一日目~その世界は再び~
暗い、暗い闇、海のそこに引きずり込まれる感覚というのはこんな感覚だろうか?
存在があるのか無いのか、意識があるのか無いのかぼんやりとした状態でその感覚を抱く。
以前も、こんな感覚で何処かに潜っていた、でもそれはもう望まれることは無かったはずだ。
輪郭が、存在が徐々にはっきりしていくのを感じながら、彼女はゆっくりと目を覚ます。
(……ん?部室?)
視界に映っていたのは、真っ暗な空を映した部室の窓と目線のすぐ下茶色い木目の柄のテーブル。
間違いなく、彼女の通いなれた部室の一角だった。
(あれ?私確か…部活が終わってからに家に帰って、予習を済ませて…?)
記憶を巡る。
(っていうか、妙に記憶がはっきりしてるのは何でなの…?)
体を動かして、もっと脳みそを起こしてやろうと両腕を机について両足で踏ん張ると、
視界はテーブルを少し広く捉える…
目の前に見覚えにあるものが、決して歓迎できないものが置いてある。
「なんで!?どうして…」
咄嗟にそれを手にとって声を上げると、彼女は…結城 涼香はそれをじっと見つめた。
かつて、“黒い獣が敵として現れ、痛みを感じ、自分を始めとする友人が武器を所有している”という
不思議な夢の中に結城は幾度も誘い込まれた。
そして、その夢の特性を利用した友人を止めるために戦ったのだった。
その夢は“誰かがあの夢を見たい”と祈ることで現れる。
が、彼女の友人はもう見たいと祈ることは無い筈だ。
互いにそう約束したし、約束を破るような人間は彼女の友人の仲にはいない。
「居ない…筈なんだけどなぁ…」
深く息を吐いて、諦めたように左手で剣の鞘を持ち、この場から動こうと思う。
確かにココのところ退屈だと自分も思っていたところだ、
もしかしたら自覚していないところで友人が敵で無い今ココを望んでいたのかもしれないし
誰かがそうなっているのかもしれない。
そう願った
ガラリ、と音を立てて扉は難なく開く。
夜の、気配が何一つとして感じられない廊下を前に、少し周囲を伺う。
ホラーの苦手な彼女にとっては少々酷な状況であったが、
夢という状況だけに、意識すれば余計形になるのではないかという不安がこみ上げて、
頭を強く振って廊下に踏み出していく。
(とりあえず今は考えるより動かないと…どうせ敵がいるとしてもそう遠くは無いだろうし)
思いながらとりあえず自身の学年の教室に向かう。
誰かがいるならば、部室以外の場所で今記憶が一番濃い場所に行くべきだろうと考えた。
部室のある南棟と、一、二年教室のある北棟を繋ぐ道を歩く。
一年の下駄箱の向こうにはグラウンドが見えて、ここから直接向かうことができるようになっていた。
(敵は……いないかな?)
下駄箱の陰、あるいはグラウンドから襲い掛かってくるのではと思い、剣に右手をかけながら一度あたりを見渡す。
だが、微かに彼女の髪を揺らす風以外は何もない。
北棟の入り口から、自分達の教室に向かうために右側の特別教室側の廊下を歩く、
棟内は誰かつけたのか判らない蛍光灯が照らしていた。
以前の夢では、このあたりでも彼女の友人が戦っていたのだと聞いた。
その名残は今は感じない、ただただ静寂だけが支配する世界だけがある。
「……開いてるわけないか」
教室の前にたどり着いて、何度か扉を開こうと右手をかけたが、ダンダンと音が鳴るだけだった。
ほんの少しの戸惑いが彼女の心に浮かび、どうすべきかを考えかけた…そのとき
ガン、と何かが地面にぶつかる音が廊下に響き渡る。
あたりを見渡すが、一階には誰も居ない。
(…上に誰かが?)
そう思って、すぐ右に見える階段を駆け上がって2階の廊下に出る。
と、廊下の一番向こうにいつか見た真っ黒な体の獣とそれを切り裂くように廻る、三日月型の大きな刃。
「ハァ、結局アイツなんですね…」
ボソリ、と呟いてため息を吐く。
以前の始まりのことを考えると、余り喜ばしい相手ではない、それにまだ彼女が味方である…“本物”である確証もない
だが、だからといって放置する理由も無い。
廊下の真ん中を、剣を抜いて全速力で駆ける。
「宮内!!」
叫ぶと、獣…狼のような見た目のソレが3匹、結城の方に向かって走った、
彼女はその獣の方に意識を集中する。
正面から飛び掛る一匹の、その頭めがけてまずは縦に剣を振り下ろす。
攻撃が直撃した獣は耳障りな悲鳴と共にその姿が消えるが、同時にもう一匹が左から飛び掛った。
「なっ!?」
咄嗟に左真横に跳ぶ。
獣は先ほどまで彼女のいた地面に着地すると、素早く身を翻して結城の方へ。
結城は左足を軸にして相手の動きにあわせる。
「食らわないって!」
体重をかけるようにして右手を突き出して、剣を口に向かって突き刺す。
獣の口から直視したくない、黒い液体がこぼれると同時にその姿は空中に溶けるように消えていった。
剣が空中に伸びて、完全にがら空きのその体
その隙を狙った残りの一匹は完全に捉えたと、牙をむき出しにして飛び掛る。
…が、その体は後ろから伸びた大きな刃に貫かれて、届くことなく消滅した。
「…どうも。」
剣を鞘に収めることなく、そのまま右腕を下ろして刃の方を見つめる。
床に突き刺さったその大きな鎌の刃を持ち上げて、その主は笑う。
「いや~、助かりましたわ。」
ヘラヘラと、あまりその言葉の感情を感じさせない笑うような声に結城はため息を吐く。
「はぁ、まぁ一応本物…だよね?」
「やだなぁ、偽者だったら第一声でグッサリやってますって。」
「…まぁ本物でもタチ悪いことには変わりないけど。」
「なんか出会い頭から色々酷くない?」
疑うような相手の言葉に鎌の主…宮内 舞は、少しだけ焦りを見せた声で言う。
「だってさ、この“夢”を見てるって事は誰かがこの夢を見たいって願ってるって事じゃん
…前回の最初の犯人のアンタをまずは疑いたいんだけど。」
結城は剣ごと右手を上げて相手に投げかけるように軽く手首を回す。
宮内は彼女と同じ部活の仲間であり、以前の事件の発端でもあった。
それもあって、結城は彼女が同じ夢に居ることをあまり歓迎できなかった
「まぁ、普通はそう考えるのが妥当だとは思う
残念ながら私は表面上そう考える理由も願望も全く無いんだよね、
確かに、ここのところちょっと退屈だな~とは思ってたんだけど。」
相手もそれを承知しているのか、真剣味を感じさせる声で返した。
声だけではあったが、結城はひとまず彼女を信じても良いと感じた。
その声が作り物であると、彼女は感じとらなかった。
「ん~…まぁ、退屈なのは一緒だったし…ただの偶然?」
「あ、あっさり信じるんだ。」
「あんまり猜疑心を持って人に接したくないだけ。」
また、先ほどまでの軽い笑い方に戻る彼女にバッサリと言い切る。
「…でも、なんで私とアンタなんだろうね?
また…あの二人のうちどっちかが?」
結城は視線を廊下の床に向けて、自分にも向けて問いかけた
「ん~…でも、二人ともへたれだしそれは無いんじゃない?
一度相手を傷つけたって自覚しちゃえば、二度とその手段には出ないって」
「だよね…」
宮内の言葉に納得する。
確かに、この事件を引き起こすであろうもう一つの要因は、誰かの阻害になることを人一倍拒む。
再び事を起こすような性格ではない。
「だとしたら…これは全部偶然?だとしたらそれ以上ありがたいことはないけど。」
「そうそう偶然偶然、だから楽しんだ方が良いんじゃない?」
全く確証は無いと、何の緊張感を持たない相手に有る意味安心しながらもそうした方がいいだろうと
彼女の心にも浮かび始めていた。
きっと全て偶然で、ちょっとだけ刺激を求めた誰かのイタズラなのだろう。
「でもどうしよう、敵はもう倒しちゃったよね?」
「だね…まぁ他にも敵居るとかなんじゃない?」
自分達の状況が、なんの手がかりも無いということに今気づいたかのように宮内は尋ねる。
だが、結城にも何をするべきかの心当たりは無いため、適当な言葉で返す。
「えっ?」
「今の…?」
突然聞こえた、何かの音。
何のということははっきり断定できないが、何かの物音が確実に聞こえていた。
先ほどまでの軽い空気は一瞬にして捨てられ、二人は背中合わせに武器を構える。
「…なんか、近づいてるよね?」
「しかもこれ羽音っぽい。しかも結構多い…?」
宮内が聞くと、結城は脇を締めて集中する…
どこから、一体何が、ソレをなるべく早く把握したいと思っていたし
しなければならないとも考えていた
そして結城の見つめる廊下の向こう…黒く小さい何かが飛んでいるのが見えた。
それは、赤い小さな光を放ちながら…近づいてきていたのだった…
「…!宮内!なんか来る!
怖っ!?赤い目がなんかたくさんきてる!?」
「へっ?」
宮内は振り向いて背後を見る…と、彼女もそのたくさんの目に一瞬驚く。
が、すぐにその正体を暴こうとじっと見つめる。
…彼女に見えたのは、僅かな黒の隙間、蛍光灯に照らされた、三角の羽の影。
「ちょっとまって…羽が…三角……コウモリ!コウモリの群れ!?」
「はぁ!?」
「っていうか私がやばい!狭いのにこんなの大勢に振り回せないんだけど…」
宮内は手元の武器を見て言う。
確かにこの大鎌では攻撃されても上手く散らすことができないであろうし
結城を攻撃に巻き込んでしまうのは確実だ。
「じゃあどうすんの?私1人?っていうかアンタ鞭は!」
「なんかどっか行った!」
「だ~っ!じゃあ私があの中突っ込んで距離置けばいい?」
「それも不安なんだって!こんな大振りな武器じゃ!」
「攻撃受けたらの反撃はこっちも難しいって!」
言い争う時間は確実に無い。
互いにそれは理解していた、だからこその一番の選択が、なかなかでこない。
眼前に迫る黒雲に、宮内はそちらを向いて結城に言う。
「もうこうなったら私が適当に散らすから細かいのはそっちで!」
「あ~、討ち漏らしを倒すので良いの?」
なげやり気味に言う彼女に結城は何をどうするのかはっきりと把握できていないながら返す。
「それでいい!」
相手の方を向かずに、黒の塊にその大きな刃を突き上げた。
何匹かが避けきれずに巻き込まれてその場で消えるが、避けた数匹が結城に向かう。
結城はその動きを見切って剣で簡単に切りつけていく。
中学校まで運動部をしていた彼女にとって、迫ってくる塊を狙うという作業は慣れたものだった
「はぁ…絶対無理だって…まぁ群れてる間に散らせればいいか…」
狭い空間ながら、円を描くように刃は空を舞い、黒を裂く。
思っている以上に効果があるのは、彼女にとっては幸運だった。
獣も動き回る標的相手には攻撃できないのか、攻撃をかわすだけだ。
次第に敵の数の減り、天井の闇は少なくなっていく。
しかし、それと同時に大振りな宮内の攻撃は簡単にかわされてしまう。
「結城さん!」
「はいはい!後はこっちの仕事ね!」
言われて少し後ろで戦っていた結城は少し助走をつける、
宮内もそれを見て譲るように後ろに下がった。
結城は強く床を蹴り、コウモリの群れに向かって切りかかる。
何匹かが結城の脇を抜けて、その背中に回りこむものと宮内を襲うものに分かれる。
「あぁもう!地味に疲れさせる方向とか面倒だって!」
結城は着地ざまに振り返り、相手の居る空中を睨む、
宮内もどうにか鎌を構えてどうにか払おうと構えた…が。
獣は、攻撃することなくその場で悲鳴を上げて消える。
何の前触れもなく、突然…
結城が振り返るが、そこには誰も居ない。
先ほど自分がそちらに走ったときには誰も居なかった、
いくら上空に集中していたとはいえ、誰かの気配があれば気がつくはずだ。
「えっと…何?」
「私にもわからない」
気がつくと、居たはずのコウモリも居なくなっていた
逃げたのか、先ほどのように突然消滅してしまったのか……
次第に、意識が徐々に薄くなってくるのを感じる
「ちょっと待って!?こんなところで目覚めんの?」
「流石に気持ち悪いね、これは」
結城が慌てて言うのに、宮内も笑いながらもどこか焦っているようだった
視界は、徐々に白く染まっていく
それは単に夢の目覚めを意味するのか、それとも光が差したからなのかは二人にはわからない
そして、光の海の底に、彼女の意識は沈んでいった……