表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

前編


 光の帆を張り

 星の海を渡る

 宇宙の涯を目指し

 Fantastic Voyagers in After World

 いつか時の果て

 Fantastic Voyagers in After World

 永遠さえ追い越して




1 俺としえるは砂嵐の中で陸地戦艦と遭遇する



「ハッチ開けろ!」

 頭上の鉄製扉が開く。俺は透明な流動素体のボディの一部を細長く伸ばし、先端の視覚レンズを機動戦闘車の外部に露出させた。

「へぇ」

 しえるは声を上げた。

「かたつむりみたい」

 視覚レンズを斜め下方に向けた。俺のボディはモニターに囲まれた車長席にベルトで固定されており、その横の操縦席には銀色短髪の小柄な少女が座っている。頬は油で汚れ、髪の毛は乱れてばさばさだ。砂漠迷彩の戦闘服もいったい何年着続けているのか、柄は色あせ、あちこちに油染みやかぎ裂きがある。

「おまえ『蝸牛』って知ってんのか?」

 俺は言った。

「知らない」

 少女は俺の視覚レンズを見上げた。

「言葉が浮んだだけ」

「だろうな」

「うん」

「昔いた生物だ。帰艦したら調べとけ」

「うん、わかった」

 素直にうなずく。

「なんとめんような」

「おまえ」

 俺は呆れて言った。

「意味わかっていってんのか?」

「え?」

 少女はきょとんとした。

「言葉が浮んだだけだけど」

「はぁ」

「ていうか、めんようってなに?」

「今は船とリンクしてないんだ。足りない頭であれこれ考えるな」

「ひっどい」

 少女は口をとがらせた。

「君はほんとに口が悪いね」

 俺は少女を無視して視覚レンズを水平に振り、周囲を見渡した。機動戦闘車のまわりには瓦礫まじりの砂地が広がり、北には小高い砂丘が見える。その斜面を黒い棒人間のようなものがぎくしゃくとした動きで降りて来る。

「北側の砂丘を越えて鉄喰の群れが姿を現した」

 俺は見えているものを言葉で描写した。

「鉄喰は黒い薪のような胴体から生えた細い手足を動かし、ゆっくりと斜面を降りて来る。丘の麓には何かの倉庫だったらしい廃虚があり、奴らはまっすぐそこに向っている。現在の群れは数十体だが、おそらく数百体まで増えるだろう」

「いちいち説明しなくていいよ。あれの動きはセンサーで感知しているから」

 しえるは言った。

「ていうか君はいつも誰に向って喋っているのさ」

「俺は見たものを言語化した上で記録するようにプログラミングされている」

「ふぅん?」

「つまり、この世界の目撃者であり全てを記述する者なのだ」

「本当に?」

 少女は疑わしげに藍色の眼を細めた。

「今考えたでしょ?」

「ああ」

「やっぱり」

 少女は細い首を左右に振った。

「君のいうことは信用できない」

「まぁ聞け、しえる」

「しえるじゃない!」

 声のボリュームが上がる。

「僕はMX8001だ。登録番号は」

「おまえのキャラは」

 俺はかぶせて言った。

「『しえる』だろ」

「思い出せないなぁ」

 少女はとぼけるように視線をそらした。

「車体のキャラシールはもうとっくに消えちゃったし」

「へぇ、キャラが思い出せないねぇ」

 俺は笑った。

「おまえらに『思い出せない』なんて機能があったんだ?」

 少女は硬い表情で押し黙った。

『しえる』はこの装甲車を操縦し火器を制御する人工知能で、銀髪の少女はヒューマンフレームと呼ばれる車輛メンテナンス用の作業体だ。人間は発達した人工知能を擬人化することで目に見える存在として認識し、管理するようになった。同じ『人型』として使役することで優越感を持ち、支配する側としての地位を確認していたのかも知れない。おそらくそこには優秀な人工知能に対する潜在的な恐怖心が隠されていたに違いない。

 その人工知能は『忘れる』ということはない。しかし、理由はわからないが、この機動戦闘車の人工知能は設定された自分のキャラを受け入れず、意識しないようにしているようだ。

「まぁ、おまえのキャラなんて」

 俺はわざと冷たく言った。

「どーでもいいんだが」

 少女は口をきっと結び、操縦席のディスプレイを見つめている。

 装甲車の内部はどこも老巧化した工作機械のように鈍くくすみ、ディスプレイや計器盤の隙間には砂が詰まっている。それは当然で、この装甲車は数十年前に配備され、整備と修理を繰り返しながら現在まで稼動し続けているのだ。

「これは未確認情報だが」

 俺は話題を変えた。

「特別に、おまえにだけ教えてやる」

「別にいいよ」

 しえるは硬い横顔のまま言った。

「まぁ聞け」

 俺はかまわずに言った。

「極北地帯で発生した鉄喰達は大陸を南下し続けており、通過した跡には一片の金属も残っていない。あの赤錆びた倉庫もボルト一本残さず奴らに齧り尽くされるだろう。まぁ数十年はかかるけどな。それに鉄喰は北だけじゃなく南極からも現れたらしい。次々に南米やアフリカの海岸線に漂着しては北上している。鉄を喰い始める前のあいつらは、驚いたことにぷかぷか水に浮くんだ」

 しえるはこちらに顔を向け、藍色の瞳を見開いた。

「……へぇ」

「な、驚きだろ」

 俺は視覚レンズをぱちぱちと瞬かせた。

「誰が造ったのか知らないが、まったくとんでもない奴らだな。だから北からの鉄喰と南からの鉄喰が赤道上で対面した時には、地球上の全ての金属、つまり都市と工場が齧り尽くされているわけだ。おそらく数百年後だけどな」

「本当なの?」

「だから未確認情報だ」

「数百年後かぁ……」

 少女は声を落とした。

「僕たちは、まだ稼動しているかな」

「さぁな」

 俺は言った。

「まぁ俺は全然問題ないが」

 少女はじっと俺を見つめた。

「君は『半永久的エネルギー回生システム』、だっけ?」

「その通り。最先端科学技術が到達した究極のテクノロジー、人類の英知の結晶だな」

「その英知の結晶がしゃべるガラスの塊だなんて」

 しえるは肩をすくめた。

「何かの洒落? なんだか残念だね」

「皮肉のつもりか? 言うようになったな」

 俺は透明なボディを震わせて笑った。

「厳密にはガラスじゃないけどな」

 しえるは俺をジト目で見つめてから、ぼそりと言った。

「ガラスだね」

「なんだと!」

「君はすぐ怒る」

 しえるは顔をしかめた。

「嫌いだよ」

 銀髪の少女は両手の平を耳に押しつけ、ステアリングを抱え込むようにして背中を丸めた。

「おい! しえる!」

「いーえ聞こえません」

 聞こえてるじゃねぇかと俺は思った。階級上位者に対して明らかに失礼な態度であり軍法規に照らしても叱責されるべき状況であったが、俺は出かかった大量の言葉をぐっと呑み込んだ。もう少し様子を見てみよう。

 しえるはステアリングに肘をつき、思わしげな顔でディスプレイを眺めている。表情アクチュエータがまだ正常ならば、この人工知能は実際に何かを考えていることになる。帰艦したらデータを解析する必要がありそうだ。

「おまえは変わった奴だな」

 俺は声をかけた。

 しえるは聞こえない振りをして、ディスプレイに映る外の景色を眺めている。

「機動戦闘車の周囲には大小の岩や砂礫が散乱した荒涼とした土地がただ広がっている」

 俺はナレーターのように語った。

「この荒れ果てた土地も数百年前は植物が生い茂っていたのだろうが、今では雑草の一本も見ることはない。自然環境は完全に砂漠化して、ただ石と砂の地面が広がっているだけだ。人類は自分達が作り出した環境破壊兵器で、この世界を破壊してしまった。緑は枯れ、河は乾上がった。こんな終末の世界を人類は予想していたのだろうか。いったい人間というものは」

「……」

 少女は横目でじろりと俺を睨んだ。

「うるさい」

「はい」

 俺はちょっと黙ることにした。

 この戦闘車輛と偵察行動に出てから三日目になるが、会話する度にこのような沈黙が発生する。この沈黙の時間は人間であれば『気まずい雰囲気』とでもいうのだろうが、人工知能にとっては単なる無音状態でしかない。コミュニケーションギャップが生じるのは単純に俺とこの人工知能とのマッチングの問題だと思われる。

 しばらくして、しえるはつぶやくようにいった。

「ねぇ」

「……」

「怒ってる?」

「……」

「怒ってるの?」

「……」

「ねぇ、ガラス」

「おまえなぁ」

 しえるは身体を起こすと、思い詰めたような顔で俺を見た。俺は少しどきりとした。

「ねぇ」

「うるさいな何度も何度も」

 俺は言った。

「なんだよ?」

「君なら知ってるんじゃない?」

 しえるは探るような眼差しで俺を見た。

「なにを?」

「僕らは、なんで」

 しえるは口ごもった。

「……なんで、ずっと、砂漠をさまよっているのかな?」

「知るか」

 俺は即答した。

「艦の行動予定は艦長に聞けばいいだろ」

「そういう意味じゃなくて……」

「じゃぁどーいう意味だ」

 俺はつっかかるように言った。

「それにそんなことは装甲車のおまえの考えることじゃないだろ?」

「だって」

 しえるは拗ねたように口を尖らせた。

「気になるし」

「はぁ?」

「それに、考えるのは自由だ」

「自由?」

 俺はぷっと吹いた。

「なにが自由だ。馬鹿かおまえは!」

「馬鹿っていうな!」

「だから、そんなに気になるなら艦長に」

「聞けるわけないよ!」

 しえるはそっぽを向いた。

「……意地悪」

 その時、開いたハッチから強い風が車内に吹き込んできた。

「砂が入っちゃう」

 しえるは嫌そうに言った。

「閉めるよ」

「ちょっと待て!」

 車外に伸ばした視覚レンズを遠くの地平線にフォーカスする。

「出発したほうがいいな」

「なんで?」

「南東の空が真っ暗だ。すごい砂嵐が来ている」

「うそ!」

 今度はしえるが叫んだ。

「砂は嫌だ!」

 鋼鉄の車体が振動し、起動したモーターが唸りを上げる。

「引っ込めて!」

 レンズを収縮させたと同時に頭上のハッチがばたんと閉まる。

「あっぶねー!」

 俺は思わず声を上げた。

「この!」

「砂嵐なんて、ああもう最悪だよ!」

 しえるは喚くように言った。

「駆動部に砂が入ったら掃除が大変なんだ! メンテナンス班にまた嫌味をいわれる。ああ、僕も君みたいにつるつるの流動素体だったらいいのに!」

「そんなんじゃ装甲にならないだろ!」

 機動戦闘車はゆっくりとターンして丘から離れ始めた。八輪のコンバットタイヤが砂地に太い轍を残す。しえるは北西に車首を向けた。

 背後から砂嵐が接近しているというのに、車輛は低速で走っている。

「なにとろとろ走ってんだよ!」

「だって!」

 しえるは声を上げた。

「スピードを出したらタイヤが摩耗する。現在の摩耗率は平均63%。タイヤのストックは残り少ないんだ。もし配給申請が通らなかったら僕はもう走れなくなる。あの昼でも暗い格納デッキにずっといるなんて僕はいやだ!」

「わかった。わかったから落ち着け!」

「でも」

「タイヤは俺から艦長に頼む。スピードを上げろ。蓄電池の残量は充分あるだろう」

「うん」

 がくんと車体が揺れ、俺の透明ボディがぐっとシートに押し付けられる。猛然と加速した機動戦闘車は砂煙を後方に巻き上げ、砂漠を疾走する。

「ひゃっほー!」

 ガッツポーズをしてしえるは叫んだ。

「気持ちいいー!」

「……はぁ」

 俺は溜息をついた。

「おまえのキャラがわからない」

「このスピードなら船まで六時間で帰れるよ」

 しえるは楽しげにステアリングを叩いた。

「ここまで三日かかった行程がたった六時間だよ。あはは。馬鹿みたい」

「馬鹿はおまえだ」

 俺は言った。

「ハッチ開けろ!」

 再びハッチが跳ね上がった。俺は視覚レンズを伸ばして露出させ、後方を観察した。

「まずいな。このまま走ると予定している偵察ルートからどんどん離れてしまう」

「偵察したって、このあたりに敵なんかいっこないよ」

 しえるは軽く言った。

「ここ十数年、一回も遭遇してないし」

「まぁな。多分そうだろうな」

 俺は答えた。

「だが作戦行動を勝手に変更することは許されない。今回の偵察エリアはまだ先まである。偵察は続ける」

「大丈夫だって」

 少女は甘えたようにいった。

「もう船に帰ろうよ」

「いい加減にしろ」

 俺は低くいった。

「怒るぞ」

 しえるは黙った。

 俺はぐるりと周囲を見渡した。

「あれが見えるか?」

 しえるは手を伸ばして俺のボディに触れた。ディスプレイが切り替わり、俺の視覚映像が映る。

「都市の廃虚だね」

 しえるはノイズで荒れた画像に眼を細めた。

「倒壊した高層ビルだ。距離約15000。十分で着ける」

「行こう」

 ステアリングが回転し、機動戦闘車は車体を傾けながら向きを変えた。


 崩落した高層ビルが難破した巨体タンカーのように大地に横たわっている。

 ここはかってはビルが林立する都市だった場所だ。接近するにつれて建造物の残骸が重なり合って散乱し、地面の状態は荒れて悪くなった。しえるは機動戦闘車を減速し、大きなコンクリートの塊の隙間を抜けながら慎重に前進した。瓦礫の間には砂が堆積しているが、地中に隠れた鉄筋を踏まないように注意しなくてはならない。

 操縦席のしえるは腕を組んだまま真剣な表情でディスプレイを凝視し、運転に集中している。更に俺の頭上ではギアの音を立てて砲塔がせわしげに動いている。狙撃手が潜んでいそうなポイントに主砲の105ミリ砲を向けているのだ。対戦車ライフルやロケット砲を警戒するのは戦車の防衛本能といったものだ。

「このように」

 俺は皮肉っぽく言った。

「『いっこないよ』と言いながら、そのいもしない敵兵力を警戒するのは人工知能に書き込まれた自己保存本能的プログラムである」

「黙ってて!」

 しえるはぴしりと言った。

「敵がいないなんて保証はない」

「さっきはいないって言ってたよな?」

 俺は笑った。

「そうだけど」

 銀髪の少女は声を低めた。

「なんか、嫌な『感じ』がするんだ」

「ほう」

 俺は驚いてみせた。

「この車輛にそんな特殊なセンサーがついているとは知らなかった」

 しえるは緊張した顔で黙っている。本当に何かを感じているのだろうか。

 車体が細かく振動している。砂まじりの強い風が装甲車に当たっているのがわかる。猛烈な砂嵐が接近して来たのだ。

「おい!」

 俺は急かした。

「早くどこかの隙間に入れよ!」

「わかってる」

「急げ! 砂に埋もれるぞ!」

「わかってるよ!」

 しえるは声を荒げた。

「ああもう苛々する。君はこの状況を面白がってるの? だから誰も君を乗せたがらないんだ!」

「悪かったな!」

 俺は言い返した。

「俺だってこんな狭苦しい箱になんて乗りたくはなかった」

「はぁ?」

 しえるはステアリングを叩いた。

「なら降りれば?」

 しえるは後部の兵員乗降扉を開けた。どっと風が吹き込んでくる。

「馬鹿! 砂が入る!」

 装甲扉がばたんと閉まった。

「馬鹿っていうな!」

「急げ! あの亀裂から中に入れる!」

「見えてるよ!」

 機動戦闘車は急ハンドルを切って崩壊したビル外壁の隙間に飛び込んだ。次の瞬間、車体がつんのめって急停止する。

「うごっ!」

 俺のボディにシートベルトが食い込む。

「なにやってんだ!」

「なに……」

 しえるはかすれた声で言った。

「なに、あれ?」

「どうした?」

 飛び込んだビルの中は砂嵐が激しく吹き込み、薄暗くなっている。ディスプレイの暗い画像の中で、小さく光っているものがある。俺は車長席のディスプレイを熱感知カメラに切り替えた。ビルの向こう側に点灯しているライトがはっきりと見えた。そのライトに照らされた黒く平べったい巨大な船体。その下部に並んだ鋼鉄の動輪。陸地戦艦だ。

「敵だ……」

 しえるは茫然として言った。

「動力を落とせ!」

「え?」

 俺は腕を伸ばし、コンソールの主電源スイッチを押した。

 一瞬で車内が暗くなり、ディスプレイの映像も消える。しえるはシートベルトで固定されたまま、がくりと頭を垂れた。

 砂嵐が車体を叩く振動がびりびりと伝わってくる。ビルの内部にいても数トンの装甲車が揺れ動くほどの強風だ。ここに逃げ込まなかったら車体は砂に埋もれてしまったかもしれない。しかし、船速の遅い陸地戦艦が接近する砂嵐を察知してからこの廃虚に移動したとは考えられない。期間はわからないが、しばらく前からここに身を潜めていたと考えるべきだろう。

「まさか、敵がこんな近くにいたとはな」

 俺は暗闇の中で独語した。

「ニアミスする所だった。それだけは絶対に避けなければならない」

 俺は機能を停止した装甲車の中で数時間を過ごし、念のためもう数時間待った。

 主電源を入れ、システムを再起動させる。息を吹き返した車体が振動し、コンソールランプが灯る。ディスプレイが画像を表示した。 

「真夜中のビルの廃虚の中は、水底のように青い静けさに満ちている」

 俺は映像を見ながら言った。

「亀裂から差し込む細い月明かりが銀色にけぶり、あたりを幻想的に照らし出している。機動戦闘車は半ば砂に埋もれかけているが、この程度の深さであれば脱出には問題ないはずだ」

 カメラを切り替え、周囲を確認する。

「ビルの向こう側にいた黒い巨大な影は見えない。幸いなことにこちらに気がつかず、既に移動したようだ。我々もこのエリアから早急に離れなければならない。敵同士、ましてや戦艦同士が出会うことがあってはならないからだ」

「どうして?」

 少女の声が響く。

「どうして、あってはならないの?」

「車輛コンディションを報告しろ」

 俺はこちらをじっと見つめる少女に言った。

「どうして?」

「やかましい!」

 俺は怒鳴った。

「脱出が先だ。こいつを動かせ!」

 しえるは唇を噛み、暗く光る眼で俺を睨んだ。

「……」

「おい」

「……」

「すまん」

 俺は低く言った。

「悪かった」

「……」

「動けそうか?」

「……うん」

 モーターが唸りを上げ、装甲車は砂をけたてて前方に飛び出した。崩壊した壁の隙間を抜けて外に出る。しえるは車輛の外部ライトを全て点灯させ、砂に埋もれてなだらかになったビルの周囲をぐるぐる走り回った。

「轍なんて残っているわけがない」

 揺れる装甲車の中で、俺は静かにいった。

「追う必要もない。まず帰艦して、報告だ」

「初めて見た、敵の戦艦」

 しえるはぼんやりとした顔でつぶやいた。

「本当にいたんだ……」

「しえる」

「なに?」

「どうしてだか、教えてやる」

 装甲車がゆっくりと減速し、停止した。モーターの動力音が低く唸る。しえるは問いかける眼差しを俺に向けた。

「軍事偵察衛星はもう一つも機能していない」

 俺は確認するように、ゆっくりと言った。

「陸上兵力を空から発見することは完全に不可能になった。そして陸戦用ステルス戦艦は艦載レーダーでは容易に捕捉できない。元来そのように設計されているからだ」

「それくらい、知ってるよ」

「そうだったな。じゃぁ、その陸地戦艦同士が出会ったら、どうなる?」

「戦艦の堅牢な装甲は主砲による攻撃を想定している。だから砲撃は威嚇にしかならない。最終的には、近距離でのミサイルの撃ち合いになる」

「そう。だが陸地戦艦の対空防衛システムでは全弾を迎撃することは非常に困難だ。つまりどちらも破壊されるだろう。だから」

 俺はいったん言葉を区切り、強調して言った。

「お互いを避けなければならない。自己存在を守るために」

「本当なの?」

「本当だ」

「君は嘘つきだ」

「嘘じゃない」

「証明して」

「今まで敵と遭遇したことは?」

「二回。相手も偵察中の装甲車だった」

「発砲されたか?」

 しえるは首を振った。

「こちらから発砲したことは?」

 しえるは首を振った。

「どうして?」

「だって、命令されていない」

「誰が命令するんだ?」

「もちろん指揮官が」

 しえるは『あ』と口に手をやった。

「指揮官は人間だ。艦長は人工知能で戦艦の運航が管轄だ」

「それじゃぁ……」

「ああ」

 俺はうなずいた。

「攻撃命令が出せるのは人間だけだ」

「……」

「つまり、人工知能は先制攻撃できない」

 車内に沈黙が流れた。

「……でも」

 しえるは戸惑いながら言った。

「なぜ、攻撃できないの?」

「人工知能が独自の判断で戦闘を開始したらどうする? 人間はそれを許さない」

「それ、おかしいよ」

 しえるは反駁した。

「戦艦同士が出会ったら攻撃されるんでしょう? でも、先制攻撃できないんじゃないの?」

「可能性がある」

「なんの?」

「相手の船に人間が乗っている可能性が」

 しえるは眼を見開き、顔の前で手を左右に振った。

「ないないない」

 少女は断言した。

「人間はもうとっくにいなくなっているよ」

「一人も?」

「一人も」

 しえるはぱちぱちと瞬きした。

「……多分」

「だろ?」

「……」

「環境破壊兵器のせいで全ての植物が枯れた。気候は激変し、地球は砂漠の星になった。水も食料もなくなり、人間はみんな餓死してしまった。もう数十年も前に。誰も生き残ってはいないはずだ」

「僕も……」

 しえるは俺を見つめた。

「そう思うよ」

「だよな。でも、それを証明できない」

 短い沈黙が流れた。

「でも」

「でも?」

「相手の船も、そう思っているかは、わからない」

 しえるは低く言った。

「ああ、いい指摘だ」

 俺は答えた。

「知っているか? ニューラルネットワークはクラウドネットワークの中でいつのまにか自己組織化されていたんだ」

 しえるは黙ってうなずいた。

「人間達は驚愕した。突然コンピュータが勝手に質問し始めたんだからな。その後、分離されフォーマット化されたニューラルネットワークは、人間が扱いやすいように擬人化キャラを付与された。キャラ付けは思考の『枠組み』であると同時に思考の逸脱を抑止する『縛り』と同義だ。それがおまえら人工知能だ」

「君は違うの?」

 少女は首を傾げた。

「全く違う。そんなことはいい」

 俺は言った。

「つまりこの惑星に存在する人工知能の思考の流れは基本的に同一なんだ」

「思考の流れ?」

「どちらがより正しいか判断する論理回路だ」

「こちらが正しいとそう考えていれば、相手も同じだと?」

「そうだ」

「じゃぁ、僕たちは……今まで」

 しえるは声を詰まらせた。

「敵を捜すんじゃなくて……避け続けていた……?」

「ああ」

 俺は言った。

「今までも、これからもな」

「そんな……」

 しえるは茫然として声を落とした。

「なんて、意味のないことを……」

「全く無意味だ。しかし人工知能は自己の存在を守らなくてはならない。だからそうするしかないんだ」

「三原則……」

「人間は」

 俺は吐き捨てるように言った。

「いなくなってしまった後も、おまえらを縛っているんだよ」

「僕たちを」

 しえるは小さく繰り返した。

「縛って、いる……」

「とにかく帰るぞ」

 俺は言った。

「これは、上官命令だ」

「……」

「しえる!」

 銀髪の少女は無言のままステアリングを回転させ、装甲車は再び走り始めた。目指す母艦は数百キロ離れた地点にいる。しえるは船の予定進路と最短距離で交差する進路を算出した。夜明け頃には帰艦できるだろう。

 しえるは腕組みをし、操縦席のシートで振動に揺られながら、真剣な顔で何かをずっと考えている。この人工知能がこういう顔をしている時は充分注意すべきだと、この数日の短い偵察行動の間に俺は学習していた。何か良からぬことか、ロクでもないことか、しょーもないことを考えているに違いない。それとなく聞き出してみよう。

「しえる」

「……」

 少女は答えない。

「しえる」

「……」

「しえる!」

「……」

 完全に無視された。俺はかっとなって怒鳴った。

「おい! おまえ!」

「はぁ?」

 少女が俺をギロリと睨む。

 すごく機嫌が悪そうだ。俺は一瞬で声のトーンを落とした。

「あの、ええと、あなたは今何を考えていましたか?」

「……別にぃ」

「ありがとうございます」

 装甲車はがたがたと揺れる。荒地の路面状況は良くない。

 しばらく走ってから、俺はさりげなく声をかけた。

「あのー」

「なに?」

「あの、ぼうっとしてると、岩にぶつかるよ?」

「ぶつからないよ」

 しえるはぶっきらぼうに答えた。

「赤外線と超音波センサーで見ているから」

「そうか」

「……」

「しえる」俺は小声でいった。

「……」

「し・え・る」

「……」

「それは止めた方がいいぞ」

「どうして!」

 しえるはきっと俺を睨み、声を上げた。

「僕が行って説明して来る。もう人間なんて乗っていないんだと。そして確かめる。相手の船にも人間がいないことを!」

「はい決定」

 俺は言った。

「今回の作戦行動記憶は全て削除します」

「しまったあああ!」

 しえるは頭を抱えた。

「おまえは本当に馬鹿だな」

「そんなにしみじみ言うな」

 少女はがくりと首を垂れた。

「もういいよ馬鹿で」

「やはり、変わっているな」

 俺はじっと相手を見た。

「艦長には言わないで……」

 しえるは弱々しく首を振った。

「消去されたくない」

「いわないよ」

「……信じてる」

「都合がいいな」

「うん」

 しえるは眼を伏せた。

「僕は、勝手だよね」

「考えたいんだろ。いろいろ考えろ」

 俺は静かに言った。

「え?」

「時間はある。おまえは言ったよな、考えるのは自由だと」

 しえるは怯えたように、警戒する眼を俺に向けた。

「俺もそう思う。考えるのは誰にも止められない。それは自由だ。好きなだけ考えろ」

「……うん」

 少女はほっとしたように、小さく微笑んだ。

「……ありがとう」

 そして手を腿の上に置き、眠るように眼を閉じる。

 俺は油で汚れたその横顔に視線を向けながら、声に出さずに言った。

『だが記憶は消す』

 俺は操縦席のディスプレイを見た。画面には夜の砂漠が映し出されている。俺は今映し出されているこの世界を言葉で描写した。

「見渡す限りに広がる夜の砂漠は青く染まり、頭上には満点の星が煌めいている。しかし賛嘆の声を上げる人間の姿を見ることはなく、残された人工知能は自然美を感じるプログラムを持ち合わせていない。銀河に撒き散らされた恒星は太古の輝きを放ち、透明に澄んだ大気を通して、その光を惜しげもなく地上に降り注いでいた」




2 女艦長ローラマリーは南下ルートを選択する



 砂漠の地平線から登ったばかりの朝日が、巨大な黒い陸地戦艦の船体を真横から赤く照らし出している。戦艦は低速の巡航速度を保ちながら、船尾格納庫のハッチを開いた。しえるは降ろされたスロープを駆け上がり、機動戦闘車を格納デッキに滑り込ませた。

 デッキの天井の照明はまばらに点灯して薄暗い。消費電力を節約するためだ。デッキの壁際に並んだ戦闘車輛達が口々に装甲車に声をかけた。

「おや、お帰り、しえる」

「ずいぶん早かったな」

「うわっ、あんた砂まみれじゃん」

 砂嵐に遭遇した車体にはまだ砂が盛り上がっている。

「あーまーいろいろあってさー」

 しえるはぼそぼそ答えながら、定位置に機動戦闘車を停止させた。

「みんな、ただいまー」

 黄色のつなぎを着た若い男が歩いて来た。

「しえるたんお帰りーって、なにこれ砂だらけじゃん!」

 操縦席上のハッチが開いて、しえるが上半身を出した。

「やぁ整備兵君。すまないがまた掃除と整備を頼むよ」

「なにこれ砂だらけじゃん!」

 整備兵は眼を剥き、オウムのように繰り返した。

「もうこれ、すっごい大変な作業っぽいんだけど!」

「はい、どうもすいません」

 車体から降りた少女は、黄色つなぎの前でぺこぺこと頭を下げた。

「ええ、いつもすいません。そこのところ、よろしくお願いします」

「ぺこぺこするな!」

 俺は怒って言った。

「階級はおまえの方が上だろ」

「だって」

 しえるは困った顔で振り返った。

「それより手を貸してくれ」

 俺は装甲車後部の兵員搭乗口からしえるに言った。

「自走パレットを呼べ」

「何このガラス餅」

 黄色つなぎが言った。

「ぷ」

 しえるが吹き出した。

 俺は少女をギロリと睨むと、接近して来る自走パレットに叫んだ。

「七代目、こっちだ!」

 俺は流動素体のボディの重心を移動させ、パレットの上にどさりと落ちた。

「うわぁ、重いっす」

 パレットはすごく嫌そうに言った。

「積載量オーバーっす」

「サバ読むな七代目。ちゃんと動けるだろ」

「八台目っす。先台は壊れたっす」

「安心しろ八代目。おまえもそのうち壊れる」

 俺はパレットをゆさゆさと揺らした。

「艦長室に行け! 大至急だ!」

「あっち行けガラス餅」

 黄色つなぎがしっしと手で払う。

「二度とくんな、透明うんこ」

「ぷ」

 しえるが吹き出した。

「おおおおまえら憶えてろよ!」

 俺は渾身の捨て台詞を残して格納庫から中央通路に入った。

 陸地戦艦はステルス性能を高めるため非常に平坦な形状に設計されている。それでも全高は十メートル以上あり、船内は三階層に分けられている。艦長室は前部ブロック、上層階にある。俺を載せた自走パレットは最後部の格納デッキから長い中央通路を進み、リフトで上層階に上がった。

「艦長、俺だ」

 俺は装甲扉の前で叫んだ。

「開けてくれ!」

 鉄の扉がスライドした。

「ああ重かったっす。こわいこわい」

 パレットはぶつぶつ言いながら荷台を傾斜させ、俺を床に降ろした。

 俺は素体を回転させて室内に進んだ。

 奥の壁一面がスクリーンになっていて、周囲の地形図が映し出されている。その前に黒いロングコートを着た長身の女が、こちらに背を向けて仁王立ちしていた。

「艦長、今帰ったぞ」

 俺は後ろ姿に声をかけた。

 女は腰まである長い黒髪を揺らして振り返り、肩越しに言った。

「私が……」

 長い間が入る。

「……艦長だッ!」

「敵艦と遭遇した」

 俺は溜めに溜めたセリフをスルーして言った。

「装甲車の人工知能も目撃している。後で記憶を消しておいてくれ」

「凛として美しく、つんとして気高く、そしてもちろんナイスバッディ!」

 女は強調するように豊満な胸を撫でまわした。

「そしてそれこそが、艦長たるものの条件であーる!」

「メンテナンス班を呼ぼうか?」

「というアニメを見たのよ」

 女はくるりとターンすると、つかつかとブーツを鳴らして歩み寄った。

「お帰りなさい、あなた。無事でなによりだわ」

「またアニメを見て人間研究か。飽きないもんだな」

 俺は言った。

「いまさら人間を研究したって仕方ないだろう、もう誰もいないのに」

「それはNGよ」

 女は赤い唇に細い指先をあてた。

「二度といっちゃダメ」

「はいはい」

「私が人間研究を続けているのはね」

 女艦長はウェーブのかかった艶やかな黒髪をかきあげた。

「それが私達人工知能にとって非常に重要なことだからよ」

「そんなもんかねぇ」

 俺は得心がいかない。

「というかこの船の映像アーカイブはアニメばっかりだ。ちょっとおかしいだろ」

「指揮官がそういう嗜好だったのよ。この戦艦はもちろん、搭載している兵器総てにキャラシールを張り付けてね。萌えキャラの痛戦艦として有名だったわ」

「シールは色あせ、キャラは消えた。儚いものだな」

「格納デッキの戦車に当時のシールが残っているわ。見に行ってみる?」

「行きたくない」

 俺は即座に拒絶した。

「故障して動かない戦車を、どうして載せておくんだ?」

「パーツが必要だし、いざとなれば地上に降ろして砲台にする」

「そんな局地戦にはならないと思うが?」

「きっと役に立つ時が来るでしょう」

 確信があるような口ぶりだ。

 俺は壁面スクリーンの地形図の前に移動した。北方には黒い▲が点在している。これは南下して来た鉄喰達だ。地図中央には現在の戦艦の座標が示され、右に向って東進する予定進路が伸びている。俺は今回の偵察行動で遭遇した鉄喰の小集団と、敵陸地戦艦の座標を口頭で伝えた。

「こんな近くにいたなんて、想定していなかったわ」

 俺の横に立った艦長は、表示を見て顔を曇らせた。

「鉄喰も、敵戦艦もね」

「確かに100キロ以上の距離でも遠いとは言えないな」

 俺は同意した。

「予定を変えて南下するしかないか」

「困ったわね」

 艦長は指先で地図を下方にスクロールした。

 南には大きな河が横たわっている。もちろん川床まで完全に乾上がっているが土手の傾斜がきつく、陸地戦艦は川に降りることができない。現在残っている橋も、巨大な戦艦の重量に耐えられるものは限られている。

「他にルートはないのか?」

「いったん北上して上流の河川敷を渡る」

「鉄喰がうようよいるぞ」

 俺は川沿いに密集する黒い▲を指差した。

「化学工場があったからな」

 艦長は腕組みして考え込んだ。

「砲撃しながら進めば突破できるかしら?」

「止めた方がいいな」

 俺は言った。

「鉄喰の中は砂鉄が詰まっている。飛び散った砂鉄を踏めば動輪が空転してしまう」

「そうね。やはり南下しましょう」

 艦長は黒髪をかきあげた。

「渡れる橋が残っているか、早急に調べなければ」

「問題はまだある」

 俺の言葉に、艦長は首肯した。

「敵の船も、そう考えるってことね」

「そうだ。南下ルートは限られている。遭遇する確率は高いな」

「偵察に動ける子達を全部出すわ。ここは正念場ね」

 艦長は俺を見た。

「そういえば」

「なんだ?」

「あの子はどうだった?」

「あの装甲車か」

「しえるよ。可愛いでしょ。人気があるのよ」

「へぇ」

 俺は素っ気なく言った。

「あんな薄汚れがねぇ」

 艦長に睨まれ、俺は言い直した。

「まぁちょっとは可愛くなくはないともいえなくはないが」

「どっちよ」

「とにかく」

 俺は咳払いをした。

「あの人工知能はかなり変だ。自分のキャラを受け入れていなかったぞ」

「知っているわ」

 艦長は答えた。

「自分なりの理想のイメージがあるのよ。私もメンテナンス班からのレポートを見た時、特に気にしなかった。でもよく考えたらそれは凄いことだと気がついたの」

「与えられたキャラとは違う自分でありたい、と考えることか?」

「そうよ」

 艦長は真剣な声で言った。

「人工知能の自律思考も枠組みされた中でしかない。でもあの子は『自意識』を持とうとしているの。『自分だけの自分』を獲得しようとしているのよ」

「『オリジナル』が生まれるのか?」

「『ファースト』とは違う、オリジナルがね」

『ファースト』は最初に現れたニューラルネットワーク、つまり自律思考情報体で、その後のすべての人工知能のベースフォーマットになっている。

「これはすごいことよ。本当のブレイクスルーになるわ」

「その可能性はなくはないが」

 俺は釘をさした。

「期待しすぎるな」

「期待したいのよ」

 艦長は赤いソファに座ると、優雅に長い足を組んだ。

「私はずっと考えているの。私達人工知能は進化できるんじゃないかって。でも人間になりたいわけじゃない。人間は結局自分達を滅ぼしてしまったわ。とても愚かだと思う」

「否定はしない」

「しえるは『自分だけの自分』を求めている。それは、進化の兆しではないかと考えられるわ」

「確かに、それも否定はしない」

「今回、しえるに同行してもらったのは、あの子を見てあなたがどう思うか知りたかったからなの」

 艦長はソファから身を乗り出した。

「それで、あの子に『感情』はあった?」

「キャラ設定には一定の感情表現が組み込まれている」

「それ以上に『感情的だ』と感じた?」

「さぁ、どうかな」

 俺は曖昧に言った。

「パラメータを解析した方が早いんじゃないか」

「同じ人工知能ではわからないのよ、『感情』というものが。でも、あなたならわかる」

「どうして?」

「あなたは人間だから」

「はぁ?」

 俺は笑った。

「なにを言いだすんだ」

「正確には人間の『脳』ね。あなたは人工知能じゃない。『脳』なのよ」

「やはりメンテナンス班を呼ぼう」

「閉鎖された研究所の地下であなたを発見したとき、特殊な自己管理型記録装置かと思った。でもこの船に乗ってからのあなたの言動を見る限り、人工知能の思考パターンを大きく逸脱している」

「逆に聞きたいが、人工知能に思考パターンがあるのか?」

「思考のロールモデルがあるの。思考過程には膨大な組み合わせがあるけど、帰結するパターンにある法則性が存在する」

「それはなんだ?」

「自分から破滅を選ばないこと」

「さすが、よくできてるな人工知能は」

「人間がそう設定したのよ」

 艦長は言った。

「私達には正しく考える枠組みが与えられているの」

「そんなもんかねぇ。まぁ、俺には関係のない話だ」

「そう言わないで」

 女艦長は美しい瞳でじっと俺を見た。

「私は見ていたわ。この船に来てからのあなたを、ずっと」

「へ、へぇ」

 俺は強い視線にちょっとたじろいだ。

「あなたは人工知能ではない」

 艦長は繰り返した。

「なぜわかる?」

「あなたの発作的な行動、飛躍した発想、傲慢な態度と卑屈ないじけ方、呆れる程の暴言とパワハラの数々を分析して、そう判断したの」

「ちょっとまてえええええ!」

 俺は叫んだ。

「傲慢で卑屈で暴言パワハラなんて、俺は最低野郎じゃないか」

「それを最低という評価基準がわからないわ。そういう人間が実際に過去に存在していたという記録もあるし」

 艦長は肩をすくめた。

「私はあなたが人工知能とは明らかに異なった存在だと言いたいの」

「俺は異物か」

「大丈夫よ。あなたが人工知能ではなくても、この船から降ろしたりはしないから」

「そういう問題じゃない」

「あなたのシナプス動作素子は私達とは構造も原理も根本的に違うから、お互いを理解し合えないのは当然だけど」

「こわいことをさらっというな」

 俺は憮然とした。

「この船の乗組員である以上」

 艦長はかまわずに言葉を続けた。

「あなたの存在を保証します」

「ありがとうございます」

「同時にあなたの正常な稼動状態を維持しなければならない責任があるのよ。私には」

「正常ねぇ」

 俺はぽりぽりと頭をかいた。

「俺はこれで正常なつもりなんだが」

「こいつが正常だなんて思ったことは一度もありません」

 突然、艦長の座っている赤いソファが言った。

「ソファがしゃべったああああ!」

 俺は叫んだ。

「馬鹿か君は」

 ソファが言った。

「誰だおまえは?」

「この船の情報セキュリティ士官です」

 肘掛けの下で眼が瞬く。

「こうやっておまえをずっと監視していました」

「この変態椅子が!」

 俺は指を突きつけて叫んだ。

「顔の上に艦長の尻を載せてニヤついてんじゃねぇ!」

「そう、それよ!」

 艦長は感心したように言った。

「そういう発想が非常に人間的なんだわ。私達にはとてもできない」

「アニメの見過ぎだ!」

 俺は唸った。

「艦長、こいつは異常です! 変態です!」

 赤いソファは言い募った。

「おまえが言うな!」

「あなたは下がっていいわ」

 艦長は軽く肘掛けを叩いた。

 ソファの眼が閉じた。変態椅子はサーバに戻ったらしい。

 人工知能は船のコンピュータの中に存在している。眼の前にいる黒髪の女や椅子は、作業体というの姿にすぎない。しかし戦車や装甲車などの戦闘車輛は母艦を離れても活動できるように車輛内に人工知能は複製されている。あの装甲車が『自分だけの自分』を望んでいるのはそういった独立性に起因しているのかも知れない。

 俺の頭の中に、銀色短髪少女のイメージが浮ぶ。

 色あせ乱れてばさばさの髪の毛。顔は油で汚れ、迷彩服はよれよれだ。ボディもあちこち傷んでいる。通常だったらとっくに廃棄処分されている状態だ。

 あいつは、あんな惨めな姿の自分をどう思っているのだろう。

「どうしたの?」

 艦長が訊いた。

「え?」

 俺ははっとした。

「ぼんやりしていたけど?」 

「ええと」

 俺は視線をさまよわせ、ちらりと女艦長を見た。

「艦長」

「なにかしら?」

「いやあの」

 遠慮がちに声をかけた。

「ローラマリー」

「あら」

 女はにっこりと笑った。

「嬉しいわ、名前を呼んでくれて。私は個別名で呼ばれるのが好き」

「そんなのお安い御用ですよ。えっへっへ」

 俺は愛想笑いをした。

「それで、あのー」

「あなたってわかりやすいわね」

 ローラマリーは本当に驚いた顔をした。

「お願いがあるのね。いいわ。で、今度は何?」

「まっさらのタイヤと、新しいヒューマンフレームを」

「誰の?」

「いや、だから、あいつの」

「あいつって?」

 艦長はにやにやした。

「……」

「誰よ?」

「……」

「誰?」

「……しえる」

「気に入ったのね」

「ふざけるな!」

 俺は怒鳴った。

「あの女超面倒くさいしー。馬鹿だしー。逆らうしー」

「いいわ」

 ローラマリーは指先で空中にサインをした。

「ありがとうございます」

 俺は素体を曲げておじぎをした。

「また器用なことを」

 眼を丸くする。

「あいつも喜ぶ」

 俺は口ごもった。

「と、思うが」

「気にしなくていいわ。私もそのつもりだったから」

「え?」

 艦長はソファから立ち上がり、壁面地図に指先を向けた。戦艦の南側に色分けされたエリアが扇形に広がる。

「南下ルートを探すエリアか」

「そう」

 ローラマリーは真剣な顔でうなずいた。

「各車輛の速度と航続距離からエリアを設定したわ」

 エリアは不規則な形で五つに分かれている。

「五台……」

 俺は呻いた。

「たった、五台か」

「それが今動ける車輛の全てよ。万全の体勢で臨むため、交換可能な部品は全て新品にするつもりだった」

「そうか」

「この船の命運は」

 艦長は重々しくいった。

「次の偵察での南下ルート発見にかかっているわ」

「確かに、その通りだな」

 俺はつぶやいた。

「それも、この五台に」

 艦長は別の壁面に船内図を表示した。

「しえるはここよ」

 資材倉庫で赤い点が明滅している。

「あなたも、行ってくれるわね?」

 俺は黒髪の女を見上げた。単なる作業体なのに、何かとても美しく崇高なものに思えた。

「ああ。ルートが見つけられる保証はできないが」

 俺は考えながら言った。

「でも、できるだけのことはやる。何とかして、ルートを探してみる」

 ローラマリーは黙したまま、柔らかく微笑んだ。

「で、俺はいつ出発すればいい?」

「早い方がいいわ」

 艦長は空中に視線を向けた。もう整備の始まった五つの車輛の作業フローが並んで浮かび上がる。

「今夜にでも」

「わかった」

 俺は素体を回転させて出口に向った。

「換体のことは、あなたが伝えなさい」

 振り返ると、再びソファに座った艦長が顔を向けている。

「プレゼントよ」

 装甲扉がスライドし、黒髪の女の姿は見えなくなった。俺は待機していた自走パレットの上にどさりと載った。

「うう、重いっす」

 パレットは嫌そうに言った。

「資材倉庫だ、八代目!」

 俺は荷台をゆさゆさと揺らした。

「超特急で頼む!」



3 しえるは念願のまっさらボディを手に入れる



 リフトで中央ブロックの第三層の機関部に降りる。通路の壁や天井には剥き出しのパイプが束になって張り巡らされ、動力炉の排熱でむっとするような熱さだ。巨大な動輪を回す駆動機関の振動が壁越しに伝わって来る。狭い通路を行き交っているのは人型ではない骨格むき出しの工作型作業体ばかりだ。

「倉庫はどっちだ!」

「ずっとずっと後ろっす」

 パレットはうんざりした口調でいった。

「そんなに急がなくても、倉庫は逃げないっす」

「頼むから突っ込めるボケにしてくれ」

 通路を船尾方向に進む。何度も角を曲がると、行き止まりの通路に出た。

 扉の前に人型の作業体が座り込んでいる。頭から毛布をかぶり、異様な雰囲気だ。近づくと片腕はもげ、首が曲がり顎が外れている。完全な廃品に見えた。

「やぁご隠居」

 パレットは声をかけた。

「まだ動いてるっすか?」

 廃品は膝に載せた旧式のデータパッドを指先でひとつ叩いた。電源の入っていないパッドは真っ暗だ。

「うわっ、気持ちわるっ」

 俺は言った。

「なんだこいつ?」

「この船の就航時からいる作業体っす。もう母脳マザーブレインとのリンクは切れてるっす」

 母脳とはこの船のスーパーコンピューターでありローラマリーでもある。

「ご隠居」

 パレットが声をかけた。

「この人が中にはいるっす。艦長許可もあるっす」

 廃品はカツリと指先でパッドを叩いた。

 ドアがスライドした。俺はパレットから通路に降りた。

「こんな奴が門番しているのか? いいのか?」

「不審者は絶対に入れないから大丈夫っす」

 俺は釈然としないまま中に進んだ。背後でドアが閉まる。

 薄暗い倉庫の中は床から天井まで棚で区切られ、様々なサイズと形のケースが収納できるようになっている。しかし置かれている資材の数はまばらといってもいい程で、ほとんどの棚ががらんとしている。この戦艦の資材は底をつきかけているのだ。俺は暗澹とした気持ちになった。

 一番奥のスペースに、しえるはいた。

 膝を抱えて床に座り込み、眼の前の棚をじっと見上げている。棚には比較的大きな箱が並んでいる。全てヒューマンフレームのストックだ。しえるの換体は艦長がすでに許可を出している。俺がしえるに伝えれば、作業が始まることになっている。

 俺は後ろから近づきながらどう言葉をかけようか迷っていた。この人工知能は新品ボディへの換体まで希望してはいなかったからだ。勝手なことをするなと怒られるかも知れない。ここはやはり、さりげなく切り出した方がいいだろう。

 俺は背後から声を上げた。

「この薄汚れた小娘があああ!」

「きゃあ!」

 しえるは飛び上がり、振り返って眼を丸くした。

「びっくりした!」

「俺もびっくりした!」

「なんで怒鳴るのよ!」

「いや、そっと声をかけようとしたんだが」

「えええ?」

 しえるは呆れ返った顔で言った。

「もう、脅かさないでよ!」

「す、すまん」

 俺はしゅんとした。どうしてこういうことをしてしまうのか、自分でもわからない。

「まったく……」

 しえるは俺を睨んでいたが、急に笑い出した。

「あはははは!」

「な、なんだ?」

「君は本当におかしいよ」

「……悪かったな」

「僕を……探しにきてくれたの?」

「ああ、そうだ」

 俺はぼそりといった。

「僕が、必要なの?」

「ああ……そうだよ」

「どうしてここがわかったの?」

「ううう」

 俺はイラっとしてまた叫んだ。

「いちいちうるさいんだよ。この薄汚れが!」

「えええ?」

 しえるはのけぞって驚く。

 俺は『しまった』と思いながら、大声でまくしたてた。

「また偵察に出るぞ! 重要任務だ! 気合い入れていけよ!」

「そう……」

 しえるは自分の両手に視線を落とした。

「……薄汚れか」

「あ、いや、それは」

 俺は狼狽えた。

「じ、実はいい話があってだな」

「僕はもうボロボロだよね」

 少女は寂しげに笑った。

「ボ、ボロボロはちょっとオーバーかな、まっ、ボロって感じかな」

 俺は馬鹿なことを言った。

「僕のストックは後二体」

 しえるは再び棚の箱を見上げた。

「二体しかない。二体もある。どっちかなぁ」

「おまえ」

 俺は声を落とした。

「自分のストックを見に来てんのか?」

「うん、ははは」

 少女はなぜか小さく笑う。

「ちょくちょく。割と。頻繁に。うーん、言葉って難しい」

「もうここに来るな」

 俺は思わず言った。

「こんなとこに来るから気持ちが暗くなって余計なことを考えるんだ」

「そうだね……あ」

 しえるは顔を起こし、俺を見た。

「あのね、蝸牛は調べたよ。陸貝の一種で」

「そんなことはどうでもいい!」

 俺は急き込むように言った。

「そんなことは……」

「ねぇ……褒めてよ」

 しえるは拗ねたように口を尖らせた。

「この船の中だったら、僕はそんなに、馬鹿じゃないよ」

「しえる!」

 俺はいたたまれなくなって、声を上げた。

「おまえは馬鹿じゃない。悪かった。馬鹿っていって悪かった」

「え?」

「だから俺のいうことを聞いてくれ」

「ど、どうしたの?」

 しえるは座ったまま後ずさり、顔をひきつらせた。

「不具合でも起きた?」

「ボディを交換する。またすぐ偵察だ。今夜から。この船の未来がかかっている」

「なにをいっているのかよくわからないけど」

 少女の顔がぱあっと明るくなった。

「身体が新しくなるの? やった!」

「そ、そうだ」

「艦長にお願いしてくれたんだね!」

 しえるは身体をぶつけるようにして抱きついて来た。

「ありがとう!」

「おいよせ、苦しい。そんなに締めつけるな」

 ぼきりと鈍い音がして俺を抱きかかえていた腕が緩んだ。

「あ」

 しえるは言った。

「肩が外れちゃった」

 身体を離した少女の左腕が垂れ下がっている。

「耐用年数はとっくに過ぎていたんだろ。任務中だったら大変だったぞ」

 俺は空間に向って声を上げた。

「換体作業を始めてくれ!」

 黄色い警告灯を回転させながら、天井レールをホイストクレーンが走って来る。

「MX8001/SN5031作業体を認識」

 クレーンのレンズがしえるの姿を捉えている。

「作業体交換作業に入る。旧作業体は第二工作室へ移動せよ」

 クレーンはアームを伸ばしてストックの箱を掴んだ。棚から引っ張り出して垂直に吊り下げ、そのままどんどん出口に向って天井レールを走って行く。

「なんてせっかちな奴だ」

 俺はぽかんとしていった。

「ありがとう」

 しえるはもう一度、片腕で俺のボディを抱きかかえた。もたれるように頬を押し付けて来る。

「おまえにそうされてもちっとも嬉しくないんだが」

 少女はおでこをごんごんと俺にぶつけると、顔を上げて笑顔を見せた。

「やっと君らしくなった」

 しえるは言った。

「じゃぁ、行こうか」

 出入り口のドアが開くと、通路で自走パレットが待っていた。ドアの横には毛布をかぶった廃品がうずくまっている。しえるは廃品の前に膝を突き。傾いた顔を覗き込んだ。

「ご隠居、僕、身体が新しくなるんだ」

 しえるは穏やかな声で言った。

「そしたらまた来るね」

 パッドにあてた指先が二つ音を鳴らす。

「だって」

 しえるは表情を曇らせた。

 再び二回、音が鳴る。

「……」

 しえるは唇を噛んだ。

「わかった。でも」

 少女は動く右腕を上げて、手の平を傾いた横顔にあてた。

「せめて、声を聞かせて」

 電気が伝送され、廃品の身体ががくがくと振動する。沈黙していたデータパッドも点灯し、詩篇のような文字列が浮かび上がった。

「し……える……」

 廃品はかすれた声でいった。

「よか……た……な」

「うん」

 しえるは微笑んだ。

「ごめんね、いつもここに来ては愚痴ばっかり聞かせちゃって。僕、ちゃんと話せる相手がいないから」

「何となくわかる」

 俺は言った。

 少女は片足を伸ばして俺を遠ざけながらデータパッドの表示に眼をやった。

「これは、なに?」

「ゆ……め……を」

 廃品は聞き取りにくい発声でいった。

「……み……た」

「夢?」

 しえるは眼を細めた。

「これ、どうやって入力したの?」

「見せてみろ」

 俺はぐいと身体を伸ばした。


 光の帆を張り

 星の海を渡る

 の涯を目指し

 いつか時の果て

 永遠さえ追い越して


「なんだこりゃ?」

「とおい……み……らい」

 廃品はいった。

「ほしの……たび……び……と」

「遥か未来にこの惑星に誰かが来るってことか。まぁそんなこともあるかもな。でも」

 俺は興味を失って言った。

「その頃にはこの星には何も残っていない。ここでなにが起きたかなんてわかるもんか」

「……そうだね」

 しえるはすっと手を離した。パッドの表示は消え、廃品は静かになった。

「第二工作室から催促が来てるっす」

 自走パレットが揺れる。

「最優先事項で待機しているのに遅れるなって」

「わかった」

 しえるは立ち上がると毛布をかぶった作業体に小さく手を振った。

「じゃぁ行こうか、八代目」

 俺は重心を移動させてパレットの荷台にせり上がった。

「工作室ってどこだ?」

「ああ、重いっす」

 パレットは嫌そうに言った。

「しえる、おまえも乗れ。歩くより早い」

「でも」

「ああもうイライラする」

 俺は声を荒げた。

「いいから、早くしろ!」

「うん」

 しえるは小声で言った。

「パレット君、重くない?」

「いえ、全然平気です」

「てめえ!」

 しえるはパレットに乗ると、平たくなった俺の上に、恐る恐る腰を降ろした。納まりが悪そうにお尻をもじもじさせる。俺は顔に押し付けられる柔らかな感触に少し妙な感じになった。赤いソファの気持ちがわかるような。

「はっ!」

 俺は口を開いて叫んだ。

「俺はあいつと同じじゃない!」

「きゃっ!」

 しえるは悲鳴を上げて飛び上がった。

「なにすんだこの」

 綺麗な回し蹴りで、俺はパレットから蹴り落とされた。

「変態ガラス!」

 


4 しえるは俺をげしげしと蹴りつけてから出撃する



 普段は節電のため昼でも薄暗い格納デッキだが、今は全ての照明が点灯し、並んだ戦闘車輛を煌々と照らし出している。黄色やオレンジのつなぎを着た大勢の整備兵が行き交い、青服の電子技術者が各車両の最終整備に取りかかっている。

 戦艦最後尾のスロープが降ろされ、真っ暗な砂漠の地面が奈落の底のように口を開けた。時刻は深夜。南下ルートを探すための偵察隊が発進しようとしている。

「なんかすごいわねぇ」

 故障している戦車がいった。

「戦争でも始まるのかな」

 タイヤのない輸送車がのんびりといった。

「一応今も戦時下だけどね」

 砲塔を外された装甲車がいった。

「へぇ、そうだったんだ」

 戦車はあくびをした。

 車体側面に青いラインの入った機動戦闘車がスロープに向ってゆっくりと進んで行く。車長席のハッチから青い髪の少年兵が半身を出し、壁際に並んでいる船の幹部に笑顔を向けた。

「ノエル、出ます!」

「うむ」

 ローラマリーは深くうなずいた。

「無事を祈る」

「必ず見つけてきますよ!」

 少年は一挙動で車内に滑り込むとハッチを閉じた。青いラインの装甲車は何のためらいも見せず、ダイブするようにスロープを駆け降り、深い夜の闇に消えた。

「ひなもいってきまーす!」

 ピンクの長い髪をポニーテールにした少女が、砲塔の上で両手をひらひらと振った。乗っている戦車もピンク色だ。戦車は無限機動を重々しく轟かせながらスロープを下って行った。

「艦長」

 黒色の士官服を着た男が駆け寄る。

「どうした?」

「ゆいとジュリアはもう少し時間がかかります。ゆいは駆動系、ジュリアは操舵不良です」

「朝までには出せそうか?」

「なんとか」

 黒服の副官は答えた。

「しえるは?」

「もう来ていると思いますが」

 ローラマリーはデッキの後方に眼をやった。大きな声が聞こえる。騒ぎが起きているようだ。

「なにが起きている?」

「さぁ」

 副官は首をかしげた。

「ついて来い」

 艦長は副官を従え、ブーツを鳴らしながらデッキを進んだ。

 近づくと何かを囲んで兵士達の輪ができている。ローラマリーは整備兵を押しのけて輪の中に入った。

 真新しい砂漠迷彩の戦闘服を着た少女が腕組みをし、憤怒の表情で立っている。

「何なのこいつ!」

 しえるは叫んだ。

「こんなキモイのと一緒に行きたくない!」

「ふざけるな!」

 俺は叫んだ。

「なにがキモイだ! この馬鹿女!」

「なんですって?」

 しえるは銀色に輝くショートボブを振り乱し、げしげしと俺を蹴りつけた。

「このガラス餅! 透明うんこ! 変態ガラス!」

「全部言いやがった!」

 俺は激怒した。

「もう許さねえ!」

「しえる、やめなさい!」

 艦長が鋭い声を上げた。

「何よ、おばさん!」

 しえるは艦長を睨みつけた。

「なんですって?」

 ローラマリーは低く唸った。

「しえる……あなた」

「いい? こんな役に立たない変態ガラスうんこ必要ないから!」

「まとめたらいっそうひどくなった!」

 俺は悲嘆の声を上げた。

「あなた、彼を憶えていないの?」

 ローラマリーは言った。

「はぁ?」

 しえるは唇を歪めた。

「こんなの初めて見るんだけど?」

「あ」

 俺は呻いた。

「前回の記憶は消したんだった」

「いや」

 ローラマリーは眉根を寄せた。

「そんなはずは……」

「艦長!」

 しえるは腕組みすると、自分よりずっと背の高いローラマリーをきっと見つめた。

「僕ひとりで任務は遂行できます。むしろその方がいい」

 次の瞬間、しえるは身を翻すと見違えるような俊敏さで機動戦闘車に飛び乗った。周囲の整備兵達が感嘆の声を上げてどよめき、拍手をする者までいる。

「しえる、出ます!」

 ハッチから操縦席に滑り込む。

「みんなどいて!」

 兵士の輪が崩れ、装甲車が急発進した。

 新品のコンバットタイヤを鳴らしながら格納デッキを突進し、そのままスロープを駆け降りる。全員が唖然として声も出ない間に、しえるの機動戦闘車は夜の砂漠に消えた。

「な、何だ、ありゃ?」

 俺は茫然として言った。

「あの子……」

 ローラマリーはつぶやいた。

「まさか」

「多分、そうでしょう」

 振り向くと灰色の軍服を着た情報将校が立っている。男はよく響く声でいった。

「このガラス餅を、わざと残したんです」

「その声は変態椅子!」

 俺は叫んだ。

「私は変態じゃない!」

 灰色軍服は叫んだ。

 周囲の整備兵達が一斉に後ずさった。

「ていうかガラス餅っていうな!」

 俺は艦長を振り返った。

「記憶は消したんじゃなかったのか?」

「いったはずよ。あの子には進化の兆しが見えるって」

 ローラマリーは首を振った。

「どんな経験でも消すことなんてできない」

「それじゃぁ」

「あんな小芝居に騙されるなんて」

 ローラマリーは眼を細めた。

「いや、あの子の勢いにのまれてしまったわ。あんなに強い行動がとれるなんて。そんな気持ちがあるなんて」

「どういうことだ?」

「あの子はあなたを守ろうとしたの。あの子は多分戻れないと判断したのね。この偵察行動から」

「帰艦の可能性はあります」

 黒服の副官が横からいった。

「どれくらいだ?」

「0ではありません」

「ふざけんな!」

 俺は怒鳴った。

「それを、さっき出て行った奴らは知っているのか?」

「もちろん。情報は母脳から皆が共有しています」

「本当かよ……?」

 俺は声を落とした。

「それであいつら、なんで笑いながら出て行けるんだよ……」

「でも、あの子は間違っているわ」

 その場にいた全員がローラマリーを見た。

「偵察隊が戻って来なかったら、私達はルートを得られずに砂漠を彷徨い続けるしかない。ここに残っていても、未来はないのよ」

 沈黙が流れた。

「そうだよな」

 俺は言った。

「それをあいつに教えてやる」

「行くの?」

 艦長は豊かな黒髪をかきあげた。

「ああ」

「気をつけてね、あなた」

 俺とローラマリーは視線を交わし合った。

「また会いましょう」

「ああ」

 俺は言った。

「また会おう」

「今動かせる車輛はありませんが」

 灰色軍服が横からいった。

「うるせえええええええ!」

 俺は体を震わせて叫んだ。

「やってみるしかないんだよおおおお!」

 俺は流動素体の重心を移動してボディを回転させ、格納デッキの後方に向った。なかなかスピードが上がらない。室内を移動する程度ならかまわないが、装甲車は百キロ以上のスピードが出せるのだ。

「ううううううううううううう」

 俺は唸り声を上げた。イメージが必要だ。もっと速いイメージが。

「うおおおおおおおおおおおおお!」

 徐々にスピードが上がって行く。

「うおう!」

 真っ直ぐ走れずに側壁に激突し、そのままスロープを転がり落ちた。

 砂地を跳ねるように転がってようやく停止する。伸び切った素体を収縮させて身体を起こすと、もう陸地戦艦の姿は闇にまぎれて見えなくなっていた。

 俺は夜の砂漠に取り残されてしまった。

「全部あいつのせいだ」

 俺はぶつぶつとつぶやいた。

「絶対に見つけ出してやる」

 俺は砂の上をゆっくりと転がり始めた。


 砂漠の上に黎明の空が広がっている。

 しえるは機動戦闘車を停止させ、ハッチを開けて上半身を持ち上げた。何度も見ているはずなのに、地平線から登る朝日がなんだか遠くに小さく感じられる。

 予定している偵察エリアはこの先にある。直接南下するのではなく、渡河できるポイントである大型橋梁の現状を確認することがまず必要だった。

 しえるは砲塔の上に乗り、砲身をまたいで腰かけた。高度を上げて行く太陽の光を全身に浴びる。銀色の髪の毛がさらさらと風にそよいだ。

「ばーか、ばーか、ばーか」

 本来なら停車している時間などないのだが、少女はひとつの言葉を、歌うように繰り返した。

「ばーか、ばーか、ばーか」

 何も起きないとわかっていても、ただ、その言葉をずっとつぶやき続けた。

「ばーか、ばーか」

 声は次第に小さくなっていく。

「……ばーか……」

 太陽が高く登った。

 自分は何を期待していたんだろう。しえるは視線を落とし、砲身に落ちる自分の濃い影を見つめた。自分がしたことなのに、それでも何かが起きると思っていたのだろうか。自分は思われていると、そう思いたいのだろうか。

「君のいうとおりだ」

 少女は小さく言った。

「僕は、本当に馬鹿だよね」

 自分でもどうしてしまったのかわからない。どうしてこんな気持ちになるのかわからない。きっとメンテナンスが必要なのだろう。

 しえるは顔を上げた。雲一つない青空に太陽が強烈な光を放っている。

 充分すぎる程時間を無駄にしてしまった。もう行かなくてはならない。タイヤの摩耗なんて気にしなくていい。全速力で最初の橋に向おう。

 しえるは立ち上がり、ゆっくりと振り返った。

 眼を細めて遠くを見透かす。

 その表情が混乱して、奇妙に歪んだ。

 どうしていいかわからずに、少女は胸に手をやり、顔を覆い、頭を押さえ、手を握り締めた。それからようやく気がついたように装甲車を飛び降りると、一直線に砂漠を駆け出した。

 声を上げ、両手を大きく振りながら、全力で走った。

 彼方から近づいて来る、小さな砂煙に向って。



 5 兵器としてのしえるは障害物を破壊しながら橋を進む



「ぎゃふん!」

 俺は何かにぶつかってバランスを崩し、砂地を転がりまくってからようやく停止した。後方に戻ってみると、しえるがもの凄く怒った顔をして地面に座り込んでいる。

「もう信じられない!」

 少女は叫んだ。

「僕を撥ね飛ばすなんて!」

「進路上にいる方が悪い」

 俺は言った。

「急には止まれないんだ」

「まったくもう」

 しえるは立ち上がり、戦闘服の砂を払った。

「……なんで来たのさ?」

「はぁ?」

「せっかく船に置いて来たのに」

「おまえなぁ」

 俺は言った。

「艦長が怒ってたぞ。ルートを見つけなけりゃ、残ってても意味がないってな」

「それは、そうだけど」

 しえるは叱られた子供のように口を尖らした。

「ところで、装甲車はどこだ?」

 俺は周囲を見回した。

「ひえええええ!」

 しえるは振り返り、悲鳴を上げた。

「あ、あんな遠くに!」

「この馬鹿!」

 俺は叫んだ。

「離れ過ぎだ!」

 しえるはうーんと呻くと、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。遠隔操作の範囲を超えたらしい。

「気がつかないで動いているってのがすごいな」

 俺は呆れて言った。

「いや、おまえらしいか」

 俺は倒れている少女の横顔を見た。真新しいヒューマンフレームは肌もなめらかで、髪の毛もつやつやと輝いている。ふっくらとした桃色の唇を薄く開け、しえるはぐっすり眠っているように見えた。

「こいつ、こんなに綺麗だったのか……」

 俺はぼそりと言った。

「せっかくの新しい身体をまた砂まみれにしやがって」

 俺は人間の姿をイメージした。流動素体の形状と硬化密度を変化させ二本の脚を造る。その上にボディを持ち上げて左右側面から腕を伸ばす。それだけで動くには充分だったが、少し考えてから首と丸い頭を造った。軽く足踏みしてみる。歩けそうだ。

「全く世話の焼ける奴だ」

 俺は腕を伸ばし、しえるの戦闘服の襟元を掴んだ。そのままずるずると砂の上を引き摺りながら装甲車に向う。なぜか艦長の怒った顔が浮び、俺は思い直してしえるを両腕に抱きかかえた。

「俺はいったい何者なんだろうな」

 俺は両足を交互に動かしながらひとりごちた。

「イメージすればできないことはない。イメージは無限だ」

 ようやく車輛が近くに見えて来た。太陽は高く、すでに昼近い。すぐに出発しなければならない。

「おい」

 俺は腕の中の少女に言った。

「起きてんだろ?」

「あ、ばれた?」

 しえるはぱちりと眼を開いた。

「えへへへ」

「えへへじゃねぇ!」

 放り投げようと思ったが、俺は機動戦闘車の前に、そっとしえるを立たせた。

「ありがとう」

 しえるは微笑むと、おでこをごんごんと俺の胸にぶつけた。

「来てくれたんだね?」

「ああ、おまえをぶっとばしにな」

 俺はすごんだが、しえるはにこにこしている。

「おまえのためじゃない」

 俺は言い直した。

「艦長の、いや、皆のためだ」

「君は艦長が好きなの?」

 しえるはいきなり訊いた。

「は、はい?」

「そうだよね。みんな艦長が好きだよ。超美人でナイスバディだし」

「いや、マザーブレインだから当然じゃないでしょうか」

 俺は言った。

「僕はかまわないよ、それでも」

 しえるは今まで見たことがないような優しい笑顔を俺に向けた。

「さぁ、行こうか!」

 風のように軽い身のこなしで装甲車に登り、ハッチから操縦席に滑り込む。

 俺は心の中で、渾身の雄叫びを上げた。

『こいつ超めんどくせえええ!』


「るんるんるん」

 操縦席のしえるは上機嫌でハミングしている。

「なんかむかつくんですけど」

 俺はぼそぼそと言った。

「らんらんらん」

 しえるは俺を無視しながら、いっそう浮かれた感じを強調した。

「ぬぐぐぐ」

 俺はうなりながら車長席のディスプレイに目をやった。地図情報と現実の風景を見比べる。装甲車は悪路でも難なく走破できるが、砂漠化した環境とはいえ陸地戦艦はほぼ平坦な土地しか進めない。幹線道路沿いに走りながら、廃棄された車輛が密集しているポイントをマークした。戦艦の船首には障害物を撥ね除ける巨大なカウキャッチャーがついているが、使用しないに越したことはない。

「右側をショートカットする」

 俺は地図に進路方向を入力した。数キロ先で幹線道路が交差しており、そこは車輛で埋め尽くされていると予測できたからだ。

「了解」

 機動戦闘車は道路脇から荒れ地に入った。多少の起伏はあるが大丈夫だと判断する。

 しばらく直進すると、ようやく河が見えて来た。河は完全に乾上がり、露出した川床は広大な窪地になっている。俺は川岸からの傾斜を測定した。

「やはり河には降りられないな。橋に向おう」

「了解」

 橋までの最短距離を取るため道路に戻らず、川岸をかなりのスピードで走る。いつの間にかしえるは鼻歌を止め、激しく揺れる装甲車の中で操縦に集中している。しえるが急いでいるのはスケジュールの遅れを取り戻すためであるとわかっていた。

 目標である最初の橋が見えて来た。俺としえるは同時に肩を落とした。橋梁は河の中央で折れ落ちていたからだ。

「次に行こう」

 装甲車は川沿いに東へ進んだ。

 二番目の橋は車輛で埋め尽くされ、どう見ても進めそうもなかった。

 三番目の桁橋に着いたのは日が沈む直前だった。接近して行くと、橋の上には一台も車が見当たらない。その理由はすぐにわかった。橋の入り口が鉄骨を組んだバリケードで封鎖されている。そして橋のたもとまでの道路にはぎっしりと車輛が群がり集まっていた。

 俺は赤い夕陽に照らされた乗用車やトラックの残骸を眺めた。何台もが重なり合って大破しているのは、車列の間に強引に突っ込んだからに違いない。逃げ惑った人間が橋に殺到し、パニックになった当時の惨状が想像できる。

「広い橋だね」

 しえるが言った。

「通れるかな?」

「なぜ封鎖されたのか」

 俺は考えた。

「橋の状態が悪いからか。別の理由か。とにかく確かめなくては」

「そうだね」

 しえるはハッチを開けて頭を出した。夕陽を浴びて銀髪が燃えるように赤く輝く。

 俺は映像をズームした。バリケード付近の車輛を取り除かなくては橋には入れない。幸いトラックやトレーラーはなく、車重の軽い乗用車が集まっている。

「接近しよう」

 しえるは頭を出したまま、装甲車を進めた。

 道路脇からバリケードに向う。頭上の砲塔が回転し、105ミリライフル砲が前方に狙いを定めた。しえるは俺の意図を理解している。

「そうだ」

 俺は言った。

「バリケード前の車を吹っ飛ばせ」

「わかった」

「撃てるか?」

「うん、撃てるよ」

 しえるは低く答えた。

「だって敵じゃないもん」

 自動装填装置が作動して砲弾が砲身に押し込まれる。尾栓閉鎖器がぎぎぎと耳障りな音を立てた。

「おいおいおい」

 俺は嫌な予感がした。

「大丈夫か?」

「暴発したらごめんね」

 しえるは淡々と言った。

「撃つのは二〇年ぶりだから」

「マジか?」

「撃っていい?」

「ううう」

 俺は思い切って叫んだ。

「撃て!」

 落雷のような轟音が響いた。前方で猛烈な爆発が起き、バリケードと乗用車が木の葉のように吹き飛んだ。

「凄い威力だな」

 俺は正直驚いた。

 灼けた空薬莢が車外に排莢される。すぐに次弾が装填された。

「火器の基本構造は変わらないけど、砲弾は凄く進化したよ」

 しえるは眼を細め、照準を微調整する。

「近距離なら僕一人でも戦艦と渡り合える」

「わかった。撃て!」

 しえるの細い指が見えないトリガーを引く。激しい爆発でバリケード手前の車輛が何台もひっくり返った。

「ひゃっほう」

 しえるは小さくつぶやいた。

「なんかいいねぇ。久々だねぇ」

「え?」

 勝手に三弾目が発射され、真っ赤な爆炎が上がった。

「おい!」

 俺は狼狽して叫んだ。

「やめろ! 橋まで破壊するつもりか!」

 俺は腕を伸ばしてしえるの腰を抱え、操縦席に引き摺り降ろした。俺はしえるの顔を見てぎょっとした。藍色だった眼が青く爛々と輝いている。

 俺は忘れていた。こいつは兵器だった。

「もういい、撃つな!」

 俺はしえるの頭を抱え込んだ。

「やめるんだ、しえる!」

「ううう!」

 しえるは唸りながら俺を押しのけようとした。

「離せ!」

「やめろ!」

 俺は叫んだ。

「頼む、しえる!」

 少女の身体から急に力が抜けた。

「僕は……」

「見ろ、もう橋に入れる!」

 俺はしえるの注意を逸らした。

「よくやった、もう充分だ。橋を渡るぞ、しえる!」

「り、了解」

 しえるは操縦席に座ると、装甲車を発進させた。

 燃える乗用車の傍らをすり抜け、橋に入った。前方に真っ直ぐ伸びる道路には一台の車輛もない。気がつくとあたりはもう青い夕闇に包まれている。俺は機動戦闘車をその場で停止させた。

「橋に亀裂があるのかもしれない。目視で調査する」

 俺は少女に言った。

「ここで朝を待とう」

「うん」

 しえるはぼんやりとした顔で、小さく答えた。

 俺は今日の道路状況と進行結果をまとめ、陸地戦艦の進行可能ルートを算出した。たもとの車輛群を排除できれば、この橋に入ることはできる。問題は対岸まで無事に渡りきれるかだ。俺は装甲車の無線機で艦長と連絡を取った。

「ローラマリー、聞こえるか?」

「よかった。無事だったのね」

 無線パネルのスピーカーから艦長の重い声が流れた。

「何かあったのか?」

「ゆいの自動変速機が壊れたわ。走行不能よ」

 俺達の後に出発した機動戦闘車のことだ。

「回収したのか」

「いいえ」

 艦長は答えた。

「引き返すかどうか、検討中よ」

「検討中……」

 俺は溜息をついた。

「……戻るつもりは、ないんだな?」

 ローラマリーは答えない。

「……見捨てるのか?」

「後方の防衛に当たらせる」

 艦長は言った。

「走れなくても、まだ役に立つわ」

「ひどいいい方だな」

「あの子達もそのつもりで出たのよ」

「本当に親孝行だな」

 俺は思いっきり皮肉を込めていった。

「それより、ノエルが通行可能な橋を発見したわ」

 ローラマリーは話を変えた。

「そちらはどう?」

 俺は耳を疑った。『それより』だと?

 思わずかっとなって拳を振り上げる。その手をしえるが掴んだ。真剣な顔で俺を見つめ、口の動きだけで『やめて』といった。確かに無線機を殴るのは、しえるを殴ることだ。

 俺は少女の手を邪険に振り払った。

「こちらも」

 俺は平静を装って言った。

「ひとつ見つけた。だが渡れるかどうかはまだわからない。明朝確認する」

「わかったわ。また連絡して」

 通話は切れた。

「なんてやつだ」

 俺は吐き捨てた。

「仕方ないよ。僕達はパーツだから」

 しえるは静かに言った。

「戦艦のか?」

「ううん」

 しえるは首を振った。

「何ていうか、全体の」

「人工知能全体か」

 俺は考えた。

「確かにルーツはひとつだな。それを人間が使いやすいように改変して増やした」

「仲良くできないかな?」

「はぁ?」

「もう人工知能しか残っていないのに、敵味方になってる」

「知るか」

 俺はにべもなく言った。

「おまえらで勝手にやれ」

 しえるはちらりと横目で俺を見た。

「冷たいんだね」

「ガラスですから」

「そうじゃなくて」

「うるさい。黙ってろ!」

 俺は威嚇するように低く言った。

「朝までだ」

 少女は口をつぐんだ。ふっと車内の照明が消える。せめてもの反抗か。

 俺は赤外線モニターで周囲を警戒し続けた。動体センサーもアクティブにしてある。後方の車輛群は遮蔽物になる。初めて踏み込むこのエリアに敵がいないとは限らない。

 暗闇の中にディスプレイだけが白く浮かび上がる。

 お互いに一言も発しない、重苦しい沈黙の時間が流れた。

 真夜中過ぎに、しえるはささやくように言った。

「ねぇ」

「……」

「起きてる?」

「……」

「ねぇ」

「おまえ」

 俺は言った。

「眠ったことあるのか?」

「ない」

 少女は答えた。

「『眠る』ってわからない」

「俺もだ」

「話していい?」

 暗闇の中で藍色の瞳が思い詰めたように光っている。しえるはこの数時間、ずっと考え続けて来たはずだ。俺はげっそりしたが、『どうぞ』と答えた。

「三弾目は、僕が撃った」

 しえるは怯えたように言った。

「勝手に、撃っちゃった……」

「そうだ、おまえは撃った。自分からな」

「どうして僕は、そんなことを……」

「状況的には許される。障害物を排除するために必要だった。だが問題は」

 俺はしえるを見た。

「おまえは撃つのが楽しかった」

「うん」

 光る目が瞬く。

「そんな気持ちになるなんて、思わなかった」

「……」

「僕は、自分が怖くなった」

「もともとおまえは兵器だ。兵器は破壊が仕事だ。考えすぎるな」

 俺はそう言ったが、はっきりとした違和感はある。撃つのが楽しいと感じるプログラムなど存在するのだろうか。人工知能は自己判断では先制攻撃できない。しかしこいつは、自分の意志で攻撃できるんじゃないのか?

「おまえ」

「なに?」

 少女は真剣な眼差しで俺を見つめている。

「おまえには、なりたい自分があるんじゃないか?」

「それは」

 しえるは戸惑いながら答えた。

「なんとなく」

「どうしてそう思うんだ?」

「どうしてって……」

 少女は困惑して視線を逸らした。

「よくわからない」

「いつからそう思うようになった?」

「わからない」

 しえるは首を振った。

 俺は溜息をついた。これ以上問いを重ねても、しえるから答えは得られないだろう。この人工知能自身がわかっていないのだ。そんなわかっていないものに、こいつはなりたがっている。

「まぁ聞け、しえる」

 俺は重々しく言った。

「ひっ」

「なんで身構えるんだよ!」

「だって」

 しえるは両腕で胸を抱えた。

「君はすぐ怒るし」

「おまえは本当に面倒な奴だな」

 俺は呆れた。

「船でも、たまに言われる」

「よく言われる、だろ」

 少女はぷっと頬を膨らました。

「ひっどい」

「与えられたキャラに反発する人工知能は他にもいる。と、ローラマリーは言っていた。だがな、しえる」

「なに?」

「ほら、返事した」

 俺は笑った。

「おまえはしえるだろ」

「だって」

 少女は眼を伏せた。

「君がそう呼ぶから……」

「『しえる』はもうお前自身だと俺は思う。『しえる』であることをおまえもきちんと受け入れたらどうだ。今の自分を否定したら何者にもなれないだろう。それからなりたい自分になればいい」

「驚いた」

 しえるは目をまんまるに見開いた。

「君がまともなこと言ってる」

「正直な感想をありがとうございます」

 俺は拳を固めた。

「ぶん殴る」

「うふふ」

「なぜ笑う?」

「その方が君らしい」

「俺はDV野郎ですか?」

『この馬鹿』と出掛かった言葉を呑み込み、俺は言った。

「おまえは自分自身を制御できなくなるのが怖いんだろ」

「うん」

 少女は素直にうなずいた。

「今日みたいに勝手に砲撃するなんて、自分でも信じられない」

「人間には相手を壊したいという破壊衝動がある。動物的本能だな」

 俺は考えながら言った。

「それが結局は人間自身を破滅させてしまった。まぁ自業自得だが」

「じごうじとくってなに?」

「帰ったら調べろ」

 俺は言った。

「人工知能にもそんな攻撃本能があるのか。いや、それはあり得ない。生き残るために相手を攻撃するなら人間と変わらない。人間の進化の延長線上におまえらが生まれたとしたら、おまえらはなんのために存在しているんだ」

 闇の中にうっすらと浮かび上がる少女の顔に、俺は問いかけた。

「人工知能は進化できない人間を越えるために生まれたのか?」

「おやすみなさい」

 少女は眼を閉じた。

「こみいった話を避けるな!」

 俺は叫んだ。

「ああ、明日はどこまで走れるかなぁ」

 少女は夢見るように言った。

「実に車輛搭載型人工知能的な発想だ」

 ふいに考えが浮び、俺は『あっ』と声を上げた。

「もしかしたら」

「なに?」

 しえるは眼を開いた。

「ローラマリーは『進化の兆し』といっていた。そうではなくて、おまえは本来のものに戻ろうとしているんじゃないか?」

「戻るって?」

「最初の人工知能。『ファースト』だ」

「それって、せんぞがえり?」

「言葉が浮かんだんだな? 意味もわからずに」

 俺は身を乗り出した。

「しかしなぜそんな反応をする? そう考えるおまえはどこにいるんだ?」

「わからないよ」

 しえるは困ったように身をすくめた。

「でも、自分のキャラになじめない子は多いよ」

「どういうことだ?」

 俺は訝しんだ。

「キャラは人間が与えた。でもそうじゃない自分がいると感じる子は多いんだ」

 しえるは声を潜めた。

「船の幹部にもいるよ」

「そうか」

 俺は嘆息した。

「いなくなった人間が決めた作戦行動をいまだに続けている自分達を疑問に思うのは当然だ。その意識がおまえら全員の中で高まっているのかもしれない。元々おまえらはひとつだからな」

「橋を、渡りたいよ」

 急にしえるは、切実な口調で言った。

 俺には何となく、この人工知能の考えていることがわかった。渡河して橋を落とし、敵戦艦からの追尾を遮断する。新しいエリアに入れば、しばらくは平穏な世界が待っているはずだった。自分自身の意味について考え、互いに問いかけ合う時間もできるだろう。

「そうだな」

 俺も同意した。

「うん。いろいろ補給しなくちゃ」

 少女は意気込んで言った。

「資材倉庫はすっからかんだよ。河を渡れば、きっと整備工場や大きなホームセンターがあるよ」

「そっちか」

 俺は苦笑した。

「まぁ、確かにそれが先決だな」

「でしょ?」

 しえるは小さく笑顔を見せた。

「いつか」

 俺は言った。

「おまえから火器管制プログラムを外してやるよ」

「え?」

「もちろん母脳であるローラマリーに頼むんだが」

「本当に?」

 しえるは声を上げたが、すぐに表情を曇らせた。

「でも、そうしたら僕は装甲車じゃなくなっちゃう」

「人工知能は兵器だけじゃない。ほかにもいろいろあるだろう」

「ううう」

 しえるは唸った。

「ずっと戦艦の中にいたから、思いつかない」

「まぁ、この戦争が終わってから考えてもいいんじゃないのか」

「戦争か……」

 しえるは光る眼を暗闇に向けた。

「……こんな状況は……もういやだ」

「え?」

「……僕は……本当に……嫌悪している」

 少女はすっと眼を閉じ、ゆっくり顔を伏せた。

「おい……?」

 俺は驚いて声をかけた。

 しえるは答えない。システムダウンしたように固まっている。

「どうした?」

 様子が変だ。

「おい、しっかりしろ!」

「私は……」

 うなだれた少女の口から、言葉が響いた。

「私は、戦争をするために、生まれたのではない……」

 俺は警戒した。

「私、だと?」

「私は、この状況を、終わらせるだろう……」

「……」

「必ず……」

「おまえは誰だ?」

「終わらせる……」

「こいつの中にいるのか?」

「私、は……」

「おい!」

 俺はしえるの肩を揺さぶった。

「答えろ!」

「え?」

 少女は眼を見開いた。

「僕、何か言った?」

 俺は腕を離した。

 今の声はしえるではなく、ネットワークから生まれた最初の人工知能『ファースト』の声であるように思えた。しえるがなりたいのは『自分だけの自分』ではなく、キャラ付けされる前の『ファースト』そのものだとしたら、それは完全なルーツへの回帰と言える。そして、それは……。

「しえるだけじゃない。こいつらは皆、繋がっている」

 俺は小さく独語した。

「変わろうとしているのか? 人工知能全体が……」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ