの光にキラキラと輝く銀髪を揺らしながら、スフィアは振り返った。

「平気。みんな来る、大丈夫」

 全員で乗っても何の問題もないと言うスフィア。実際にスフィアは平然と歩いていて、立ち止まっていられる時間もない。

 ランタン型の建物に向かって、一歩、足を踏み出した。竦み上がりそうな高さに加え、底が見えないという事が恐怖を増しているように思う。

 幅二メートル程の道を歩けば辿り着いたその場所は、四角形の床の中央に円形の台座が設置されただけのシンプルな造りとなっている。

 この場所に、リクスもキースも見覚えがあった。

「ねえ、キース。ここ、似てるよね」

「ああ。水晶はねえが、同じだな」

「知っているんですか?」

「ああ、いや、知ってるってほどじゃねえよ。ただ、見たことあるってだけで」

 エアリスへと来る前に霊峰の頂上で見たものも、天井こそなかったが同様の造りをしていた。

 もしかしたら、という思いはある。

 そうしていると、スフィアが台座の上に乗った。

「ここ」

 乗れと言っているのだろうか。

 見た目よりもずっと広い台座には、十人は軽く乗れそうだ。

「ここまで来てしまったのだ。スフィアを信じるしかあるまい」

「だね」

 ここで反対する者など居ない。これまで、スフィアの突発的な行動で何度も救われているのだ。彼女を信じている。

 だから台座の上に皆が乗ると、足元が淡く光り、複雑な紋様が浮かび上がった。そして次第に光は強くなり、皆の体を包み込む。

「ラーフィア」

 視界が光に包まれた刹那、一瞬にして暗闇へと変貌した。あまりの落差に目が慣れない。

「どうなったの……?」

「真っ暗」

「おい、無事か?」

「皆さん、ここにいますか?」

「無暗に動くな。全く、こんな時くらい大人しく……誰だ、今、僕の足を踏んだのは!」

「あっはっは。ホントに何も見えないねえ」

 近場から声が聞こえるだけで誰がどこにいるのかも見当がつかないが、声を聞く限り全員が無事に近くに居るのだと判り、とりあえずホッと安堵する。

 それから少し経つと漸く目が暗闇に慣れ、僅かな光を感知する事が出来た。

 淡く蒼い仄かな光が、ぼんやりと下方から湧き出すように立ち上っている。その光が照らし出しているのは、四本の支柱に支えられた四角い床と円系の台座。リクス達は今、台座の上に立っている。そして、周囲はタイル張りの床に洞窟の様な岩肌の壁。

 呆然と、リクスは辺りを見回す。

「ねえ、キース。やっぱりここ……」

「ああ、間違いねえ」

 見間違える事など有り得ない。

 今回の旅が始まった場所。

 そして。

「スフィアと、初めて逢った場所だよ」

「ここで、スッフィーと」

「うん。今、俺たちが立ってるここに大きな水晶があって、その中にいたんだ。スフィアは、そのこと憶えてる?」

 静かに問いかければ、辺りを見ていたスフィアは哀しそうに眉根を下げ、振り返り頷いた。

 その表情は、今まで見たスフィアのものとは違っていた。

「憶えてる……スフィアは、ここで眠ってた。ずっと」

「……スフィア、キミは……」

 言いかけた言葉を呑み込み、リクスは頭を振ると台座から降りた。

「今は、とりあえず外に出よう。ゆっくり落ち着いて話がしたいんだ」

 とにかく今は心を落ち着かせなければ。正直、様々な事が重なって頭は混乱している。考える暇などなかったおかげで取り乱してはいないというだけに過ぎなかった。

 台座のある広間を出、薄暗い道を道なりに進んで行き、長い階段を昇って行くと眩い光が射しこんできた。

 光の先はやはり思い描いていた場所で、リクスとキースには見慣れた風景がそこには広がっている。木と土ばかりの小さな村。未だ焼け跡があちこちに残ってはいるが、何年も暮らしていたフィエスタだ。

 キースは、このままエレナに会いに行きたい気持ちをぐっと堪えて踏み止まる。

 それはリクスも同じだった。

 まだ、帰る訳にはいかない。フィエスタを出てから本当に沢山の事があったが、それでも村を火の海にした黒い者達の事は何一つ判明していない。まだ、帰れない。

「仕方ねえ。すぐにでも休みたいとこだが、ここから離れるぞ」

「良いのか。ここはお前達の……」

「大丈夫だよ。まだ先になるけど、必ず帰って来るから」

「……そうか」

 絶対に戻って来る。まだ、きっと皆の心も暗雲漂ったままだろう。だからこそ、村長は時間のかかるであろう威令を出した。皆が、心からリクス達を迎えられるように。

 だからフィエスタに背を向け、聖堂の方へと歩き出した。途中の分かれ道でグラファイトへと続く道の方へ曲がり、更にグラファイト方面から外れる道の方へ向かった。

 こんな辺境の地まで神官がわざわざ出向くとは思えないが、それでも念の為だ。

 自分達のゴタゴタにフィエスタやグラファイトを巻き込みたくはない。

 話をするのは、全てが終わった後だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ