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僕は施設に向かう その①

 僕のベッドは桃音と風見鶏ちゃんに支配され、結果的に、僕は床で寝転がることになった。その影響なのかはさておき、僕の腰は途轍もなく痛い。


「で、風見鶏ちゃん」


 色んな意味で重たい腰を持ち上げて、僕は起きて早々に言う。


「学校はどうした?」


 時刻は朝の八時半。僕は当然ながら寝坊してしまったわけだが、僕よりも早く起き、呑気に朝食を食べている風見鶏ちゃん。

 桃音の残していった置手紙から察するに、きっと、一度家に帰ってから学校へ行ったのだろう。

 と、なれば。

 僕をなぜ起こさなったのかはもう水に流そう。

 それよりも何よりも、気になるのは――


「おい、そんなもしゃもしゃサラダ食べてないで、僕の質問に答えろ」


 草食動物のように、何食わぬ顔で、野菜を食べているのだ。


「桃音のやつに起こしてもらったんだろ? それなら、どうして学校に行かない?」

「もしゃ?」

「いや、もう口の中に何も入ってないだろ……普通に喋れよ……」


 こういう可愛らしいところが、憎めない。茶目っ気があるよな。

 微妙に、風見鶏ちゃんに話を逸らされた感じがしたけれど、僕は流されることなく問い続ける。


「家に帰って、学校に行くのがお前の義務だ。それなのにお前はいま、その義務を果たそうとはしていない。もしこのまま、お前がサボるというのであれば――」


 指先を忙しなく動かし、僕は風見鶏ちゃんに襲い掛かるような素振りを見せる。


「ハグしちゃうぞ?」

「ご馳走さまでした!」


 なんと言うか……素直に拒否されるよりも、傷つく。

 手早く食器を片付ける風見鶏ちゃんをいったん制止し、座るように促す。

 お説教でも始まるのか、というような、飽き飽きとした表情をしながら、風見鶏ちゃんは言われた通りに、座るのであった。


「今さらなんだけど、一つ聞いてもいいか?」

「ダメですね。今さら、という自覚をしているのなら、ダメです」

「じゃあ、一つ聞いてもいいか?」


 既に僕のイライラしている気分は最高潮に達していたけれど、我慢をする。


「……仕方ありませんね」という風見鶏ちゃんの返答を聞き、僕は言った。

「お前さ、お母さんは、亡くなってしまったんだろ?」

「はい」

「お父さんは?」

「いません」

「片親、ということでいいんだよな?」

「はい」


 一連の会話のやり取りを終え、ようやく僕の脳内に危機感が芽生えた。


「おじいちゃんとか……おばあちゃんは……?」

「既に亡くなってしまいました」

「そうか……」


 僕の心配は杞憂に終わることはなく、やはり、最悪の展開を迎えることになってしまった。状況を整理しよう。

 両親はいない、祖父母もいない、そんな風見鶏ちゃん。

 ではここで、ある疑問が生じるはずだ。現状として、風見鶏ちゃんはいったい、誰に育てられているのか、という。


「私、なんとなく御手洗さんの言いたいことが分かりました。それを分かったうえで、言わせてもらいますけど――」


 真剣な瞳で僕をとらえて、離そうとはしない。

 見られれば見られるほど、嫌な汗がとまらなくなる。


「私には、身寄りがないんですよ。親戚にも……見捨てられてしまいましたし」


 親戚に見捨てられた、という言葉が気になったけれど、今は気にしている場合ではない。

 一切の身寄りがいない状況において、子供はどうなってしまうのか。

 考えるまでもなく、児童養護施設、まあ孤児院みたいなものに預けられるはずだ。しかし、だとしたら、どうして風見鶏ちゃんはここにいるのか、というさらなる疑問が発生してしまう。

 施設に預けられれば、当然、無断外泊など認められないだろう。しかも、よりにもよって、小学一年生の幼女である。

 複雑ではなく、むしろ一直線に疑問が解消され、その結果導き出せる答えは――


「つまりですね。児童養護施設から、脱走をして来ました」

「だよな……」


 えへへ、と、屈託のない笑顔を送る風見鶏ちゃんであるが、憎めない。計算しつくされた偽りの笑いであったとしても、可愛い。

 要は、「笑顔で誤魔化しちゃえ!」という算段なのだろうけれど。


「どうする……つもりなんだ……? ていうか、なんで僕のところにやって来た?」


 おもむろに立ち上がると、風見鶏ちゃんはベッドに、ぼすんと飛び乗った。枕に顔を埋めながら、くぐもった声が僕の耳に届く。


「だから言ったじゃないですかぁ……私は、御手洗達也さんの息子である、御手洗透さんに会うために、ここまで来たって」

「なんで? なんで僕に会う必要があった?」

「一言で言えば、さみしかったからです」

「お、おう……そうか……」


 突然の同情を誘うような発言に、思わず涙腺がゆるみかけた。異母兄妹である僕の存在を追い求めて、遠路はるばる訪ねてきたのだから、感動しないわけがない。


「嘘ですけどね」

「感動を返せこの野郎!」


 勢い余ってちゃぶ台をひっくり返すところだった。


「とにかくだな、施設から脱走して来るなんて、正気の沙汰じゃない。今すぐにでも帰れ。いや、僕が無理やりにでも連れてくからな」

「ところで御手洗さん」

「だめだ。その手には乗らないぞ」


 話をはぐらかそうとしているのは明々白々だ。恨めしそうに僕を見る風見鶏ちゃんには諸共せずに。


「お前を連れていくことに、もう決めた。でもな、やっぱり、これだけは聞いておかなきゃいけないと思うんだ。脱走するほど、施設で、嫌なことでもあったのか?」


 僕の枕を、繰り返そう、僕の枕を強く抱きしめ、風見鶏ちゃんは顔色を曇らせた。あれよあれよと曇天は広がり、とうとう風見鶏ちゃんは――枕を投げてきやがった。


「なにすんだよ!?」

「御手洗さんがバカなので、あまりにもバカだったので、枕を投げさせてもらいました」

「なにが……? 僕のどこにバカ要素がある?」

「バカ要素というか、御手洗さん、あなたは要相談ってやつですね、その鈍さには」


 床に転がる枕を拾い、僕は投げ返すかどうか迷ったけれど、やめておいた。


「鈍い? いやいや、僕は鋭いぞ」

「だって御手洗さん――」


 ぷいっと視線を逸らし。


「さっきの私の発言、どっからどう見ても、照れ隠しだったじゃないですか……」


 一言で言えばさみしかったからです――嘘ですけどね。

 これが果たして照れ隠しなのかは判然としない。しかし、今の風見鶏ちゃんを見ている限り、確かにそうなのかと、納得をせざるを得なかった。

 やり場の失った両手は、ぎゅっとベッドシーツを掴んでおり、僕から逸らしたその横顔には、季節外れの紅葉が散らばっていた。

 ああ、そうか。

 僕は自分の考えを改め、そして恥じた。


「悪い……こればっかりは、気付かなった」

「いいですよ、もう。それから、私だって、このまま施設を脱走し、この家にかくまってもらおうとは思っていません。もう、今日で、終わりにするつもりでしたから」

「終わり、か。それはつまり、僕たちとの関係を、切るってこと、だよな」


 一瞬、躊躇い。数瞬で、結論を出した。


「そういうことです」


 路上に落ちた、蝉の亡骸のように、風見鶏ちゃんの表情は虚しく、憐れそのものだ。

 何かをしてあげたいと、思わないでもない。

 でも、何をすればいいのか分からない。

 このまま僕の家に居てもらう。それが現実的に不可能だとしても、しかし、正解なのだろうか。

 きっと違うだろう。

 僕や桃音に帰るべき家があるように、風見鶏ちゃんにも、ある。


「まあ、ゆっくりしていけよ」

「え?」


 結局、僕の考えは正しいのかどうか分からないけれど、いまできることと言えば、これぐらいしかない。


「今日中に帰るとは言っても、別に、今すぐに帰る必要はないだろ? なに……学校なんて、一日さぼったくらいじゃ、大したことはない、余裕だ」


 親指をぐいっと突き立て、僕は風見鶏ちゃんへと示す。よほど意外だったのか、風見鶏ちゃんはきょとんと、それこそ風見鶏のように、意思のない存在のごとく、微動だにしない。

 しばしの間を置いて、「それなら、一つだけ、たった一つだけ、お願いしたいことがあります」と、唇を噛みしめながら、言う。


「私と一緒に……施設まで、行ってくれませんか……?」

「もとよりそのつもりだよ。けど、そうじゃなくてさ。どっか遊びに行きたいとか、買い物に行きたいとか、ないのか?」


 小さな指先を顎に添え、風見鶏ちゃんは考える素振りを見せておきながら、即答する。


「ありません。私はただ、御手洗さんに……ついてきて欲しいんです……」


 これほどまでに弱々しかった。

 風見鶏ちゃんは、僕の知っている風見鶏ちゃんは、そこにはいない。

 疲れ切っていて、弱り切っていて、とても儚げに思える。

 すぐにでもこの場から消えてしまいそうな気がして、僕は目を離さずにはいられなかったのだ。


「そんな顔するなよ。らしくないぞ」

「はい……すいません……――あっ……!」


 僕が頭を優しく撫でてやると、驚きを隠せずに、目を丸くしていた。そして、ようやく安心をして、そっと僕に身体を預けた――

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