僕は桃音と部屋で二人きり
「でねでね、結局、あたしの勘違いだったわけよ」
「ふうん……」
「なんかあたしってバカみたいだよね。勘違いして、やけになって、自爆しちゃったんだもん」
「うん……そうか……」
「反応……薄くない……? もうちょっと面白い返し出来ないの?」
偉そうに僕のベッドを占領しながら、眉毛を上へと吊り上げて、桃音は僕を見る。
そんな目で見られても困るし、というより、どうしてお前はそこにいるのかという疑問の方が強い。
少しだけ事情を説明すると、昨日の桃音と朽木先輩のやり取りが一先ず終結し、僕は眠りにつき、朝起きて学校に行ってまたバイトに行って――家に帰ったら桃音がいた。
昨日の今日で、またもや桃音とお喋りしているわけだ。
いや、そこはさほど問題ではないか。
そんなことより何よりも――
「どうやって、僕の家に入ったわけさ」
「え? だってあんた、鍵開けっ放しだったんだもん」
あれ、そうだっけ? 確かな記憶ではないけれど、僕は鍵を閉めたはずなんだが……。
いや、どちらにしたって、もし鍵が開いていなかったら、桃音はどうするつもりだったのだろう。
桃音の考えていることが、行動の意味が分からず、僕は混乱した。
自分のことですらよく分からない、それが人間というものである。
だとしたら、ますます桃音のことなど分かるはずもあるまい。
「それでお前は、何をしに来たんだよ?」と、そうやって聞いてみるのが最善の策だ。
「だから、あんたに朽木先輩との仲違いが、綺麗さっぱり解決したってことをわざわざ、伝えにきてあげたんじゃない」
「伝えにきて、あげたか。そいつはどうも、ご苦労なこった」
皮肉交じりに言う僕を睨み、桃音は言った。
「嫌な言い方するよね、あんたって」
「それを言うならお前もな」
そんなこと、明日でもいいじゃないか。
こんな夜中に来る必要なんて微塵もありはしない。
「………」
イジメを解決したいのなら、自分から行動するべきなんだよね。
そう、朽木先輩は言ったらしい。
だからこそ桃音を助けずに、ただ黙って見守ったんだとさ。
要するに朽木先輩は、自分が干渉するべきじゃないと、気付いたのだろう。
僕ならきっと、いの一番に気付きそうなものだけれど――朽木先輩には、優しすぎる朽木先輩には、その真実にたどり着くまでに、時間がかかってしまったのだ。
「じゃあ、もう用事は済んだろ。さっさと帰れ。補導されるぞお前」
家の鍵を、今度こそちゃんと閉め忘れないよう手に持ち、僕は帰るよう促す。
だが、桃音はその場から動こうとはしない。
しまいには、布団にくるまって、反抗してみせる始末。
「早くしろ……帰るぞ……」
「帰るぞって……じゃあ、あんたも一緒に帰ってくれるの……?」
「まあ、駅まで送るぐらいはな」
さすがにこの時間に女性一人で歩かせるわけにはいかない。
面倒だとは言わないけれど、あまり気が進まないのは確実であった。
「やだ……」
「はあ? 駄々をこねるような歳じゃないだろもう」
「歳とか……そういうの関係ないし……」
いつになく幼い桃音。
「お前、熱でもあるのか?」
少し離れていた距離を一気に縮め、僕は桃音のおでこに手を添える。
「あれ、ちょっと熱くないか、お前の体温」
「そうかもしれない……」
さっきまで意気揚々と話していたのに、なぜ今頃になって……。
「大丈夫かよ? 風邪でもひいたか?」
「風邪じゃない、と思う。風邪じゃなくて……」
布団から顔を半分だけ出し、桃音は目で訴えかけてくる。
「口があるだろう、口が。はっきり喋れよ」
忍者みたいにシュッと顔を隠し、もごもごと布団の中で何かを言っている。しかし、僕には何を言っているのか皆目見当がつかず――
「ああ、もういい。しばらく安静にしてろ。それで具合良くなったら帰れ」
「これは……そんな簡単に治らないもん……」
「じゃあなんだ? まさか僕の家に泊まるなんて言う気じゃないだろうな?」
いつになく強気な僕に、桃音は少し弱気になる。
「今日のあんた……なんか、怖い」
「そりゃそうだ。疲れて帰ってきたら、お前に話しこまれて、その上帰らないとか、わがまま言うし、ちょっとぐらいイラッとはくるだろ普通」
「ごめん……ごめんなさい……」
「……お前ほんとに、大大丈夫か?」
今度はいきなり素直になったので、僕は心配をせずにはいられなくなった。人は弱っている時、どうしても誰かに頼ってしまうものだ。
本当に桃音の具合が悪いのではと、僕は慌てて言った。
「ゆ、夕飯はちゃんと食べたか? もし食べてないならコンビニで買ってくるぞ?」
「平気……うん」
「じゃあ……栄養ドリンクとか? よし、分かった。すぐに買ってくる。ちょっと待ってろ!」
ドタバタとその場で無駄なステップを踏み、僕が駆けだそうとした瞬間――
「待って」と、引き止められるのであった。
「あ、ああ分かったぞ! 冷えピタシートだな? オッケーそれも買ってくる!」
「違うってば! そうじゃない。そうじゃなくて……」
「まさか具合悪すぎて倒れそうとか!? 救急車呼ぶか!?」
勢いよく布団を剥いだかと思うと、そのまま僕に覆い被せてきた。
「落ち着いてよ! あたしはただ……その……ちょっと、ほんのちょっとだけ、体調が良くないだけだから……」
ベッドに小さく座り、桃音は窮屈そうに身体を縮めた。
僕は布団を桃音の肩にかけて。
「なんだか釈然としないけど、とにかく、僕のベッド使っていいから寝てなよ」
言われるまでもなく、僕のベッドを我が物顔で使っている桃音ではあるが、いまだけはそれも気にならず、むしろ心配しかない。
「ん……ありがとう……」
熟れた果実のように、目尻ををトロンと下げている桃音。こうして意識してみると、やはり女の子なんだと実感する。
まだあまり着なれていないのであろう制服から、細い手足が顔を出し、力強く握ってしまえば、どちらも簡単に折れてしまいそう。
身体は華奢で、僕とはえらい違いだ。
外で野良猫が鳴く。
いつか優子が好きだと言っていた猫は、鳴いた。
部屋の灯りがわずかに消えて、すぐにまた持ち直す。
桃音が動くのと同時に、ベッドは軋む。安っぽい音なのに、甘美で優雅な音だと思う僕がいた。
呼吸の仕方を忘れかけて、僕はようやく長い息を吐いた。
ため息のようではあるけれど、確かにこれは、呼吸なのだ。
「あの、さ――」
まるで桃音も、言葉を思い出したように、口を開いた。
「優子ちゃん……今頃どうしてるかな」
質問と呼ぶには足りず、独り言だと決めるのにも及ばず、不安定な言の葉が飛び出した。
「あいつは、もう大丈夫だろう」
「そうかな。ううん……そうだよね」
「明日にでも、会いに行ってみるか?」
「だね。もしかしたらあの子、さみしがってるかも」
「ああ見えてあいつも、子供な面があるしな」
桃音は布団を毛布のように身体に巻き付ける。
「あたしね、知ってたんだ」
「何をだよ」
「優子ちゃんが……施設から脱走してきてた、ってことを」
「なんとなく、そんな気がした。お前は知ってたんじゃないかってさ」
少し考えれば分かる。
初めて僕ら三人が顔をあわせた時、正確に言うならば、桃音と優子が帰る時。
優子は家に帰ると言っていたけれど、実際の家は施設であり、また、その施設から脱走をしていたという、後付けの前提を考慮すれば、優子には帰る家などどこにもなかった。
あんな幼い子供が一人、ホテルに泊まることなど出来るはずはないので、かといって野宿などするわけもなく――そうだとしたら、桃音の家に泊まったのだと、そう結論を導き出すことはできる。
きっと、優子と二人きりで過ごした際に、色々と詳しい話を聞いていたのだろう。
そして桃音は、思い立ったんじゃないだろうか。
施設での暮らしぶりを聞き、なんだか憐れに思えた桃音は、優子を遊園地に連れていってあげようと。
下手したら、友達と行くはずだった遊園地を変更してまで、優子を楽しませてあげようと考えていたのかもしれない。
それとも単純に、本当に友達からドタキャンをされたので、妥協案として僕らを連れていったのかもしれないけれど。
まあどちらにしたって、桃音には優しいところがあるのだと、僕は思う。
「良いとこあるんじゃんかよ、桃音」
「なにが?」
「いや、なんでもない」
事実は小説よりも奇なり――事実は小説よりも嬉なり。こういう考えも、あるかもな。
「なによ。あんたがあたしにさっき言ったように、口があるんだからハッキリ言いなさいよね」
「ていうかお前、もう元気そうじゃないか」
「ご、ごほん……」と、大根役者顔負けの演技を披露して、桃音は言う。
「やば……今の御手洗君の余計な一言で、体調が悪化したかも……」
帰りたくない理由は分からない。
けれど、帰らせる理由も、分からない。
呆れた視線を送りながらも僕は、言った。
「お母さんにはちゃんと連絡しておけよ? ったく……」
「分かってるって。平気だよ、平気」
一瞬、桃音の両手に力が入ったような気がしたけれど、勘違いかもな。
まさかこいつが、ガッツポーズなどするはずがない。
「あ、でもどうしよう」
「なんだ。言ってみろ」
「替えの下着、持ってきてない……」
「僕の貸してやるよ」
「いや、いやいや、下はそれで済むかもしれないけど……上が、ほら……」
下は僕のパンツでもいいのかよ。
冗談で言ったつもりが、あっさり納得されてしまったので僕は、驚きと焦りが入り混じった複雑な心境になる。
しかし、複雑なのは僕の心境だけにとどまらない。
桃音の発言、すなわち上をどうしよう発言をしてしまったけれど、それはすなわち明日一日をノーブラで過ごします発言――もとい宣言をしてしまったので、なんとも言えない表情をしていた。
「持ってたり……しないよね……?」
「逆に聞こう。もし持ってたとしても、それを使いたいと思うか?」
うーん、と唸りながら考えた結果。
「まあ、悪くはないかな」
「お前ってもしかして、変態?」
悪くはないって……なんだかそれでは、むしろ良い、と言われているような気分だ。
「ちがっ――違うに決まってるでしょ!? 変態なのは御手洗君だし! そうやって人のせいにしないでよ、この変態!」
「ああ、そうだな。僕は変態だな」
「開き直んないでよ」
「じゃあ――」
じゅるりと舌なめずりをして、僕はいやらしい笑顔で言ってやった。
「僕は変態だから、今夜、お前を寝かさないぞ?」
「………」
「嘘だ。冗談だよ」
「………」
「ねえ、嘘だよ? 本気じゃないよ? ねえってば?」
「………」
沈黙は金、雄弁は銀なんて言葉があるけれど――だけれども僕には、沈黙は禁。そんな風に思えた。
「すいまめん」
茶目っ気をふんだんに使って、ちょっとくだけた謝罪『すいまめん』と言ってみる。
「はあ……これだから御手洗君は御手洗君なのよね……」
「それ、優子にも言われた」
「さすが優子ちゃん。良くできた子供だわ。ていうかあれ? そういえばあんた、いつから優子ちゃんのこと、優子って呼ぶようになったの?」
遅すぎだろ、気づくのが。
「おとといだ。ちなみに、僕が優子と呼ぶことで、優子は僕をお兄ちゃんと呼ぶことになった。等価交換ってやつか、いま流行りの」
「いや流行ってないし。ていうか、うわあ……そんなの全然、等価交換じゃないじゃん」
「そうか?」
「そうだよ。だって優子ちゃん、不利益しか蒙ってないじゃん。十日効果ならまだ良かったのにね」
「なんだよ十日効果って。十日間限定のお兄ちゃんってことか?」
「あたしは絶対呼ばないからね、あんたのことお兄ちゃんって」
心なしか、さきほどよりも桃音が、僕よりも遠くの方へ後退したような気がするけれど、まあ気のせいだろう。
「でも……」と、終わったと思った話を仕切り直し、桃音は言う。
「透君って呼ぶのなら……まだ……やってあげなくもないけど……?」
「やだよ。透君って呼んであげる代わりに、等価交換としてお前の命をもらっていく、とか言われそうだもん。お前の場合」
意外とショックが大きかったようで、桃音はうつむいていた。軽い言葉で受け流したつもりだが、桃音はこう見えても繊細な心の持ち主なのかもしれない。
「せっかく……勇気出したのに……もう知らない。もう知らないから、御手洗君なんて」
プクッと頬を膨らませる桃音。
まあ、正直なところ、透君と呼ばれるのは照れ臭いのだ。女性から下の名前で呼ばれることに抵抗があると言うのに、それに君付けをされてしまったら、もうね。
「そうか……ごめんな、せっかく勇気出してくれたのに」
「や、やめてよ……そうやってあんたに優しくされるの、嫌なんですけど……」
そっくりである。
優子も素直に物を言う子ではないが、桃音も十分そういう人間だ。素直になれないのは良いことなのか、悪いことなのか。
僕には分からない。
でも――嬉しそうにしている桃音を見ていたら、なんだかそんなことは、どちらでもいいような気がしたのであった。




