僕は桃音と朽木先輩の喧嘩を目撃する その②
ガチャリと扉が開き、そしてバタンと閉まる。
桃音が乱暴に扉を閉めたからなのか、それとも風の力が作用したのか。
いずれにせよ、風に乗って舞う枯葉のごとく、なんの前触れもなくあらわれた。
「どうしてお前……ここにいるんだよ……?」
「あんたは黙ってて」
一瞥もくれることなく、言葉だけで僕を牽制。
このまま椅子に座っているのは、なんだか憚れたので、僕は立ち上がる。
「どっかで見たことあると思ったんだよね、あたし。まあ、それもそのはず――」
制服姿の桃音には、あまり見慣れていないからなのか。それとも、いつもとは比べようもなく不機嫌な桃音を初めて見たからなのか。僕には桃音が、別人に思えた。
桃音は言う。
「朽木柚木……あんたはあたしのことを、見捨てたんだもんね。絶対に忘れない。忘れるはずのない、偽善者。それがあんた、朽木柚木だもんね」
名指しをされ、人差し指を突き出され、それでもなお朽木先輩は真顔である。
「偽善者、か。そっか……うちは桃音ちゃんにとって、悪の権化なわけか」
よそよそしさを感じさせる言葉遣いに、桃音はキッと目を吊り上げた。
「なによその言い方。まるであんたは、そうじゃないとでも言いたげだよね」
「それはそうだよ。だってうちは、桃音ちゃんを裏切ったつもりなんて、一切ないもん」
桃音の着ている白いブラウス。そこにわずかに出来た皺が、僕の目にとまった。
どうでもいいことではあるが、険悪な二人の様子を直視する気になれず、僕はどこに視線を定めればいいのか分からなかったのだ。
「おっと。お取込み中、申し訳ない。ここで喧嘩を始めるのはどうかと思うぞ? だから桃音、いったん今日は帰ってさ、また明日にしようぜ? な?」
曖昧な笑顔で誤魔化しつつ、次は朽木先輩に言う。
「それに朽木先輩も、まだ仕事中なわけですし、今日はやめておきましょうよ」
「そうしたい気持ちで山々なんだけど……」と、朽木先輩は困った様子で、桃音をちらりと見やる。
「任せてください。桃音に関しては僕が説得します。そうですね……ちょっとだけ休憩もらってもいいですか?」
「なに勝手に話を進めてんの? あたしは何も――」
「はいはいはい! 分かったよ。お前の言い分はわかったから、とりあえず外に出よう」
「ちょ、ちょっと……押さないでよ……」
華奢な桃音の肩を掴み、強引な形で強制退出させる。
どうにか桃音を押し出したところで、僕は後ろを振り返り、「ごめんなさい」と、目で合図を送る。
恐らく、頭に手を置いた朽木先輩の仕草から察するに、「悪いね」ということなのだろう。
賑やかやなパレードの音が遠くから聞こえ、一瞬だけそちらに気を取られる。
「ちょっと何なの……? どういうつもり……?」
「お前こそどういうつもりだよ。いきなりバイト先に突撃してきて、それで喧嘩を始めようとするし、めちゃくちゃだぞお前」
学校帰りのはずなのに、通学カバンは見当たらない。
まさか手ぶらで登校しているわけじゃ、ないよな。
「なに? なに見てるの?」
「お前、学校帰り?」
「そうだけど」
「荷物はどうした?」
「学校に置いてきた」
「宿題とかどうすんの?」
「宿題は全部、学校に残って済ませてきた」
意外と真面目な高校生であることに、僕は正直、驚愕した。優等生オーラはないにしろ、僕が少しだけ感じていた、桃音の責任感の強さみたいなものは、どうやら間違いではないらしい。変なところが真面目で、妙なところで不器用なのが、桃音だ。
さてさて、それはいいとして。
「それで今日は、いや、この前来たばっかのこの遊園地に、どうしてまた今日も、足を運んだのさ」
よりにもよって、一人で。
友達と来ていないのか、という質問は、やめておこう。
もしかしたら、桃音には友達がいない可能性だってあるわけだし。
「なんかあんた、勘違いしてない?」
「してないしてない。お前には友達がたくさんいて、でも今日は偶然、一人で遊園地に行きたい気分だったんだろ? 分かるぞ、その気持ちは」
頬を赤らめたかと思うと、今度はいきなり身体を震わせて、そして、僕は足を踏まれた。
「あたしのことバカにしてるでしょ……?」
「してないです。それから痛いです」
「まあいいけど」と、高い鼻をツンとさせ、桃音は遠くの方を見る。
「あたしはね、今日はあんたに用事があったわけじゃないのよ。朽木柚木……あたしはあいつに、会いに来た」
過去にどんなことがあったのか知らないけれど、僕の先輩を見下すような、卑下するような物言いは、あまりいい気分ではなかった。
「そうかよ。僕はてっきり、さみしくなったから僕に会いに来たのかと思った」
「で、あたしが柚木に会いに来た理由だけど」
完全に僕をスルーして言う。
「因縁が、あるのよね」
「因縁?」
「悔恨……いや、これも違うな。もしかしたら、心残り、って言った方が正しいかも」
「というと、心残りがあって、ノコノコとここまで訪ねてきたわけか」
遊園地の陽気な雰囲気が、これほどまでに鬱陶しく思えたのは、初めてかもしれない。
「じゃあ率直に聞くけど、お前のその心残りってのは、なんだ?」
長い睫をおろし、そして桃音は、ゆっくりと瞼を開いた。
「昔ね、あたしと柚木は、けっこう仲良かったんだ」
「昔って……どれぐらい昔の話なんだ」
「あれは確か――小学校低学年の時、そう、優子ちゃんと同い年ぐらいの時かな」
「ふうん……そうか」
いつの日か、優子に買ってあげたポップコーンの甘い匂いが、ふんわりと漂ってきた。
「あたしさ……イジメられてたんだよ、子供のころ。それでね、まあ柚木と同じ学校だったんだけど、たまたまイジメの現場に柚木が通りかかってね、あたしを助けてくれた」
別に驚きはしない。
イジメなんてどこにでも、ある話だからな。
「今まではみんな、見て見ぬふりをしてた。御手洗君が女子高生のパンツを見るみたいに、素知らぬ顔で、何食わぬ顔で、あたしのことをただ、チラ見するだけ」
「待て。どうしてそこで僕を引き合いに出した」
心外であるし、人権侵害に関わる重要な問題だ。
「とにもかくにも、あたしを助けてくれたのは、救い出してくれたのは、柚木だけだった」
「そうか。それはいいとして、さっさと訂正してくれ、僕がパンツを何とやらのくだりを」
「話は戻すけど」
つかず離れずの関係というか、戻し戻されのせめぎ合いを、水面下で繰り広げる僕たち。
「あたしにとって柚木は、あの時の柚木は、英雄だった。ヒーローだった。友達はいないし、当然頼れる人もいない。だからあたしは、柚木のことを慕ってたの」
「だが、そんな二人の関係にも亀裂が生じたわけか」
そう言って僕は先を見越した発言をしつつ。
「ところで桃音、僕は人のパンツを勝手に見たりはしないからな? 勘違いするなよ。ちゃんと許可をとるタイプの人間だ」
「そっか。それでね、御手洗君の言った通り、ある出来事を境にして、あたしたちは不仲になった」
「僕もこのやり取りを境に、お前とは仲が悪くなりそうだ」
「ねえ、人が真面目に話してるのに、どうしてそうやって茶々を入れるわけ?」
「お前がことの発端だろうが」
肩を竦めて、もはや桃音は、僕を見ようとさえしなかった。
「御手洗君が異端児なのはよく分かったから、続きを話すよ」
発端と言ったのに、異端児などと、またもや僕の悪口へとすり替えやがった。桃音がしたように、僕も大袈裟に肩を竦めて、しばらく黙って話を聞くことにした。
「柚木の存在は、イジメに歯止めをきかせるのに、最適な方法だったと思う。でも、もうすっかり同級生からイジメられなくなって、安心し切ってたとき、今度は上級生からイジメられるようになったの」
とんだイジメられっ子体質である。どれだけ嫌われていたというのか、桃音は。
いや……なんとなく、なんだけれど、イジメの原因はわかっている。
桃音は気づいているかどうか知らないけれど、僕にはちょっぴり、分かってしまった。
「きっと今回も柚木が助けてくれるだろうなって、あたしは思った。だってヒーローは、困った時に助けてくれるものでしょう?」
「知らないよ、そんなの。僕は正義の味方とかそういうの、嫌いだから」
「……うわ、嫌な人間ね」
「いいから結末を話せ」
片手をふらふらと揺らし、そんな目で見るなと訴える。
「じゃあ、夢も希望もない、絶望しか知らない御手洗君に、さらなる絶望を与えてあげる」
ゲームのラスボスかよ。
しょうもないツッコミを、心の中でいれていることなど知らずに、桃音はシリアスな表情で言う。
「柚木は、助けてくれなかった。今まで、必ず助けてくれてたのに、柚木は助けてくれなかったの。それからもずっと、柚木はあたしを助けてくれなくて、結局、小学校卒業するまで、イジメられた」
「めでたし、めでたし、とはいかないな、その落ちじゃ」
「イジメられたし、イジメられたし、って感じよね。まったく」
まったくウィットに富まない発言をした桃音は放置して、僕はなぜ、朽木先輩がパタリと、桃音を助けなくなったのかを考えてみた。
「だからあたしは……」と、拳を力一杯に握りしめ、桃音は言う。
「ここまで来たの。すっかり忘れかけていた、ようやく忘れそうだったのに、予期しない形で遭遇しちゃって……それで、あの時の理由を聞かずにはいられなくなって……」
「もしかしてお前、さっきはあんな喧嘩腰で言葉を吐き捨ててたけど、仲直りというか、ただ真相を聞きに来ただけなのか? 文句言いに来たんじゃなくて」
「そうなのよ!」
いきなり切羽詰った表情で、桃音は僕の胸元を掴む。
「お、おい……」
「あたしってばバカだから……素直じゃないから……思ったことが言えなくて、伝えたいことが伝えられなくて……さっきはあんな風に……なっちゃった……」
こいつは衝撃的だ。
ツンデレを通り越し、ツンツンじゃないか。
一切のデレ要素が感じられない。
ツンツンなヒロインというのは斬新ではあるけれど、それでは恐らく、物語が一向に進まないだろうな。
『あれ、今日はどうしたの?』
『はあ? なにあんた? 死ねば』
という感じで、とりあえず殺されてしまうだろう、きっと。
けれどまあ、さすがに桃音もそこまでツンツンしているわけじゃない。
「ようやく理解したよ、状況を」
そう言って僕は、何かいいアイデアがないかと思案していると――
「あたし……もうやだよ、こんなの……」
「ちょっ……」
掴んでいた僕の胸倉から手を離し、今度はおでこを、こつんと僕に、ぶつけてきた。
少しの体重が加わっただけなのに、とても重たくて、とても温かくて――とても、切ない気分になった。
どうしてだろう。
桃音の匂いが、僕に伝わる。
どうしてだろう。
桃音の鼓動が、僕と同調する。
どうして……だろう……。
僕は――僕は桃音を、抱き締めていた。
「んっ……」
少し色っぽい声をあげた桃音に、僕はドギマギしてしまう。すぐにでも離れるべきだと思ったけれど、僕の身体は疲れているのか、言うことを聞いてはくれなかった。
ずっと辺りは暗かったのに、まるで突然闇夜が訪れたように、暗転した。
「ご、ごめんなさい……! あたし何やってるんだろう!? い、いやびっくりした! あたしってば本当に意味わかんないよね……あはは……!」
僕から勢いよく、桃音は離れてしまった。
行き場を失った僕の腕は、やるせなく、脱力する。
「あ……僕も、ごめん……」
「え? や、やだなぁ……あんたは何も悪くないでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど」
こんなにも真っ暗なのに、桃音の頬が紅潮しているのはすぐに分かった。
いや、頬だけではなく、何もかもが、手に取って分かるようである。
煌びやかな瞳。
情熱を灯した頬。
濡れた唇。
涼やかな風に靡く髪。
僕はすっかり、虜にされてしまった。
「あ、あたしちょっと用事思い出しちゃった! 帰るね! それじゃあ……」
「あ、おい――」
待てよ。
そう言おうとした時には、既に桃音は、颯爽と駆けだしていた。
伸ばした右手は意味をなさず、なんとなく僕は手の平を、広げてみる。何も残ってはいないはずの右手には、一粒の雨が降ったような気がした。
「おーい、御手洗君。そろそろ平気かな――ってあれ? 桃音ちゃんは?」
朽木先輩の言葉を背に受け止めてから、僕は手を再び、閉じる。
「なんか、今日はやっぱり帰るって言ってました」
「そ、そっか……色々と話したいこと、あったのにな」
「それにしても先輩、気付かなかったんですか、この前会ったときに、桃音だってことを」
「ううん……どこかで会ったような気がしたんだけどね、いまいちピンとこなくてさ」
僕は軽やかな足取りで身体を反転させ。言った。
「まあ、あいつも気づいてなかったんで、お互い様ってことでしょうかね」
「ううん、どうだろう――」
桃音の姿を探すようにして、朽木先輩は遠くを見据える。
「でも、うちのことを本気で嫌ってるわけじゃなさそうだったし、またいつか、ちゃんとお喋りすることできるよね」
どうやら朽木先輩は、見抜いているみたいだ。
桃音が照れ隠しから、酷い言葉を使ってしまったことには、ちゃんと――
熟れた果実が地に落ちて、優しい音を奏でる。
僕は一つを拾い上げ、試しにそれに噛りつく。
甘い甘いこの味は、今にも蕩けてしまいそう。
僕は残りを取って置き、とっておきとして保存する。
もっと美味しくなる時を信じ、僕はもう少しだけ、待ってみる。
これは夢か現か幻か、はたまたこれは――悪夢かもしれない。




