僕は二人に出会った その②
会えない時間が愛を育てる。なんて言葉があるけれど、僕の親父の場合、愛を育て過ぎた気がする。
正妻を差し置いて、余所の女に子供を身籠らせるなんて、大した色男である。
そう考えれば、僕のみならず、白鷺さんや風見鶏ちゃんは当然として、親父にたぶらかされた女性たちも、被害者なのだろう。
それにしても――
「とんでもないことになったな……」
玄関から僕の家の中へと舞台を移し、僕ら三人はちゃぶ台を囲っている。
テーブルなどと言うオシャレな家具は、この家には存在しない。
そもそも、あんな大きなものを置けるほど、僕の家は広くないのだ。
「そうね、とんでもない状況よ、これは」
僕の言葉を反復するように、白鷺さんは言った。恐らく、そうする他なかったのだろう。
そしてまた、風見鶏ちゃんも同じように。
「とんでもないですね、本当に」
と、多少の差異はあるけれど、やはり、僕らと似通った言葉を選ぶのであった。
タイミングばっちりに、僕らはため息をつき、俯いた。
阿吽の呼吸とは正しくこういうことだ。
「母は違えど、父は同じ。複雑だな、僕たちって」
「そうだねぇ……単純では、ないよね」
僕が用意したお茶を、ずずっと啜る風見鶏ちゃん。冷たいお茶を、熱そうに飲む風見鶏ちゃんを見て、僕はとりあえず、笑う。
「なにがそんなに楽しいんですか? もしかして、このとんでもない状況に混乱して、頭がおかしくなってしまったのでしょうか」
相も変わらず、酷い言い草だ。
「まったく……どうしてそんなに言葉遣いが悪いんだ、お前は。親の顔が見てみたい」
「あなたの父親ですけど? 私のお父さんは」
「ああ、やっぱなんでもない……」
相手のことを貶す言葉であるはずなのに、むしろ、僕の心を痛めつける結果となった。
やはり、悪い言葉は使うべきじゃない。いずれ自分に、返ってくるのだから。僕は心から反省する。
「ていうか、風見鶏ちゃん」
話題転換と言うよりは、先ほどから気になっていたので、僕は話を振る。
「お前は結局、僕の親父と会って、本当の父親と顔を合わせて、どうするつもりだったの?」
もう既に、僕の両親が死んでいることは伝えてある。白鷺さんと同様に、風見鶏ちゃんもやけにクールな反応を示したが。
まあ、そんなことはどうでもよくて。
女座りから体育座りへと変え、風見鶏ちゃんは言った。
「分からないです。私はあなたのお父さんと会って、何をしたかったのかなんて、分からないです」
「分からない? でも、優子ちゃん。あなたも達也さんにムカついて、文句の一つや二つ言ってやろうと思って、だからここまで来たんじゃないの?」
風見鶏ちゃんは、両足の間にできたスペースに顔を埋める。
「そうじゃないです……別に、ムカついたりはしてません……」
僕と白鷺さんは目を合わせ、首を傾ける。
出会ってから初めての落ち込んだ様子に、僕は少し、心を打たれた。
「そうだよな……お前みたいな幼い子供に、この現状は厳し過ぎる。頭がこんがらがるのも無理ないさ」
「子供扱いしないで下さい……不愉快です……」
「そうかよ。悪かったな」
最初こそ、風見鶏ちゃんの無礼な態度にイラっとしたが、もう今はそんなことはない。むしろ、可愛いとすら思える。
「そうだ」
いきなり言葉を発した白鷺さんに視線を移す。
こっちはこっちで、別の意味で可愛いな。そんな邪な僕の心情を察知したのか、白鷺さんは警戒の色を瞳に宿す。
「なんなの、その顔、その目、その服装は? 優子ちゃんの言葉を借りるところの、不愉快なんですけど」
僕の服、まあ、ジャージなんだけれど。それを指さして、有言実行、しっかりと不愉快そうな表情をしている。
「顔と目に関しては謝る。だけど、服装は関係ないだろ。それから、不愉快なんて単語すら、幼女の言葉を借りなきゃ出てこないのか? やばいな。お前の頭、やばいな」
売り言葉に買い言葉。白鷺さんは僕の安い挑発に乗り、言い返す。
「やばい? ふん、やばいのはそっちの方でしょ? なに? もしかして、ジャージしか持ってないの? うわぁ……ださい。もう目も当てられない」
両目を手で隠し、かの有名な、見ざる聞かざる言わざるの、ちょうど見ざるのようなポーズをしてみせた。
「猿かよ……」
僕はぼそりと、しょうもない悪口を言った。さきほど悪い言葉は使わないと誓ったばかりではあるけれど、まあ、過去は過去、今は今である。
「猿? どういうこと?」
しかし、どうやらあまり、頭がよろしくないようで、白鷺さんは僕の悪口を理解できないのであった。
「とにかくだな。ジャージをバカにするな、ということだ」
ショートパンツとニーソによって生み出される、いわば絶対領域に目を奪われながら、僕は話をまとめにかかる。
依然として進展のない話合い、というより、雑談か、これじゃあ。
だいたい、この状況にどういう落ちをつければ、決着がつくのかも分からないのである。
当然、何を話すべきかが分からず。
自然、僕らはだらける。
「なんか、この部屋、匂います」
鼻の穴をしきりに動かし、風見鶏ちゃんは訝しげな顔をする。これだから子供は恐ろしい。思ったことをすぐに口にしてしまうのだから。
「匂う? それって良い意味で?」
「逆に聞きますけど、良い意味で使えますか? こんな言葉」
「知ってたか? 逆の対義語って、順なんだぜ?」
「話を逸らさないで下さい。もう一回言いますけど、この部屋、いや……もしかしたら、御手洗さんが臭いのかもしれませんね」
話題を変えるどころか、むしろ、悪化した。二コリと屈託のない笑みを零す幼女、もといクソガキに、僕も負けじと微笑み返す。
「うわ、なんか、匂います。臭いです。笑わないでください」
「そんなはずがない。僕は昨日、風呂に入ったんだから。ちゃんと洗顔もしたさ」
「たぶんあれですね。ブルドックと同じで、顔の皺から匂ってくるんですよ、嫌な匂いが」
ブルドックと同列に扱われてしまったことに、僕は落ち込んだ。もう自分の父親がどうとかよりも、こんな小さな子供にバカにされたことで、へこんだ。
ポンと、僕の肩を叩く白鷺さん。
僕を励ましてくれるのかと思えば、そんなことはなく――
「確かに、この部屋はカビ臭いのよ。今度からちゃんと、掃除しておきなさいよ?」
「はい……」
少女と幼女の総攻撃を受けて、僕は完全に沈黙した。穴があったら入りたいし、穴がなくても入りたい。
「そうそう、さっき言おうとしてたことなんだけどね」
僕にではなく、風見鶏ちゃんに向かって話し出す白鷺さん。
「優子ちゃんさ、お昼ご飯ってもう食べた?」
不思議そうな顔で、「食べてないです」と、風見鶏ちゃんは答える。
軽く両手を叩いて、白鷺さんは勢いよく立ちあがった。
「よし。それなら、あたしがお昼ご飯を作ってあげる!」
かなりの困惑をチラつかせ、風見鶏ちゃんは僕に救いを求めてきた。まあ、その気持ちは分からなくもない。
白鷺さんは、どう見ても、料理が出来そうには思えない。むしろその逆である。下手糞そうである。
「え、なんで? なんでそんな、不安そうな顔をしてるわけ、二人とも」
「いや……別に。風見鶏ちゃん、どうする……?」
「何事も挑戦、と言いますし……ここは一つ、覚悟を決めましょうか……」
「それは、英断とは言い難いな。やけくそって感じか」
「ですね。やけにくそ、って感じです」
おいおい。とんでもないところで言葉を区切ったな。
苦い顔をした僕らを前に、白鷺さんは機嫌を損ね――ていない?
腕組みをしながら、いやに気味の悪い笑みをつくっている。アニメやドラマの裏設定が気になるように、僕はその笑顔にどんな感情が隠されているのか、気になった。
「そうだなぁ――」
ふふ、と、上品に笑いながら、白鷺さんは言う。
「御手洗とかけまして、優子ちゃんと解きます」
「そ、その心は……?」
バンと、ちゃぶ台を思い切り叩いて立ち上がる白鷺さん。コップが揺れるほどだ。相当な力、要するに全力でちゃぶ台を叩いたに違いない。
僕は、学習をする。今後は、白鷺さんを怒らせるような発言は控えよう、と。
しばしの沈黙を置いて、白鷺さんは言った。
「どちらもムカつく。よって、お昼ご飯を作ってあげるのはやめました」
全然、謎かけじゃない。単なる愚痴だ、それじゃあ。
安心し切った表情を浮かべる風見鶏ちゃんを横目にして、僕はとりあえず謝る。
「あ、ごめん。僕としては、白鷺さんを怒らせるつもりはなかったんだ。ただ、白鷺さんの作る料理は不味そうだなって思ってさ」
「あんたさ、無神経なの? それとも、死にたいの?」
あなた、から、あんたに格下げされてしまった。でもまあ、打ち解けたということ、だろう。そう思う。そう思いたい。
「いやいや、無神経ではないし、死にたくもない」
「御手洗さんは、本当に失礼な男ですね。死ねとまでは言いませんが、せめて、この地球から立ち去って欲しいですね」
「何時の日か復讐してやるぞ、宇宙人になって」
「ああでも、それじゃあ、宇宙人の方々にもご迷惑をおかけしてしまうかもしれません。なので、やっぱり、死んでください、御手洗さん」
「結局そこに落ち着くのね、この話は……」
精一杯の悲しみを胸に抱いて、僕はその場で項垂れる。
「じゃあ、こんな男は放っておいて、優子ちゃん。あなただけに、お昼ご飯を作ってあげるね」
「うえっ……」
踏みつぶされたカエルみたいな声を出す、風見鶏ちゃん。罰が当たったというか、ざまあみろというか。
「良かったな、白鷺さんの手作り料理が食べられて」
ジト目で僕を睨みながら、風見鶏ちゃんは渋々言った。
「う、嬉しいです……白鷺さんの料理が食べられるなんて、光栄過ぎて、吐きそうです」
「いやいや、食べる前から吐くなよ。吐くならせめて食べた後にしろ。それから、僕の家で吐いたりしたら、出入り禁止だからな、一生」
「ちょっと、あんた。それどういう意味よ? 失礼しちゃうわね、まったく」
さてと、と、半袖の癖に腕まくりをするような仕草をして、白鷺さんはキッチンへと向かう。後ろ姿もなかなかのもので、思った以上にスタイルが良い。
「適当に使わせてもらうわよ、キッチン。って、汚すぎでしょ……これ。なんでこんなところに野菜の残骸が残ってるのよ……あり得ない」
ブツクサと文句を垂れつつ、白鷺さんは料理器具を取り出す。僕の危惧していることが的中しないことを祈りつつ、その時が来るのを待った。