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僕は二人に出会った その③

「うえええええっ!」


 トイレの便器に向かって、吐しゃ物を撒き散らす。

 食べたものが全て、無駄になってしまった。


「ちょっと……吐くなら扉閉めてよ」


 足で蹴っ飛ばしたのか、扉が勢いよく閉まる。乱暴な女だ。ランボーぐらい乱暴な女である。いや、まだランボーの方が優しいし丁寧かもしれない。

 しかし、だが、白鷺さんにも意外な一面があることを発見した。

 そう……僕が何故嘔吐しているのか。

 理由はまぎれもなく、白鷺さんの料理が美味し過ぎたからだ。冷蔵庫にあった残り物を、いとも容易く絶品に変えてしまった。

 マジシャンである。

 久しぶりのまともな料理を前に、僕は、それはもう飢えた獣のように貪り食べたね。

 料理のできない僕は、野菜炒めか、レバニラ炒めしか作れない。要するに、炒め物しか作れないのだ。

 おまけに、その唯一できる炒め物ですら、僕の手にかかれば痛め物と化してしまう。無暗に野菜と肉を痛めつけているだけである。

 それはいいとして。

 白鷺さんの最高な料理を食べた結果、食べ過ぎた結果、今にいたる。


「ふう……ようやくおさまった……」


 トイレの水を流して、僕は二人がいる方へと戻る。


「みっともないところ見せたな。ごめ――」


 人差し指を唇に添えて、白鷺さんは僕に言った。


「静かに。優子ちゃん、寝てるから」

「お、おう……」


 満腹から再び空腹となったお腹をさすりながら、風見鶏ちゃんを見やる。可愛らしい鼻息を漏らし、確かに寝ている。


「なんだ、お腹一杯になったら、眠くなっちゃったのかな」


 愛おしそうに見守る白鷺さん。

 こうして見れば、まるで、母親のようだ。


「やっぱり、まだまだ子供だね」

「だな。口はとんでもなく悪いし、僕に対する態度はどうかと思うけど、子供だな」


 風見鶏ちゃんをお姫様抱っこして、僕が普段使うベッドに移す。そっと布団をかけてあげたところで、白鷺さんは驚いた顔をする。


「意外と優しいんだね、あんた」

「意外も何も、優しいだろ、僕は」

「知らないわよ、あんたのことなんて」


 まあ、それは言えている。僕らは今日、というより、ついさっき出会ったばかりの間柄だ。何も知らないのが当然である。でも――


「なんていうかさ、僕らって初めて会ったって感じがしないよな」

「まあ、ね。長い間一緒にいたような、そんな感じ」

「やっぱり、同じ父親の遺伝子を受け継いでるから、なのかな」

「やめてよ、そういうの。あんな最低な父親の遺伝子なんて、いらない。欲しくない」


 ゆるんでいた頬を、きつく強張らせて、白鷺さんは僕を見た。


「それを言うなら、僕なんて、そんな最低な父親に育てられたんだぞ? お前よりも最低の度合いが違う」

「何を張りあってんのよ、あんたは。でも、達也さんはもうこの世にいないわけでしょ? 良かったじゃない、もう金輪際、関わる必要がなくなって」


 僕にとっての良かったこと、というより、白鷺さんにとって良かったのではないだろうか。けれど、特に口に出して突っ込んだりはせず、心の中で思うだけにとどめた。


「あたしね――」


 会話が途切れるのを嫌う、寂しがり屋なのだろうか。一度区切りがついたところで、白鷺さんはすぐさま言葉を紡ぐ。


「妹が欲しかったんだ。素直で可愛くて純粋で、それでもって優しい、そんな妹が欲しかった」

「なんでまた、妹なんだ?」


 少しの間、唸り声をあげていたが、ようやく言葉が見つかったようで。


「たぶん、妹に頼られたかった、からだと思う。いや……違うか。誰でもいいから、頼って欲しかったんだよ、きっと」


 誰かに頼りにされるということは、つまり、それだけ信用されているということだ。僕からすれば、そんな信頼とか親愛とか、下らないとまでは言わないけれど、 好きじゃない。

 理由なんてない。いや、もしかしたらあるのかもしれないけれど。とにかく僕は、好きじゃないんだ。


「お前は、誰かに頼りにされることで、もしかして、自分の必要性とか価値みたいなものを、そこに見出そうとしてたのか?」

「分かんない。でも、たぶんそうなんだと思う」


 曖昧な形で言葉を濁してはいるものの、表情までは偽れないようだ。きっかりしっかり、白鷺さんは確信を持った顔つきで、窓の外を眺めていた。


「別にさ、悪いとか良いとか言うつもりはないんだけど――」


 口を開いた僕を、不自然なほど自然な表情で、白鷺さんは見る。


「もう少しお前は、自分のことを気遣って、可愛がってあげた方がいいんじゃないか?」


 自分で言っておきながら、僕にもいまいち理解できない。自分を気遣うとは何なのか。自分を可愛がるとは何なのか。

 それでも、悟ったように一歩引いてしまっている白鷺さんに、そう言ってあげるのが正解だと思った。

 川がせせらぐように、白鷺さんは呟く。


「そんなこと……今さらしたところでね……」


 再び、退屈そうな白鷺さんの視線は、窓の外へと移った。

 果たして白鷺さんは今、何を考えているのだろう。僕の言葉を頭で反復しているのかそれとも、僕の言葉などとっくに頭の片隅へ追いやったのかもしれない。

 届いて欲しいとまでは言わない。だからせめて、退屈そうで卑屈そうで偏屈そうな、その瞳で、僕を見て欲しかった。

 けれど結局、いつまで経っても白鷺さんが僕を、見てくれることはなかった。


「あーあ……なんか僕まで、眠くなってきた……」


 かまって欲しさ故に、眠くもない癖に眠いと言う僕。まるで母親に甘える子供のような自分に、複雑な感情を抱く。


「ちょっと、やめてよ。あんたが寝たら、あたしどうすればいいのよ」

「お前も一緒に寝ればいいじゃん」

「はあ……? 呆れた。男の子の家で、無防備に寝るなんて出来るわけないでしょ」

「それなら、帰れば?」


 何を思ったか、白鷺さんはぐっと言葉を噛み殺して、僕を睨んだ。

 帰りたくない、という意思表示なのか、それとも別の何かなのか。

 生憎ながら、僕は女性の心情を察知するのが得意ではないので、その場ですぐには分からなかった。


「帰りたくないなら、僕の家に――」

「却下。無理。うざい」


 最後は完全に僕への悪口であったが、それはまあいい。


「じゃあ、そんなに僕と一緒に居たくないなら、さっさと帰ればいいじゃないか」

「だから……その……帰りたい気持ちはあるのよ? ていうか! 帰りたい気持ちしかないわよ!」

「あ、ああ……そうかよ……」


 腕をバタバタと振り回す白鷺さん。慌てているというより、照れていると表現した方が正しいだろう。

 赤い絵の具で描いたように、白鷺さんの頬は鮮やかな紅色に染まっていた。


「だからさ……あの、あたしね……」

「さっきからやたらとハッキリしないな。なんだよ。言いたいことがあるならちゃんと言ってくれ」

「帰り道が……分からないの……」

「はあ? なんだって?」


 ギュッと拳を握りしめて、辱めを受けたみたく、白鷺さんは泣きそうな表情になる。


「だから……ここから駅までの帰り方が、分からないの……」


 そんなに恥ずかしがることなのだろうか。今日、初めて、僕の家にやってきたのだから、帰路が分からなくても不思議じゃない。


「了解。それなら、駅まで送ってあげるよ、と言ってあげたいところだけど、風見鶏ちゃんがまだ寝てるからな。さすがに一人残して、家を空けるのは心配だ」

「それは分かる。帰り道は分からないけど、それぐらいはちゃんと理解してるわよ」


 自虐なのだろうか。わざわざ自分の顔に泥を塗るような発言。まあ、いずれにせよ、今は風見鶏ちゃんが起きるのを待つしかない。


「………」

「………」


 そして、この状況である。気まずい。白鷺さんを、女性として意識しつつある自分。さっきまでは何とも思わなかったのに、どうしてこのタイミングで、意識してしまったのか。

 お昼休み後の教室みたく、昼食の残り香が漂う僕の部屋。小さな寝息ですら、やたらと大きく聞こえてしまうほどに静かだ。

 燦々と輝く太陽の陽射しが窓から射し込み、閑散とした部屋の中をライトアップする。


「あのさ」「ねえ」


 二人の言葉が重なり、目を合わせる。


「お前から先に言ってくれ」

「そっちが先に言ってよ」


 重要な話ではなく、気まずい雰囲気を払拭しようと雑談をするつもりだったのだが、まあきっと、白鷺さんも同じようなことを考えていたのだろう。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」

「どうぞ」


 どこか余所余所しい白鷺さんを一瞥してから、僕は言葉を紡ぐ。


「白鷺さんって、何歳? ていうか、高校生?」

「なんだ、そんなことか」と言って、白鷺さんはため息をついた。

「女性に年齢を聞くのはどうかと思うけど、まあいいよ。あたしは高校一年生だから。あんたは?」


 あえて年齢を教えたりせず、学年を教える。恐らく、年齢をあまり言いたくなかったのだろう。けれど、自分の歳を隠したがるような時期ではないと思うのだが。

 しかし、これ以上突っ込んだら、怒られそうなので「僕も高校一年生だ」とだけ、伝えることにした。


「なんだ。あたしてっきり、自分より年下だと思ってた、あんたのこと」

「そんなに僕って、若く見える?」

「若く、っていうか、子供っぽく見える」

「ああ、守ってあげたくなる、みたいな?」


 げんなりとした表情で、白鷺さんは僕を見た。


「どうしてそうなるわけ……? 違うわよ。こんな幼い優子ちゃん相手に、ムキになったりする辺りが、子供っぽいってこと。だって、喧嘩するってことは、同じ土俵に上がるってことでしょ?」


 認めたくはないが、確かに言い得て妙ではある。


「ま、まあそれはともかくとして。お前が言おうとしてたことは何だ?」


 白鷺さんはちゃぶ台の上で頬杖をついた。


「別にあたしも、たいした話じゃないけど、ちょっと言っておきたいことがあって」


 一間を置いて、白鷺さんは言う。


「あたしのこと、優子ちゃんもあんたも白鷺さんって呼ぶでしょ? それ、やめて欲しいなって」


 特に意識していたわけではないけれど。嫌だということなら、呼び方を変えよう。


「じゃあ、桃音ちゃん」

「どうしていきなり馴れ馴れしくなったのよ」

「じゃあ、桃ちゃんとか?」

「さん付けをやめろって言いたかったんだけど。白鷺さんじゃなくて、白鷺って呼んで欲しかったんだけど」

「分かった。分かったから。それなら、僕のことも透君って呼んでいいから。それでおあいこだ」

「ちょっと、ちょっとちょっと、そういう問題じゃないんですけど」


 面白いぐらいの真顔で、白鷺さん改め桃音ちゃんは僕を見る。


「冗談だよ。僕のことはそのまま御手洗って呼んでいいから、だから、僕はお前を桃音ちゃんと呼ぶことにする」

「せめて、ちゃん付けはやめて。桃音って呼んで。なんか、ちゃん付けは気持ちが悪い」

「いいのかい? そんな簡単に僕に心を開いて」

「勘違い甚だしいわね。もはや気持ちが良いぐらいよ、ここまでくると」


 唇の端をわずかに釣り上げ、苦い笑いをする桃音ちゃん改め桃音。

 と、そこで、ハッとしたように目を見開いて、ベッドから起き上がる風見鶏ちゃん。 

 きょろきょろと部屋の中を見渡し、細い首を左右に傾ける。


「ようやく起きたか、ゆうこりん」 

「誰ですかそれ。勝手にあだ名をつけないでください。私は優子です」


 目覚めて間もないけれど、しっかり頭は働いているようだ。

 風見鶏ちゃんは僕の言葉を捌きつつ、重たい瞼を擦る。


「お前をもう少し寝かせてあげたい気持ちで山々だが、ほら、そこにいるお姉さんが、家に帰りたいってうるさいんだよ」


 案の定、決まり悪そうにそっぽを向く桃音。

 僕はその顔が見たかったのだ。

 さきほどは、風見鶏ちゃんと一緒になって、僕のことを散々バカにしてきたからな。そのお返しである。

 二人が立ちあがったことを確認すると、僕は家の鍵を手にとって、早速出かける準備をすることに。


「よし、行こうか」


 それから、たいして長くはない道のりを三人で歩き、駅に到着した。桃音も風見鶏ちゃんもここからそんなに遠くはないところに住んでいるらしい。

 二人の背中をしばらく見送り、僕は元来た道を帰っていく。

 退屈な一日になるはずだった今日。バイトもなく、用事もなく。ダラダラと過ごす予定だったけれど、まあ、悪くはない。

 たまにはこういう一日があっても悪くない。

 大きく背伸びをしながら、僕は静かに、笑うのであった。

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