プロローグ
明りを消した暗い部屋。
シンとした静けさが包み込むそんな部屋の窓辺に、1人の女性がいた。
そこには小さな円卓があり、空になった酒のボトルと氷が解けて薄くなった酒が入ったグラス。そして、黒い眼帯が無造作に置かれていた。
座っている椅子の背凭れには、いつも帯剣している剣が立て掛けてある。
彼女は特に酔っている様子もなく、窓ガラスから見える満月を静かに見つめ、不意にポツリと呟いた。
「要らないなら、私がもらう……かぁ……」
何かを思い出した様にクスッと笑ってから、左手首に嵌めている腕輪をそっと外した。
藍色の小さな石が1つ付いているだけのとてもシンプルな腕輪であったが、彼女にとってはどんな宝石よりも光り輝く、世界に1つしかない宝物だった。
窓を開け、月の光を浴びせるように腕輪をテーブルの上に置く。
すると、藍色だった石の色が徐々に薄くなっていき───淡い光を放つ水色の石に変わった。
「こんな薄暗い部屋の中、1人でなにをしてるんだ?」
見つめていた石から視線を外して顔を上げると、見知った青年が立っていた。
「あ、ちなみにノックはちゃんとしたからな」
口を開く前に、青年が素早く遮る。
「……それで? 何の用なの。ジーク」
腕輪を左手首に嵌め直し、ゆっくりと窓を閉めてから、ジークと呼んだ青年の方へ振り向く。
彼は仕事が入ったと一言告げた。
その言葉を聞いた瞬間、彼女の眉間にクッキリとした線が一本入った。
「またか。あいつらは一体何をやってるんだ? 本当に精鋭隊なのか!? ……大体、我が隊は“あの方”が来るまでは、表舞台には立たない事になっているのに」
普段の口調から、仕事用の口調に変わっている。本当に頭にきているらしい。
「まったく……」
前髪を乱暴に掻き上げ、右目に眼帯を当てながら、頭の後ろで左右の紐を結ぶ。
椅子に立て掛けてある剣を取ってベルトを腰に着け、乱れた衣服を整えると───彼女は隊長の顔つきに変わった。
「……伸びたよな。髪」
不機嫌な顔をした自分の上司を苦笑しながら見ていたジークは、ふと、腰辺りまで伸ばしている彼女の青銀色の髪の毛に目をとめた。
「……私の長くて綺麗な髪が大好きだって、“あの時”言われたのよ。“あの方”が気に入ってくれた髪を、切ろうとは思えなくてね……。気付いたらこの長さになっていたわ」
月の光が当たってキラキラと輝く髪を、指に絡めて優しく笑う彼女の顔を見て、ジークはにやりと笑った。
「リュシーにそんな可愛事を言わせられるのは、後にも先にも“あの人”だけだな」
「あんただって、今では『爽やかで優しい好青年』で周りには通ってるじゃない。まっ、どーせ“あの方”から“あの時”言われた、『強くて優しいお兄さん』って言う言葉を目指して頑張ってるんでしょうけど、あんたの本性を知っている私から言わせたら、そっちの方が笑える話だけど」
「………………」
ちょっとからかうつもりが、倍以上に帰って来た嫌味にジークの顔が引き攣った。
フンッ。と鼻を鳴らし、彼女───リュシーは髪を後ろに振り払い、扉に向かって歩き出す。
「それじゃあ、さっさと終わらせましょう」
「了解」
リュシーにならってジークも続いて歩きだす。
先に扉を開け、彼女に先を譲ったジークであったが、「この仕事が片付いたら、『白い家』に骨休めに行かないか? 1週間程」と言って、彼女の足を止めた。
「もう1年以上行ってないだろう? まっ、『白い家』に行って休むというよりは、そろそろ家の中の片付けをしないといけないんじゃないかと思ってな。“あの人”がいつあの家にたどり着くか分からないし、来た時には綺麗な場所で休んでほしいって、お前も思うだろ?」
だから、1週間休みを取って『白い家』の大掃除をしようとジークは言う。
『白い家』
リュシーやジークにとって、嫌な記憶が蘇る場所。
だか、それよりも心が温まるような、優しい思い出が沢山詰まった場所。
たまには、ゆっくりするのもいいか。
「そうね。その様に調整して」
リュシーのその言葉に分かったと笑いながら返事をして、ジークは静かに扉を閉めた。