僕は三人と笑い合う
決意と表現するにはあまりにも過大で、想うと表現するのではいささか物足りず、結局のところ僕は、特に強い感情を抱くことはやめておいた。
脳内だけではまとまらず、紙に言葉を連ねてようやく、伝えなければいけないことが整理できた。あとはもう、二人に会うだけだ。
会って、話して、それで終わり――とはいかない。
さらに納得をしてもらわなければならないのだ。
僕の足取りは面白いぐらいに重たく、今にも踵を返してしまいたいぐらいである。
「さすがに……緊張するな……」
震える身体に力をこめ、振り払う。この入口をくぐるのは、これで三度目。僕が一歩を踏み出す時、何かが変わることを信じ、願い、正面から入っていく。
既に二人は対面する形で着席しており、僕が来たことを確認すると、僕と同じように緊張した面持ちで出迎えてくれた。
「待たせたな、桃音、優子」
「ううん。大丈夫。そんなに待ってないから」
「私はけっこう待ってましたけど、それより、大事な話とはいったい……?」
僕は桃音に目配せをする。僕から話すという意味をこめた視線だ。
「単刀直入に話をさせてもらう」と、桃音と隣り合った形で腰かけて言う。
「僕は桃音と……付き合うことにした」
「はい?」
普段はクールな優子でも、この発言ばかりは自分の耳を疑ったのだろう。
「もう一度言うぞ。僕は桃音と、付き合うことにしたんだ」
「………」
予想通りの沈黙。無言。そして静寂。
「ゆ、優子ちゃん……あのね――」
「待った。今はとにかく、何も言うな、桃音」
手で桃音の言葉を遮り、僕はただジッと、優子の言葉を待った。
優子のお気に入りのワンピースが日差しに反射し、思わず僕は目を閉じた。
「私はこう見えても、けっこう聡いです――」
優子の表情を見る。見たくはないものを、見ざるを得なかった。不安が募りに募って、それが爆発してしまえば、容易く優子を壊してしまいそう。
「お二人が付き合うことに、疑問は感じません。もしかしたらそうなるかもって、ここ最近は思ってました」
「じゃあ――」
僕の発言を許さず、優子は続ける。
「でも、それはあくまでも、疑問を感じないというだけで、認めるというわけではありません」
「………」
「一週間そこらの間柄で、どうして好きとか嫌いとか、そういう感情を抱けるのか、理解できません。ハッキリ言って――」
ハッキリ言って、気持ち悪いです。
朽木先輩とは違って、優子はちゃんと、言ってきた。
「考えてもみてください。あなたちは兄妹なんですよ? 異母兄妹とはいえ、法律上で結婚することは禁止されています。そんな……そんな後のない恋愛なんてして、どうするんですか?」
何度も何度も、桃音と話し合った。先の見えない、暗闇しか見えない恋など、果たして本当に恋と、愛情と呼べるのか。結論は出なかった。
それでも、お互いに好きという感情がある限り、恋愛と呼べずとも、結婚できずとも――それでもいいのではないかと思う。
きっと僕らにまともな両親がいたら、こんな事態にはならなかった。歯止めをきかせる存在がいなかったからこそ、僕らはここまで辿り着いてしまった。
けれども、朽木先輩が言ったように、許されないからこそ、認められないからこそ燃え上がってしまうものなのだ。炎が消えるには、燃え尽きる必要がある。
だからこそ、燃え尽きるまではしばらく、熱い熱い情熱に駆られ、もっと先へと進んでみようと思った。
「バカ……だよな」
自分の心の声をきかせるように、僕は言う。
「愚かだよ。誰がどう考えても、こんなことはするべきじゃないって思いとどまるはずだ。それを分かってるのに、止められないんだよ……もう……」
「そうですか」
「僕は結局……親父と同じ、どうしようもない男だったわけだ……」
「違いありません」
僕は言うか言わないか迷っていた。これを言ってしまったらもはや、後戻りできない。最悪の場合、後にも先にも右にも左にも、どうしようもなくなってしまうかもしれない。
けれど、僕のこの役立たずの口は、開いてしまったのだ。
「僕はさ、もし本当に、桃音のことを一生好きでいられたなら――駆け落ちしても、いいんじゃないかなって、思っちゃったんだよ」
「「なっ……!?」」
思いがけない発言に、桃音も優子も硬直した。
「別に今すぐってわけじゃない。僕らが二十になって、三十になってもまだ、この関係が続いていたなら、もうそうするしかないなって」
いや、もっと他にやりようがある気はするけれど、少なくとも今の時点では、漠然とではあるがそう考えている。
そんなに長続きするのか分からない。もしかしたら明後日ぐらいには、やっぱりやめようと、そう言い出すのかもしれない。
でも今はそうじゃない。
愚人は過去を語り、賢人は今を語り、狂人は未来を語るものだ。
だからこそ僕は今という瞬間を、大切にしたい。
愚人が賢人を装うのも、悪くはないさ。
「だ、誰が喜ぶんですか!? そんなことして、我武者羅に全力疾走して、誰が喜ぶっていうんですか……? そんな不幸なことをして……私が悲しまないとでも……?」
気づけば優子は僕のもとへと近寄り、必死の形相で訴えかけている。
「正気ですか……?」
「ああ、正気だ」
「バカなんですか……?」
「かもな。僕はきっとバカなんだろう」
「じゃあ……そんなどうしようもなくバカなお兄ちゃんにお聞きします」
そんな前振りをしてから。
「私は二人に……見捨てられてしまう。そういうことなんですよね」
それは違うと、僕が心で思ったのと同時。桃音は言った。
「まだ駆け落ちするかどうかなんてわからない……でも、もしそうなったとしても、優子ちゃんを見捨てるなんて、するはずがないよ」
「じゃあ何だって言うんですか。桃音さんもお兄ちゃんも、兄妹の癖してなにやってるんですか。私の周りの人間はクソッタレばかりだと思ってましたが、まさか二人とも同類だったなんて。もう最悪です。最悪な気分ですよ……」
一度流れ出した水は、どう足掻いても止まらない。
止めるためには、水をすべて蒸発させるしかないのだ。
「みんな……そんなに私を見捨てて、楽しいんですか……? 私を見捨てることが生き甲斐なんですか? ああもう最悪です」
ここで三度目の、『最悪』という単語が。
「こんなことなら……こんなことなら! 兄妹なんて……お兄ちゃんなんてお姉ちゃんなんていらなかったですよ!? どうせ私を見捨てるなら……なんで私に優しくしたんですか……? なんで私に――」
手を差し伸べたんですか?
優子の言葉はきつく、僕の心を握りつぶした。
「ふざけないでください……」
「ふざけてなんかないよ、優子ちゃん……」
「私には私の人生があるように、二人には二人の人生が、選択肢があります。けど……どうして普通のお兄ちゃんじゃ、お姉ちゃんじゃ……ダメなんですか……? 意味わかんないですよ……もう」
語気を強め過ぎたせいか、優子は肩で息をしている。
僕は決して目を逸らさぬようにして。
「たとえ駆け落ちした、兄妹で愛しあった僕らだとしても、お前を見捨てたりはしないさ。それだけは約束する」
「社会から拒絶されても、人から後ろ指さされても、知人から蔑まれても、それでもお兄ちゃんは……私のお兄ちゃんであり続けると、そう言うんですね……?」
もうこのタイミングを逃したら、優子が遠くに行ってしまいそうに思えた。気持ちをぶつけることしかできないけれど、それだけでもやっておこうと、思い立ったのだ。
「僕はどんなにバカでも、どんなに愚かでも、お前のお兄ちゃんをやめる気はない。だから、たとえ桃音と駆け落ちしたとしても、僕がお前を妹だと思ってる限りは、お前が僕を兄だと思っている限りは、変わらない。変われないんだよ……」
優子は静かに笑うと、僕の頬を盛大に叩いた。子供の頃の喧嘩で殴られた時より、何十倍も痛かった。
「ふざけないでください! 何が駆け落ちですか……高校生の分際で、子供の分際で、なにカッコつけてるんですか……? 無様です。聞くに堪えられません。もうウンザリです……! どうせ少ししたら、やっぱやめたって、そう言うのは目に見えてます……!」
「そんなことないよ、優子ちゃん」と、諭すように桃音は語りかける。
「あたしはもう決めた。御手洗君しかいないって、御手洗君しか見れないって、御手洗君しか考えられないって、そう思って……決意したの」
「一週間そこらの関係で、どうしてそこまで言えるんですか……?」
肩を竦め、桃音は僕の頬を――叩かれた頬を、優しく撫でる。
「まあ実際、駆け落ちなんてさ、しないと思うんだよね。だって御手洗君は、変なところで優しいから、あたしや優子ちゃんのことを想って、きっと踏みとどまると思う。たとえどんなにあたしがそれを願っても、きっと叶えては、くれないんだよ」
下唇をきつく噛みしめ、優子は視線を下に落とす。
「じゃあ……どうして駆け落ちするかもなんて……言ったんですか……」
「それも御手洗君の優しさ、なのかな」
「優しさ……?」と、おうむ返しで聞き返す優子。
「やっぱり、兄妹で恋人になるってことは、下手したら結婚までいっちゃうかもしれない。そういう可能性もあるでしょ?」
「知りません……そんなもの……」
「だから御手洗君は、限りなくゼロに近い可能性の話まで持ち出したのよ、わざわざ」
「なんのために……ですか」
「有耶無耶にしないため。そうだよね、御手洗君?」
よくもまあ、心理学者のようにズバリと僕の心境をあてたものだ。寸分違わずにその通り、とは言えないけれど、おおよそ言っていることは正解だ。
僕は恐らく――いや、優子も同じなのだろう。僕らの恋が長続きすることなど、まったく考えていない。行き当たりばったりで、きっとすぐに躓く。それを予想したうえで、僕らの儚い想いに希望を上乗せしたわけさ。
しかし、もし本当に順風満帆に物事が進んでしまったら、どうするのか。それを考えると、どうしても優子に、最悪の想定を話す必要があったのである。つまりは――有耶無耶にしないために。そして完璧に、認めてもらうために。そんな危なっかしい可能性をも含めて、だ。
「優しくなんてないけどな。こんなものは、ただの自分勝手に過ぎない」
小刻みに身体を震わせ、優子は消え入りそうな声で、呟いた。
「認められません……」
「………」
「認められるわけが、ないじゃないですか――」
人があまりいない時間を見計らっての話し合いだったけれど、気づいた頃には、けっこうな時が流れていたようだ。
餌に群がる蟻のように、うじゃうじゃと子供たちが帰ってくる。
僕らを見る視線は、やはり好奇なものであった。
人を気にするような、人目を憚るような素振りを見せ、優子は声のトーンを下げる。
「その、もしもの可能性を考慮しでもなお、認めてしまえば……それはつまり、私をどうぞ見捨ててくださいと、言っているようなものです」
「なんで僕らが、見捨てると思うのさ?」
「だって……駆け落ちをするということは、何もかもを捨てて、二人だけを頼りにして、生きていくということじゃないですか……」
いくぶん落ち着いた優子であるが、その瞳にはまだまだ動揺がある。
僕とて分かっている。こんな話を、子供の優子にするべきではないことぐらい。
「僕も色々と考えて、考えて、そして悩んだ。駆け落ちする可能性なんて確かにゼロだ。でも、そうなってしまったとしたら、どうするか。そこまでちゃんと考えたんだよ」
僕の言葉に期待している桃音。きっと優子を納得させることができるのだろうと、そんな期待を視線で伝える。
「じゃあ、その答えは出たんですか……?」
さあて。果たしてこれで、納得してくれるかどうか。
「ああ、出たよ」と、短く言葉を区切り、僕は言う。
「お前を巻き込む。それが答えだ」
「巻き込む……? 意味が分からないです」
「つまりだな――お前を養子として引き取る。もし僕らが駆け落ちするとしたら」
予想を遥かに超えてしまった僕の説得に、桃音は「ううん……」と難色を示し、優子はポカンと口を開けたままであった。
「現実的に……できるの……?」
「できなくはない。まあ形上、優子の兄である僕が、妹を引き取るってことになるんだろう。僕と桃音の養子っていうよりか、単に妹の面倒を見てやる、って感じなんだろうな」
何を思ったか、桃音は「なるほどね」と、妙な納得をした。
「だから言ったろ? 僕らはどこまで行っても、どう足掻いても、兄妹なんだって」
まだ文句を言ってくるかもしれない。身構え、次に備えをしていた僕であったけれど、意外とそんなことはなかった。
「先程も言いましたが、私は聡い子です……。今になってようやく、気づきました――」
ため息を漏らして項垂れる。
「駆け落ちするなんて話は……ただの前振りみたいなものだったわけですね」
「さすがは優子だ。自分で聡いと言うだけのことはあるじゃないか」
「ええ、まあ……」
優子は座り直し、また僕と対面して、ようやく笑ってくれたのだ。
「お兄ちゃんが大きくなって、社会に出て、まとまったお金を稼げるようになったら……私の面倒を見てあげる。そういう話を……するつもりだったんですね……?」
「悪いな。僕はあんまり、話し上手じゃないから、ちゃんと順を追った話ができなくてさ。もっと上手い方法はあったと思う。でもやっぱ、こうなっちまった」
桃音と話し合った時は、あくまでも優子に、付き合うという話をするだけ、そう決めていた。しかし、後になって考えてみると、この話も一緒にした方がいいのではないかと、思ったのだ。
すべては僕の独断。
桃音と付き合うことで、優子は妙な詮索をし、そして自暴自棄になるかもしれなかった。だからあらゆる可能性を考え、それに対する反論を考え、準備万端さあ話そうと、こうして優子と向かいあったわけだ。
繰り返そう。
僕は桃音のことが好きだ。女性として好きだ。でも駆け落ちしようとまでは思っていない。
そして桃音も僕のことが好きだ。男性として好きだ。でもやはり、考えは同じである。
極論を言ってしまえば――僕も桃音も、兄妹としての絆を、家族としての繋がりを、強く求め過ぎてしまった結果が、付き合うというものだった。
色々と御託を並べてしまったけれど、最終的にはそこに行きつく。
やっぱり、若気の至りだったと、言う他ないのだろう。
「仕方ありませんね」と、優子は言う。
「やたらと面倒な方法で、前段階を踏まされたわけですが、まあいいでしょう」
「じゃ、じゃあ優子ちゃん……それはつまり……?」
疑問形であるのに、桃音は顔いっぱいに喜びの花を咲かせている。おかしなやつだ。
そしてここにも、先程とは打って変わって、微笑んでいるおかしなやつがいた。
「認めます。お兄ちゃんとお姉ちゃんのお付き合い、認めますよ……もう……」
「やったね御手洗君っ!」
「うおっ……!」
隣に座っていた桃音は、僕の身体に抱き付いてきた。柔らかい桃音の身体が僕と重なり、なんだかとても気分が良かった。
ちょっと前に感じた匂い。
甘くて、爽やかで、それでもって切ない桃音の匂い――どういうわけか今日は、ただ甘いだけに感じる僕なのであった。
「おい見ろよ! あそこでカップルがイチャイチャしてるぜ!」
「ああ! ほんとだ! やっべえ……あいつらやばいぜ!」
偶然通りかかった子供たちが、僕らを指さしケラケラと笑っている。
「み、見世物じゃねえぞ!」
「ヒューヒュー!」
「おい……優子まで何してるんだよ……」
ヒューヒューって……。
いつもいつも、人生は上手くいかないものだ。
でも僕は、こうも思った。
人生は上手くいかないからこそ、イレギュラーな事態が発生するのだと。もちろんイレギュラーな事態が良いものだとは言わない。けれど、たまにはそういう異常事態が起きるからこそ、人生は楽しく、そして捨てたものじゃないんだと、思える。
僕の親父は最低な男だった。
だけど、桃音と優子という最高の家族を遺してくれた。
これこそ正しく――イレギュラーそのものというわけだ。
どうかみんなも……諦めないでくれ。
親父が女ったらしでも、両親を若い時に失ってしまっても、母親が男好きでも、親戚に見捨てられたとしても――いつか必ず、花は咲くのだから。




