小宮山武蔵
宮本武蔵と佐々木小次郎。
世紀の巌流島決戦。
衆人環視の下、非公式の命の奪い合いが巌流島で起こった。
金や名誉の為に戦ったのではない。
ただ、どちらが強いのか試したいという男の欲求である。
普通なら出会わなかったであろう二人の天才。
何の因果か、男同士の意地とプライドが彼らを引き寄せた。
しんと静まった巌流島。
今に限っては、鳥ですらさえずることを躊躇っている。
騒ぎ乱すものがいようものなら、即座に体を斬りつけられてしまいそうな緊張感がそこには流れていた。
それが決戦前の巌流島の様子である。
仁王立ちで武蔵を待つ小次郎。
静寂をかき消すように湖岸に舟を乗りつける武蔵。
睨み合う二人。
ざっ、ざっ。
砂をしっかり踏みしめ、武蔵は小次郎に歩みよる。
「何故遅れた!武蔵!」
わざと試合に遅れてきた武蔵に、小次郎は動揺していた。
それを見てとる武蔵。
「小次郎敗れたり。」
勢いそのまま武蔵は小次郎に斬りかかる。
一太刀浴びれば、命も危うい、まさに一触即発の真剣試合。
――そして、一瞬の邂逅。
武蔵が刀で地面を強く打ち、雄叫びをあげる。
結局、武蔵の勝利という形でこの果たし合いは幕を閉じる。
これが皆さんの知っている巌流島決戦の全貌であろう。
しかし、これは我々小宮山家の伝承と少し……、いや、かなり違う。
我々の知っている巌流島はこうだ。
巌流島決戦の前日、我々の祖先、小宮山三郎太は巌流島決戦観戦の為、巌流島に訪れる。
しかし、それは三郎太の勘違い。
決戦当日だと思っていたが、実際は決戦の1日前だった。
試合開始の時間が過ぎても誰も来ないので、三郎太は自分が1日早く来てしまったことに気づく。
今更帰って、またここまで来るのも面倒だということで、三郎太は空腹をごまかし明日までここに居座ることに決めた。
その日の夜。
三郎太以外に誰もいないはずの巌流島で物音がする。
寝ていた三郎太はその物音に起こされた。
三郎太は物音の主を伺う。
そこでは一人の男が黒光りした漆塗りの箱と人間大ほどはあろうかというような大きな板を運んでいた。
三郎太はその男の顔に見覚えがあった。
宮本武蔵、その人である。
一度、三郎太は武蔵と小料理屋で酒を飲み交わしたことがある。
物腰柔らか、柔和な笑顔、いかにも子供のような顔つきだったという。
(――そこらの小物と違って外見で相手を威圧する必要がないのだろう。)
えてして、大剣豪とはこういうものか、三郎太は武蔵に感銘を受けた。
三郎太が巌流島観戦にわざわざ足を運んだのも、こういういきさつがあってのことだった。
その武蔵が何故、今ここに?
三郎太は訝った。
ここからは少し不思議な話になるので注意していただきたい。
三郎太は漆塗りの箱が大きな声で喋った、と伝承記に記している。
「何故遅れた!武蔵!」
確かに、黒い箱はそう言っていたという。
武蔵はしばらくして巌流島を出ていき、三郎太は眠りについた。
翌朝、つまり決戦当日、三郎太同様、多くの人間が巌流島に観戦に来ていた。
しかし、それは衆人“環”視とは名ばかりのものだった。
ここより先立ち入り禁止、と書かれた立て札が地面にさしてある。
武蔵を待つ小次郎の姿は遥か先。
そこから見える小次郎は豆粒のようだったという。
これより先は皆さんが知っている巌流島決戦と同じである。
小宮山家は代々、大ボラ吹きだ、と罵りを受けてきた。
それもこれも、小宮山三郎太が書いた巌流島決戦に関する伝承記が原因だ。
「あの高名なる宮本武蔵がインチキしたとでも言いたいのか?
どうせ、もうろく爺のたわごとだ。」
小宮山家を罵るものは口々にこう言った。
……確かに、今まで我々はこういう言葉に反論することは出来なかった。
何故なら、
――黒い箱から音がなる
こんなこと、昔の人間にとっては想像もつかないことだ。
私の祖先も伝承のこの部分を説明出来ず、大衆の罵りを甘んじて受けてきたのだ。
しかし、第14代小宮山家当主、小宮山裕太こと、私に限っては小宮山家のブラックボックスにメスを入れることが出来る。
今し方、ついに完成したのだ。
音の出る黒い箱が。
私はこの装置を「テープレコーダー」と命名する事にした。
――時代が追いついてなかったんだろうな。
誰かが、高度な科学は魔法と見分けがつかないと言っていた。
確かに、今の僕たちにとって時空を旅するということは“魔法”だと思う。
少し前まで、このテープレコーダーが魔法であったように。
……なるほど。
将来、この「テープレコーダー」を持って、巌流島に訪れる不届きものが現れるのも、そう遠くないような気がしてきた。
――そうか。
武蔵はこの“私”だったのか!