僕は朽木先輩を頼ってみる
「なんだか御手洗君、浮かない顔してるね」
まったく迷子が来ないことに退屈し、あくびを一つ零した僕。
そんな僕を見かねたのか、朽木先輩はそう言ってきたのだ。
「皮肉なもんですけど、迷子が来ないと僕らは暇ですからね。やっぱりこうも無駄な時間を過ごしてると、考えものってやつですかね」
ボーっと窓の外を眺めつつ、朽木先輩は言った。
「何を言ってるのさ、御手洗君。迷子がいないなら、それだけうちらは楽できるわけだ。それなら、迷子が来ないことは良いことに決まってるよ」
そういえば朽木先輩も、僕のことを御手洗君と呼ぶんだっけ。
桃音と同じ呼び方をすることに、なんだか違和感のようなものを感じる。
「ですね。じゃあ、そういうことにしときます」
「ところで御手洗君」と、今度は僕と目をしっかり合わせる。
「なんだか浮かない顔をしてるね。何かあったのかな?」
「それ……さっきと同じ質問ですね」
「だって御手洗君、うちの質問に答えてないもん」
屈託のない笑顔と、ブイサイン。
僕は朽木先輩をジト目で見る。
「なんでもないですよ……」
「そうやって言葉を濁すってことは、つまりはあれかな。色恋沙汰かな」
「好きなんですね、そういう話が」
「三度の飯より人の恋。まさしくうちは、そういう人間さ!」
「いやご飯ぐらい食べてくださいよ……恋なんか気にしてないで……」
ジリジリと詰め寄る朽木先輩から距離を取り、生ぬるい視線を交わして、僕は話を変えることにした。
「だいたい、そう言う朽木先輩こそ、なんかそういう話ないんですか?」
「うちはない。うちにはないよ。だって今までに、恋とかしたことないし」
「つまり、彼氏いない歴イコール、年齢?」
「いかにも」
恋路を全力疾走するのはどうかと思うけれど、朽木先輩みたいに、恋路から逸れ過ぎてしまうのも良いことではないのではないか。
「じゃあ、好きな人とか……」
「いない。いたこともない」
「……朽木先輩って実は、同性愛者、とか?」
「おお、その発想はなかったよ御手洗君」
その発言を聞けて良かったです、朽木先輩。
ホッと一息をついたところで。
「でも、そういう禁じられた愛、みたいなのって憧れちゃうかも」
「禁じられた……愛……?」
そう言いながら、僕には身に覚えのある出来事が、ふと頭をよぎる。
「なんかさ、燃え上がるよね、テンション上がるよね、興奮するよね! そういうの」
「………」
大袈裟な身振り手振りを添える朽木先輩であったが、僕の顔色を見るや否や、何かに勘付いたような顔をする。
「ちょっと待った。なにその顔、なにその反応……まさか――」
「ち、違います! 違いますからね!?」
一気に距離を縮め、朽木先輩は耳元で囁く。
「御手洗君って……男の人が好きなの……?」
「違います」
予想の斜め上方向へと、ホームランをぶっ放したな。
「じゃあ、なにさ。御手洗君は何愛者なのさ」
「僕は正常です。そんな特殊な人種ではありません」
「うわ、いまの人種差別ならぬ性差別だよ。そうやって特別視するのは、よくないよ?」
「気をつけます……」
どうやら危難は去ったようだ。いつの間にか朽木先輩は、僕から離れて、再び手持ち無沙汰な様子である。
「だめだ……今日の御手洗君には、キレがない」
「要するに?」
「話をしても、つまらない」
ストレートな物言いに、僕は顔を顰める。
「別に僕は、ふだんからこんな感じですけど。可もなく不可もなく、そういう男です、僕は」
「いや違うね、違うんだよ」と、朽木先輩は首を左右に振る。
「なんだか、浮かない顔というか……そう、そうだよ! 浮ついてるんだよ! 今日の御手洗君は! 何かが怪しいんだよね」
朽木先輩が敏感なのか、それとも僕が鈍感なのか。それはさておき。
「そんなんじゃないですよ。怪しくないです」
「否定するところが、ますます怪しい……」
「肯定しても否定しても、どちらにせよ疑いは晴れないわけですか」
取り調べを行う刑事のように、鋭い視線を浴びせ続けている。そして、何やら神の啓示を受けたみたいに、ハッとした表情をして。
「お前が殺したんだろう!」
「誰をですか……?」
「証拠ならもうあがってる、観念しろ!」
「じゃあ証拠を見せてください……」
「恐れ入りました」
「あんたが観念してどうするんですか……」
何一つ分かってなどいないようだ。僕の感じていた危機感は、まったくの勘違いだった。
「まあ冗談はここまでにしておいて、さ。御手洗君――」
安心し切っていた僕に、確信を持った顔で言い放った。
「桃音ちゃんと、何かあったでしょ?」
「どうしてそう思うんですか?」
「それ以外考えられないもん。まさか御手洗君ともあろう人が、他の女に現を抜かすわけもあるまいし、だとしたら当然、桃音ちゃんと何かがあったとしか、思えない」
まさかこの人は、朽木先輩は――すべてを悟ったわけじゃ、ないだろうな……。桃音との間に何が起きたのか。そして僕と桃音の関係がどう変わったのか。
まさかすべてを、理解したわけじゃ、ないだろうな。
あくまでも真顔で、けれど芝居がかった表情で、見ているだけで心を見透かされてしまいそうな、そういう瞳をしている。
じゃあ、もし桃音との関係がばれたら、どうなるのか。
蔑まれるのか? 侮辱されるのか? 嫌われるのか? 絶縁されるのか? 分からない……。
分からないけれど、それで、どうなると言うのか。そもそも桃音が僕の妹であると知っているのかすら不明である。別に――伝えてしまっても、良いのではないか。
しかし、先回りされてしまう。
「ああ、ちなみに、うちは桃音ちゃんが御手洗君の妹さんだってことは、聞いたよ、桃音ちゃんから。不思議だよね……同い年なのに、生まれた月が違うだけで、御手洗君がお兄ちゃんなんてさ」
「あいつ……余計なことを……」
目を伏せて、後ろめたい気持ちに駆られていると、朽木先輩は不思議そうな調子で言った。
「余計なこと、なのかな」
「だって……誰かに言う必要なんて……ないじゃないですか」
「まあ、それはどっちでもいいかな。それより、うちが聞きたかったのはさ――」
僕の両肩に手を添え、朽木先輩は一つ、笑ってみせた。
「どうするつもり? 桃音ちゃんと……付き合うの?」
「それも……桃音から聞いたんですね……?」
こくりと頷く朽木先輩をしり目に、僕はどうするべきかを迷った。
付き合うか付き合わないかではなく、はぐらかさずにちゃんと答えるかどうかを。
「僕は……僕には……よくわかりません」
「なにが分からないの?」
「桃音と付き合うのが、正解なのか。異母兄妹とはいえ、妹である桃音を……女性として見ても良いのかが……分からないんです」
僕よりもいくつか年上の朽木先輩なら、明確な解答を示してくれそうで。このどうしようもなく不安定な心を、安定させてくれそうで。結局僕は、すべてを打ち明けることにした。
「確かに僕は、桃音を可愛いと思うし素敵だとも思う。けど……どこかで気持ち悪い……そう思ってしまう僕もいて……なんで僕を好きなのかが理解できないんです……」
しばしの沈黙が続いて。
「異常だってことは、ちゃんと自覚してるんだね」
「そりゃそうです……まともだとは思えません……」
「下手したら、一時の気の迷いって可能性もあるもんね。若気の至りだって、そういう可能性もあるもんね。結ばれても、誰も喜ばない恋愛なんて、果たして恋と呼べるのかすら、微妙」
微妙か。朽木先輩なりに気遣ってくれて、言葉を選んだのだろう。気持ち悪いとは言わずに異常と言い、愚問とは言わずに微妙と言ってくれた。その地味な優しさが嬉しくて、僕は思わず口を開いてしまう。聞いてしまう。問うてしまう。
「もし僕と桃音が付き合ったら……朽木先輩はどう思いますか?」
朽木先輩が言葉を紡ぐのには、さほど時間がかからなかった。
「いいんじゃ、ないかな。もう別に、それでもいいんじゃないかなーって思う」
「本気ですか?」
「まじだよ。だってさ、桃音ちゃんが御手洗君の話をしてる時、すごく嬉しそうで楽しそうで、もうそんなに幸せなら、付き合っちゃえよって、うちはそう思ったよ」
どんな顔をしているのか分からないけれど、でも、朽木先輩がそう言うのであれば、きっと本当に桃音は、最高の表情をしているのだろう。
男嫌いになりつつあった桃音が、僕との出会いで変わる。これが悪いことなのか――いや、悪いことではある。兄を好きになる妹など論外だ。けれど――
「うちはね、桃音ちゃんと疎遠になってた時期が長いけど、ちょこちょこ噂は聞いてた。何人も寄せつけない孤高の女王、それが中学の時の白鷺桃音。小学校の時は……いじめられっ子だったのにね。最終的には、いじめられっ子と女王っていう称号を経て、今じゃ恋する乙女だよ」
あはは、と笑い、朽木先輩はクルリと一回転をする。
「別に良いじゃん。昔より確実に、素敵な人間になってるよ、桃音ちゃんは。その原因がたとえ、普通ではないとしても、良いと思うけどな」
すべて、『思う』と曖昧に濁しているけれど、僕を後押しすることは間違いなかった。
「そうですね……昔のあいつを知りませんが、朽木先輩がそうやって言ってくれるなら、ね」
もう一度僕は、桃音と向き合おう。そして気持ちを、ぶつけてみよう。
「おっ! なにやら迷子の匂いがプンプンするぞ! 御手洗君、さあ準備開始だ!」
ビシッという効果音がつきそうなほど、仰々しく扉を指さす朽木先輩。
「ようやく退屈な時間も終わりですね。さてと、頑張りますか」
泣きじゃくる迷子を笑顔で出迎え、僕らは再び仕事に取り掛かるのであった。




