表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/17

僕はあの歌を無性に聞きたくなる その①

 歩き慣れない道というのは、なかなか味わい深いものがある。

 恐らく人間は、生まれながらにして未知への関心が強いのだろう。

 これで二回目であるから、初めてというわけではない。けれど、たかだか二度歩いたぐらいで知ったような口をきくのは、正しく知ったかぶりというやつだ。

 すっかり日常に馴染んだ風という存在ですら、ひとたび新天地へと踏み出せば、それは変わる。変わってしまうのだ。

 真っ赤な自動販売機を横目にして、それとは反対に位置するパン屋へと目を向ける。今まさに、パンを作っている最中なのかもしれない。

 嗅いでいるだけでお腹が満たされてしまう、香ばしい匂い。

 車が僕らを通り越す。

 あっという間に排気ガスに取って代わられ、僕は少しだけ、顔を顰める。


「それにしても、あんたって本当に、制服似合わないわね」


 顔を顰めた僕に、さらに追い打ちをかける桃音。

 顔を顰めすぎて、それがどうにも桃音の笑いのツボに入って。


「あはは! その顔はやばいって! ちょっと……やばい……笑いが……ふふっ」

「やばいのはお前だよ。人の顔見て笑うとか、それもう、この世の中生きていけないぜ」


 世間は厳しいのである。いや、十五歳の癖に何を言っているんだろうな、僕。

 僕とは違って、制服姿もしっかりばっちり似合っている桃音の肩を小突き、僕は前へと早歩きする。


「あ、ちょっと。置いてかないでよ」

「お前が歩くの遅いんだろ」


 足の長さはさほど違わないはずなのに、いつの間にか桃音は僕に追いつく。


「ていうかさ、優子ちゃんの施設って、まだ着かないの?」

「もうすぐだ」

「ふうん、そっか」


 徒歩十分ぐらいの距離ですら、桃音にとっては遠いのだろうか。


「疲れたのか?」

「ちょっとね」

「手ぶらの癖に、なに疲れてんだよ」

「手ぶらは関係ないでしょ。分かった、そういう屁理屈みたいなこと言うなら、あたしがあんたのカバン持ってあげるよ」

「どうしてその結論に至ったのかはよく分かんないけど、別に持たなくていい」

「あたしけっこう、力持ちだよ?」と、無い力こぶを見せようとして、ブラウスの袖を捲っていく。

「あれ、あれ? 中学の時は捲れたのに、あれ?」

「あーあ。お前もしかしたら、太っ――すいません……」


 桃音の最近のマイブームは、人の足を踏むことらしい。


「あたしがなに? 太ったって言いたいの?」

「まさか」

「でも、すいませんって謝ったよね?」

「言ってません」

「あたしの聞き間違いなのかな、じゃあ」

「左様でございます」


 桃音の対処の仕方を徐々に理解しつつあり、どうにかこの場は逃げきれそうだ。

 僕の足音と桃音の足音が面白いぐらいに重なるので、僕は桃音を見る。

 すると、いつでも僕の足を踏みつける準備をしているらしく、正面ではなく僕の足だけを見て歩いていた。


「もうこれ以上、お前の悪口言わないから……だからどうか、そんなに僕の足ばかり見ないでくれ……怖いんだよ……」

「え?」と、意外そうな顔をしてから、桃音は言う。

「ああ、違うよ。御手洗君の歩幅に、あたしの歩幅を合わせてただけ」

「……なんのために? 新種の嫌がらせ……?」

「うわ、いま悪口言ったよね、あたしの。約束破った」

「言ってねえよ!? 悪口でもなんでもねえから!」


 冗談だし。

 微笑みながら、そう桃音は言った。

 こいつはこうやって、微笑むやつだっただろうか。初対面では、あまり笑わないような印象を受けたのだけれど。


「あ、もしかして、あそこ?」


 思考していた僕の身体を、ちょんと触って、桃音は指さす。


「うん? ああ、そうそう、あれだよ」


 外見だけでは、何の建物なのか分からない。グラウンドがあるけれど、とても小さく、言ってしまえば土があるだけである。

 砂場よりも手が込んでいて、運動場よりも単純。


「へえぇ……あそこが、ねえ」と、意味深な返答をしてから、桃音は大股で歩みを進めていく。


 まあ、言いたいことは理解できる。

 同じ施設は施設でも、あれではまるで、罪人を閉じこめる、収容所ではないか、と。

 二度目の来訪でありながら、初めと同じような感想を僕は抱くのであった。

 僕らはそのまま無言で施設の入り口へと向かい、警備員のような人に事情を説明し、かれこれ十分ほどで中へ入ることを許された。

 そして――


「あら、御手洗君じゃない。優子ちゃんに会いに来たの?」

「ええ、まあ」と、中江さんに素気無く答え、手短に桃音を紹介する。

「こいつが、白鷺桃音です。僕のことも知っていたぐらいですから、当然、知ってますよね?」


 首を傾げつつ、桃音は頭を下げた。


「初めまして、中江です。そうね……一応、名前ぐらいは知ってる。それから優子ちゃんのお姉さんだってことも」

「え、なんで知ってるんですか……?」


 警戒した表情で、桃音は一歩、後ろに退いた。


「ああ、そんなに怖がらないで。優子ちゃんの家庭環境を調べるついでに、色々とね」

「そうですか……――ねえ、この人大丈夫……?」


 小声で僕に話しかける桃音。


「……まあ、悪い人ではないから、安心しろ」

「そうだといいんだけどね……」


 ここでひそひそ話を切り上げて。


「それで、優子はどこにいますか?」

「まだ学校から帰ってきてないのよ」


 ちらりと腕時計を一瞥し、中江さんが言う。


「でも、そろそろ帰って来る頃でしょう。まあ、そこにあるソファーにでも座って、待っててちょうだい」

「分かりました」


 なんだか落ち着かない気分のまま、僕も桃音も、言われた通りソファーに座る。


「それで、申し訳ないんだけど、私はこれから用事があって、出かけなきゃいけないの。だから今日は、失礼するわね」


 僕が一言を発する前に、さっさと行ってしまう中江さん。

 何かと忙しい職業なのかもしれない。


「小学校一年の時って、こんなに帰って来るの遅かったっけ?」


 言われて、僕は近くの時計を確認する。


「まだ午後四時だぞ? 遅いとは言えないだろ、この時間じゃ」

「でも……」


 子持ちの母親のように、桃音はソワソワと優子の帰宅を待つ。

 その間、物珍しいものでも見るみたいに、僕らに好奇な視線を浴びせる子供たちが、何度か通り過ぎて行った。

 中学生だろうか。

 制服を着ているけれど、まだまだ背丈に合っていない。

 あれは優子と同い年、ぐらいだろうな。

 新品のランドセルが輝いている。

 坊主頭の、いかにも悪ガキな感じの男の子が、ニヤニヤ笑いながら女の子のスカートを捲る。そしてすぐに大人があらわれて、ゲンコツを一つ、喰らっていた。


「なあ……」

「何よ……?」

「やっぱ、帰って来るの、遅くない……?」

「だから言ったじゃん! ねえどうしよう……誘拐とかされてないよね……? ほら優子ちゃんって、御手洗君が厭らしい目で見るぐらい可愛いから……」

「僕はそんな目で見たことは一度もないが、確かに優子は可愛いからな。やばい心配だ。やばすぎて心臓発作を起こしそうだ……」

「え、ちょっと。そこは普通、あたしを安心させる発言するべきでしょ? なんかますます心配になってきた……心配過ぎて、いまにも御手洗君の顔殴っちゃいそう……」

「殴るな。殴るならせめて自分を殴れ」

「冗談言ってる場合じゃないんですけど。そういうのは顔だけにして」

「僕の顔が冗談みたいだって? それこそ冗談だろ」


 不毛な争いを続ける気にもなれず、僕らはため息をつくことで、一時的に休戦協定を結ぶことに合意した。


「あ、そこの君、ちょっといいかな?」


 居ても立っても居られない。

 僕はとりあえず、偶然通りかかった男の子に話しかける。


「風見鶏優子って子、知らない?」

「風見鶏……優子……?」


 小学校六年生ぐらいの男の子は、頭を掻いて、考えている。


「そうそう。長い髪の毛に……ええと、そう! よく白いワンピースを着てる子だよ!」


 これといった特徴が思い浮かばなかった。可愛い、とにかく可愛い。そう説明するわけにもいかないからな。


「ああ、あいつか」

「おお、分かったのか?」

「分かったっていうか、まあ、あんなダサいワンピース、あいつぐらいしか着ないし」

「ダサくねえ。超可愛いだろうが」


 勢い余って言ったしまった僕の本音に、男の子はかなり、困惑していた。


「お前……ロリコン……?」

「ロリコンじゃねえよ。言うなれば、シスコンってやつか」

「し、シスコン……? やっぱ変態なんだな、お前」

「話にならんな。お前は優子の可愛さを、まったく分かってない。いいか? 優子は――」

「ああごめんね! いきなりこのお兄ちゃんが変なこと言っちゃって! もう大丈夫だから、うん。ありがとね?」


 僕の喉元を両腕できつく締め上げ、桃音は笑顔で、男の子に手を振った。

 青ざめた男の子の顔が忘れられない。

 自分の死を悟った時、人間はああいう顔をするのかもしれない。


「うっ……苦しい……苦しい……」

「苦しい? 嬉しいの間違いじゃなくて?」


 ようやく僕を解放したかと思えば、桃音は酷いことを言うのであった。


「バカ野郎! まじで死ぬかと思ったじゃないか!」

「バカはあんたでしょ? 何のために話しかけたわけ? 優子ちゃんの可愛さを力説してどうすんのよ、このアホ」

「だって……あいつがダサいとか言うんだもん……」

「その喋り方、不愉快。可愛くない。気持ちが悪い」

「本当にお兄ちゃんは……どうしようもないですね……」


 不意に後ろから声が聞こえたので、僕はすぐさま振り向いた。

 この憎たらしい口調。

 この憎めない笑顔。


「ったく……心配かけやがって……」


 優子をひょいと持ち上げて、思い切り抱き締めた。


「心配したのは……お兄ちゃんの勝手です……ていうか苦しいです……」

「嬉しいの間違いだろ?」と、さっき桃音が言っていたことを、優子に代用してみる。

「あの、お兄ちゃん……周りの視線が……痛いです……」

「気持ち良いの間違いだろ?」


 とは言いながらも、ぐるりと辺りを見回せば、変態でも見るかのような目で、僕のことを眺めている人が多数。

 そして、「ごめんなさい……ごめんなさい……」と、片っ端から頭を下げている桃音が一人いた。


「それにしても、遅かったじゃないか、帰って来るのが」


 丁寧に優子をおろしていく。


「いつもこんな感じですよ、私が帰宅するのは」


 やはり今日も、優子はワンピースを着ている。

 優子の肌と同じぐらい白い、あのワンピースを。


「良かったぁ……優子ちゃん心配したんだからねぇ……? もう……」


 一仕事を終えた桃音は、すりすりを優子に頬を重ねる。


「あうぅ……桃音さん……恥ずかしいですよ……」


 僕の時とは反応が違う。

 おかしい。


「まあ、とにかく、今日はお前に会いに来たぞ」

「今日は学校でどんなことしたの?」

「そうですねぇ……お絵かきをしたり、算数をしたり、たいして面白くはないことをたくさんやりました!」

「そ、そうか。ところで僕はお前に――」

「ああ、もしかして優子ちゃん、算数苦手なんでしょう?」

「う……バレましたか。はい……苦手です……」

「おーい。ところでぼ――」

「あたしもね、数学が嫌いだからよく分かるよ、その気持ち。なんかもう意味わかんないよね。なんでこんな面倒臭いことをすんの、って感じで」

「本当ですよね、まったく」


 二人だけでも会話が進行していくのであれば、僕はとやかく言う必要もあるまい。

 負け惜しみでは、ない。


「あのさ、優子ちゃん」

「なんでしょうか桃音さん」


 うわ、嫌な感じだな。

 あえて相手の名前を示すことで、僕の存在を除外しようとしている。


「なんか、行動制限とかってあるの?」

「行動制限……? どういうことでしょうか?」


 二人の仲睦まじい姿を、僕は少し離れた位置から見守る。しかも後ろ姿を、である。


「やっぱりさ、施設で暮らすってことは、なんでもかんでも自由にできるわけじゃないじゃない? だからその……帰宅したら、外出しちゃいけないのかな、って」

「そんなことはありません」と、表情を暗くした桃音を、フォローするように優子は言う。

「午後六時までは自由時間です。そのあとの外出は認められませんが、でも、ちゃんと許可を取れば、可能ではありますよ」


 ようやく桃音と優子は、こちらを振り返る。


「だってさ、御手洗君」

「そういうわけです、お兄ちゃん」


 僕と桃音は、優子をどこかに連れていってあげようと計画していた。

 わざわざバイトを休ませてもらって、だけれど。

 物欲しげな目つきで、優子は僕を見る。

 何が欲しいのか、ズバリと当てるのがお兄ちゃんの役目である。

 僕は、いよいよ出番を与えられた僕は、満を持して言った。


「よし、お兄ちゃんが抱っこしてあげよう」

「いいです」

「よし、お兄ちゃんがキスしてあげよう」

「い、いいです……」

「まったく……わがままな小学一年生だな……」

「お兄ちゃんこそ、我がままに、って感じですけどね。抱っことかキスとか、それって結局、お兄ちゃんが私にしたいことじゃないですか」

「さて、どうする桃音?」


 優子の言葉はスルーしておき、僕は本題に戻るため桃音に話を振る。


「いや……あたしに聞くんじゃなくて、優子ちゃんに聞きなよ。何がしたいのかって」

「だってさ。優子、何をしたい? 何かを買うのでもいいぞ」


 しばらく考えて、優子は言った。


「私って、お兄ちゃんと違い、あまり物欲とかないんですよね。あ、お兄ちゃんの場合は煩悩か。まあとにかく、そういうことです」


 なるほど確かにその通りのようだ。

 優子がいつも着ているワンピースが、まさしくそれを物語っている。物欲がないから、同じ洋服を着るということなのだろう。


「じゃあ、お前の洋服でも買いにいくか」

「話聞いてました? 私、そういう消耗品には興味ないんですけど……」


 なにやら合点がいったのか、桃音はしきりに頷き、「それ、いいかもね」と、僕に同調するのであった。


「も、桃音さんまで……」

「優子ちゃん可愛いんだからさ、もっとお洋服とかに興味持った方がいいよ!」

「可愛くないですし……」


 ぷいっと桃音から目を逸らし、優子は適当な場所を見つめる。


「ああ、大丈夫。センスのない御手洗君には、コーディネート任せたりしないから。だから安心して」

「そういう心配をしてるわけじゃないだろ、優子は」

「なるほど。これで心配の元を断ち切ることができました。では行きましょうか」

「ああ……そうかよ……」


 桃音も優子も現実も、厳しいものなのだと理解した、十五歳の六月。盗んだバイクで走りはしないけれど、校舎の窓ガラスも割ったりしないけれど、無性にあの曲が聞きたくなった僕がいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ