表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/17

僕は心に複雑な気持ちを抱く 

 もう、説明するまでもあるまい。

 優子に会いに行ってから、幾日か経った頃。

 正確に言うのなら、土曜日の午後三時。晴れた天気に思わず笑みを零し、僕は洗濯物を取り込んでいた時のことだ。

 チャイムが鳴って、誰が来たのかと確認してみれば案の定、桃音がいたのだ。

 三日ほど会っていなかったけれど、それも精々三日である。たかだか三日である。

 もうお腹がいっぱいだ。

 別に会いたくないわけではないが、死ぬほど会いたいというわけでもない。

 どうしてこう頻繁に、僕に会いに来るのか理解できない。

 下手したら僕のことが好きなのかもしれないな。


「そういえば御手洗君の家って、テレビないよね」


 僕のベッドで、芋虫みたくゴロゴロしながら、桃音は退屈そうに言った。


「必要ないものはいらない。それが僕のモットーだ」

「ふうん」

「それから、他人のベッドでゴロゴロしない。それも僕のモットーだ」

「へえ」

「嫌味だぞ……?」

「そうなんだ」

「いや……ちょっとは受け止めてくれ、僕の言葉を……」

「うん」


 どうしたんだ一体全体。

 さっきは退屈そう、などと僕は表現したが、訂正しよう。

 どこか、うわの空な感じだ。

 話しかけても反応は薄く、焦点も僕ではなく壁に定まっている。自分から何か発言をしたかと思えば、桃音らしからぬ、かなりどうでもいい内容だし。

 試しに「パンツ見えてる」と言ってみたけれど、「ああ、うん」という普通の返答。

 縞々の下着を身に着けているのは意外だったし、そもそも、「きゃあ!」とか「み、御手洗君の変態!」とかってツッコミがこないのも不思議だ。

 それに加えて。

 桃音がよく着ているショートパンツ&ニーソではなく、お嬢様みたいにフワフワとした白いスカートに、黒いシャツの組み合わせ。

 何かがおかしいのは明々白々である。


「桃音ちゃん」

「うん」

「桃音っち」

「はい」

「桃音たん」

「そっか」

「ぺちゃぱい」

「だよね」

「ぷっ……」


 思わず笑ってしまった。

 無意識下でも、それなりに自覚はあるのかもしれない。いや、バカにするほど胸が無いわけではないが、誇れるほどの大きさではない。


「御手洗君ってさぁ……彼女いるの?」

「いるよ」

「ええ!?」

「うわっ、いきなり大きな声出すなよ……」


 予想していなかったぶん、僕の驚き方といったらそれはもう凄かった。肩がビクンとなり、勢い余って鼻水を噴射してしまうほどだ。

 そばのティッシュを一枚掴み、すぐさま清潔を保つ。


「冗談に決まってるだろ。僕に彼女なんていたら、きっと今頃、僕はお前といない」

「だ、だよね? ああ……もうふざけないでよ」


 起こしかけていた身体を戻し、再びベッドでくつろぐ。

 めくれてしまったスカートにようやく気づき、桃音は慌ててそれをなおした。


「見た……?」

「話は変わるけど、どうして今日はそんな恰好してんだよ」

「見た……?」

「………まあ、見たっていうか、見えちゃったって感じ」


 遅すぎる赤面をして、桃音は忌々しい目で僕を見た。


「そういう時は……見ないでよね……」

「そういう時って、お前がボーっとしてる時か?」

「別にボーっとなんかしてないもん」

「よく言うぜ……」


 鼻で笑ってやり、僕は「それで?」と、さきほどの続きを促した。


「これは……そう、セールでさ! 安かったから買っちゃったのよ」

「お前ってそういう服も、けっこう似合うな」

「そうかな? え、そうかな? そっか……ふうん。ありがと」

「でも僕は、お前の絶対領域も嫌いじゃないぞ」

「そうなの? へえ、そうなんだ。じゃあ次はまた、あの洋服着てあげるね」


 サービス精神が半端じゃない。このままなら、「お前の下着姿も、よく似合うぜ」とか言ってしまえば、普通に見せてくれそうだ。

 しかしだけれども、僕はそんな変態ではない。

 煩悩に打ち勝ち、思春期に別れを告げて、僕は平然を装った。いや、装っちゃだめか。僕は平然を保ったわけだ。


「あたしさ――」


 キチンと座り直しかと思うと、桃音は視線を彷徨わせながら言う。


「御手洗君のジャージ姿も……なかなか、カッコいい、と思う……」

「そ、そうか?」

「と思うような気がしたけどやっぱり思わない」

「おい……からかうのもいい加減にしろ……」


 喜びかけたのに。

 ようやくこいつにもジャージの素晴らしさが分かったのかと、思ったのに。


「じゃ、ジャージがカッコいいわけないよね? もうあたしったら何言ってるんだか」

「やっぱ今日のお前……変だぞ?」

「へ、変? もしかしてこの恰好おかしかったかな……? そうだよね、あたしにこんなお嬢様みたいな服似合うわけないよね……」

「いや、いやいや、そうじゃない。その服装は可愛い。グッとくる――」


 僕の言葉を遮って。


「そ、そうなの? じゃあ何が変なのかな?」

「だから、今日のお前だよ。今のやり取りも、さっきのやり取りも、全部おかしい。いつものお前らしくないんだよ」

「あたしらしいって……なに? 白鷺桃音らしいって……どういうことなの……?」


 突然、表情が曇った。

 冷汗が頬を伝って床に落ちる。

 冷蔵庫の変てこな稼働音が、響く。

 そして僕の心には――焦りが生じていた。どうしてそんなに怖い顔をしているのか。どうしてそんなに僕を見つめているのか。どうしてそんなに……泣きそうなのか。


「悪い……妙な質問しちゃったな。気にしないでくれ」

「教えてよ……聞いたからには、答えがあるんでしょ? あたしって、なに?」


 自分らしさ。僕にもそれは分からないけれど、少なくとも、白鷺桃音らしさというものは、何となく分かる気がする。


「お前はいつも、強気だ。僕をバカにしたりするぐらいだから、さ。けど、性格が悪いというわけでもない。表面には出さないけど、お前のさりげない優しさを、僕は知っている。それに、意外と真面目だろ? お前って。ちゃんと宿題をやってるんだもんな、偉いよ。それだけじゃあない――」


 知らず知らずのうちに、僕はこんなにも桃音のことを、知っていたのか。


「責任感だって強い。優子のこと可愛がってやったり、面倒見てやったりするし。だけど子供っぽい一面もあって、でもそういうところ、僕は嫌いじゃないんだよ」


 だから桃音……僕はお前を、ちゃんと知っている。

 気持ち悪いぐらいだ。自分で言っておきながら、おかしいと思う。こんなに長々と言葉を連ねられても、どんな反応をすればいいか分からないだろう。

 しかし――


「御手洗君は……知らないんだよね……」という奇妙な返しに、僕は何も言うことができなかったのだ。

「御手洗君は……あたしのこと、分かってないよ。まだまだ――」


 ゆっくりと立ち上がった。細くて白い足が目にとまり、僕は釘付けになる。床に座っていた僕の視界は、先程までベッドを捉えていたはずなのに、今ではどういうわけか天井を眺めていた。何が起こったのだろう。けれど、僕の疑問はすぐに解消される。


「桃音……?」

「御手洗君はあたしのこと、あたしの気持ち、理解してないんだよ」

「いきなり押し倒して……どういうつもりだ……?」


 桃音の匂いが鼻腔をくすぐる。甘くて、だけど爽やかで、それでもって切ない。そんな匂いだった。


「あたしは……御手洗君のことが、好きに、なっちゃった」

「なに言ってんだよ……まだ出会ってから一週間ちょっとだぞ? いくらなんでも……」

「だって御手洗君、他の男とは違うんだもん」


 顔と顔とが近づき、桃音は僕の瞳を覗き込む。桃音の熱い眼差しに耐えかねた僕だったが、固まったように目玉も、口も、首も、身体も動かず、どうしようもなかった。


「あたしは可愛いからイジメられた。そんなことぐらい、分かってた」


 小学校の時、イジメられたと言っていたな。それで朽木先輩に助けられたとも。僕はてっきり、理由など理解できていないと思っていた。可愛い女性がイジメられるのは、世の常と言っても過言ではないのだから。けれどそれを、理解していたのか……。


「あたしが何をするわけでもないのに、ただイチャモンをつけて、難癖をつけて、罵倒してきたんだよ、あいつら」


 少しも桃音は動かない。


「でも、それを見て、誰も助けようとはしないんだから。男も女も、みんな知らんぷり。そうしてようやく気づいた。あたしが可愛いから、悪いんだって」


 真顔でとんでもないこと言う。自分の可愛さは罪。なかなか聞ける言葉じゃない。


「中学に入ってからは、あたしは誰とも喋らないよう、気をつけた。だって、誰かと話せばまた、僻まれて、イジメられるかもしれなかったから」


 桃音が僕に覆いかぶさる態勢。なぜ、このタイミングこの姿勢で、こんなことを話しているのだろう。


「でもね、やっぱり同じだった。静かにしてたらそれはそれで、問題があった。おしとやか、そう思われて男子に告白される毎日。結局また、女子からイジメられたんだよね、あたし」


 ふふっ、と笑い、桃音はさらに顔を寄せてくる。


「それならもう、ありのままで、何一つ偽りなく、過ごしてやろうって決めた。男を拒絶し、女をコケにして、生きていこうと思ったの」


 愛おしそうに僕の唇を見つめ、そして軽く、指先で触れた。


「だけどまだ終わらなかった。イジメは終わったけど……次は、別の問題がね」


 唇から頬へと移り、桃音は一度、瞬きをする。


「ママがね、あたしが中学二年になったぐらいに、毎晩男を連れてくるようになった。おじさんから若い人まで、幅広い世代の男を、毎晩……毎晩……」


 人間の第六感というものは、あてにならない場合が多い。ほとんどがあやふやなもので、外れる方が圧倒的に多い。そして今僕にも、その頼りにならない第六感というものが、生じた。嫌な予感と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

 とにもかくにも。

 僕はその予感が外れることを願い、続きを待った。


「どうしてだろうね……ママを目当てに来たはずが、どうしてあたしに、手を出してきたんだろうね。これもやっぱり、あたしが可愛いから、なのかな……」

「……っ!」

「そんな顔しないで、あたしの貞操はちゃんと守ったから」

「でも……お前の貞操は守れても……お前の心までは……守れなかったんじゃないのかよ……」


 役立たずの口が、ようやく開いた。


「かもしれない……男なんて大嫌い。そう強く思ったのは、たぶん、その時からだね」

「桃音……お前……」

「家に帰れば変な男がいて、学校に行っても窮屈で、あたしの居場所はもう、なかった」

「……そうか……」

「それで高校生になった矢先に、パパの話を聞かされた。妻子持ちの男との間にできた子供が、あたしだってさ」


 最悪のタイミングなのかもしれない。いや――恐らくどのタイミングであれ、最悪であることに変わりはなかったのだろう。


「御手洗達也……僕の親父の話を、聞かされたのか……」

「うん。あの時、あの瞬間は――男に対する嫌悪感が、半端じゃなかったよ。でも御手洗君と出会えて、それも変わったんだよ」

「僕なんて所詮……そこらへんの男と変わらないだろう……どうしてそこまで、僕を特別視するんだよ……?」


 底知れない気持ち悪さを感じた。桃音が僕を特別扱いしてくることが、どうしようもなく気持ち悪く思えたのだ。


「だって御手洗君は、違うもん」

「何が違う……?」

「あたしを変な目で見てこないし、お姫様みたいにあたしを扱ったりもしない。あくまでも同じ目線で……そうだなぁ……同列に見てくれたじゃん。バカにだってしてくるし、だけどあたしも御手洗君をバカにしたりするし……居心地が、良かったのかな、たぶん」


 それだけ、たったそれだけで、人を好きになるものなのか。あれほど男を嫌いだと思っていた桃音が、こうも簡単に変わるものなのか。変われるものなのか。

 桃音の瞳に映った僕は、酷い顔をしていた。複雑で、それでもって臆病で、桃音に怯えるような顔をしていたのだ。


「それだけで……? 僕を好きになったのか……?」

「ううん。違う。やっぱり決め手になったのは、あたしがいくら無防備な姿を見せても、一切御手洗君は手出しをしてこなかったから。それに、なんて言うのかな……頼りに、なるじゃん」


 大人びた顔つきが一気に崩れ、ようやく僕の知る桃音の表情を、見ることができた。


「えへへ……あとは、優しい……ところも……」


 桃音を気持ち悪いと思った自分。それは確かに存在していた。いや、今もいることは間違いない。だけど――興味を抱きつつある僕も、いるのだ。

 なぜ気持ち悪いと思ったのか。理由は単純だ。そんなものは――僕らが兄妹だからに決まっている。


「僕とお前は……曲りなりにも、兄妹なんだぞ?」


 これ以上はまずい。それなのに止まらない。


「分かってる。でも、好きなものは好き。それじゃあ……ダメなのかな……?」


 だめだ、止まれ。それ以上僕に、近づかないでくれ……。


「付き合うだけならまだしも……結婚なんて絶対できないのに……終わりが見えてる恋なのに……それでもお前は……僕を好きだって言うのか……?」


 僕が瞳を閉じ、開けた時には、もう何もかもが遅かった。


「それでもあたしは……御手洗君のことが、好きだよ――」


 後悔と喜びと、絶望と祝福と、躊躇いと好奇心。

 愛で膨らむ唇は互いを求め合い、重なることが当然であるかのように、重なった。身体は密着し、離れることを許さない。これで良かったのかと聞かれたら、恐らく僕は首を横に振る。けれど、そうじゃないのかと聞かれたら、僕はこれまた否定せざるを得ない。途方もなく曖昧で、途轍もなく矛盾しているけれど――僕はこの歪んだ愛情を、受け止めるしかなかった。

 桃音の乱れた髪の毛を見つめながら、僕の背中だけは、冷えていくのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ