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MEMOLIA LINK  作者: 氷滝 流冬
第一部 女神降臨篇
10/21

10 聖都

 ウェッジウッドから南に進んでどのくらい経っただろうか。何度か野宿をし、歩いて行けば見える景色が段々と白へ変わっていった。そして、雨のように降っている白い綿。不思議に思いながら触れてみると、水よりも冷たかった。

「これ、何?」

「雪だな」

「雪? 俺、初めてだよ。それって何なの?」

 興味津々といった様子のリクスに、自分ではこの好奇心を抑えられないと思ったキースはディラルドに助けを求めた。詳しく話すのであれば、やはり専門家に頼んだ方が良いと。

「雪と言うのは、大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が、空から落ちてきたものの事です」

「……どういうこと?」

「雨が冷やされたもの、という認識で良いと思いますよ」

 ニッコリと笑うディラルド。単純明快に答えてくれたディラルドは、呆れたという訳ではなさそうだった。リクスがなかなか理解できないスフィアに教えるのと同じように、理解できる範囲で説明してくれたという事だろう。

 だからそれ以上の事をリクスは訊かなかった。雪が白くて綺麗な事に変わりはないのだから。

 白くてふわふわとした冷たい雪にリクスもスフィアもテンションが上がっていて、雪を丸めて固めてみたり、サラサラとした雪を両手で掬って宙に舞わせてみたり、二人でキャッキャとはしゃぎながら遊んでいる。

 そんなリクスとスフィアを見守る側に、最年少のディラルドが居るというのは何とも不思議な光景だった。

 その後も真っ白な雪の積もった木々の間を通って行けば、その場所が見えてきた。

 聖都ウィスタリア。

 そこは透明なガラスのような、ドームのようなもので街全体を覆われているとても大きな街で、中に入った一行はその空気が他と違う事にすぐ気が付いた。

「何か、変な感じがするね……」

 街の中に居るのは、聖職者や参拝に来た人、そして鎧を着た兵士達。異様だと感じたのは、その兵士達のせいだろう。

「ねえ、あの鎧を着た人は何?」

 リクスの質問に、ミレニスは兵士を見て不機嫌そうに眉を顰めた。その表情は嫌悪をアリアリと映し出していて、まるで見たくはないものを見てしまったかのようだ。だからなのかミレニスはリクスの質問に答える気はないらしく口を噤んでいて、結局、答えたのはこれまた不機嫌そうなキースだった。

 キースの目も、ミレニス同様に不快の色を宿している。

「ありゃ兵士だ。聖都に兵士とは無粋だよな」

「そうですね。何だか怖いです」

 リクス達が異様だと思ったのは、聖都と呼ばれる地に似つかわしくないその姿だけではなかった。雰囲気もそうだが、纏っている空気が明らかに異質だ。

 ギスギスしていて、威圧感を放っている。それは巡礼者や聖職者達を目の敵にしているように見えた。それは行動からもよく分かるもので、巡礼者にわざとぶつかるように歩き、倒れた者に対して邪魔だとでも言うかのような視線を送り、聖職者の行く手を阻むなどと愚劣極まりない行いをしている。

 そんな光景を目の当たりにすれば、ディラルドが怖いと言うのも頷ける。

「だが何故、聖都と呼ばれる所に兵士が居るんだ」

 平和と安全の為に存在する、聖堂に属する騎士団のようなものであれば話は判るのだが、彼らの行動を見ているとそうではない事は明白で、だとするとこのような場所に兵士が居るのは不自然極まりない。

 そう言うと、ディラルドが答えてくれる。

「ここが王都でもあるからなんです。この先の広場を抜けた更に奥にリルアーテル城が建っていて、兵士は王に仕えている人達だからこうして治安維持の為に働いている、筈なのですが……」

 ディラルドの語尾が消えていったのは言うまでもない、この惨状のせいだ。

 これでは、城と聖堂が一つの街に存在している意味がないどころか、余計に治安が悪くなっている。

 何故このような事になっているのかをリクスが問うてみると、キースは溜息にも似た息をついて頭を掻き、話し始めた。

 元々この世界は王族が統治していたが、黒い戦慄以降から女神を信仰するようになった。女神に世界は救われたのだから当然だと言える。けれども、女神を信仰する者は増え続け、そして女神の教えこそが絶対だという考えが広まっていった。その結果、王族は衰退し、ただの象徴と成り下がってしまった。

 そして権力は完全に司祭達に移ったという事だ。

「だから兵士共は聖職者が気に食わないってわけだ」

 完全なる逆恨みというもの。それまで自分達が絶対だったのだが、そうでなくなったから腹いせに嫌がらせをしている訳だ。聖職者は他人を傷つける事は出来ないので、ただ耐える事しか出来ない。何も反発してこない事をいい事に、兵士は怒りをぶつけたり嫌がらせをしたりする事を決してやめない。

 完全な悪循環である。

 ドームで覆われている事が災いしていて、不穏な空気が籠っているからか街自体の空気もとても悪い。この中でずっと過ごしていたら気が滅入ってしまいそうな、そんな感じがしてリクスは身震いした。

 聖都が聞いて呆れる。この空気も悪循環の要因の一つなのだろう。

 聖都に来れば何か判るかもしれない。ディラルドはそう言い、皆も同意してこうしてやって来たのだが、この雰囲気では大聖堂の場所を堂々と訊ねる事は気が引ける。兵士に絡まれる事は勘弁願いたいものだ。

 街中では迂闊に行動できないので、ウィスタリアの聖堂へ向かう事にした。

 居心地の悪さを感じながら聖堂方面へ歩いていると、道の奥に慌てたように走っている一人の聖職者が見受けられた。

 彼はこちらへ真っ直ぐに走って来てリクス達の横を通り過ぎて行ったのだが、ハッとしたように急ブレーキをかけると慌てて引き返し、リクス達の前に立ちはだかるように立った。

「ヴェルミナ様!?」

 第一声は驚いたようなそんな叫ぶような声で、その目は完全にスフィアに向いている。

 またか、と思うリクスとキース。スフィアの容姿を見てヴェルミナと間違える事は確かにあるだろう。最初にリクスとキースも間違えたくらいだ。そして、ここは聖都。ヴェルミナを信仰している者なら、尚更その姿を見てヴェルミナだと思うのは当然の判断か。

 だが、当の本人はキョトンと首を傾げているだけだ。

 男性は一行の方へ来、そしてスフィアの前でしゃがみ、祈りのポーズをすると懇願するようにスフィアを見上げる。

「ヴェルミナ様! 無理を承知でお願いします! メルヴィーナ様を助けて下さい!」

 助けて下さいの一言に、リクスが逸早く反応を見せた。

「どうしたんですか?」

 訊ねたリクスに、それまでスフィアの事しか見えていなかったらしい男性は、突然話に入ってきた事に困惑している。

 それは目に見えて動揺していて、このままでは話を訊けないどころか不審者扱いされてしまいそうで、どうしたもんかとキースは思う。

 そんなリクスに救いの手を差し伸べたのは、ミレニスだった。

「僕らは供の者だ。彼女は話を聞くと言っている。構わない、話せ」

 何とも上から目線な物言いなのだが、若い司祭の男はそれどころではないのか気にした素振りなど見せず、今一度スフィアに頭を下げると、静かに話し始めた。

 私も聞いた話なのですが、と前置きをしてから始まった話。

 先日、ここウィスタリア近くの林で兵士が傷だらけで倒れていたのだと言う。そこに、聖都の司教であるメルヴィーナという女性が偶然にも通りかかった。司教メルヴィーナは救援を呼びに聖都に戻ろうとしたところで他の兵士と遭遇し、その兵士達は事情を聞かずにメルヴィーナが兵士を襲った犯人として連行、メルヴィーナは幽閉されてしまったと言うのだ。

「ひでー話だな」

「先程、司教と言ったな。そのような高位の者が、何故、罪を犯したと思われたのだ?」

 聖職者の中でも、神官に次ぐ権力を持った者が司教だ。仮にも聖職者、それも高位の司教が兵士に暴力を揮うなど考えられない。

 だからそのまま訊ねてみれば、若い司祭は目を伏せる。

「ご存知だと思いますが、最高権力を持っているのはヴェルミナ様を信仰している私ども司祭です。ですが、それが面白くない方もいるのです」

「貶められりゃそれでいいってか」

「愚劣な」

 直接、暴力を揮ってしまえば過失になる。

 だから誰も見ていない場所で起きた事件の犯人にしてしまえば、自ら手を下す事無く司祭達を失墜させる事が出来ると考えての事だろう。

 愚かの極みだ。

「何度、違うと弁解しても聞き入れてもらえず……司教様が聖域で暴力を揮ったとあれば、このままでは処刑されてしまう可能性も……」

「処刑?! どうしてそんなことになるの?! だってその人、何もしてないんでしょ?」

「もちろんです」

 無実で処刑など馬鹿げている。

 しかし、嘆いたところで何も変わりはしない、これが現実なのだ。聖職者が人に危害を加えるという事は死を持って償うべき事だと、神に仕える者がその教えを覆すような事をする事は許されざるべき事だと考えられており、処刑はある種の儀式のようなものであり見せしめでもあり、今後、二度とそのような事が起きないようにと教訓にする為のものだ。

 それは助けを求めてきた司祭にも判っている事。

 ただ、本当に無実なのだと知っているからこそ、こうして助け出そうとしているのだろう。

「でも、私がいくら無実だと言っても聞き入れてはもらえないので……」

「そんで、ヴェルミナ様に助けてもらおうってことか」

「はい。もう、それしか方法がなくて」

 自分でやってもどうしようもない事は神頼み。その精神は、司祭や女神信教を信仰している者達全てに言える事だった。それが、キースは好きではなかった。

 女神を否定する訳ではない。信仰している人達を否定する訳ではない。

 ただ、縋っているのが気に食わない。

 これはキースの持論だから他人に押し付けるような事はしないが、それでも目の当たりにするとやはり気分のいいものではなかった。

 自分では駄目だからヴェルミナ様に、スフィアに助けを求めた司祭の青年。けれどスフィアはヴェルミナではない。だから自分達は助けられないと、そう言おうとしたミレニスだったのだが。

「だが、彼女は――」

「分かったよ! 俺たちがその人のこと助けるよ!」

 遮ったのは勿論、リクスだ。

 また始まったかとキースもミレニスも溜め息をついた。

 リクスの良いところであり悪いところでもあるその性格。これも、好奇心に次いで困ったところである。

 人を助ける事は決して悪い事ではない。むしろ人としてはとても良い事だとは思う。だがしかし、こうも毎回助けていては旅の目的を忘れてしまいそうだ。そうは思うものの、反対しても意味がない事を二人はすでに理解しているので止める事はないが。

「本当ですか!?」

「うん。何もしてないのに処刑なんてやっぱりおかしいよ! だから俺たちがその人のこと助けるから、安心して」

 ニッコリと笑うリクス。

 司祭は戸惑うように瞳を揺らしていて、答えを求めるようにリクスの隣にいるスフィアを見るとスフィアも大丈夫と言うように笑って頷いていて、それを見ると顔を綻ばせた。

「よろしくお願いします」

 頭を下げた青年は聖堂に居ますので何かあったら来て下さいと言うと行ってしまい、残ったリクス達はその場に佇み、ミレニスが口を開いた。

「だが、助けるとは言ってもどうするつもりだ」

 その場のノリのように答えていたリクスに一応、訊ねてみた。

 いつも通り何も考えていないとは思うけれども、訊いてもいないのに決め付けるのは少々一方的な気がしたからだ。

 するとリクスはハッとしてから少し考え、そしてミレニスを躊躇いがちに見る。

「それは……やっぱり牢から救い出すんじゃないの?」

「貴様は馬鹿か。いや馬鹿だが」

「え」

 言い切ったミレニスにリクスは汗を浮かべて声を漏らしてミレニスを見ている。あまりにもハッキリと言われた為に、一瞬、何を言われたのか理解できずに戸惑っているようだ。

 しかしながらミレニスがリクスのフォローをする事はなく、そのまま気にせずに続ける。

「そんな事をすれば、罪を認めているのと変わらん。第一、司教ともあろう者が牢から逃げるなど言語道断だろう。それこそ処刑ものだ」

「あ、そっか……そうだよね。ごめん、変なこと言って。でも、処刑なんて俺、見過ごせなくって」

「焦る気持ちは分かるが、焦っていても何も解決しない。冷静に状況を見て判断する事は必要だ」

「うん……ごめんね」

 冷静じゃないと見えないものもある。今のリクスに必要なのは冷静に物を見る事なのかもしれない。

 ミレニスに言われて、少ししゅんとするリクスにミレニスは息をついた。

「別に責めている訳ではない。それに、貴様の無鉄砲になら振り回されるのもいいと思っている」

 言ってから、ふと今、自分が何を言ったのか気付いて思い返したミレニスはハッとして口元に手を当ててリクス達を見た。リクスとスフィアとディラルドはキョトンとしているのだが、キースが楽しそうに笑っているのが見えてミレニスはしまったと思うがもう遅い。

「今のは、特に深い意味はない」

「ほーぅ、深い意味はない、ねぇ。ふ~ん」

 からかうようなキースに、ミレニスは顔を背けて顔を見られないようにしていて、それがかえってからかう材料になってしまっている事に気付けないほど慌てているようだ。

 ミレニスにしてはとても珍しい光景で、そしてとても大きな一歩を進んだ事をスフィア以外は分かっている。

 そんな空気を壊すかのように、ミレニスは更に言葉を続ける。

「とにかく、真犯人を見つければいいだけの話だ。その為には、手掛かりを見つける必要がある」

「では、林に行ってみるのですね」

「それが良いだろう」

 話は纏まり、聖都近くの林へと向かった。

 例えリクスが突っ走っても、ミレニスというストッパーが居てくれて、ディラルドと共に冷静に状況を判断してくれる。今まではキースが止めていたけれども、強く出る事が出来なかった為に、リクスには良い環境になったなとキースは思った。

 この経験が成長に繋がってくれればと、そう思っている。


 聖都から出てすぐの雪に覆われた林の中。中に入って捜索を始めたリクス達だったのだが、リクスは手がかりを探しながら疑問をぶつけてみた。

「ここで襲われたって話だったけど……こんな所を探って犯人が判るの?」

「何もない今、現場を探るのが一番だ」

 聞き込みをしても、ウィスタリアには巡礼者と兵士と司祭くらいしかいないのだから話をしてもらえそうにはない。それに、兵士に見つかって尋問されるのは避けたいものだ。

 だからこうして現場に来てみて、それぞれ探っているのだから。

 そうして各々行動していると、ディラルドはとある木の根元に光るものが見えてしゃがみ、太陽の光を反射して煌いたものを手に取って見る。

 それはシルバーのペンダント。どうやらロケットになっているらしく、開いてみると文字が彫ってあった。

 文字を読み、ハッとするとディラルドは立ち上がってバラバラに散っているリクス達を振り返った。

「リクスさん、ミレニスさん、キースさん、来て下さい」

 呼びかければすぐに、スフィア以外の皆がディラルドの傍に集まった。

「皆さんは、ドッペルゲンガーというものをご存知ですか?」

 唐突な話に疑問符を浮かべたのだが、ディラルドが話し始めたという事は何かあるのかもしれないと思い、キースが答える。

「ドッペルゲンガーってあれだよな、もう一人の自分で、会うと死ぬって言う」

「ええ。僕達学者の間では、ドッペルゲンガーは魔物の仕業ではないかという説があるんです」

 ドッペルゲンガーとはお伽噺や噂のようなもので、存在しているというような話を聞いた事はあるが、それが魔物の仕業だという話は初耳だった。

 しかし、魔物が何で出来ているのかという話をハイネスから聞いていた為に、信憑性は決して薄くないだろうと思う。

「ヴィーヴルという魔物はガーネットの瞳をもっていて、その目を見た者の姿を自らに映すといいます。それがドッペルゲンガーの所以だと」

 そこまで話してから、ディラルドは陰りのある笑みを浮かべ、少し離れた所にいるスフィアを見てからリクスを見やる。その行動から、ディラルドが何か躊躇っているように思えたリクスは率直に訊ねた。

「どうしたの? ディラルド」

「あ、いえ、この先は出来ればスフィアさんには見せたくないので、黙っていてもらえないでしょうか」

 これから起こるであろう事を、ディラルドは予測しているのだろう。それはスフィアには見せられず、出来れば知られたくないとディラルドは思っている。唯一の女性だからという事なのだろう。

 だから了承するように頷くと、ディラルドは先を続けた。

「実は、ドッペルゲンガーを見たら死んでしまうという話にも理由がありまして、それが」

 言いながら、腰から下げているワンドを手に取った。

 そして詠唱をすると赤い火の紋章が樹の根元に現れ、炎が燃え上がり周囲の雪が見る見るうちに融けていき、雪の下にあったものがその姿を現した。

 木の根元に寄り掛かるように座った状態でそこにあったのは、辛うじて原型を留めているだけの兵士の無残な姿だった。体中を引き裂かれ、心臓は抉り出されていてぽっかりと穴が空いている。被っている兜からそこに頭があるという事が判るだけで、顔の判別など出来る状態ではなかった。

 その姿をスフィアに見せたくないからと、スフィアを外したディラルドの配慮は正しかったと思う。

 リクスも、キースやミレニスでさえもあまりの惨さに眉を顰めているのだから。

「ヴィーヴルは、姿を映した者を喰らいます。魂をも喰らい、そしてその人物に成り代わる」

「っ! じゃあ、運ばれたっていう兵士の人は……!」

 姿を映した者に成り代わる。元になった人物がここに居るという事はつまり、今、城の中にいる兵士は成り代わった魔物だという事になる。もしヴィーヴルが城内で暴れでもしたら、目の前にいる兵士のような犠牲者がもっと増えるという事だ。

 魔物は通常、メルクリウスの設置されている街中に入る事が出来ない筈なのだが、そう言い切る自信は正直なかった。リクス達はノヴァーリスの惨状を見ており、ディラルドもその話を聞いて知っていたから。

「とにかく、すぐに戻ろう。処刑どころの騒ぎではない。このままでは、街が壊滅する」

 聖都には無防備な人間が多すぎる。聖域に居るという事が過信と慢心になっている筈だ。このまま放っておけば、全員が餌食になるのも時間の問題だった。

 すぐにウィスタリアに戻る事を決めると、リクスはスフィアの許に向かった。

「スフィア、すぐウィスタリアに戻ろう。犯人が判ったんだ」

 そう伝えたのだが、スフィアは次の言葉を待つようにリクスを見ていて、リクスはそのまま言葉を紡ぐ。

「魔物の仕業だったんだよ。倒れた兵士の人になって、今ウィスタリアにいるんだ。街にいる人たちが危ないから、俺たちが何とかしないと」

「その人は?」

 真っ直ぐに金の瞳に見つめられて、スフィアから視線を外したリクスは自嘲気味に笑った。

「ごめん、俺、キミに隠し事はできないみたい……」

 ディラルドと約束をしたのに。

「その人は亡くなったよ。魔物に殺されたんだ。でも、街の人たちがそうならないように、俺たちでみんなを護る」

 視線をスフィアに向ければスフィアは優しく微笑んでいる。

「ありがと、リクス。スフィア、一緒がんばる」

 まさかこんなにすぐにスフィアに話すと思っていなかった為にディラルドは苦笑し、ミレニスはやれやれと溜め息をついている。

 けれどもキースだけはそんなリクスを見て笑みを浮かべた。

 リクスはあれでいいのだと。

 すぐに戻って来たウィスタリアで、脇目も振らずに倒れた兵士が運ばれたという王城を目指していると、見えてきた城門の両脇には兵士が居て、近付けば案の定止められた。

「すみません、通して下さい!」

「何用だ。許可のない者は王城へ入る事を禁ずる」

「急用なんです!」

 叫ぶようなリクスの言葉に、門番の兵士達は耳を傾けようとはしない。

 兵士とはこういうものだという事をよく知っているらしいキースとミレニスは呆れた様に目を眇めている。緊急事態なのだから事情を聞いてくれても良いだろうと思うが、兵士の頭は硬く、規則以外の行動を取る事は出来ない。

 しかしそれでも通らなければならない為に、ディラルドが一歩前に出てブローチのようなエンブレムを持って兵士に見せる。

「僕はディラルド・エスティーダ。アリスハイト神獣研究所の博士です。アリスハイトより使者として遣わされました。ここを通して頂けませんか」

「し、しかし、そのような話は……」

「僕は博士です。アリスハイトの学者は全て僕の部下ですよ。あなた方の愚かな行為でアリスハイトがその機能を停止させても構わないと言うのであれば、断って下さって結構です」

 ニッコリと笑いながら言うと兵士達は困ったように顔を見合わせ、自分達の領分ではないと言うかのように道を開けて門の両側に姿勢を正して立った。

 行く手を阻むものがなくなり、ディラルドが王城へと入って行くので皆もそれに続く。

「ディラルド、ありがとう」

「いえ。あのように権力を振りかざすのは好きではありませんが、非常時ですから」

 やはり笑みを浮かべているディラルドだったが、その笑みが陰っているように見えるのは気のせいだろうか。

 そんな事を思いながら先頭を切ってエントランスから伸びる横の道へと入って行こうとしたリクスを半眼で見ながら、ミレニスは制止の声を投げかけた。

「城内へ入ったのは良いが、どこに向かう気だ」

「え、えっと……どうすればいいかな?」

 何も考えていないのに動こうとしていたのかと思うと溜め息が漏れる。もう慣れたものではあるが、それでも溜め息は出てしまうものだ。

「この手の城は、門から真っ直ぐ進めば謁見の間になっている筈だ。そこに王が居る可能性は高い」

「そっか、じゃあ謁見の間に行けばいいんだね」

「ああ」

 ミレニスの言葉通りに奥へと進んで行き、見えた仰々しい扉を開けて謁見の間へ入ると奥の玉座には誰もおらず、玉座の隣には色素の薄い金髪の若い男と、大臣らしき髭を生やした男、そして兵士が数人いた。

 リクス達が入って来た事に気付き、顔を顰める大臣らしき男。

「何者だ、お前達は!」

 不法侵入だと剣を向けてくる兵士達。しかし、リクスは臆する事無く大臣の男を見据えた。

「メルヴィーナさんは無実です」

「無実だと? あの者は司教でありながら兵士に危害を加えた。立派な犯罪者ではないか!」

「だから、それが違うんです。兵士を襲ったのはメルヴィーナさんじゃなくて、魔物なんです!」

 驚きに目を見開く大臣と兵士達。しかしすぐに、そんな戯言を聞く気はないと怒鳴り声を上げる。

「我々を愚弄する気か! この聖都の周りは聖域となっている。聖域に魔物が入れる訳なかろう!」

「いつの話をしてんだ、おっさん。今の魔物は平気で街も襲うぜ」

「この地はすでに、聖地ではない。魔物が入り込むのも容易いだろう」

 キースとミレニスの両者に睨まれて、「ぐっ」と声を詰まらせる大臣。それでも喚く様に声を出す。

「だが、証拠がない。魔物がやったという証拠がなければ、あの司教は処刑だ!」

「待って下さい! 今はそんなことをしてる暇なんかないんです!」

「何?」

「林に倒れていたっていう兵士は今どこにいますか? その人は、魔物の可能性があるんです!」

「何を馬鹿な。そのような事、ある筈がないだろう!」

 ここまで話をしても一向に聞く気のない大臣に、リクスは焦り、キースは眉間に皺を寄せ、ミレニスは苛立ちを募らせている。

 このままでは埒が明かないと、ディラルドは林で拾ったロケットを見せた。

「このペンダントはその兵士が倒れていた場所に落ちていました。これは彼のものではないんですか。それに、このペンダントの傍には遺体がありました。彼はすでに亡くなっています」

「な、何だと!」

 これだけの事実を突きつけられれば、でっち上げで処罰しようとしていた大臣には取り繕う言葉も言い訳もなくなり、取り乱し始めていた。もし、リクス達の話が真実ならばという疑念が生まれた証拠だ。

 踏み込むなら今しかない。

「教えてください、その人は今どこにいるんですか? その魔物は人に化けて人の魂を喰らいます! もたもたしてると、みんなが死んでしまうんです!」

「……そ、そ奴なら……」

 漸く大臣が口を割ろうとしたその時、耳を突くような悲鳴が突如、城内に響き渡った。それは甲高い女の悲鳴。

「ちっ、遅かったか」

「行こう、みんな!」

 こうなれば大臣の返事を聞いている暇などないと、来た道を戻り、謁見の間を後にした。

 悲鳴が上がったという事は、何事かと人が集まる筈だ。そして、そこには必ず魔物がいる筈だと兵士達が向かう先を目指して行くと、エントランスから右手に向かっている廊下の途中で立ち止まっている兵士達が見えた。更にスピードを上げる。

 呆然と立ち尽くしている兵士達の間から、それが見えた。

 同じ顔をした、ミントグリーンの髪のメイドが二人。

 一人は狂気したように笑っていて、もう一人は怯えて床に座り込んで涙を流している。その様子を見て、兵士達は何がどうなっているのか理解できないと立ち往生していた。

 どちらが魔物なのかは一目瞭然。

 だからリクスとキースは剣を引き抜き、ベル、薙刀、ワンドを各々出すと握り、メイドの方へと向かって行く。

「みんな、下がって!」

 リクスの声に振り返る兵士の間を抜けて、リクスは向かって左側、扉が開いている部屋の方に立っているメイドを見やる。狂気の笑みを浮かべるメイドを斬りつけると、座り込んでいるメイドを庇うように立った。

「これ以上の混乱は避けるべきだ」

「だな。ここで始末するしかねえ」

 遅れて着いたキースとミレニスもリクスの傍に立ち、武器を構える。

 始末するとは言っても、狭い廊下で戦うのは骨が折れる。戦えそうな場所と言えば、門から入ってすぐのエントランス。あそこならば申し分ない広さはあるのだが、何も知らない者が入って来れば混乱は更に広がってしまう。それは、何としても避けなければならない。

 だとするならば、斬りつけた魔物メイドのすぐ後ろにある部屋がいいだろうか。

「リクス、奴を部屋の中に。ここは危ねえ」

「分かった」

 背中越しに聞こえてくるメイドの泣きじゃくる声に目を細めると、リクスは目の前にいる魔物メイドに向かって行き、横、縦と斬りつけ、剣先を向ける。

「閃光波!」

 ゼロ距離からの光のビームに魔物メイドは吹き飛んで部屋の中へ入って行くと、部屋の中央に設置された長机にぶつかり、それでも勢いを殺す事なく窓側の壁にぶつかった。

 魔物メイドを追って中に入ると、部屋三つ分ほどの広さがあった。これならば存分に戦えるだろう。

 キースは誰もこの部屋に近付かないよう兵士に言い、リクスに続いて部屋の中へと入った。

 部屋の中には、無残にも喰われた死体が一つあり、死体を見てしまったリクス・キース・ミレニスの三人は思わず眉を顰める。その後ディラルドが入って来て、更に後からスフィアが入って来ようとしたのを、ディラルドは寸での所で止めた。

「スフィアさん。その方を安全な所まで連れて行ってはもらえませんか?」

 未だ床に座って泣きじゃくっているメイド。恐怖から、涙が止まらないのだろう。他の兵士達も、魔物を見た衝撃からか動こうとはしておらず、スフィアは素直に「うん」と頷いた。

「ありがとうございます」

「……ディラルド、スフィア平気。隠す、ヤだ」

 真っ直ぐにディラルドを見る目には一点の曇りもなくて、リクスがすぐに話してしまった理由を知ったような気がした。この目を前に、嘘をつく事は気が引ける。例えそれがスフィアの為でも、隠し事など出来なかった。

 それでも、ディラルドは首を横に振る。

「すみません。でも、僕はあなたが好きなので、やはりお見せしたくはないんです」

「……わかる無い」

 意味が理解できずにキョトンとしながら首を傾げるスフィアを見て、ディラルドはいつもの愛らしい笑みを浮かべた。

「いつか必ずお話します。ですから、今はお願いしてもいいですか」

「わかった……ディラルド、ありがと……行こ」

 言ってディラルドに向かって微笑を浮かべると、スフィアはメイドを立たせて城の入り口の方へと歩いて行った。その後ろ姿を見て笑みを浮かべ、ワンドを握り直して部屋の中へと入って行った。

 戦いは熾烈を極めているらしく、それぞれの体のあちこちに傷が見える。

 傷を負っている原因は、長く太く伸びた爪だ。

 リクスは額から流れ出ていた血を腕で拭い、改めて魔物を見る。未だメイドの姿をしていてどうも戦いにくい。

 その時、不意に視界がぐらついた。頭をやられたせいだろうか。

「リクス!」

 キースの声が聞こえた直後、突然、視界が暗くなった。目を瞑ったからという訳ではない。目の前に何かが――メイドの顔があったからだ。

「リクスさん、目を見ては駄目です!」

 詰め寄られたのだと一瞬で気付いて、ディラルドの言葉に目を瞑る。

 リクスの目を見る事が出来なかったからだろうか。魔物はその腕を揮うとリクスの体を引き裂き、そのまま吹き飛ばした。咄嗟に剣を手放し駆け出していたキースは、リクスが飛んでいく方へと猛ダッシュして回り込み、その体を受け止めた。

 そして、キースと同時に飛び出していたミレニスが魔物の目を薙刀で斬りつける。

 すると断末魔を上げて目を抑えている魔物の姿が、メイドから、黒いゴブリンに蝙蝠の羽を生えさせたような姿へと変化した。あれが本来の姿なのだという事を知り、ミレニスは薙刀についた血を振って払うとリクスを横目で見た。

 リクスを受け止めたキースは、右膝を床について腕の中にいるリクスを見やる。

 腹部から鮮血がドクドクと流れ出し、真っ白な服が赤黒く染まっていて目を細めた。

「ディラルド、リクスの手当てを頼む!」

「は、はい!」

 詠唱を始めようとしていたディラルドに声をかけると、慌てたようにディラルドは返事をしてこちらに来ようとしていた。けれど。

「待って、ディラルド」

 掠れたような声に制されてその動きを止めた。

 キースも自分の下から聞こえてきた声にハッとして腕の中を見れば、リクスが辛そうに眉を顰めながらも笑みを浮かべてキースの腕から抜けようとしていて、キースは更に声を上げる。

「な、お前、何してんだ! 無理すんな!」

「俺は大丈夫だよ。見た目ほど深くないから」

 言って、ニコリと笑うリクス。

 その額には汗が滲んでいて、平気ではないという事などすぐに分かる。血の量からしてもそうだ。未だ滴る血は留まる事を知らず、動けば溢れ出る事は容易に想像できる。

「そんなわけあるか! その体で動けるはずねえだろ!」

「でも、今、動かないと、みんなが危ないから。あいつ、強いよ。俺どころか、ディラルドまでいなくなったら、やられるのも時間の問題だ。それは避けるべきでしょ?」

「それは……」

 喋るのも、息をするのでさえ辛い筈なのに、リクスはキースの体を支えに立ち上がると、キースの肩から手を離し、少しだけ振り返って口元に笑みを浮かべたままキースを見やる。

「大丈夫だよ。すぐに終わらせれば問題ないから」

 今までにない、リクスの自信溢れるような言葉。

 それは信頼からくるものだろうか。

 キースは息をつくとその場で立ち上がり、リクスの前に出る。

「もし倒れでもしてみろ。その時は、説教じゃ済まねえからな」

「それは絶対、倒れるわけにはいかないね」

 答えを聞き、キースは床を蹴ると床に転がっている剣を掴み、そして魔物――ヴィーヴルへと向かって行った。

 向かう途中で衝撃波を打ち込むと、それを見たミレニスがヴィーヴルと間合いをとった。

 これまで一人でよく持ち堪えてくれたとキースは思い、キースは剣を握ったまま目を閉じる。

「そよ風の癒し-ウェントス・レーニス-」

 キースを中心に柔らかな風が吹いた。すると、皆の疲れがとれ、肩で息をしていたミレニスの息苦しさも消えていた。

「よく頑張ったな」

「……煩い。礼など言わんからな」

 相変わらず素直ではないミレニスを見たその奥で、衝撃波を受けただけのヴィーヴルがこちらへ向かって来ようとしている姿を捉えた。キースもミレニスも剣と薙刀を握り直す。

 そこへ。

「渦巻く気炎-ハイスヴィアベル-!」

 炎塵が渦を巻いてヴィーヴルを取り巻き、その体を熱の中に閉じ込めている。触れれば焼ける渦に近付く事が出来ず、立ち往生しているヴィーヴル。

「僕が動きを止めますので、その間に攻撃して下さい!」

 ここ数日、道中で何度か戦闘をしただけで随分逞しくなったものだと、キースもミレニスも思った。

 出逢った当初は戦闘の仕方すら知らず、キースに指示を仰いでいたと言うのに、今は戦術の立て方やタイミング、神術の選択の仕方などを覚えたらしく他の者達に劣る事無く戦えている。

 ディラルドの神術によって動きを止めた今が、懐に入るチャンスだ。そう感じ取り、キースとミレニスは、床を蹴って間合いを一気に詰めた。

 三人の戦闘の様子を見ていたリクスは、腹部をずっと押さえている。

 思っているよりも血の量が多い。抑えている手を離したら体中の血液が全て流れ出てしまうのではないかと思うほどに。

 けれど、今は構っている暇なんかない。痛みを通り越して燃えるように熱い腹部だが、それを気にしている余裕もない。

 隙が出来たからと言っても、ここまで深い傷を負わされた事は事実だ。

 そして、この勝負を決めるのは一瞬。

 決定打を与える事が出来た時に決まるという事をリクスは何となく理解していた。どうしてそんな事が判るのかなど説明は出来ないけれど、リクスにはそう思えて仕方なかった。

 だから、狙うのは一瞬だ。

 ヴィーヴルは片目をやられている為に、キースとミレニスの攻撃と、ディラルドの神術が次々に命中していく。それでもやはり決定打となってはいないようだった。だからリクスは剣を床に突き刺した状態で立ったまま目を閉じる。

 マテリアを集中させると、リクスの足元に白い光の紋章が現れた。

 ぽたり、ぽたりと血が滴っているのが分かる。けれども集中を切らす事はない。この一撃に全てを込める為に。

「雷閃衝!」

 薙刀を高く掲げると電気が刃先に集中し、地面に突き刺すと電撃が向かっていく。

「空刃!」

 衝撃波が向かっていき。

「炎威の弾痕-フレアバースト-!」

 出現した紅い炎の紋章から炎の弾丸が撃ち出され、ヴィーヴルへと向かっていく。

 電撃に貫かれ、衝撃波に撃ち抜かれ、炎の弾丸はぶつかった瞬間に爆発するように弾けた。

 遠距離からの攻撃だという事は音だけで判り、皆が離れている今がその一瞬だと判断したリクスは目を開いた。

「天より降り注ぐ光の矢! 流光牙-フリーセントアクティース-!」

 ヴィーヴルの頭上に現れた巨大な白い光の紋章。その周りを取り囲むように出現した無数の小さな光の紋章は全てヴィーヴルの方を向いていて、小さな紋章に光が収束すると紋章から一斉に光の矢が放たれてヴィーヴルの体を貫き、そして巨大な紋章から強大な光が照射された。

 断末魔の叫び声が城内に響き渡り、光に中てられたヴィーヴルは砂となって消えていく。

 それは数秒にも満たず、全て消え去り叫び声の余韻が消え、静寂が戻る。すると、カシャンと金属が落ちる音がしてハッと音の方を見るとリクスの手から落ちた剣が床に転がっていて、そしてリクスの体がゆっくりと前方に倒れていくのが皆の目に映った。

「ッ、リクス!」

 キースは即座に床を蹴ってリクスの前に回ると、もたれかかるように倒れてきた体を支えてやる。

 名を呼ばれた事と支えてもらった時の衝撃で薄っすらと目を開けたリクスは、そっと微笑を浮かべた。

「ごめん、最後の最後、倒れちゃった……」

 荒い息を肩に感じながら、キースは息をついて目を閉じる。

「……ばーか。戦闘終わった時点で無効だよ」

「そっか……良かっ――」

「ただし、説教はするからな」

 どうやら今回の件でキースは相当怒っているらしく、リクスが怪我人だからと容赦するつもりはなさそうだ。

 あははと苦笑を浮かべながら、リクスは更にキースに体重を預けていて、これは本格的にマズいと感じ取ったキースはリクスを仰向けに床に寝かせた。するとすぐさまディラルドがやってきて、治癒術をかけてくれる。

 戦いの音が止み、静寂を取り戻した城内。戦闘が終わったのだという事を知ったのだろうスフィアが部屋の中に入って来るなり、すぐさまディラルドと共に治癒術をかけてくれた。

 そうしていると、謁見の間で会った大臣が部屋に入って来た。

「これは、本当に……」

 部屋の中を赤く染めている、おびただしい程の血。部屋の中に無残に放置されていた死体はすでに、野次馬のように寄って来ていた兵士に弔うよう伝えてあった為にこの部屋からは連れ出されていた。

 しかし、床に落ちている大量の砂が、魔物が退治された事の証明であり、部屋の周辺にいる兵士やメイドはその目で魔物の姿とリクス達が戦っていた事を知る目撃者であり証言者だ。犠牲者となった者もいる為に、最早、無視を出来る状況ではない。

 追い討ちをかけるように、ミレニスが大臣を見据える。

「これで分かっただろう。今回の件の犯人は、魔物だ」

「司教様を解放していただけますね」

 有無を言わせぬディラルドの言葉に、渋々といった様子ながらも了承の言葉を告げると、傍にいた兵士にその旨を伝えている。

 兵士が出て行ったのを見届けてから、ミレニスは更に言葉を紡ぐ。

「それと、頼みがある。今回の魔物討伐にあたって仲間が傷を負った。治癒術をかけているが回復までには時間がかかる。休める場所の提供を願いたい」

「……ウィスタリアの危機を救ってくれたのだ。許可しよう」

 こちらもやはり、渋々といった様子だった。

 本当はそのような事を認めたくはないが、助けられたのは事実であるし、多くの者が見ている手前、邪険には出来ないといったところだろう。

 そんな言葉が聞こえてくるかのような態度の大臣に、キースは気に入らねえと眉を顰め、ミレニスはやれやれだなと息をつき、ディラルドは困ったものですねと苦笑を浮かべた。

 兵士に担架で運ばれたリクスは、城内の一階にある客室へと通され、ベッドに寝かされた。城に常駐している医師がすぐに診察してくれたのだが、スフィアとディラルドの治癒術による応急処置のおかげで、明日にはこれまで通り動けるだろうという事だった。

 一段落し、ホッと安堵したのも束の間。

「悪い。ちょっと二人きりにしてくれ」

 いつもよりも低音の声で皆に部屋から出るように告げたキース。

 これから何が行われるのかを、やり取りを聞いていたミレニスとディラルドにはすぐに理解し、キョトンとしているスフィアを連れて部屋を後にした。

 静寂に包まれる室内。

「リクス」

「……はい」

「どうして俺が怒るのかは判ってるな」

 腕を組み、ベッド脇に仁王立ちしているキース。

 ベッドに寝たまま、リクスはバツの悪そうな顔でキースを見上げている。

「……約束を、破ったから……?」

「違えよ。お前が、ケガしても勝ちゃいいって思ってたからだ」

「……ごめんなさい」

 素直に謝ったという事は、どうやら自覚はあるらしい。だからこそキースは釘を刺したのだが、リクスにとっては何の役にも立たなかった。

 ノヴァーリスでオルトロスと戦った時にも、リクスは無茶をしていた。

 その行動原理は、魔物を倒したいと言うよりも、仲間を、人を護りたいというところだろう。その為に剣を抜くようリクスに助言したのは他でもないキースなのだから、頭ごなしに叱る事は出来なかった。

 けれどそれでも言わなければならないと、こうして話をしたのだ。今回は、しっかり伝わっていると思いたい。

「まあいい。判ったならもう言わねえよ。ただし、次に同じことしたら説教じゃすまねえからな」

 睨むように言われ、リクスはただ頷いた。

 とても逆らえるような状況ではなく、逆らおうなどと微塵も思っていないのだから。それに、キースの言いたい事はリクス自身よく理解している。

 例え勝つ事が出来たとしても、死んでしまっては元も子もないという事だ。

 もし、キースやミレニスが同じような事をしようとすれば、リクスとて止めるだろう。ただそれだけなのだ。

 そうならないようにする為には、もっと強くなるしかない。どんな魔物を相手にしても傷を負わなくなるように。

 話が終わり、再び静寂に包みこまれたからだろうか。コンコンコンとドアがノックされて、開いたドアの隙間からディラルドが顔を覗かせた。

「お話は終わりましたか?」

「ああ。どうかしたのか」

「司教のメルヴィーナさんが、お礼を言いたいと来られています」

 無実の罪で投獄されていたという司教。その人物が来ていると言うのであれば、断る理由はない。

 実際、どのような人物なのかは興味があり、何より聖域の司教ともなれば、大聖堂の正確な位置を知っているかもしれないのだから。

 入るようにディラルドに告げれば、ディラルド、スフィア、ミレニスに続いて司教であろう長身の女性と、リクス達に助けを求めた司祭が入って来た。司教であろう女性は、司祭服よりも装飾の施されている服に身を包み、司教のミトルと呼ばれている布を頭から被っている。

 先に口を開いたのは、若い青年司祭。

「先程は失礼しました。メルヴィーナ様の事で頭が回らず、ヴェルミナ様と勘違いしてしまって……」

 そう言って頭を下げる青年司祭だが、当の本人であるスフィアは特に気にしている様子もなく、キースが代わりに気にするなと告げる。

 気が動転していて、自分が助けを求めなければ司教が命を落とすかもしれないと思えば神頼みしたくなる気持ちも、女神に瓜二つのスフィアを勘違いして救いを求めたくなる気持ちも分からないでもない。

 そう言ってあげると、青年司祭は「ありがとうございます」と今一度、頭を下げると司教の後ろに一歩下がった。

 頃合いだろうと、ツリ目の凛々しい顔立ちの女性はリクス達を見回した。

「いやぁ、すっかり世話になっちまったね。アンタらが助けてくれなきゃ処刑されてたよ。参った、参った」

 あっはっはと豪快に笑うメルヴィーナに、リクスとキースは勿論の事、ミレニスとディラルドまでもが呆気にとられたような顔になっている。そんなリクス達の反応を見て、青年司祭は頭を抱えた。

「メルヴィーナ様、そんなだから目を付けられてしまうんですよ」

「いいじゃんか。アタシはアタシなんだしさ」

「良くありません。司教ともあろうお方がそんなでは、女神ヴェルミナ様に顔向けできませんよ」

「だーい丈夫だって。女神様なんだから、心は広いもんさ」

 本当に、豪快という言葉が良く似合う人だ。高身長だとは思っていたが、恐らくリクスよりも大きく、司教とは思えないほど逞しい。

 青年司祭の態度も、リクス達に対するものとは大違いだ。

「何だか、凄い人だね」

「名前と性格と役職が見事に合ってねえな」

「よく聖域の司教になれたものだな」

「自由なのは良い事ですよ」

 各々の印象を聞いても酷い言い様だと思うが、それでもメルヴィーナは特に気にしていないのか豪快に笑っている。

 確かに、自由人だろう。

 何となく妙な空気が流れる中で、リクスが本題を口にした。

「あの、メルヴィーナさん。俺たち、大聖堂を探してるんだけど、場所知りませんか?」

「大聖堂? 知ってるけど」

「えっ、ホントですか!?」

「大聖堂はアタシの庭みたいなもんだし、何なら連れてってあげよっか?」

 あまりにも軽く、あまりにもあっさりと目的地への道が開けた。司教ともなる人物には追及されても仕方がないと思っていたというのに。

 しかし、拒否を示したのはメルヴィーナの隣にいる青年司祭だ。

「いけません。司教ともあろうお方が聖域を離れるなど」

「別にいいっしょ。どうせアタシがいようがいまいが変わんないさ。ってなわけで、後はよろしく、司教代理」

 ニッと太陽のような笑みを浮かべて青年司祭の肩をバシバシと叩いているメルヴィーナ。自由奔放、破天荒。それだけでは済まされないだろうと思うのは、リクス達だけではないだろう。

 盛大な溜め息をついている青年司祭がとても可哀想に見えた。

「ちょっくら準備があるから、出発は明日の朝だね。明日になったら、ここの聖堂前で待っててくれるかい」

 一方的に約束をとりつけ、「じゃっ」と軽く告げるとメルヴィーナは出て行ってしまい、青年司祭はもう一度溜め息をつくと後に続いて出て行った。

 まるで嵐のようだったメルヴィーナにリクス達は圧倒されっ放しで、何だかどっと疲労が溜まるようだった。

「凄まじいな……あれで司教なんて信じらんねえ」

「女神を信仰しているようにも見えなかった。聖域であるウィスタリアの空気が悪い原因ではないのか。あのような人間に権力を奪わては、好い気はしないだろう」

「ミレニス、そこまで言わなくても……でも何か、兵士の人たちが可哀想に見えてきたよ」

「皆さん、大分お疲れのようですね。主に戦闘以外で」

 リクスとディラルドでさえも否定できない事が、その証明だろうか。兵士達は人選した人間を恨むべきではないだろうかと考えてしまった。

 けれど、スフィアだけは嬉しそうに微笑んでいる。

「メルヴィーナ、あったかい。陽だまり、ぽかぽか。いい人、スフィア好き」

 明るく周囲を照らす太陽のようだと、スフィアは言っている。その気持ちが理解できないではなかった。ノリが軽い事もあってか、纏っている空気はとても明るく軽く温かかった。

 聖職者であるという事を抜いてしまえば、豪快で元気な姉御といったところだろうか。

 何にせよ。

「これで、大聖堂に行けるんだね」

「だな」

 開かれた大聖堂への道。大聖堂に辿り着けた時、どうなるのかはここにいる誰にも予想できなかった。

 スフィアの記憶が全て戻るのだろうか。

 キア・ソルーシュというものが解明できるのだろうか。

 スフィアが何者なのかを知る事が出来るのだろうか。

 スフィアと、別れなければならないのだろうか。

 期待と不安の入り混じった何とも言えない気持ちがリクスの心の中を渦巻いている。

 そうなった時、自分はどうするのだろうか。

 言い知れない恐怖のようなものを感じながら、リクスはベッドに体重を預け、そっと静かに目を閉じた。

 大聖堂はもう、目の前だ。


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