2話
「レーイセン!」
背後から僕を呼ぶ声が聞こえた。この声は、横の席にいた女か。
「……何?」
「これからよろしくね!」
「……よろしく」
気力のない返事を彼女に返す。稟堂と言う女は僕に再度話しかけてくる。
「どうして私がレイセンと共にいると思う?」
「知らないよ」
僕は素っ気なく彼女に返事をする。
「答えは簡単。私は、レイセンの運命を変えに来たからだよ」
左目を閉じて、僕に人差し指を向けて話している金髪少女を見て、僕は絶句する。
「どういうこと? 何で僕の運命を変えに来たの?」
「だって、レイセンの運命、面白いくらい不幸なんだもん。そこで私が、レイセンの運命を変えに来たってわけ。お分かり?」
「いや、全然分からねえよ……」
大きくため息を吐きながらも、僕は足を止めなかった。
彼女は僕の表情を見て悟ったのか、何も話しかけては来なかったが、このままでは僕の家まで着いてくることになる。僕は構わないのだが、彼女は何の目的があって僕の家に来るのだろうか。
「君、僕の家に来るの?」
「うん」
即答だったので、内心少し喜びを感じつつ、家へと向かった。
僕の部屋に初めて家族以外の異性が入り、酷く興奮をしていたが、理性で押さえつけ、話を聞くことにした。
「そんで、運命を変えるって簡単に言うけど、どうやって変えるわけ?」
「んー、こんなこと言っても信じてもらえないと思うけど、私には他人の運命……いや、他人の幸運が見えているって言った方が良いかな。幸運って言うのは、言わば人生を左右するものだからね。で、その運をね、いじることが出来るんだ。他人から削ぎ落とすって言うべきかな」
僕のベッドに足を組んで座っている彼女は説明をしていたが、何一つ理解できない。
「……あのさ、ふざけてんなら帰ってくれないかな。僕だって明日どうなっているのか分からないんだぞ。家を追い出されるかもしれないし、ひょっとしたら勘当されるかもしれないんだぞ」
「あっ、そのことだけどさ。今のレイセンの運を見る限りだと、明日、いや。今日にはもう勘当されるよ。だって、レイセンの運、ものっすごく小さいからね。すごいよこれ。私、こんなに小さい人今まで見たことないんだもん」
ニヤニヤしながら彼女は僕の頭上を見ている。僕も彼女の視線の先へと目を移すと、そこにあったのはいつも眠るときに見ている天井しかなかった
「レイセンには見えないよ。私のようなあっちの世界から来た人じゃないとね」
「あっちの世界ってなんだよ。稟堂には僕の幸運が見えているのか?」
「見えているよ。ちょっと待ってて」
稟堂は窓の外に目を向けると、大通りの歩道を歩いている人がいて、突然その者に指を向ける。
「おい。人に指差すのはやめておけよ」
「そう言うことじゃなくてさ。あの歩いている人、レイセンより運は良いよ。レイセンの運は今、ミジンコくらいの大きさだもん。あの人はまだクルミくらいの大きさはあるよ」
ミジンコ並の大きさって、それ、僕はもう今日死んでもおかしくないのではないだろうか。しかし、死んでもおかしくない状況に立っているのは事実だ。浪人が出来ず、来年の受験が出来ないと言う状況に置かれていて、この辺りは田舎で、僕は自動車の免許もないのでマトモな職にも就くことは出来ない。つまり、家に寄生してアルバイトをしてフリーターになるか、働かないでニートになると言う選択肢しかないと言うことだ。後者の選択肢は家庭状況的に確実にあり得ないので、フリーターが確定していると言っても良いかもしれない。
「ちなみに聞くけど、一般人の運って言うの大体どれくらいなんだ?」
「平均だと大体テニスボールとか野球ボールくらいかな。私が今まで見てきた中で一番大きかったのはバレーボールくらいはあったよ」
「そいつはさぞかし幸運だったんだろうな。挫折とかしないで生きていそう」
「まあ、そんな感じの人だったけどね。それで。レイセンはどうすんの?」
稟堂は僕の目を見て問いただしてくる。死んだ魚のような目をしている僕を見て、彼女はどう思っているのだろうか。
「少し、考えさせて」
僕の座っている背後には参考書の山がある。僕はまだどこかで浪人できるかもしれないと言う思いを抱いているのは事実だ。
だけど、彼女は僕の幸運はミジンコほどの大きさしかないと言っている。それはもう、浪人は出来ないと考えていいだろう。それに、今から勉強しても国立大学に入学できるのか? バイトをしながらと口では簡単に言えるが、実際に行動に移してみればきっと僕はバイトに集中してしまい、勉強を疎かにしてしまうのが目に見える。
つまり、結局僕には、フリーターになると言う選択肢しかないと言うわけではないだろうか。
「そんなに急いで返事はしないで良いよ。でも、遅すぎるも困るけどね」
「……いや、決めた。僕、君を信じてみるよ」
藁にもすがる思いだった僕は、突然現れた彼女に全てを委ねてみることにした。険悪な雰囲気のまま母親と共に生活していくくらいなら、この家を出て行った方が良い。もちろん、母親をこの家に一人にすると言うことに抵抗はある。それでも、僕のことを邪険に扱っているのなら、この家を出るべきだ。
「うん。それで良いよ。私と一緒にいた方が君は幸運になれる。荷物はこっちで何とかするから、レイセンは置き手紙でも書いていなよ」
返事をする前に僕は勉強用のノートを千切って母親への手紙を書いた。
「お母さんへ。僕は家を出て行きます。短い間でしたが、ありがとうございました」
簡素なものだったが、僕はこれで良いと思えた。長文を書いても仕方がない。
「準備出来たよ」
「えっ!? 早すぎるよ。もう少し何かしててよ」
まだ準備が出来ていない稟堂は驚いていたので、僕は今に手紙を置いた後、靴を履いて細雪が降る外で待っていた。彼女は僕の室内で何をしているのかは分からない。それでも僕は、どういうわけか今日初めて会った彼女に自室に一人きりにさせて、挙句人生全てを委ねている。
多分、自分自身、もうどうにでもなってしまえと思っているのだろう。
雪が降る厚い曇天の空を見上げると、空からは雪が降り続いている。大きくため息を吐くと、ため息は白くなり、すぐに空気と混ざって消えて行った。
ひょっとすると、幸運と言うのは、こういう風に空気と入り交ざって、それを吸い込んだ人が幸運になると言うシステムなのかもしれない。金は天下の回りものと言うが、幸運も同じことを意味しているのかもしれない。
玄関の戸が開き、稟堂は僕のことを呼んでいたので屋内へと入って行くと彼女は話し始める。
「準備出来たよ。中に入って」
何故入る必要があるのか分からなかったが、彼女の言うとおり玄関に入り、鍵を閉めると目の前の景色はいつも見ている玄関ではなく、どこかの丸みを帯びた部屋になっていた。
「……え?」
「これからここで暮らしていくんだよ。でも、バイトとかするんならどこか家を借りなきゃいけないけどね。ま、その辺りは何とかなるでしょ」
随分と楽観的な彼女を見て僕はやや不安になる。それよりもここはどこなのだろうか。
「な、なあ。ここ、どこなんだよ」
「簡単に言えば、運命の間、とでも言うべきかな。そんなに深く気にしなくて良いよ。でも、ここは良い場所だよ。何て言ったって隣に空間がないからね。どんなに騒いでも文句を言われることはないから」
「騒ぐことなんかないだろ。て言うか、ここで暮らすって簡単に言うけど、トイレや風呂はどうするんだよ。見た感じ、周りに何もないけど」
「思えば勝手に出てくるよ。イメージコントロールって言えば良いのかな。レイセンが思いつく不安の種は全て解決されると思うから大丈夫だよ」
稟堂はドスンとベッドに座ると、手を広げて寝転んでいた。
僕はと言うと、ただ突っ立っているだけである。
「な、なあ。現実に戻って良いか? 先生にだけでもフリーターになること言っておいた方が良いだろうしさ」
「それもそうだね。それじゃ、一旦戻ろうか」
稟堂と僕は共に現実へと戻ると、目の前は家ではなく、学校の周辺であった。どう言う機能を使ったのかは知らないが、稟堂は学校の近くへとワープさせてくれたのだろう。
そのまま職員室へ向かうと、当たり前だが、先生方はまだ残っていた。3年生だけが早く終わり、1、2年生はまだ授業中なのである。
職員室の戸を開くと、職員の視線は扉の前に立つ僕と稟堂に突き刺さる。手前にいた先生に高野橋先生はいるのか聞いてみると、僕の背後に立っていた。
「どうしたんだ弓削」
「あっ、先生。その、ご報告と言うか、今後のことを話しに来ました」
「おう、そうか。それじゃ、場所変えるか。稟堂は何でいるんだ?」
「……彼女も同席しても良いですか? 僕の、今後を決めてくれるのは彼女なので」
高野橋先生はニヤニヤしながら僕の方を見ていた。一応、事実を伝えたのだが、おかしなことは言っていない。
僕と稟堂は使われていなかった図書室へと向かった。図書室への道中は誰も一言も話さず、ただ場を凍りつかせるような冷たい空気と、足音だけが響いていた。
図書室の扉を開けて、近くの席に僕たちは着席すると、先生は開口一番に聞いてくる。
「で、どっちから告白したんだ?」
「いや、その、そう言う報告じゃないんですけど」
「冗談だ冗談。そんで、弓削の今後のことを教えてくれよ」
高野橋先生は僕に視線を向けてきたので、目を合わせて僕は全てを話す。
「……僕は、浪人が出来ません。だから、フリーターになります。もちろん、世間の冷たい視線とかもあると思いますが、僕はそれでも構いません。とにかく、僕は彼女と共に生きて行きます」
言い方に違和感があったが、脳に思いつく言葉をそのまま先生に話すと、唸っていた。
「お前たちはそりゃ、まだ18歳だから若すぎるくらいだけどさ。どうやって生きていくんだ? 弓削だけの収入じゃやっていけないだろ。お前たちがしようとしていることは所謂駆け落ちだ。今この一瞬の感情に流されて未来を失うと言うことはどう言うことか分かるか? いや、弓削が決めたことなら俺は何も言わないが、やっぱり、一応引き留めておきたいんだ。だってお前、あんなに大学へ進学するって言って言っただろ。それなのに、そんなきっぱりと大学へ行くのを諦めて、フリーターになるって言うのはどうも不安なんだよ」
さすが3年間僕の担任をしてくれていただけあって、察しが良い。僕はここで稟堂が幸運をそぎ取ることが出来るからと話そうと思ったが、こんなこと話しても先生は分かってくれるはずがない。
「わ、私が! レイ……弓削くんを誘って、その、一緒に暮らそうって言ったんです。私も、その、フリーターって言うか、進路決めていなかったじゃないですか。私は家業を継ごうと思っているので、レイセンには婿入りしてもらうって言うか、だから、そんなに深く考えなくても良いって言うか何と言うか」
突然何を言い出すのかと思いきや、わけの分からないことを話し始めた。
「な、何言ってんだ!?」
僕は聞こえないように、声を抑えているつもりだったがきっと聞こえているくらいの大きさで稟堂に話す。
「今はこうするしかないよ。良いから話を合わせて!」
小声でそう言ってきたので、僕はあまり空気を読むのは得意ではないが、彼女の言うとおり話を合わせてみることにした。
「そ、そう言うことです。あの、稟堂の実家、東京にあって、そこで、僕も一緒に東京で暮らすって言いますか。こんな雨や雪ばかり降って、車も必須な日本海側の片田舎よりも東京の方が良いじゃないですか。交通も潤っていますし、働く場所だってたくさんありますから」
混乱している頭を必死に動かして僕は平然と嘘を吐いていく。
「まあ、東京なら安心だけど、本当にそれで良いのか?」
「だって、東京ですよ。金沢より全然良いに決まっているじゃないですか。こんな偏狭の地にいるよりも絶対に東京の方が……」
僕は唐突に口ごもる。親のことを言われたら何と言えば良いのか分からなかったからだ。
「……ま、若いうちにしか出来ないこともあるからな。頑張れよ。先生、応援しているからな」
先生は立ち上がり、僕の横を通り過ぎていく際に僕の肩をポンとたたき、頑張れよと告げて図書室から出て行った。室内は僕と稟堂だけが残り、明かりは窓からの薄暗い光しかなかった。
「……レイセン、これで、良かったんだよね?」
「うん。良いと思う」
言葉を発した瞬間、不安や焦燥感が僕を襲う。
みんなには安定した未来がある。僕にはそれがない。未来に対する漠然とした不安を払拭できるのは稟堂しかいない。僕はもう戻れない場所まで来ていると言うのは分かっている。それでも、不安は消えない。
「だ、大丈夫だよ。レイセンには私がいる。今は運が悪いだけ。でも、君は今世界一幸運になったって言っても良いんだよ。なんてたって、幸運をコントロールできるからね。他人にはこんなこと出来ないよ。早速幸運そうなやつから幸運を取ってみてあげるからちょっと見てて」
稟堂と僕は図書室から出ると、廊下に数人の後輩たちが歩いていた。全員僕たちを見ているのは、3年生はみんな午前で帰っているのに、僕の胸元で光るローマ数字で書かれた3、稟堂の付けている赤いスカーフを見て疑問に思っているのだろう。変な風に思われていなければ良いが。
「おう、先輩よ。こんな薄暗い図書室で何してたんスか?」
僕たちのすぐ横にはいかにもガラの悪い不良が4人いた。話しかけてきた不良の後ろで3人はケタケタ笑っていた。
「ちょうど良いよ。こいつらの幸運を奪ってあげる。不良のくせに、レイセンより幸運だから」
「へえ、そっちの女の先輩、可愛いくせに結構イカれたこと言ってんスね。そんな暗いやつといるからそうなるんスよ。俺らと一緒にいればもっと楽しいスよ?」
稟堂の肩に触れようとした瞬間、稟堂は僕に背を向けてその不良の横を素早く通り過ぎる。瞬く間に彼女は僕たちから3メートルほど離れた場所にいた。
「な、何したんだてめえ!」
不良は稟堂に向かって叫んでいたが、彼女はブツブツ何か言っていた。その後、すぐに向こう側から強面の体育教師がやってきて、不良たちは一目散に逃げて行った。
「ね?」
「……いや、ね? じゃなくてさ。何をしたんだよ」
「アイツから幸運を削ぎ取ったんだよ。で、レイセンの幸運に変換したわけ。だからあの怖そうな先生が来て、レイセンも私も会の不良に何もされなかったってこと」
本当に幸運を削げることは分かったが、彼女があのような俊敏な動きが出来ることに最も驚いた。あの場にいた者の視線が全員僕たちに集まっていたので、気恥ずかしかったが、あのまま何もしていなかったら、僕も稟堂もどうなっていたのだろうか。
「これで私がどう言う者か分かったでしょ? とにかく学校を出ようよ。私、お腹空いちゃった」
稟堂に手を引っ張られて僕たちは玄関へと向かった。
つづく
2014年12月20日現在、ここまで執筆してあります。4~5日のペースで投稿していく予定です。
プロローグから2話の冒頭まで運命ドミネイションと同じにしてありますが、多分、改稿するかと思われますが、今はこのまま放置しておきます。