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夢幻  作者: DAY-S'
1/1

始動

序章


もうどれくらい走っていただろう……。

もはや何の目的であるかとうに忘れてしまっている。今は彼の脳裏にあるのは

逃避、逃走、逃亡だけだ……。

一息をつくために建物の木陰に隠れるも……。

「―───ッ!」

すぐ横を銃弾がかすめた。どうやら長居はさせてくれないらしい。

「くっ──」

悪態をつきながら、近くにあった扉に手をかけ反転するように中に転がりこんだ。

中は長い廊下になっておりまた全力疾走する。正面にあるのは大きな窓ガラスのみだ。

当然迷わず突っ込んだ……。窓ガラスは割れ落下する─―。

下は深淵の底まで広がる暗闇。薄れゆく意識の中で最後に見たのは、

対面のビルの上にいた紅色の瞳でフードをかぶった……。


「―──」

「―ら―」何だろう……?

「ひ―ら―」誰かの声……?

「柊ぃい───ッツ!」

頭上から大声が聞こえる。

「はぁぃ─いっ─?」

条件反射で飛び起きたが……。頭痛が酷く動機が激しい……。

背中は汗で濡れており、張りついたワイシャツが気持ち悪かった。

何だったんだろう……? さっきの夢は──。

「俺の授業で堂々と寝やがって……。」

と教師は悪態をつき教壇に戻りながらまだぶつぶつと言っている。

──どうやら授業中にまた居眠りをしてしまっていたらしい。彼が癇癪を起し怒鳴るのも無理はない。この二学期に入ってからというものどういう訳か最後まで起きていた試しがない。そして、夢が心なしか徐々に現実リアルに近づいている気がする。

夢を見ているようでそうではない……。そんな錯覚に堕ちる自分がいた。本来夢を見ていたとしても大多数の人間は夢を忘れてしまうだろう。

だが自分にはそれがない──。ハッキリと覚えているのだ。

そんな思考に取られていると、不意に──。

「柊君顔色が悪いけど……大丈夫……?」

と、隣の席に座っている少女に問いかけられた。反射的に、

「別に、たいした事じゃない」

とそっけなく返すと残念そうに下を向き、

「そう──」と呟いた。

ドクン──。

その瞬間、心臓に動悸が走り、頭痛がした。

「……?」

──なんだ……?この違和感は……?

別に普通の会話なのにどこかで知っているような……?

既視感デジャブというやつだろうか?確か…。この続きは……。

「警報が鳴る……?」

その瞬間──。呟きと共に辺りにけたたましい警報が鳴り響いた。

「マジかよ……」

そんな呟きをかき消すかのように、辺りは阿鼻叫喚と化した。

誰もが冷静さを失うそんな最中一人だけ落ち着いている奴がいた。

あいつの名前は確か─。鮮梨あざなし占史也としや。黒髪の短髪ですらりと背が高く赤ブチ眼鏡が印象的だった。彼は平然と椅子に座り何事もなかったかの様に落ち着いている。それはこの状況では異常としか思えなかった。そんな彼と不意に目があった。

──背中にゾクリと汗が滴り落ちるのを感じた……。

その表情は今でも忘れない──。彼は恍惚と微笑んでいたのだ……。


結局警報騒動の真相は解らないが悪戯という事で解決された。ここ洛鷹らくよう高校ではこの様な不可解な事が最近頻繁に起こっている。安易に悪戯では済まされないような事が……。

柊は今日の出来事を振り返りながら帰路についていた。今日の既視感といい、鮮梨といい、そして最後に見た夢は一体なんだろう…。と自問自答している時に後ろから声がかかった。

夢馬むうま──!」

……誰かと思えば勇人だった。

ちらりと一瞥し、ぽつりと呟いた。

「なんだ……お前か……」

「なんだ?じゃねぇよ?せっかく声をかけたのに……冷たいねぇ……」

と相変わらずの軽口である。はっきり言って男からのナンパなど御免こうむりたい。そんな彼は藍羽あいば 勇人ゆうと。高校生になってからの初めての友人で気付けば下の名前で呼ばれ気さくにいつも話しかけてくる。彼との会話はいつも他愛のない会話ばかりで何を話したのか覚えていないのだ。彼は持ち前の長髪の金髪を鬱陶しそうに掻き分けながら呟く。

「最近、うちの高校ときたら浮ついた話がないよなぁ……。校則は見えないところで徐々に厳しくなるばかりでつまらない学校生活になってきたよなぁ~」

確かに彼の言うことは一理あった、学校の体面上これといった対策を講じていないが、校内では徐々に細かい所で規制が入り、知らず知らずのうちに見えない十字架を背負わされているような感じなのだ。何を隠そう勇人本人が先生から目をつけられている為、何かと罰則を受ける事が多いのだ。彼が取り分け何をしたというわけでもなくその風貌から勘違いされることも多く、常々彼は損な役回りをしているなぁ……と同情を買ってしまうほどだ。ぶつぶつと愚痴をこぼした彼であったが、その会話の折に聞いてきた。

「なぁ……夢馬なんで今日サイレンが鳴った時にどうしてあんなに冷静だったんだ?」

「──ッ……」

……驚いた。勇人はそんな所まで見ていたのか?

「それは……」

咄嗟に口籠る……。正直に言うべきか迷った。今日の出来事を夢で見たと言っても狂言と思われるか嘘と取られるか、どちらにしてもまともに受け取られはしないだろう。それに彼に説明を……と考えると色々と面倒そうだ。

「気のせいじゃないのか?みんなパニックだったし……見間違いじゃないのか?」

と咄嗟に思いついたままに口にしていた。勇人は納得がいかないと言った感じに

「そうなのか?夢馬がそう言うならそうなのかもしれないけど……」

まだ釈然としてない様子の勇人だったが、すぐに学校の日常の会話に戻り、いつもの場所で別れた。

「普段と変わらない同じ日常を送っているはずが、自分の見えない所で何かが変わっていく感覚……。言葉ではうまく言えないが夢馬はそんな一抹の不安を抱きながら眠りについた。


──どれだけ眠っていたのだろうか……よく寝たと思い体を起こすと……視界には見慣れた風景が映っていた。……ここは教室か?辺りを見渡すがいつもと変わらない風景、変わり映えのしない生徒達がはびこっているばかりだ。

──ここは夢だよな……?と心中していると教室の前の扉から国語の教師が入ってきた。そして授業開始早々小テストをすると宣言した。当然生徒達の反応はいいわけがない。問題はさしあたって難しい設問ではなかったが突然のテストでそれに満足に応える事のできる生徒は恐らく一部だろう。テストが終わりしばらくしてからいつも通り目が覚めた。しかし、問題はここからだ。一時間目の国語の時間でいきなり小テストが行われ、夢通りになった。そしてあれほど授業中眠かった筈なのに一向に眠気に襲われることがなく、寝ないで授業を受ける事ができたのだ。そんな奇妙な数日間が続いた。

学校生活の自分に関する有益な情報を夢で見ることができ、授業も普通に受けることができる。夢馬にとってこれ以上にないくらい充実した期間を過ごす事ができたのだ。もちろん夢馬自身も最初は疑問を持っていたがそれ以上にこれまでと一変した日常に酔いしれていた。

──そんな日々がしばらく続いたある日の朝に異変が起きた。夢を何も見なかったのだ。こんな日はいつ以来だろう。夢を見ることが日常になっていた自分にとって、不安の方が大きかった。何より最近は夢を見るのが楽しくなってきたくらいだったからだ。そして珍しいのはそれだけではなかった。学校に行くと今まで無遅刻無欠席だった、鮮梨が欠席していたのだ。これは偶然か……?その疑問は一時間目の英語の時間で解決された。授業が始まり数分後、しばらく振りに急激な眠気に誘われ……数分後には意識は途切れていた。

──ドサッ。

唐突に地面に叩きつけられるような感覚に襲われた。

「いっ──ッ」

何事かと思い顔を見上げるが……。真っ暗で何も見えない。耳を疑いたくなるが聞こえてくるのは……獣のうなり声だけ……。

「ここは一体……?」

周囲から視線を感じ、すぐさま起き上がろうと体を起こすと背中に激痛が走った。どうやらさっきの衝撃で痛めてしまったようだ。しかし同時に疑問も過ぎる。これは夢のはずでは?

──刹那。風を切り裂く音と共に耳のそばを何かが通りすぎだ。

「何だ……?」

咄嗟に身構えるが、辺りが真っ暗で何も見えない。

辺りが無音なだけに先程の音だけが徐々に近づいてくるのを感じた。

「くっそ……どうする……」

内心焦りながらも手探りで辺りを探った。すると近くにひんやりとしたアスファルトの手触りを感じた。

──どうやら壁のようだ。小さな安堵と共に壁に寄り添うように手を壁に当てたままひたすら走った。すぐ後を何かがかすめる。俺の日常はどこからこうなってしまったんだろうか?そんな思考の最中遠くの方に、微かな光の兆しが見えた。

「──くそったれ……!あそこまで走れってか……?」

半幅自重気味に呟きながら懸命に走った。

──はぁはぁはぁ……。呼吸が苦しい……。光までもう少し……。見えない緊張感の中で足の筋肉も徐々に引きつり悲鳴を上げていた。一直線と思っていた道のりだったが、途中から螺旋状の階段になっているようで、ここにきて足への負担は限界に達していた。光の先端まで後少しというところで足がもつれ転倒した。

「……あと少しだってのに……」

体を起こしながら悪態をついた。その瞬間それまで離れていた音の距離が急速に迫ってくるのを感じた。夢馬は立ち上がって歩くのを諦めて体ごと転がり込むように光の中へ飛び込んだ……。

──眩しい……。咄嗟に目を閉じたがすぐに目を開けることはできない……。その間も音源は近付いてきて、目が完全に開かない今の状態で垣間見たのは暗闇からくる二枚の小さいカードの様な物だった。早くて完全に捉えることはできないが、色は黒と赤色をしており薄い形状をしていた。あれは本当にカードなのだろうか?トランプの様にも見えるが……。

そんな夢馬の疑問をよそに赤いカードから獣の声と黒いカードからは高速に回転し風切り音が発生していた。カード達は夢馬を旋回するように飛来して周囲を回っている。しかしすぐに襲ってくるというわけではなく、一定の距離を保ちながら俺の周囲を徘徊している。あまりの出来事に言葉すらでなかった。このカード達は一体?

「いい夢は見れたかい……柊君?」

 透き通った声が辺りに響き渡る……。カードに気を囚われ周囲を見ている余裕はなかったが、どうやらコンサート会場のステージの上のようだ。もちろん観客席はあるが、2人以外は誰もいないようだ。声の主はステージの中心で悠然と構えていた。あれは紛れもなく鮮梨だった。あの時教室で見たように彼の表情は恍惚した表情で嘲笑っていた。

頭の中にはいくつもの疑問が過ったが最初にでた言葉は……。

「……鮮梨……お前がこれを……?」

一瞬虚を突かれたような表情を見せたが、すぐさま彼は顔を歪め。

「……くっ……あっははっはははは──」

――何がそんなに可笑しかったのかそれまで溜めこんでいたと言わんばかりに高々と哄笑した。鮮梨の声が周囲にこだまする。

「……ふー……どうやら君は何も解っていないようだね……?」

一度落ち着き払い、彼は口元を少しだけ歪めて続けた。

「この数日間はどうだい?いい学園生活を送れたんじゃないのかい?」

──図星だった。柊にとってそれくらい近頃の日々は充実していた。

それだけに返答も口籠る。

「それは……」

反応に満足したのか彼はますます饒舌になっていった。

「哀れだな……。能力を持っていながら理解できていないとは…そしてもっとも不運だったのは……この俺に出会ってしまったことだろうな!」

「おい!だからさっきから何を言ってるんだ……能力って何の話をしている?」

一方的に言われるだけの夢馬は徐々に苛立ちを感じていた……。

「まだ解らないの?お前はここで……」

言葉と共に彼の周りを旋回していたカード達が輝き始めた。

……ヤバイ。奴の言葉は何一つ理解できず此処にいるのはまずいと直感したが、考えるよりも体が先に動いていた。頭ではその場から離れるのが最善と解っていたが……体は形振り構わず鮮梨の方に駈け出していた。足の筋肉が悲鳴を上げているが、今はそれを気にしている余裕はない。鮮梨は不敵に微笑んでいた。

「ほぅ……。その状態でまだ動けるのか……」

──気に入らない。夢馬は奥歯をギリッと噛みしめた。何一つ解らない状態で相手だけ一方的に優位に立っている状態が彼を駆り立て、一直線に鮮梨の元まで詰め寄った。

殴りかかろうと腕を振り上げた瞬間、視界の端で旋回していたカード達が動いた気がした。「ぐはっ─」

不意に──腹部に激痛が走り、視線を腹部に移動させるとメキメキと音をたてた黒いカードが食い込んでいた。

その衝撃で夢馬の体は宙を浮き、吹き飛ばされた。

「うっぐ─」

地面に背面から叩きつけられた衝撃と腹部の痛みで意識が飛びそうになる。辛うじて起き上がろうとしたが何かに両腕を踏まれ、上から抑え込まれた。

それは、頭はライオンの形をしており、胴体には翼が生えていたが半身から下は……驚いた事に赤いカードから召喚されていた。

頭上からの獣の咆哮が、大気を震わせ夢馬の体の筋肉が恐怖で硬直し全身が震え上った。脱出しようにも体を動かそうにも両腕はビクともしない。

「くっそ─動くこともできねぇ……」

腕が動かずもがく夢馬だったが、状況は悪くなる一方だった。獣が唐突に口を空けたかと思うと、口の奥から紅蓮の炎が見えた。さらには先ほど腹部にめり込んだ黒いカードは獣の後方の方で……。

──キュィイイイイン……と、けたたましい音をたて回転していた。そして徐々に回転力が増すにつれて音も大きくなっていった。回転力と音が大きさから先ほどの比ではない威力がうかがえた。

ここまでか……。一瞬は諦めかけたが、納得できない自分がいた。本当にこのままでいいのか?何もしないまま……何もわからないまま俺は死んでいくのか?

──そんなのは……嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。「俺は……こんな所で死んでたまるかぁああああ!」

腕が動かないなら──足を使うまでだ!腕を支点として腰を少し浮かせ、腰の方まで両足を折りたたみ、背を反るように反動をつけてそのままの勢いを利用して足の上部に浮いてた赤いカード本体を蹴り飛ばした。

「グァルゥウ──」

唸り声と共に獣は赤いカードに引きずられるように回転し、もう一方の黒いカードに激突した。すると二枚のカードは初めからそこに無かったかの様に霧散した。どうやら衝突がこのカードの弱点だったらしい。後ろで達観していた鮮梨の表情から笑みが消えた。

「……へっへっへ……人間土壇場になれば何とかなるもんだなぁ……」

所詮それは虚勢でしかないが夢馬は上体を起こしながら不敵に笑い余裕の態度をかました。

「貴様……どうやら早く死にたいらしいな……」

鮮梨が手を上げると今度はカードが四枚が出現した。

「へ、減るどころか増えるってか、あんたそんなにカードが好きなのかい?増やした所で変わらないと思うぜ?」

言葉では強がっているものの内心は打開策を必死で模索していた。

「そんな軽口を叩けるのは今のうちだ!二度目はない!死ねえぇえ!」

四枚のカードが飛来してくる。咄嗟に身構えたが当然今更防御などしても意味がないことはわかっていた。

──当たると思って目も閉じてしまったが一向に当たる気配がなかった。

「……………?」

恐る恐る目を開けてみるとカードは夢馬の目前で地面に落ちていた。

……助かったのか?答えを求めて視線を鮮梨に向けると彼は憤然とした様子だった。

「ちっ……時間切れか…命拾いしたな柊……ただ次はないと思えよ……」

そう言い残し彼は背を向けどこかに消えていった……。その瞬間、夢馬は力なくその場に崩れ落ち……そのまま大の字に寝転んだ。

「はぁ……どうやら助かったみたいだが……一体俺の身の回りに何が起きてるんだ……?」

その問いに答える声などなく……彼の意識はそこで断たれた……。


「──い」

「お─き─」

「おい!起きろ!柊!次は体育だぞ──」

耳障りな声がする。頼むからもう少し寝かせてくれ……。今はすごい疲れているんだ……。

「この野郎……」

そんな呟きが聞こえた気がした。

──ズズッ……。

上体が揺れた。その反動で飛び起きる……。どうやら椅子を引かれたらしい……。

他でもない、やったのは勇人だった。

「……たっくよぉ……最初からすぐ起きろっての!」

「いつもの事だが君はもう少し普通に起こせないないのかい?」

「……はいはい、分かったから。ほら早く着替えて体育館行くぞ!」

「……わかぁったよ!そう急かすなって……」

勇人に急かされて着替え始める……上半身の服を脱いだ時だった。

「──お前……」

隣の勇人が息を潜めた。

「ん?どうした?」

「どうしたってお前……その腕どうしたんだよ……」

言われて視線を腕の方に向けるとくっきりと腕に何かに踏まれたような跡が残っていた。

異変はそこだけではなかった……よく見ると腹部の方も痣になったような跡が残っていた。

──思わず眉をひそめてしまった……。きっとこれはさっきの夢で間違いないだろう。

「ああ?この痣の事か?ちょっと昨日親父と喧嘩しちまってさ……」

「親父と喧嘩……?お前でも喧嘩する事あるんだ……?」

呆れ顔で見られてしまった……。

……これ以上語る気はないという空気を悟ったのか、それ以上の追及は勇人からはなかった。着替えを済ませ先に行く勇人を追おうとしたが、足と腹部に激痛が走った。柊は茫然と立ち尽くしてしまった。前を走っていく勇人に向かって、

「悪い、勇人……今日は体調が悪いから保健室に行くわ……先生にはうまく伝えておいて!」

と叫んだ。勇人は怪訝な顔をしたものの予鈴が鳴ったので慌てて駆け出していった。


 保健室に入るとそこには誰もいなかった。どうやら保健室の先生は席をはずしているらしい。保健室独特の薬の匂いが鼻についた。俺はこの臭いは苦手だ。

ん……?奥に二つのベットが見える。

──勝手に借りるか。メモ書きに書こうか迷ったものの、今は少しでも早く横になって状況を整理したかった。二つのベットは空席だったが、奥の方のベットに横になった。

──ふう……。カーテンを閉め横になる……。そして腕をまくり痣を凝視した。

勇人には黙っていたけどまだ腕が痺れていた……。さっきは何とか誤魔化したものの、次に聞かれたら言い逃れる事は出来ないだろうなと一人苦笑した。目を閉じ、これまでの事を振り返る……。

この一連の夢騒動は一体何なんだろう?考えれば考えるほどに謎は深まるばかりだ。

気付けば学校では寝てしまう、そして家で見る不思議な夢は一体?考えてもわからないことばかりだ……。そしてベッドに横になっているとまた急激に眠気が……。

「またそうやって夢の世界に逃げるの……?」

意識を失いかけた瞬間に抑揚のない声が脳裏に響いた。

「……?……だれだ?」

目を開けようすると目の前に顔があった。同時に柑橘系の香りが鼻孔をくすぐる。

──一体いつの間に?声の主は頭上から顔を覗きこむように顔を近づけていた。

吐息を吐けば届く距離にいるのにそれは叶わなかった。仮面をしていたからだ。

般若と言えばいいだろうか?正直もの凄く不気味な仮面である。まともな趣味とはいえない。長い黒髪のセーラー服と仮面のギャップがその場の雰囲気を異様なものにしていた。こいつ一体何者だ?それに夢がどうとかいってなかったか?

「お前何者だ……?」

「ふっ──」

軽く嘲笑ったと思うと彼女は続けた。

「あなたこのままだと死ぬわよ」

「……ちょっと待て、お前何か知っているのか?なぁ……死ぬってどういうことだよ?」

心辺りがないわけではない、むしろ有り過ぎるくらいだ。だが彼女は俺の知らない何かを知っている。俺はとにかく知りたかった。少なくてもこいつは自分より多くの情報を持っている。

「……呆れた……本当に心当たりがないの?」

小馬鹿にしたような声が俺の神経を逆なでる。気付けば絶叫していた。

「わかんねーよ!死ぬだとか!夢をみるだとか!俺にもわかるように言ってくれよ!」

「……吠えれば教えてくれると思ったの?──哀れね。それとも考える頭もないの?」

いちいち癇に障る女のようだ。ただここで話がこじれては元も子もないそう考えた夢馬は…。

「お願いだ……さっき怒鳴ったのは誤るよ。ついカッとなっちまった。だから俺に教えてくれないか?知っていることがあれば俺に……」

懇願する様に頼んでみた。

「嫌よ」

駄目だったらしい。即答だった。どうしたものかと考えていると…。

「あなた頼むのが下手ね。全然気持ちがこもってないわ」

──見抜かれていたらしい……。どうやらストレートに言った方がよさそうだ。

「あんた本当に何者だよ?いい加減言葉遊びはやめにしないか?」

今度は彼女が黙る番だった。

「そうね。いい加減貴方をからかうのも飽きたし、話してあげる」

どうやら話す気になってくれたらしい。安堵する暇を与えず彼女は続けた。

「説明するのが面倒だから取りあえず目をつぶりなさい」  


なんとなく予想はしていたが目を瞑ると視界は暗転し俺は眠りについていた。

当然の様に彼女は目の前に佇んでいた。

「さあもういいだろう?」

回りくどいやり取りにうんざりしていた夢馬は答えを促すようにそう尋ねた。

「せっかちな男ね。いいわ、体で教えてあげるわ。構えなさい。」

「か、体って……」

突然の言葉に思わずこっちが赤面してしまった。何を言ってるんだこいつは……?

「……何を想像しているのか知らないけど勘違いしてると死ぬわよ?」

彼女の言葉が終わると同時に威圧感が増したような気がした。

──刹那、彼女の姿が消えた。

「なっ──」

驚きと共に茫然と彼女のいた場所を凝視していると……。

──背後に気配を感じた。咄嗟に体をずらしたが次の瞬間には痛みが背中に走っていた。体を逸らしたのが功を奏したらしい。彼女のしなやかな足蹴りがさっきまで夢馬の居た場所を蹴りあげていた。直撃を避け、少しだけ当たっただけなのにも関わらずワイシャツは裂け、掠ったところからは出血した。

「い、いきなり何すんだよ?」

夢馬は思わず振り返り彼女を睨めつけていた。

「反応速度は悪くないわね…反射速度、適応力も妥協点ね。それに……」

他にも何やらブツブツ呟いている。

……こいつ俺の言葉が聞こえていないのか?

「お、おい!お前聞いているのかよ?いい加減にしろよ!」

仮面の女に手を伸ばしていた。体に触ろうとした瞬間彼女の体は霧散した。

「えっ……」

手は虚しく宙を彷徨い、そこにいたはずの彼女は幻と言わんばかりに消えてしまっていた。

「ここの世界にいる限りは目で見たものがすべてだとは思わないことね」

声のする方に振り向くと悠然と腕を組んだ仮面の女の姿がそこにはあった。

ここの世界ってなんだ…?疑問に感じた事をそのまま口にしていた。

「ここは夢じゃないのかよ?」

「鈍い貴方でもそろそろ気付いている頃じゃない?本当にここがただの夢だと思っているの?」

もちろん夢馬自身もここが普通の夢ではない事は気付いていた。だがそれを肯定してしまうと今まで見てきた夢の全てが覆されるようで純粋に怖かった。だがここが夢の世界でないとすると……。

「じゃあこの世界は一体何なんだ?」

「もちろん夢の世界よ?」

「………………」

こいつまだ馬鹿にしているのか?目で睨んでいると……。

「本当よ?ただし此処は私の夢の世界よ」

私の世界?こいつ何を言ってやがる……?

「理解できないって顔ね。まあ最初から期待してないけど」

溜息まじりに子供に諭すように彼女は続けた。

「貴方を此処に連れて来たのはこの為よ。あれこれ説明しても理解できないでしょうから」

「………………」

さらっと酷い事を言われている気もするが、あえて言及はしなかった。喋る事は得策ではないと思ったからだ。ただ連れてきたっていうのはどういう事だろうか。

「貴方には能力があるわ、此処にいるのが何よりの証拠」

「能力?何の話をしているんだ?」

「まだ気付かないの?やっぱり鈍いわね。どうして私の夢の世界にいると思うの?」

こいつの夢の世界にいる理由、それは……つまり……。

「ようやく気付いたみたいね。そうあなたは人の夢に入れる。そして意識的に動く事ができるわ。」

人の夢に入れる?意識的に動ける?どうしてそんな能力が俺に?頭をよぎるのは疑問ばかりだ。

「大丈夫?話についてこれてる?あなたのような人は私達の間では夢人ムトというわ」

「夢人?」

「人の夢に入る事のできる人達よ。反対に人に夢を見させる人達もいる。彼らを総称して幻人ゲントというのよ」

「本当にそんな奴らが存在するっていうのか?」

不思議そうに仮面の女は返した。

「あら?心当たりはあるんじゃないの?──例えばその腕とかね」

「お前……どうしてそれを?」

……ばれている。勇人にも隠していた事がこの仮面の女にはお見通しらしい……。

「呆れた……。何も気付いていないとでも思っているの?」

含みのある声色でそう返してくる。絡んでいるのが面倒くさくなってきた。

「さっきからいい加減にしろよ!お前は俺にどうしろっていうんだよ!!」

話の展開に取り残されている事への苛立ちから彼は叫んでいた。

「あらあら?吠えるのだけは一人前みたいね?まあいいわ。貴方の相手をするのもそろそ飽きてきた頃だしね」

そこで彼女は一呼吸置き、唐突にこう続けた。

「じゃあとりあえず死んでくれる?」

彼女の声を聞いたのはそれが最後だった。


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