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私は、零の手を離してしまった事をずっと後悔していた。
何か危険な事に巻き込まれてはいないか。怖い思いをしてはいないか。私が手を離さずに一緒にこちらの世界に来ていたなら、支えになってあげられたのに───と。
だから、今は無理でも、この世界に慣れたら何年掛かろうとも、絶対に探し出そうと思っていた。
だが、私の決意も虚しく……。
離れ離れになってから1日半で、もう会えちゃったし。
「会いたかったよぉ~、透ちゃん」
「………………」
むぎゅーっと私に抱きつく零。
普通なら感動の再会場面といった感じだが、1日半なら感動もなにも起こらない。
零が何でここにいんの!?
口をあんぐりと開けて固まっていたら、人の胸にスリスリと顔を擦り付けていた零が顔を上げた。
「透ちゃん。怪我、したの?」
「……怪我?」
「うん。だって、包帯してるから」
私の左腕に軽く触れ、真剣な表情でそう聞いてきた。
「あぁ、これは、怪我をしたわけじゃないんだけど」
「だけど?」
零は看護師になってからというもの、私の怪我や病気には目敏く反応する。
心配する零の頭を撫でながら、私は説明をした。
「ほら、元々左手に痣があったじゃん? その痣が、こっちに来てから酷くなったんだよね」
「痣が酷く?」
「そっ。酷くなった痣は見てないんだけど、痛くも何ともないから大丈夫だよ」
「………………」
左手を顔の前で左右にフリフリと振って、何ともないと強調。
しかし、何かを考えるように零は黙ってしまった。いつもの彼女であれば見せてと騒ぐはずなのに。
不思議に思った私は、少しかがんで零と視線が合うようにした。
「どうしたの?」
「……あのさ、透ちゃん」
「ん?」
「あのさ、透ちゃんは、私の胸の所にちっちゃな痣があったの……覚えてる?」
「胸の痣?」
急に何を言い出すんだ? と顔を傾げたが、零は至って真面目な表情で聞いて来た。
不思議に思いながらも、零が胸に手を当てた場所に視線を落とす。
「えぇと、確か……右の胸の上にあったような?」
小さい頃、一緒にお風呂に入った時に何度か見た事がある。でも、それは何年も前の話だから、良く覚えてはいなかった。
私が自信なさげにそう言うと、零は頷きながらこう言った。
「実はね、私もこっちに来てから痣が酷くなったの」
「零も?」
生まれた時から存在する痣が、此方に来てから酷くなる───という不思議な現象に、自分たちの体に何が起こっているのかと考えていたら。
「あのね、透ちゃん」
「あん?」
零に声を掛けられ、意識をそちらに向ければ……なぜかモジモジする零を見ることになる。
「あのね、ここまで一緒に来た人に、他の人に痣を見せちゃ駄目って言われたんだけど」
「だけど?」
「透ちゃんになら……見せても、いいよ?」
「へ?」
頬を薄っすらと朱く染め上げた零が突然フードを脱いだと思ったら、洋服のボタンを外しだしたのである。
その様子に、今まで私達の様子を静かに見守っていた3人が、ギョッと目を見張る。
「ちょ、ちょっと、零!?」
アワアワと焦りながら零を止めようとするが、奴は首から胸の下にまであるボタンをスパパパパッ! と早業の如く外していた。
止める間もなくボタンを外す零に呆れつつ、チラリと視線を横に向けると───私と目が合った王子とエドは、パッと顔を背けた。
「………………」
溜息を吐きながら視線を戻すと、零は早くも臍下のボタンを外している所だった。
それ以上はボタンを外さなくてもいいと言いえば、奴は「右胸の下から鎖骨を通って、首の上まであって~」とか言いつつ、そこから包帯まで取ろうと手を掛けたのである。
服の下は何も着ていない───素肌に包帯を巻いている状態なのに、その包帯を取ろうとしている零にギョッと目を剥く。
ちょっとあんた、包帯まで取ったら胸が丸見えになるじゃん!
ストリップショーでも始める気か! と顔を引き攣らせながら、急いで零の手を掴もうとした時───。
突如、少年の怒声がそこら一帯に響き渡った。
「見つけたぞ、レイ!!」
何事だと後ろを振り向くと、そこには息を切らした少年が立っていた。
「あ、君は……」
「あれ? 透ちゃん、フィードの事知ってんの?」
「フィード?」
フィードってだれだと聞いたら、人差し指を少年に向けて、零は「あれ」と言った。
そう、「あれ」と言われた少年は、先ほど私とぶつかって倒れた、あの時の少年であった。
少年は今までずっと走っていたからなのか、顔が赤くなっていた。そして、荒い息を吐きつつ、零をギロリと睨む。
「おいこらっ。何で1人でいなくなったりするんだよ!! おかげで僕は、ギィースに嫌味を言われるし、このだだっ広い街ん中を1人で捜さなくちゃならないわで大変だったんだぞ!?」
「うっさいわね。今私は忙しいのよ」
「んなっ……」
零がそっけなくそう言うと、涙目で零を怒鳴っていた少年は、怒りが頂点に達したせいか、口をパクパク開けながら声が出ないようである。
「ちょっと零。事情は分からないけど、この子は今まで零を一生懸命探してたんだよ? それなのに、そんな言い方ってないじゃん」
目の前で涙目で震えている少年。必死な表情で走り去って行く姿を見ていた私は、零の態度に少しムッとしてそう言った。
だけど、零は口を尖らせながら、爆弾発言をした。
「だぁ~ってぇ、私や透ちゃんがここにいる原因は、そこの白髪頭のせいなんだよ?」
「……は?」
口をポカンと開けながら零を見たら、零は少年に向かってもう一度、今度は、ズビシッ! と音が出そうな勢いで人差し指を向けた。
「だ・か・ら! あの白髪頭が、召喚だか何だかに失敗して、私達をこっちの世界に連れて来たの!!」
「………………」
『連れて来たの』という言葉が頭の中でエコーする。
零の言葉を頭の中で整理しつつ、ゆっくりとフィードと呼ばれた少年に目を向けると、パッと違う方向に顔を背ける。
召喚の失……敗……。
「透ちゃん?」
「あの、トオルさん、大丈夫ですか?」
何も言わずに固まっていたら、心配した零と王子が声を掛けてくれた。
が、今の私の頭の中で、『失敗』という文字がグルグルと回っていて、そんな事に返事をしている暇がない。
失敗=間違い。
って言う事は何だ?
零はこちらの世界のお姫様でも、国を救う英雄でも、望まれて呼ばれたのでも何でもなく……。
ただ、あの少年が間違って召喚しちゃって、それに私が巻き込まれたという事で。
「どうしたの?」
「…………何でもない」
思いもよらない事実と自分の不幸さに、目眩がして来た。