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僕は桃音と朽木先輩の喧嘩を目撃する その①

「お名前は?」

「わかんない」

「じゃあ、今日はどこから来たのかな?」

「わかんない」

「ええと……お母さんかお父さんの名前は?」

「……わかんない……わかんないよぉ……はやくママに会いたいよぉ……」


 困ったな。

 せめて自分の名前ぐらい分かれよ、とは思うけれど。まだ幼稚園生ぐらいの、この男の子じゃあ、それも無理ないのかもしれない。

 きっと混乱しているんだ。

 気分上々、天気は最高、意気揚々と遊園地にやって来たものの、今はこうして迷子なのだから。

 泣き出した男の子の頭を、優しく撫でる。


「というわけで朽木先輩。どうしましょうか」


 膝を曲げて、男の子と目線が合うようにしていた朽木先輩は、「ふむ」と言って、考える。


「状況としては最悪だね。何も分からないんじゃ、とりあえず、迷子がいるってことを、アナウンスするしかないね」

「ですね」


 言われるまでもないことだけれど、やはり仕事上の先輩でもある朽木先輩に、確認しておくのが得策だと思ったのだ。


「あ、すいません。迷子のアナウンスお願いします」


 朽木先輩とは別の、これまた先輩スタッフの人にそう言い、僕らはひとまず男の子を奥の方へと連れていく。

 そうだな。

 ここらへんで一度、説明しておいた方がいいかもしれない。

 僕のバイト先は遊園地であると教えていたな。けれど、アトラクションの監視スタッフとか、案内スタッフとか、事務スタッフとか、清掃スタッフとか、いわゆる一般的な仕事ではない。

 僕の仕事は迷子対策スタッフ。人呼んで、マイスタ。別に略称する必要もないけれど、たまに朽木先輩がそうやって言ったりするので、まあ、覚えておいて損はないはずだ。


「よし、それじゃあ、僕と一緒に遊ぼうか」


 迷子案内所という部屋の中が、主に僕らの仕事場なのだが、入ってすぐのところに受付があり、さらに奥の方に行くと、子供たちが遊べるスペースがあるのだ。

 さすがにテレビゲームとかはない。でも、十歳未満の子供なら、十分に楽しめるおもちゃは取り揃えられている。


「やだ……お姉ちゃんと遊ぶ……」


 怪獣の人形を掴んだと思ったら、どうにも、僕は拒絶されたらしい。


「そっか。分かったよ。朽木先輩、ちょっとお願いします」

「オッケー」と言って、笑顔で遊びに付き合ってあげる朽木先輩。それはまあ、こんなに小さいけれど、所詮男である。


 僕より、女性でしかも美人なお姉さんに相手してもらえるなら、そちらを選ぶさ。

 朽木先輩の長い後ろ髪を一瞥してから、僕は受付へと戻る。


「ああ、御手洗君。悪いんだけど、また迷子が出ちゃってさ。この子もお願いしていい?」


 清掃用具を片手に、そしてもう一方の手で迷子と手を繋いでいる。


「お疲れ様です」と、仕事上の決まり文句を言ってから、僕は迷子を預かる。

「掃除に迷子に大変ですね」

「いやいや、こんなのはいつものことだろ?」


 そう言って、颯爽と出ていくスタッフの背中は、やけに大きく見えた。

 先輩が出ていったのを確認し、視線を迷子へと移す。


「初めまして。僕の名前は御手洗透だよ。君の名前は?」


 女の子か。男の僕よりも、女の朽木先輩のほうが良かったのかもしれないが、現在、朽木先輩は取り込み中である。


「あかね……」


 かなりの不安を募らせた表情で、あかねちゃんとやらは、僕のズボンを強く掴んだ。


「そっか。あかねちゃんって名前なんだ? 素敵な名前だね」

「違う……」


 ふるふると、水浴びをした犬みたいに、あかねちゃんは首を振った。


「違う? えっと、どういうことかな?」


 あくまでも、声のトーンはやや高めで、表情は笑顔。こうして対応しなければ、この仕事は務まらない。


「あかねっていうのは、お母さんの名前……」

「ああ、そうなんだ。偉いね、お母さんの名前をちゃんと憶えてるんだ」

「適当に言っただけ……」

「え?」

「適当に……言っただけ……」

「………」

「嘘。お母さんの名前はあかね……」


 僕はもしかしたら、からかわれているのかもしれない。

 めちゃくちゃシリアスな顔をしているのに、口から出まかせの連発である。

 混乱しているのか、それとも、僕をバカにしているのか。

 まあ、いずれにせよ、やることは変わらないけれど。


「それじゃあさ、君の名前、教えてくれないかな?」


 ちらりと僕の顔を見ると、迷子の女の子は言った。


「ゆか……」

「そっか。ゆかちゃんって言うんだ。可愛い名前だね」


 今度こそ嘘じゃないよな?

 疑心暗鬼になりつつも、とりあえずは信じてみることにした。


「お母さんの名前はあかねさんで、君の名前はゆかちゃん、でいいんだよね?」

「うん……」


 ふうと軽く息を吐き、僕はようやくほっと一息をついた。

 ポケットからメモ帳を取り出し『母・あかね 娘・ゆか』と書き連ね、それを電話対応中のアナウンス係に手渡す。


「ねえ、ゆかちゃん。お人形遊びとかは、好きかな?」


 無言のまま、こくりと頷く。


「それなら、あっちの方にたくさんお人形があるから、遊ぼっか」


 結局、最初は大変だけれど、心を開いてくれさえすれば、子供をあやすのは難しいことではない。可愛らしいクマのぬいぐるみを片手に、僕はふと考えた。

 毎日毎日、恐ろしいほどに迷子の子供がやって来るけれど、この子たちにはみな、お母さんやお父さんがいて、必ず迎えに来てくれるのだ、と。

 当たり前なことに思えるのだが、それが普通ではないのだと、そういう場合を僕は知っている。

 いや、そもそも、両親がいなければ、こんな遊園地になんて、遊びにこれない。

 じゃあこの子は、このゆかちゃんは――幸せな子供なのだと、恵まれた子供なのだと、そう実感せざるを得なかった。


「ちょっと……御手洗君……?」


 ツンツンと、僕の肩を突かれ、意識が戻る。


「かなり怖い顔してるけど、大丈夫……?」


 無意識のうちに、真顔になっていたことに気がつき、慌てて笑顔に戻す。


「ああ、すいません。なんだかボーっとしちゃって」


 朽木先輩は、やたら僕へと顔を近づけ、耳元で囁いた。


「あんまり無理しちゃだめだよ? ただでさえこの仕事は、精神的に疲れるんだからさ」


 透き通るような声が、僕の耳の中へと入ってくる。まるで耳に息を吹きかけるような、朽木先輩の囁きは、僕の心を和ませた。


「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから。まだ疲れるほどの仕事してませんし」


 ブイサインをして、僕は再び、仕事に戻る。


「御手洗君、ゆかちゃんのお母さんがお迎えに来てくれたよ」

「あ、了解です」

「それからそこの名前の分からない男の子のお母さんも」

「はーい。いま連れていきますね!」


 意外と早く片付いたことに安堵しつつ、僕と朽木先輩は一緒に、受付へと向かう。

 どうやら安堵していたのは僕だけではなく、この二人のお母さんもまた、同じ心境のようであった。


「いやぁ……一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなったね」


 肩をぐるぐると回し、疲れた笑顔で朽木先輩は僕を見る。

 僕は二組の親子の背中を眺めながら、言った。


「自分の名前が分からないって、かなり珍しいですよね。まあ、なんとかなったから、良かったですけど」


 朽木先輩の黒髪は、この外の景色に同化してきている。


「それにしても、さっきはどうしちゃったわけさ。いつもの御手洗君らしくなかったぞ?」


 悪戯を企む子供のように、朽木先輩は茶目っ気のある表情をする。僕より年上の癖に、こういう一面があるのだ。

 妙に子供っぽいというか、いつまでも若いというか……。


「ちょっとした考え事です。大したことのない……ことですよ」

「そっか。それならいいんだけどね」


 朽木先輩はあくびをして、背伸びをして、深呼吸をする。一つ一つの単純な動作ですら、どこか目を見張るものがある。

 思わず見惚れてしまう。

 美人だからなのか、それとも人間としての魅力があるからなのか。それはいまいち、僕には分からない。

 でも、こういう人になれたらな、という憧れのようなものを抱いているのだから、美人でもあり素晴らしい人間でもあるのは、明白だ。


「さてさて、これから暇になるよ、うちら。平日のこの時間じゃ、もう迷子は来ないだろうね」

「どうでしょう。そうやって安心してると、厄介な事件が起こったりするもんですからね」

「あはは、そうかもしれないない」と、呑気な調子で笑いと言葉を同時に吐き出した。


 僕はとりあえず、従業員用のパイプ椅子に座り、疲れた両足を伸ばす。


「そういえば、なんですけど」

「なになに? もしかして好きな人ができたとか?」


 あまりにも女子高生のノリであったため、僕はすぐに否定できなかった。男同士ならまだしも、女の人にこんなことを聞かれたら、戸惑うに決まっている。

 やや遅れて。


「違います……そうじゃなくて、ですね」


 ぴょんと軽い身のこなしで僕の隣に座ると、朽木先輩は、興味津々な瞳で僕の顔を覗き込んでくる。


「たぶん、朽木先輩が期待しているような話題じゃないです」

「いいよ、それでも。御手洗君の悩み事とあれば、この朽木柚木、誠心誠意の心をもって、相談に乗ろうじゃないか!」


 どうして僕に悩みがある体で話が進んでいる。

 なかば投げやりな感じで僕は言った。


「なんか、桃音が朽木先輩のことを、誰かに似てるとかって言ってたんですよ」

「桃音……? ごめん、誰だっけ? 御手洗君の彼女?」

「違います。なんでもかんでも色恋沙汰にもっていこうとしないでください」

「ああ、思い出した! あの子だよね……ほら! この前御手洗君とここで、デートしてた女の子!」

「デートじゃありません。ただ遊んでただけです」

「いやいやぁ……御手洗君、鈍感にもほどがあるよ、それは」


 チッチッチと、指先をチラつかせながら、朽木先輩はニヤニヤと意地悪な顔をする。


「普通、男の子と、こんなところに遊びに来る? しかも二人きりで!」


 正確には二人きりではなかったけれど、説明すると話がこじれるので、僕は特に口出しをしなかった。


「どうなんでしょうね。世間一般の女性がどうなのかは知りませんが、少なくともあいつは、そういう奴ではない……と思います」

「そういうやつってどんなやつ?」

「だから……僕のことをなんとも思ってない癖に、遊園地に誘ったりする奴です」


 なんだかこの言い方では、「なんであの子ったら私の恋心に気づいてくれないの?」的なニュアンスじゃなかろうか。

 いや大丈夫。

 僕はまったく何も意識していないのだから、勘違いされることはないだろう。


「ハハア~ん。さては御手洗君――」

「違います」

「まだ何も言ってないよ……?」

「言われなくても分かります。もう一度言いますけど、違いますから」


 かなり勘違いしてるよ、この人。

 だって、肘で僕のことを押してくるもん、執拗に。


「まあまあ、淡い恋心を抱くのは大いに結構。だけど、叶わない恋ほど悲しいものは、虚しいものはないよ?」

「なんで僕がフラれる前提なんですか? そろそろ僕怒ってもいいですか?」

「だめだよ、女たらし君。そうやってすぐ、他の女性に目移りしちゃ」


 朽木先輩は自分を指さしながら、そう言ったのだ。


「目移りなんてしてないんですけど……そもそも、朽木先輩のことなんて単なる先輩としか思っていませんし」


 女たらし君、という新たな称号を得た僕であったけれど、やむなくそれは辞退させてもらうことにした。


「酷い! うちのことなんて、そんな風にしか思ってくれてなかったのね……? もう口きいてあげない!」


 朽木先輩が口きいてくれない。

 なるほど、ちゃっかりこういうツッコミを期待しているわけだな。


「で、話は戻しますけど」

「え、戻さないでよ。しょうがないなぁ……はい、テイク2」

「………」

「はい。これでテイク3に入るまで、五分もかかりましたぁ~」


 小学校の時の担任のような口ぶりだ。

 皆さんが静かになるまで、三十分もかかりました。みたいなね。


「朽木先輩が口きいてくんない……」

「カット! そこ! もっと感情こめて!」

「く、朽木先輩が……口を、ううううう……口をきいてくれない……!」

「ぐふっ……お、オッケーです」

「今笑いましたね」

「笑ってないよ。むしろ感動して、思わず全米が泣くところだったよ」


 ああ、よく分からないけれど、全米ってすぐ泣くんだよな。

 いつもながらの下らない会話。

 まあそれこそ、優子とやるようなやり取りと変わらないけれど、これはこれでまた違った面白さがある。

 と思ったけれど、あまり面白くはないかもしれない。

 暇つぶしみたいなものだ。だからそんなに面白くない。

 謎の踊り――いやもしかしたら、何かを召喚するための儀式なのだろうか。朽木先輩は腕と腰をくねらせながら、僕の前でワンマンショーを始める。

 ちなみに補足として言っておくが、朽木先輩は暇になるとこうして、僕をからかうか、変てこな踊りをするのだ。


「その踊りって、楽しいんですか?」

「知らぬなら、踊ってみよう、御手洗君」

「字余りですね」


 たぶん、みんなの頭の中でイメージしていた、完成されていた、朽木先輩の姿が一気に崩れ落ちてしまったはず。

 いわゆる、残念系美少女――それが朽木先輩なのだ。

 もう僕はすっかり慣れてしまったけれど、他の人はきっと、朽木先輩のことをおかしい人だと思うことだろう。

 ようやく踊ることにも飽きたのか、朽木先輩は動きを止め、扉の向こう側の景色を眺めることに専念していた。

 真顔や笑顔である時は、朽木先輩はこれほど、綺麗なのに……。

 両手を合わせてチーンと、合掌していると、朽木先輩はいきなり僕の方へと視線を送る。


「どうかしましたか?」

「御手洗君、どうやら、御手洗君の言ってたことは、現実になりそうだよ」


「はあ……?」と頭に疑問符を浮かべ、僕はなんとなく外を見た。


「はあ!?」


 外を見たその刹那、その瞬間、僕は首を傾げるどころか、頭がもげそうなほどの勢いで驚いた。


「束の間の休息、ってことかな……」


 横で呟く朽木先輩の存在など、もはや頭の片隅へと追いやられる。

 なぜ、どうして。

 そんな疑問の連続が僕の頭をぶっ叩く。

 僕目がけて、一直線で歩いてくる少女。

 あれは紛れもなく――


「久しぶり、になるのかな、柚木」


 僕ではなく、朽木先輩をしかと捉えたその視線。いや、捕えたと言ってしまっても過言ではないほどに、少女の目は――桃音の目は、おどろおどろしいものであった。

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