狼は外堀を埋める
レイラは狼の獣人である。ただし半分しか血が入っていないので、耳くらいしかそれらしい部分がない。祖父が獣人、祖母は人間。その間に生まれた母は半獣人で、父も偶々狼の半獣人。だから、レイラは半分狼の獣人である。
レイラは冒険者をしている。みんなが南の新興国と呼んだ祖国を飛び出して、フリーで冒険者ギルドに登録した。実家にはたまに顔を出すし、仲が悪いわけではないけれど、ただ自由になりたかった。誰にも何にも縛られずに、自分一人の力一本で生きてみたかったのだ。
「毎回思うんだけどさ。俺、要る?」
そこそこ危険度も報酬も高い討伐依頼を成功させた祝いの酒を飲みながら、レイラの正面に座るギースが真面目腐った顔でそう言った。かれこれ3年は一緒にいる頼れるバディだ。多くの獣人が近接戦闘を得意とする中、レイラは魔法を主体にして戦う。だから軽戦士であるギースを前衛として、レイラは基本的に後ろで魔法を放っている。
肩に巻いた包帯を摩りながらギースが気まずそうにステーキを口に放り込んだ。人間である彼はレイラに比べて少々鈍臭い。
「なんで?いつも助かってるよ?」
「いや、お前……」
呆れたような、信じられないような、微妙な顔でギースがレイラを見た。それに首を傾げながらそうっと自分の皿に残る人参をギースの皿にのせる。「あ、こら」と気がつかれて、人参が戻ってきた。
「野菜もちゃんと食えって」
「だって、私狼だよ?肉食なんだよ?」
「半分だろうが。てかそもそも獣人でも野菜は食うんだよ。ってそうじゃなくて」
突然、酔っ払った見知らぬ男がこちらのテーブルへ勢いよく手をついた。反動で食器がガチャン、と大きな音を立てる。言葉を切って見上げたギースを睨みつけたその男が汚らしく唾を飛ばしながら叫んだ。
「おい、お前!いつまで『竜狩り』レイラに付きまとってんだ!いい加減、自分の力量をわきまえたらどうなんだ!?」
大体な、と言葉を続けようとしたその腹に思い切り肘を叩きこんだ。ぐふ、と空気を吐く音がして、その場に頽れる。それには目もくれずにレイラは真っ直ぐギースの顔だけを見た。
「ギース!大丈夫……?」
「や、うん。俺の精神があんまり大丈夫ではない」
ここ最近ではよくあることだった。単身で竜を殺したレイラは知らないうちに崇められるようになって、誰かと仲良くしているとその相手が酷いことを言われるようになったのだ。竜を殺すより前からギースは一緒に居て、だからこそレイラはこの手の輩が出てくると有無を言わさずに仕留めるようにしている。狩りは素早くやれ、とは祖父の言葉。
「レイラ。なんで俺なんだ?」
「何が?」
「誤魔化すなよ。お前一人で竜も殺せるんだろ。なんで俺みたいな弱っちい人間とバディなんか組んでんだよ。まだ一人の方がマシだろ」
「でも、私そんなに強くないもん。それにできないことも多いし……。今日だって、ギースがいなかったら晩御飯食べれなかった」
「いやまあ後半はそうかもしれないけど。前半は流石に嘘過ぎるだろ。一人で竜殺せる奴が強くないわけあるか」
本当なのに、といじけて見せても、ギースはハイハイと受け流してしまった。そっとあたりを見回す。先ほど男を殴り飛ばしたからか、周囲はこちらを見ないようにしている。足元に未だ転がる邪魔な男を蹴り転がして、レイラはギースを見た。小首を傾げて見上げれば、途端にギースが口の端を引きつらせる。レイラがおねだりするときのやり方。
「ギース。遮音魔法かけて?」
「は、ハァ?なんでこんなとこで」
「誰にも聞かれたくない話なの。ね、お願い」
レイラは魔法を主体に戦うが、攻撃する魔法は得意でも細かい魔法は得意ではない。祖父はそういう魔法が得意だったので、便利さはよく知っているがいかんせん上手に扱えなかった。その点ギースは生来の器用さもあって、実にほころびなく扱う。
目には見えない魔力の網が二人のテーブルをドーム状に包み込むのを”見た”。それがきっちり編み上げられるのと、ギースが「かけたけど」と言うのは全く同時。こういう所が頼れるのだ。完全に効果が発動してからギースはこちらに声をかける。ギースがいいよ、といったときは完全に準備ができた時。レイラはそれを良く知っている。
「あのね、本当に私強くないの」
「だからなぁ、竜ってすごい強い生き物なんだよ。お前にとってはそうでもないかもしれないんだけど」
もはや小さな子供に言い聞かせるような声でギースが優しく諭した。「悪いことするとこわーい竜に食べられちゃうぞ」と脅しつける時と全く同じ声色だ。馬鹿にされたみたいで、レイラはむう、と頬を膨らませる。
「ホントなんだってば!私よりもおばあちゃんのが強いもん!」
「とんだバケモノじゃねぇか。魔王かなんかかよ」
ハイハイ、とまた受け流される。酒を手に取ったギースが呆れたように笑った。
「そもそもお前より強いばあさんって。そんなん世界壊せるレベルとかだろ」
「そうだよ?」
「そう、は、?え、な。ハ!?」
「だから言ってるじゃん。おばあちゃんは本当に強いの!世界で一番強いんだから!」
呆気にとられた顔をしたギースが持っていた酒のグラスをもう一度テーブルへ戻した。こめかみに手を当てながら「タイム」と言われる。こういう時のギースはなんとか情報を整理しようとしている時なので、レイラは大人しく口を噤んだ。ちなみに戦場以外で言われたのは初めてである。
「え?お前、ってさ。なんか、こう、魔王の一族とかなの?」
「違うけど、うーん。ちょっと似てるかも」
「なんで似てんだよ……!」
「おばあちゃんはねー、東の王国のお姫様でね」
「ちょ、ちょっと待てってば!」
再度タイムが取られた。しょうがないので、今度は酒を飲んでみる。半分とはいえ、獣人のレイラにとって基本的にアルコールの匂いはキツイので酒はあまり好まない。今回はギースが気を遣って、レイラでも飲みやすいようにとチョイスしてくれた果実酒だった。ご飯と一緒に呑んでも美味しかったけれど、単体で飲んでも美味しくてちょっと感動する。
「あー、お前の祖母なんだよな?その世代って、王国に王女はいなかったよな?」
「えーっとね。確か、公爵?とかだったんだって」
「公爵家、そりゃ確かにお姫様、か?」
「それでねぇ、王国の王様たちは『即死魔法』を使うでしょ」
「使うでしょって。使えないんだろ、もう誰も持ってないって、」
「でも、おばあちゃんは持ってるよ?」
今度こそギースが絶句した。レイラの祖母は王国の公爵家、その末っ子だったらしい。らしいというは、祖母は祖父と一緒に駆け落ちして南の新興国まで逃げてきたからだ。レイラは血縁者にあったことがない。ただぼんやりと知っているのは、公爵家と王家は血筋として近くて、周辺国でも有名な『殺害魔法』を受け継いでいるということ。
「お前、それ。俺に言ってよかったのか。そんなん、誰かに知られたら」
「でも、誰もおばあちゃんには勝てないと思うよ?私、一回だけ見たことあるんだ」
レイラがまだ幼かった頃。祖母はいつも穏やかで、上品な人だった。指先まで抜けきらない高貴さがあって、いつだって優しくレイラの頭を撫でてくれる人。けれど、あの夜はそうではなかった。険しい顔をして飛び込んできた祖父と、足に傷を負った父。息を呑んで、レイラを抱きしめた母。家の前に迫るとても大勢の足音と、掲げられた松明の炎。そして、背筋をまっすぐに伸ばして、ドアを開け放った祖母の後ろ姿。
「家の前にはね、すっごく沢山の兵士がいてね。その人たちが『捕まえろ』って叫んでて。でも、」
それは一瞬だった。月明かりもない新月の夜。瞬きもしないうちに、数えきれないほどいた生き物が一瞬で肉塊と化すのを見た。年老いてもなお美しい目を伏せて、祖母が一つ息をついたのをよく覚えている。
「誰も生きてなかった。普通なら大魔法なのに、おばあちゃんは疲れてさえいなかった。あの人にとって、何十人の人間を殺すのは息をするよりも簡単なんだよ」
「、それは」
「大人になって、色々調べて、あれが『即死魔法』って呼ばれてるって知った。おばあちゃんに聞いたらね、普通に教えてくれたの。きっとレイラも使えるようになるって」
ギースが視線を揺らした。『即死魔法』は遥か昔の伝承だ。さる一族の血筋に宿る固有魔法。触れたものをすべて死なせる禁忌の魔法。長い年月で失われたはずの、世界に忌み嫌われた力。
「でも、私はおばあちゃんほどうまく使えなかった。精々高火力の攻撃魔法ってくらいで、本質を扱えない」
「本質、?」
「あれはね、全部を壊せるの。防御魔法を壊して、人を壊して。おばあちゃんにかかれば竜なんか一秒で終わるよ。当たったらもう終わり。文字通り即死の魔法」
「……お前は?お前はどうやって竜を殺したんだ」
ギースはレイラが竜を狩って帰ってきたとき、詳しい話を聞こうとしなかった。ただ、魔力が枯渇して苦しむレイラをひたすらに看病していた。
「さっきも言ったでしょ。私にとっては高火力の攻撃魔法ってくらいなの。だから沢山当てて、殺した」
「純粋な攻撃魔法に近いのか、?」
「多分そう。私はギリギリ魔力の流れが見えるくらいで、それを壊せるところまで行けなかったの」
二人を包む魔力の籠が微かに揺れる。術者の動揺が反映されているのだろう。レイラにとって、魔力は糸だ。それを緻密に組み合わせて色々なものを作っている。ギースの魔力は今まで見た中で一番細くて、一番繊細だった。軽戦士なんてもったいない、といつも思う。けれど、彼の魔力量では大規模な攻撃魔法は扱えない。サポーターになるくらいなら、と剣を握ったらしかった。彼はいつでも守る側に憧れを抱いている節があるから。
「壊せるのか。魔力は、本当は」
「魔力って言うか、魔法の流れを壊して、魔法そのものを壊しちゃうの。反対に魔法生物とかは純粋な魔力で魔法を使うでしょ。編んだりしないって言うのかな。だからちょっと相性が悪くて」
「けど、お前のばあさんは竜も殺せるんだろ?」
「人間に対してよりは、ってだけだし。そもそも火力が違うもん」
「……なあ。なんでこの話を俺にしたんだ」
狩りは素早くやれ、とは祖父の言葉。好機はけして逃がすな、とは父の言葉。竜を殺して、『即死魔法』を持っていることを聞いてもなお、遮音魔法をけして崩さないギース。
レイラは狼の獣人だ。半分と言えども、獣の気質はきちんと受け継いでいる。
「だって、この話聞いたら。ギース私から逃げられないでしょ?」
「は、はい?」
「心配じゃない?『即死魔法』を持ってるけど、本来の力は使えないんだよ、私。魔法しか使えないから、いきなり切りかかられたりしたら怪我しちゃう」
「いやいやいや。お前さっき、」
「さっきは私のこと気にしてなかったもん。軽戦士のギースがいないと私、危ない目にあっちゃうかも!」
狩りは用意周到に、相手の性格もきちんと踏まえて。どうやってお父さんと結婚したの、と聞いたレイラに、母は一言「外堀を埋めたのよ」と笑った。最近の周囲はギースを馬鹿にされるとレイラが怒るし、ずっと隣に居るものだから『そういう関係』なんだと思っている人がちらほらいる。
狼が愛するのは生涯一人だけ。けれどギースは人間だから、今はまだ「ツガイになって」とは言わないけれど。
ため息をついたギースが「しょうがねぇな、」と言いながら酒を煽った。守りたがりの彼のことだから、なんだかんだ言ってレイラの言葉に浮かれて照れ隠しをしているのがよくわかる。
大きな秘密を共有することで、祖母は祖父と恋仲になったのだと言っていた。当時はなにも知らなかったけれど、今ならこの大きな秘密が『即死魔法』のことだと分かる。これはレイラの一家が今までやってきた恋の駆け引きを全て詰め込んだ大一番。
「私のこと、守ってね」
可愛らしく小首を傾げて囁けば、ギースが確かに耳を赤く染め上げた。




