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僕は二人と遊園地に行く その②

 電車に乗ること約三十分。乗り初めこそ空いていたが、徐々に徐々に乗客は増えていき、改札を抜けた頃には有象無象が群をなしている始末。

 僕らは横並びで歩きながら、もう目前に迫った目的地を目指す。


「ねえ、ところで、変態の御手洗君。あたしはこの遊園地に初めて来るんだけど、あんたは?」

「やめろ。変態を僕の肩書きみたく言うな。それで、この遊園地に初めて来たかと聞かれたら、その答えはノーだ」


 切り揃えられた前髪を指先で弄り、桃音は鼻で笑う。


「あっそう。あんた、やっぱりそういう趣味があるのね」

「そういう趣味ってどういう趣味だよ」


 桃音は、僕の隣を歩いていた風見鶏ちゃんを、そっと自分の側に寄せて。


「だって、こういうテーマパークみたいなのって、小さな女の子が多いでしょ? それ目当てで来るんじゃないの? こういうところに」


 あらぬ誤解である。氷のようには簡単にとけない、それはまるで、鉄のように堅い、どうしようもない勘違いだった。


「はあ……僕ってそんなに変態に見える……?」

「見えますね」

「ことの発端はお前だろうが」


 こつんと、頭を軽く小突いて、風見鶏ちゃんを牽制する。いや、もう事態は最悪の結末を迎えているわけだから、牽制もくそもないのだけれど。


「あっ、あそこが入口ね」


 風見鶏ちゃんと見つめあう、もとい、睨みあっていた僕は、そんな桃音の一言で、我に返る。よくよく考えてみれば、僕たちはカップルのように見える。

 いや下手したら、風見鶏ちゃんという幼女を連れ立ってるわけだから、夫婦のようにも見えるかもしれない。

 と、なれば、僕のバイト仲間に、これまたとんでもない勘違いをされる可能性が。

 大きな看板を流し見ながら、僕は少し、思考を巡らせる。上手く事情を伝えるにはどうすればいいのか。


「………」


 無理だ。絶対に無理。そもそも、事情を説明するにあたって、僕らの関係を説明するのは避けられない。まず、その時点で無理難題である。

 僕たち、異母兄弟なんです!

 できることなら……説明したくない……。


「どうしたの? そんな気持ち悪い顔しちゃって」

「おい。そこは普通、難しい顔だろ」

「あ、ごめん。ついうっかり」


 無表情のまま、ぺロリと舌を出す桃音。可愛いけれど、可愛くない。


「桃音さん。真実を伝えるということは、傷つけるのと同義です。もう少し遠まわしに言わなければ、可哀想ですよ」

「いいか、風見鶏ちゃん。そういう言葉も人を傷つけるということを、ちゃんと覚えておくんだ」


 桃音からあらかじめ手渡されていたチケットを取り出し、入場ゲートへと入っていく。家を出るときは、さほど感じなかったが、だんだんに気温が上昇しているようで暑い。

 どうして長袖なんかを着てきたのかと、僕は今さら後悔するのであった。

 入ってすぐのところに位置する、大きな噴水。とりあえず僕らはそこで立ち止まる。


「さてと、どうしようか」


 やはり休日ということあって、午前九時ぐらいでも、大勢の人が園内を移動している。


「どうするも何も、こういうのは普通、男のあんたが決めるものでしょ」

「別にいいけどさ。でも、それなら、僕が決めたことに文句言うなよ?」

「言わない。万が一にも、億が一にも兆が一にも言わない」

「だんだん文句言う確立が上がってるぞ」


 ため息をつきたい気持ちをグッと堪え、僕は風見鶏ちゃんの方を見やる。


「なあ、風見鶏ちゃん。お前は何か、リクエストあるか?」

「そうですね」と、風見鶏ちゃんは舌舐めずりをする。変なリアクションだ。そんな風に感じた僕であったが、しかし、風見鶏ちゃんの「アイスかクレープが食べたいです」という一声で、正しく鶴の一声というやつで、合点がいくのであった。

 けれど、さすがに朝っぱらから甘いものを食べることに抵抗があるのであろう桃音は、やや不満そうな顔で言った。


「ゆ、優子ちゃん……それはやめよう? ね? あ、ほら! あそこに観覧車があるよ!」


 要するに、桃音は観覧車に乗りたいのだろうか。確かに朝からアイスやらクレープやらを食べる気は起きない。しかし、観覧車に乗るには少し早すぎる気がする。

 どうせ乗るなら、夕方だ。夕日に染まった茜空を眺めるのは最高である。


「なあ、桃音。乗るなら夕方にしよう」

「はあ? なんで? あんたは本当に分かってない。遊園地に来たら、まず最初に観覧車に乗って、それから、帰りにもう一回観覧車に乗るのよ」

「なんで二回も乗る必要がある?」


 まるで専門家のように、きっぱりと断言する桃音。


「つまりね、朝見た景色と、帰りに見た景色では、全然違うでしょ? そういう違いが分かった上で、夕焼け空を見た時の感動は、それはもう最高なのよ」


 違いの分かる女、白鷺桃音。

 けれど、風見鶏ちゃんの感情の変化までは気づけないようだ。


「じゃあ、こうしようか。確かそこら辺の売店にアイスが売ってるから、そこで買って、観覧車に乗ろう」


 僕のさりげない優しさに心を打たれた風見鶏ちゃんは、クールな顔をして言った。


「私、アイスを愛してますから。アイスだけに」

「やっぱりクレープにしようか、買うの」

「な、何故ですか! 私はこんなにもアイスを――」

「そういうくだらないギャグ、いや、そういう寒いギャグを言った罰だ。アイスだけに」


 どんぐりを頬張るリスみたく、風見鶏ちゃんは頬っぺたをパンパンに膨らませる。


「寒いとアイスをかけたつもりなのかもしれませんが、ハッキリ言って、つまらないです。くだらないです。意味分からないです。座布団一枚というより、ザブーンと、荒波に揉まれて死んでください」


 クスりと笑ったのは風見鶏ちゃんではなく、桃音であった。


「なかなか上手いこと言うわね、優子ちゃん。ううん……そうだな――」


 今度は、悪戯を企む悪ガキのように、桃音はニシシと歯を見せて笑った。


「上手いこと言う子だよね。優子ちゃんって。うん……優子だけに」

「さあ、行こうか風見鶏ちゃん」

「はい。行きましょうか」


 慣れないことをするには、ある程度の覚悟が必要だ。臆することはないけれど、しかし、何も考えずに実行してしまえば、とんでもないミスを犯す可能性があるのだから。


「え、ちょっと。なにその冷たい反応。あたしそんなに変なこと言った?」


 僕らの背中を追いかけるようにして、桃音はついてくる。

 そちらに目をくれるてやることなしに。


「いや、いいと思うよ、そういうの。たまにはね」


 畳みかけるように。


「そうですね。たまには、ですけど」と、風見鶏ちゃんは冷静に言った。


 中途半端な後ろ髪を、軽く弄ってから、桃音は僕の隣に並ぶ。


「酷いよね、あんたたち。人のことをバカにすることにおいては、一級品よ」

「私と御手洗さんを同列に扱わないでください。せめて、後列に扱ってください、御手洗さんを」


 やはり、この幼女は油断ならない。少し気を許せば、これである。


「もういい。もう僕の悪口は散々だ。とにかく、ポップコーン買ったら観覧車乗るぞ」


 ぐわっと顎を下ろして、ATMみたいに滑らかな動きで口を開き、風見鶏ちゃんは言った。


「は、話が違います! 私が食べたいのはアイスであって、ポップコーンじゃありません!」

「どっちも同じようなものだ。ポップかコーンかの違いじゃないか」

「なんですかそれ……。ポップかコーンって、結局それポップコーンじゃないですか」

「最近のアイスはな、だいたいポップで、コーンなんだよ。ほら、あそこの売店で売ってるから、買っておいで」


 財布から千円札を取り出し、それを風見鶏ちゃんに渡す。

 すると、横から口を出す、うるさい少女が言った。


「可哀想でしょ、優子ちゃんが。さっさとアイス売ってる店探して、買ってきなさい、あんたが」


 僕はここの遊園地の従業員だ。であるからして、アイスの売店がここから遠いことを知っている。いや、思い出したのだ。

そして、この女、桃音は、僕が面倒臭がって、たまたま視界に入ったポップコーンで手を打とうとしていることを悟ったのだろう。

 それならば――


「悪い。今さら思い出したんだけど、ここの遊園地、アイス売ってないんだわ。だからごめんね、風見鶏ちゃん。ここはポップコーンで我慢してくれ」


 しゅんと小さな身体をますます小さくさせて、風見鶏ちゃんは落ち込んだ。


「仕方が……ないですね。ないものはない。そういうことですか……」

「そうそう。そういうこと」


 まんまと騙された。しめしめと薄気味悪い笑顔を浮かべる僕を指さし、桃音は大きな声で反論をする。


「異議あり。なんであんた、アイス売ってる売店が、ここから遠いところにあるって知ってるわけ? おかしいとまでは言わないけど、奇妙よ、それは。御手洗君の顔ぐらい」

「顔のことは放っておいてくれ」

「だってそうでしょ? ここの従業員ならまだしも、いっかいの男子高校生が、園内のマップを頭で把握できてるなんて、おかしい。だから、結論はこう――」


 腕を組んで、名探偵然とした決め顔で桃音は言う。


「御手洗君は、アイスを探すのが面倒だから、とりあえずポップコーンで優子ちゃんの気を紛らわせようという算段なわけでしょ」

「あ、言ってなかったけど、僕はここの従業員なんだよ。バイトしてるんだよ、ここで」

「口から出任せね、それは。あんたがここの従業員? それなら今日、あたしについてきたりしないでしょ。だって、ここで仕事してるなら、そんな歩き慣れたこの遊園地に来ようと思わない。つまらないもん、そんなの」

「ああ、つまらない。正直、まったく行きたくなかった、こんなところ」

「はあ?」と、頬の筋肉を吊り上げる桃音。


 不穏な空気を嫌い、風見鶏ちゃんはあえて気楽な口調で言葉を紡ぐ。


「ま、またまた。御手洗さんは冗談がお好きなんですね。それから、私はポップコーンも好きですし、大好きですし、何も問題はありません。あ、ちょっと、買ってきますね!」


 小走りで売店へと駆けていき、けれど、一人欠けた状態でも話は続いた。


「あんたが従業員かどうかなんて、もうこの際、どうでもいいや。でも、今のあんたの発言、取り消して」


 軽い気持ちで「つまらない」などと言ってしまったが、確かに言われた本人からすれば、わざわざ僕を誘ってくれた桃音からすれば、神経を逆撫でする発言だったのだろう。

 遅すぎる理解をした僕は、すぐに謝罪を述べようとするのだが――


「あれ? 御手洗じゃん。何してるの?」


 僕のちょうど真横から、聞き覚えのある声が耳に届く。首だけ動かして、その姿を確認。


「あ……朽木先輩。お仕事中、ですよね……?」


 朽木柚木。僕と同じ高校に通う、現在高校三年生だ。 

 清流のように、一目見るだけでもハッとしてしまう顔立ち。髪の毛の一本一本が艶やかに輝き、美しい女性と表現するよりも、絶世の美女と言った方がいいかもしれない。

 要するに、切り札と呼べるほど、朽木先輩の美しさは完璧にして完全なのだ。

 この顔を前にしたら、誰も勝てない。まさしく最終兵器的な存在。

 たとえ桃音であっても、叶わない。


「そうそう、仕事だよ。ってあれ? その女の子は?」


 ご主人の帰りを待つ子犬のように、可愛らしい仕草で朽木先輩は僕の言葉を待つ。


「えっと……何と言えばいいのやら……」


 ちらりと横目で桃音を見れば、会話に割り込んできた朽木さんのことが、よほど気に食わなかったのか、ものすごい形相で睨みつけていた。


「初めまして、白鷺です。御手洗君とは、まあ、一言で言えばただならない関係ですね」

「た、ただならない……関係……?」

「待て桃音! そして違いますよ朽木さん⁉ 僕とこいつは兄妹です!」

「兄妹? でも、苗字が違うよ?」

「それには、深いというか、複雑な事情がありまして……」


 ポンと手を叩き、しきりに頷く朽木さん。


「そっかぁ……あんまり詮索しちゃいけないよね、そういうのは。うん、了解」

「ごめんなさい、詳しいことを説明できなくて……」


 やたらと先輩風を吹かせた表情で、朽木さんは僕の手を握る。


「うちにできることがあったら、なんでも言って! 協力するから!」

「あ、はい、ありがとうございます」


 朽木さんは腕時計を一瞥し、「やばっ! 行かなきゃ!」と、慌ただしく両手をばたつかせた。


「それじゃあ、また明日! じゃあね、御手洗と……ええっと――」


 名前を忘れたのであろうことを見越して、桃音は「白鷺です」と、静かに言った。


「そうそう、白鷺さん! ばいばい!」


 女の子特有の走り方で、朽木さんは去っていく。その後ろ姿をしばらく見送ってから、桃音はぽつりとつぶやいた。


「なんか……誰かに似てるような気がする……」

「似てる? 誰にだよ?」


 好都合というか、さきほどまでの怒りをすっかり忘れてしまったようで、今は脳内に刻まれた記憶の中から、もやもやとしたものを引っ張り出すことに集中している。


「あぁ……思い出せない……あたしと関わり合いのある誰かに、似てるような気がする! 有名人とかそういうのじゃなくて……ああもう!」


 突然僕の肩を掴むと、力いっぱい揺さぶるのであった。


「イライラする! 分かりそうで分からないのって、数学を解くのと同じくらいイライラする!」

「いや知らないよ! 文句があるなら数学に言ってくれ!」

「数学に文句言えないからあんたに言ってるんでしょう……? ほんと、どうしてこの世には、あんな複雑な学問があるのかしらね。悪魔からの贈り物よ、絶対」


 意味の分からぬ愚痴を零していた桃音であったが、ようやく一息をついた。

 僕の肩から手が離れる。

 その場で立ち尽くしている桃音から視線を外し、ポップコーン片手にこちらへ駆け寄って来る風見鶏ちゃんを見る。


「良かったな、ポップコーン買えて」


 なんだかんだ言って、風見鶏ちゃんもまだまだ子供である。たかだか五百円ちょっとのお菓子で、こんなにも嬉しそうな顔をしているのだから。


「ポップコーンを買えたのは良かったですけど、できれば、アイスに変えて欲しいですね」

「表情と発言が一致してないぞ」


 自分が無邪気に喜んでいることを恥じて、風見鶏ちゃんはそっぽを向いた。


「べ、別にそんなことはありません。じゃあ、観覧車に行きましょう」

「そうだな。行こうか。桃音、お前もいつまでもイライラしてないで、とにかく今は楽しもうぜ」


 ポンと肩を叩いて、歩くように促す。


「分かってるわよ、あんたに言われなくても。あ、優子ちゃん、ポップコーン一つちょうだい」


 ポップコーンを宝物みたく大事そうに抱えている風見鶏ちゃん。それを見てもなお、もらおうとするのだから、大人げない。


「桃音、お前、大人になれよ。ほら、見ろよ風見鶏ちゃんを」

「あ、そっかそっか。ごめんね? 取って食ってやろうってわけじゃないんだから、そんなに怯えなくてもいいのに」

「いや……食べようとしてただろ……」

「言葉の綾ってやつよ」


 ホッと胸を撫で下ろし、風見鶏ちゃんは僕に礼を言った。


「ありがとうございます。たまには、役に立ちますね、御手洗さんって」

「そりゃ、まあな。役に立たない人間なんて、この世にいない」


 タバコをふかす親父のように、やたらと達観した表情をする風見鶏ちゃん。


「なに名言っぽく言ってるんですか。はっきり言って、迷言ですよ、それ」

「まあね」と、横から口を挟む桃音。

「この世の中で、誰かの役に立てる人間なんて、ほんの一掴みよ。それは御手洗君だけに限った話じゃない。あたしや優子ちゃんだって、恐らく、役に立てない部類に入るんでしょうね」


 何か暗い過去を隠しているような、そんな顔だ。思い当たる節があるというか、重い十字架を背負わされているというか。とにもかくにも。

 たんなる女子高生とは思えない発言と、表情であった。


「やめよう。夢の国に来てるのに、どうしてこんな現実感を帯びた話をしなきゃいけない。もっと気楽な話をしよう」

「気楽と言えば、御手洗さん。なんだか雲行きが怪しいですね」

「気楽と雲行きが、どこでどう繋がってるのか分からないけど、確かにそうだな」


 明らかに、繋がりなどない。けれど、まあ、話題転換にしてはちょうどいい。


「天気予報じゃ、今日は曇りって話だったけど、それも怪しいわね」


 観覧車の待機列に並び、今日の天気の心配をする三人。

 雨具を持参していないから、雨が降ったら厄介である。売店で傘や合羽は売っているけれど、高い。ぼったくりである。

 夢の国とか言っておきながら、こういう面では大人の汚い欲望が丸見えである。食事もグッズも何もかも高い。

 やはり、夢も、お金でしか買えないようだ。

 僕から言わせてもらえば、夢なんて買ってないで、もっと現実を変えるべきだと思う。まあ、従業員をやっている癖に、こんなことを言うのはどうなのだろう。

 けれど、思うだけであれば、何も問題などない。思うだけであれば、だけれども。


「私、少し思ったんですけど」


 ぼんやりと考え事をしていた僕は、風見鶏ちゃんを見やる。


「なんだよ。どうせ思うなら、少しじゃなくて大きく思えよ」

「じゃあお言葉に甘えて、大きく思わせてもらいます」と、指先を魔法のステッキみたく、素敵に振りかざし、風見鶏ちゃんは言う。

「桃音さんは、どうして私たちを、昨日出会ったばかりの私たちを、こんなところに誘おうとしたんですか? なんとなくと言われてしまえばそれまで、ですけど。何か特別な理由がある気がして」

「いや、だから、桃音は言っていたじゃないか。たまたまチケットが余って、たまたま僕らを誘っただけだって」


 何を今さら。そう思った僕であったが、どうも、桃音の様子を見ていると、風見鶏ちゃんの言ったことが正しいような気がしてくる。

 下手糞な笑いで誤魔化し、けれど誤魔化し切れずに、動揺をしているのだ。


「か、考え過ぎだよ、優子ちゃん。嫌だな……その言い方じゃまるで、あたしがあんたたちと遊びたくてしょうがないみたいじゃない」

「まあ、違うのであれば、それはそれでいいんですけど。何と言うか、普通、遊園地なんかに誘わないですよね、たいして仲良くない人を。たとえ、チケットが余っていたとしても。もし誘うなら――」


 もし誘うなら、高校の友達とか、地元の友達とか、代わりはいくらでもいるはずですから。そう風見鶏ちゃんは、言った。

 核心をつく発言に、僕の心に確信が生じる。


「確かに……おかしな話だな。どうして、わざわざ、僕らを誘う必要があったのか……。考えれば考えるほど、おかしい」


 本当は、チケットが余っていたわけではなく、僕らと遊ぶためにチケットを用意していたのではないか。理由は分からないけれど、そう考えた方が妥当な気がする。いや、気がするのではなく、そうだ。

 自分だったらどうするか。

 間違いなく、桃音や風見鶏ちゃんは誘わない。それは、出会ってから日が浅いとかではなく、気まずいからだ。

 つまるところ、僕が遊園地に誘ったとして、二人がそれをどう思うのか。

 馴れ馴れしい、図々しい。まあ表現の仕方に多少の違いはあれど、昨日今日の関係で遊園地に誘うというのは、やはり奇妙である。

 相手にどう思われるのか分からない。

 だとすれば、誘わない。

 それが一般的な結論なのだろうけれど、桃音の場合は違った。本当にチケットが余っていたのかどうかは知らないが、いずれにせよ――


「どうして僕らを誘ったんだ?」


 俯いている桃音に、僕は問う。


「な、なんだって良いでしょ……」

「なんだって良くないです。私たち、誘われた側には、それを知る権利があると思います」

「………」


 無理強いするのは、気が進まない。気になることは気になるけれど、言いたくない事情があるのかもしれない。


「まあ、理由なんてどうでもいいけどな。僕らを誘ってくれたんだから、もう、それだけで十分だ。悪いな、桃音。変なこと聞いちゃって」


 僕の言葉を聞いて、風見鶏ちゃんも納得はしてくれたようで。


「そうですね。私も、少し言い過ぎました。詮索をし過ぎました。過ぎたるは猶及ばざるがごとし、じゃあないですけど、控えます。これ以上の質問は」

「ああ、僕も控えるよ。風見鶏ちゃんの胸ぐらい、控え目になるよ」


 ささっと両手で胸を隠し、眉を顰めて目を細める風見鶏ちゃん。


「それは良い心構えですね。ただ、できれば、そういう発言も控えてもらえると有難いんですけど」


 僕としては、恥じらう素振りを見てみたかったのだけれど、この小学一年生の幼女は、恥じらうことよりも、嫌悪感をむき出しにすることを優先したのであった。


「あの……その……ありがとう」


 毎度のごとく、ふざけ合っていた僕らに向けて、桃音は感謝の言葉を述べた。


「いいよいいよ、そんな感謝されるようなことしてないし。なあ、風見鶏ちゃん?」

「ですね。感謝されるようなことはしていませんが、私は、個人的には、御手洗さんを獄舎にぶち込んでやりたい気分です」

「なに? 僕はとうとう、犯罪者扱いなわけ?」

「知ってますか? 言葉も立派な暴力です。そして私は、御手洗さんに、胸のことで言葉の暴力を受けました。傷つきました。傷物にされました」

「傷物って……なんだか穏やかではないな。まあ、なんだ。話は変わるけど、元気だせ、桃音」

「うん」と、桃音は珍しく素直に返事をした。いや、もしかしたら、これが本当の桃音の姿なのかもしれない。


 僕は妙な納得をして、再び雑談に興じるのであった。

 結局、何度か不穏な空気が流れることはあったけれど、特にこれといった問題は起きずに僕らは遊園地を後にした。

 観覧車にジェットコースター、そして、風見鶏ちゃんの強い要望により、メリーゴーランドには何度も乗った。つまらないだろうと思っていた遊園地は、意外と面白かったのだ。

 ただ、一つだけ問題が――


「え、ええ……? 電車が……止まってる……?」

「はい、今のところ、復旧の目処は立っていませんね」


 申し訳なさそうな顔をするどころか、何故か偉そうな駅員さん。軽く頭を下げて、その場から離れると、僕ら三人は同時にため息をついた。


「タクシー呼ぶしかないな。電車が脱線したともなれば、もう、恐らく、今日中に復旧することはないだろうし」


 夕方五時の空を見上げている桃音。そして、風見鶏ちゃんは疲れ切っているようで、今にも寝てしまいそうだ。


「おんぶしてやろうか?」

「結構です。御手洗さんにおんぶされるぐらいなら、地面に這いつくばってでも歩いたほうがましです」

「そうかよ……」


 頑なに僕の提案を拒絶している。恩を仇で返すとは、こういうことだ。

 遊園地から近くのタクシー乗り場に向かって歩き出す。案の定、遊園地のアトラクション並みに長い行列ができていて、僕らはその最後尾に並ぶことにした。

 今日は日曜日で、明日になれば学校がある。何としてでも帰らなければならない。正直、一日ぐらい学校を休んでも問題はないのだけれど。

 まあ、行かないよりは行った方がいいに決まっている。


「あのさ……あたしいま、とんでもないことに気がついたんだけど……」


 列がほんの少し前に進んだところで、桃音は言葉を紡いだ。


「とんでもない……?」

「そう……とんでもない……」


 ご丁寧にも、これから話すのであろう話が、あまり良い話ではないということの前振りをしてくれたのだろうけれど、そんなものはとてもじゃないが気休めにならない。

 僕はある程度の覚悟を決めて、待った。


「あのさ、あたしたち、けっこうこの遊園地でお金を使ったでしょ……?」


 一つ一つ、段取りを踏んだ上で話を進めていく気だ。僕は首を縦に振って、同意をする。


「それで、今ね、手持ちが、ぎりぎり家に帰れる程度のお金しかないのよ……電車を使った場合、なんだけどね……」

「つまり、タクシーを使って家まで帰れるほど、所持金はない、そういうことだな?」

「まあ、そんな感じ……」


 そんなことか、と、僕の心配は杞憂に終わる。


「それなら、僕のお金を貸してあげるよ。お金を下ろせば、わけないさ」

「ううん……それは、嫌なの……」


 真面目な顔をして、神に縋るみたいな眼差しで僕を見つめる。初めて、ちゃんと僕の目を見たような気がする。

 いや、初めてではないか。初対面の時も、僕の目をちゃんと見て話をしてくれた。今でも覚えている。見ているだけで魅了される、不思議な瞳。

 怪しげで、けれども美しくて、とてもじゃないが、一言では言い表せない。

 そうして、再び桃音に釘付けになっていると、弱々しい声で言った。


「あのね……あたし、人からお金を借りるのが、嫌なの。ダメなの」

「だめ? どうしてまた」

「ママが、たくさん借金抱えてたことがあって……それで、その時に、怖い人たちに何度も脅されて……それ以来、お金を借りるっていう行為に、嫌悪感を持つようになって……」


 嫌な思い出というのは、なかなか消えないもの、なのだろう。忘れたくないことばかり頭から飛んでいき、どうでもいいことや、忘れたいことは、残る。

 僕にだって、そういうものはある。というより、誰にだってあるものだ。

 いわゆるトラウマというやつだ。


「分かった。それなら、僕の家に泊まっていけよ」

「え……?」

「だから、僕からお金を借りられないなら、そうするしかないだろ。それともあれか、野宿でもする気か?」


 思考を巡らせ、回答を導き出そうとしている。しばらく無言が続き、ようやく桃音は言った。


「あんまり、乗り気じゃないけど……仕方ないよね。さすがに野宿するわけにもいかないし……うん、今日だけは、厄介になる……」


 こうして大人しくしていれば、やはり、普通の女の子だということを思い知らされる。やたらと僕へのあたりが強い桃音だけれど、やはり、な。


「かまわないぞ。まあ、カビ臭いし、狭いし、なんにもないけど、我慢してくれ」


 皮肉交じりに冗談を言って、笑いを誘おうとしたのだけれど、しかし、「ああ、やっぱりやめようかな、あんたの家に泊まるの」という、意趣返しならぬ冗談返しをされたことで、僕はほんのちょっぴりムカついたのであった。


「あの、良い雰囲気のところすいませんが、ちょっといいですか?」


 落ちのつまらない小説を読み終えた後みたく、退屈そうな顔をしている風見鶏ちゃん。腕を後ろで組みながら言う。


「私も、できれば御手洗さんの家に泊めて欲しいんですけど、だめでしょうか?」

「いや、いやいや、だめじゃない。むしろありがとう」

「あ、やっぱり私もやめます。なんかその表情から察するに、よからぬことをされそうなので」

「しないよ。僕には生憎、そういう趣味はない」

「じゃあ、どういう趣味をしているのでしょうか? あっ、やっぱり、それを聞くのはやめときます。嫌な予感しかしません」


 どうやら僕は、信頼されていないらしい。


「まあ、冗談はここまでにしておいて。風見鶏ちゃん、僕は別に、お前の家までのタクシー代ぐらい、貸してあげるよ。いや、奢ってあげるよ」

「お金ならあります。でも――」


 疲れ切った様子の風見鶏ちゃんを前にして、僕は理解をした。


「なるほどね。もう、疲れたから、家に帰るのが面倒だと、そういうことだな?」

「ええ、まあ……」と、決まり悪そうな顔で肯定をした。


 それからしばらく雑談をすること一時間。ようやく僕らのもとにタクシーがやってきて、どうにかこうにか僕の家に到着をするのであった。


「さてと、夕飯、どうする?」


 家の鍵を開けながら、二人にそう聞いた。しかし、まったく反応がないことに違和感を覚え、後ろを振り返る。


「って……寝ちゃったのか、風見鶏ちゃん」


 桃音が風見鶏ちゃんを抱きかかえる形で、僕の少し後ろの方にいた。


「あんたが支払いし終えたのとほぼ同時、安心しちゃったんでしょうね。いきなりあたしの肩に寄りかかって、寝ちゃったのよ」

「そうか」とだけ言って、扉を開ける。先に二人を家の中に入れて、そのあとに僕も家へと入る。


 風見鶏ちゃんをベッドに横たえると、桃音はふう、と、軽く息を吐いた。


「夕飯どうしよっか。なんか食材ある?」

「ない。何もない。あるのは卵と白菜だけだ」

「それだけじゃ無理ね。仕方ない……か……」


 腰に手をあて、桃音は言う。


「ここら辺にスーパーってある? あたし、買い出しに行って来るよ」

「あるっちゃあるけど……お前一人に買い物を任せるのは申し訳ない。だからさ、なんか出前でも頼むか。ピザとか……寿司とか……なんかそういうのをさ」


 何を思ったか、桃音はブンブンと両手を振って、言った。


「そ、そんな高いの頼まなくていいよ! ほら、出前って高いでしょ? だから、あたしがスーパー行ってくるって!」

「僕がお金を出すから、心配はいらない。まあ、遠慮するなって」

「遠慮っていうか、そういう同情みたいなことしないでよ」


 困った顔をして、視線を彷徨わせている。僕は同情したつもりなどないけれど、結果的に、桃音がそう感じたのであれば、そうなるのだろう。


「あー……すげえピザ食べたい気分だわぁ……どうしよう、今日の夕飯にピザ食べないと、やばいかもしれない」

「は、はあ……? やばい? やばいって何が……?」


 僕は満面の笑みをつくって、独り言のように呟く。


「桃音が風呂に入ってる間に、こっそり、のぞいちゃおっかな――痛ったいっ!」


 拳を精一杯強く握りしめ、僕を殴りつけてきた、きやがった。


「なにするんだよ……?」

「あんたがバカなこと言うからでしょ⁉ 最悪、最低、あり得ない!」


 痛む頭をおさえつつ、僕は言った。


「そうされたくないなら、ピザを頼もう。うん、ピザだピザ」

「ピザピザうるさいわね……もう分かったから、そうしましょう……」


 投げやりに言い放ち、桃音は床にペタンと座る。もちろん、女の子座りだ。


「じゃあ、ちょっと、注文しておいて。確かそこら辺にチラシがあったから、それを見てさ。任せたぞ」


 寝ている風見鶏ちゃんのポケットから、携帯を取り出す。さすがに、何の連絡もなしに僕の家に泊めるわけにもいかない。

 他人の携帯を勝手に見るのはいかなものか。確かに僕だってそう思う。

 けれど、風見鶏ちゃんを無理に起こすのは気が引けるし、このまま親御さんに連絡しないのも気が進まない。

 というわけで、僕は結局、風見鶏ちゃんの携帯を使うことにした。

 携帯にはパスワードが設定されていなかったので、すんなりと電話帳を開けた。あ行のところに、お母さんと登録されていたので、電話をかける。


「………え?」


 携帯から無機質な音が流れる。感情などは一切こめられていない、ただの音だ。


「現在……使われていません……?」


 もう一度念入りに電話帳を調べ、かけ直す。けれど、やはり同じである。出口のない迷宮に放り込まれた気分だ。

 何故、どうして、電話が繋がらない。

 お母さんと登録されているのなら、風見鶏ちゃんのお母さんが出るはずだ。確かに、この電話番号が昔のもので、変わっているという可能性だってある。

 だがしかし、母親の電話番号だ。古い友人などではない。

 番号が変われば、当然、娘に知らせるはずだ。まさかとは思うけれど、お互いの携帯番号すら教えないような、冷めきった親子関係なのだろうか。


「ど、どうしたの……? 顔色、凄い悪いわよ……?」

「いや……なんでも、ない」


 画面がブラックアウトした携帯を強く握りしめ、僕は風見鶏ちゃんの元へと近寄る。


「悪い、風見鶏ちゃん。ちょっと起きてくれ」

 どこか様子のおかしい僕を前に、桃音はただ困惑することしかできないようだ。

 そっと瞼を開き、風見鶏ちゃんは何食わぬ顔で、何も知らないような顔で、僕を見た。それは芝居がかっているようにも見えるし、自然体のようにも見える。


「なあ、風見鶏ちゃん――」


 優しく風見鶏ちゃんの肩を掴んで、僕は言う。


「お前のお母さんの電話番号、教えてくれないか?」


 まだ覚醒していないのか、それとも、言い訳でも考えているのか。あくまでも冷静を装いつつ、風見鶏ちゃんは口を開いた。


「私の携帯、勝手に見たんですね」

「それについては謝る。だけど、今はそんなことどうでもいい。頼む、答えてくれ。どうしてお母さんの番号が、繋がらない……? あのアドレスに登録されている番号は――」


 空気が変わった。カビ臭いと言われた僕のこの部屋は、もはやキナ臭いと呼べるほど、良くないことが起きそうな雰囲気だ。

 雨が、降る。

 屋根に落ちる、雨粒の音。次第にその音が大きくなり、オーケストラが開催される。単調なリズムで、聞いているこちらが眠くなってしまいそうだ。

 雨に気を取られていた僕は、仕切り直して、言葉を紡ぐ。


「どうしてお母さんの番号が繋がらない?」

「言わなきゃ、だめでしょうか」

「だめだ。だって、おかしいじゃないか。お前たちの親子関係は、どうなってる……?」


 心に天使を宿して、けれど同時に悪魔も飼い慣らしている。子供と呼ぶには不完全で、大人と呼ぶには不十分な風見鶏ちゃん。


「私は……私は、私は……私は!」


 初めて、大きな声を出したのではないだろうか。喉から必死に引っ張り出し、やっとの思いで出てきた言葉。

 それを決して聞き逃すことのないよう、僕は全神経を耳に集中させた。


「……私のお母さんはもう、いません……。達也さんが死んだという知らせを聞いてお母さんは……あとを追うようにして……――」


 自殺してしまいました。

 僕も桃音も言葉を失い、魂の抜け殻のように、身体から力が抜けていくの感じた。脱力とかそういう表現では足りず、雷が直撃したような、衝撃を受けた。


「自殺……? 僕の親父の……後を追って……? 嘘だろ……?」


 気づけば風見鶏ちゃんは、自分の身体を抱きかかえるようにして、震えていた。

 視点は僕らを捉えておらず、ただ床を、床の、ある一点だけを見つめる。

 もしかしたら、こんなことを言うつもりはなかったのかもしれない。自分の母親が自殺したなどと、言いたいわけがない。教えたいわけがない。

 だが、それにしたって、なんという因果のめぐり合わせなのだろうか。

 風見鶏ちゃんのお母さんが死んだ理由は、命を捨てた理由は――


「それじゃあ……僕の親父のせいじゃないか……」


 心の中で、今の言葉を反復する――僕の親父の……せいだ。

 まるで僕が原因だと言われているような気分で、心臓が一度、ドクンと撥ねついた。いや、僕には非がない。

 悪いのはすべて親父で、僕じゃない。しかし――


「僕は親父の遺伝子を……受け継いでるんだぞ……?」

「あたしだって……あたしにだって……あるよ……」

「もちろん……私にも……」


 毛繕いをするみたく、僕ら三人は身体を寄せて、そして、抱き締め合った。

 もちろん、僕らは悪いことなど一つもしていない。だけれど、心が落ち着かなくて、どうしても温もりが欲しくて、身体を寄せたのだ。

 僕らに課せられた宿命は、あまりにも残酷で冷酷で過酷である。

 言ってしまえば、死んだ親父の尻ぬぐいをするようなものだ。

 果たして僕らに、拭いきれるのかどうか……。


「私にはもう、お父さんもお母さんも、いません……。嘆いている場合じゃないのも、分かってます……でも、それでも――」


 御手洗さんと桃音さんという、最後の頼みがいてくれて、助かりました。

 今にも泣きそうな顔で、笑った。子供の描く、出鱈目な絵のように、風見鶏ちゃんの笑顔はめちゃくちゃだ。


「そうだよね……」と、小さく桃音はつぶやく。

「あたしたちは、曲りなりにも、兄妹なんだもんね。こんな時ぐらい、頼ったって……良いんだよね……?」


 そう言って、桃音は、そして風見鶏ちゃんは、僕を見た。至近距離からの視線に、居心地の悪さのようなものを感じる。

 いや、もしかしたら、気恥ずかしいのかもしれない。

 僕を頼るようなその眼差しは、温かくて柔らかくて――家族のような親しみ深さを覚えずにはいられなかった。

 一度僕は、二人から距離をとって、言った。


「まあ、僕はお前たちの友達である前に、お兄ちゃんでもあるということだな。仕方ない……そんなに僕に頼りたいなら、頼ってくれ」


 本心から出た言葉であったが、どうにも二人は、くすりと微笑するのであった。


「いやいや、さすがにお兄ちゃんはないでしょ。ねえ?」


 楽しそうに、桃音と風見鶏ちゃんは視線をあわせる。


「そうですね、こんな人を私のお兄ちゃんとするのは、いささか抵抗があります」


 さっきまでの暗い雰囲気はウソみたいに消えてしまい、同時に、僕の優しい気遣いも気付かれることなく霧散していくのであった。


「だいたい、あたしとあんたは同い年なんだから、お兄ちゃんとかそういうのないんですけど」

「どちらかと言えば、桃音さんの方が年上って感じですよね」

「お前たち……本当に、ろくでなしだな……」


 そう言葉を吐き捨て、僕は窓へと視線を外した。いまだに降りやまない雨ではあるが、心なしか、小雨になったような気がする。


「さてと、いつまでも落ち込んでる場合じゃないよね。あ、いやいや! もちろん、優子ちゃんのママが死んじゃったのは、落ち込むべきことだけど、さ。今は前を向いて歩こうって、そういう意味だからね? 勘違いしないでよ」

「お前はまず落ち着け」


 一人で勝手に焦ったり動揺したりと、落ち着きのない桃音。この状況で何をどう勘違いするというのか。間抜けな桃音を眺めていると、風見鶏ちゃんは僕のもとへと近寄り、ちょんちょんと袖を引っ張った。


「御手洗さん、私、お腹すきました」

「うん? ああ、そういえば、まだ食べてなかったっけ、夕飯」


 すっかり忘れていたな。

 それにしても――立ち直りが早いというか、母親が自殺したという話をしてから、これほど短時間で、元に戻るとは。

 もしかすれば、風見鶏ちゃんは、そうとう強い心を持っているのかもしれない。


「私ってやっぱり、まだまだ弱いですね……」


 僕の心の声を聞き取ったように、風見鶏ちゃんはそう言うのであった。


「弱い? お前が?」

「はい……弱いです。もうお母さんが死んでから、けっこう経ちますけど、それでもいまだに、お母さんの話をすると、辛くなってしまいます……」

「そんなの、僕だって同じだ」


 伏せていた目を少し上げて、風見鶏ちゃんは僕を見る。


「御手洗さんも、私と同じ、ですか」

「そう、同じ。僕はさ、お袋と……まあ、親父を同時に亡くして、あの当時はかなりへこんだし、絶望したし、死にたいとすら思った」


 嘘偽りはない。僕は心の底から、もう何もかもを終わりにしたいと思ったのだ。しかし結局、それは思うだけで終わったのだけれど。


「今ではさすがに、そこまで悲観的なことは思わないけど、でもな……夜寝る前に必ず、思い出すんだよ――」


 皺のできたベッドシーツを、ぼんやりと見つめる。


「お袋が僕に、優しく微笑みかけてくれる姿が……どうしても脳裏に浮かんじゃうんだ」


 手の平を開いたり閉じたり、僕は無意味な行動をすることで、いまにも溢れ出来てそうな感情を、言葉を、ぐっと堪えた。


「そうですか」と、風見鶏ちゃんは満足気な表情をつくり、また、視線を下にした。

「情けないですね、御手洗さんは」

「え?」

「私はまだ小学一年生の子供ですからね、美少女ですからね。そうやって悲しみに暮れていても、許されるでしょう」


 美少女なのは確かである。しかし、自分から言ってしまっては、微少女である。つまりは残念な少女、微妙な少女、である。


「それで? 風見鶏ちゃん。お前は結局、何を言いたいんだ?」


 足をモジモジとさせ、風見鶏ちゃんは、言った。


「御手洗さん……これからは、忙しくなりますね」

「はあ?」

「亡くなったお母さんとお父さんのことを思い出し、そしてこれからは、私の心配もしなければいけませんからね! 負担が増えてしまうわけですよ」

「まったく……よく言うぜ……」


 わしゃわしゃと風見鶏ちゃんの髪の毛を乱してやると、何故か嬉しそうにするのであった。ご主人に可愛がられている子犬のようで、僕は思わず、頬の筋肉をゆるめてしまう。


「決めた!」


 二人して和んでいたところ、突然、桃音は意味不明なことを言い出すのであった。


「決めたって……何を決めたんだよ?」

「この一番安いミックスピザにしよう、うん。これなら千円ちょっとだから、三人で割り勘すれば……よし、いけるいける……」


 シリアスな話をしていたというのに、どうしてここでピザの話になるのか。ピサの斜塔ぐらい、斜めった方向に向かう桃音に、僕は言ってやった。


「さりげなく割り勘の人数に、風見鶏ちゃんを巻き込んでるじゃねえよ。それから、今回は僕のおごりだって言ったろ?」

「いや、でもね、払えるなら自分で払った方がいいかなって思って」


 真面目なのか面倒臭い女なのか、よく分からない。同情の視線を送る風見鶏ちゃんは、特にこれと言って発言をせずに、ちょこんと床に座る。


「じゃあ、あたし、電話するからね?」

「ああ、任せた」

「いい? 本当に電話するよ?」

「分かった。いいぞ」

「ほ、ほん――」

「しつこいよ! なんでそんなに渋ってんだよ⁉」


 携帯を持つ桃音の指先は、震えていた。そして僕は、このやり取りを通して、桃音が面倒な女であることを確信するのであった。


「あたし……電話、苦手なんだよね……」


 重たい荷物を抱えるように、桃音は両手をぶら下げ、撫で肩気味の両肩を脱力させる。


「僕がやるから、お前はもう座ってろ」

「ごめんなさい……」


 桃音からピザ屋のチラシを受け取り、念のためにメニューにざっと目を通す。

 確かにミックスピザというものが存在するのを確認し、僕は電話をかける。


「あ、ピザの配達をお願いしたいんですけど」


 猫を被ったような可愛らしい声で応答する店員。ごちゃごちゃとキャンペーンとやらの説明をしてきたので「ミックスピザを一つ」と、言葉の途中で放り投げてやった。

 業務上、仕方なく説明しているのだろうけれど、こっちにはお腹を空かせた風見鶏ちゃんが待っているのだ。

 そう、いわば僕も、仕方なく、店員の説明を強制終了させたわけだ。

 続いて、住所を伝え、金額を知らされた後、しつこいにも程があるが、店員はこんなことを言ってきた。


「今なら、ファミリーセット、というものがありまして、ミックスピザを単体で頼むよりも、こちらの方がお得になっていますが――」


 言われて、急いでチラシを確認する。

 なるほど確かに、こいつはお得である。

 僕は「なに見逃してんだよ」という意味を込めた視線を桃音に送りつけ、「じゃあ、やっぱりそっちでお願いします」と、変更をした。

 電話を終えるとすぐ、桃音は話しかけてくる。


「なに? どうしたの? なにかトラブル?」


 電話をすることによほどのトラウマを抱えているのか、並んで座っていた僕にジリジリと近寄り、顔を近づけ、そして――僕は焦った。


「近い近い近い! 近いってば!」

「え、ああ……ごめん」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる風見鶏ちゃんは見なかったことにして、僕は端的に説明をした。


「ミックスピザよりも、お得なメニューがあったってわけだ」

「なんだ、それだけ?」

「それだけだよ。はあ……お前は先走りし過ぎだ、まったく……」


 前髪で隠れた桃音のおでこに軽くでこぴんをし、僕は仰向けになる。


「それで、結局、ミックスピザから何ピザに変更したの?」

「それ、私も気になります」


 興味津々な二人を前に、僕はなんでもない調子で言ってやった。

「ファミリーセット、だってさ――」

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