第3話 ホワイトタイガー
ネオ・トーキョー最下層、第13セクター。
酸性雨の臭いが染みついた路地に、電脳ジャンキーと浮浪者と裏社会の連中が、濡れたゴミみたいに積み上がっている。
この街では、人間の価値は心拍じゃなくて、搭載されたパーツの値段で決まる。
その一角に、錆びたネオンサインが瞬く。
――ワンダーランド。
表向きは中古の電脳パーツとジャンクの店。
裏では改造パーツの売買、違法移植、培養槽の横流し。
スラムの住人にとっては便利な店だ。
ただし、それだけじゃない。
警察が手を引く相手――ジャイルブレイカー。
そいつらの処分を、秘密裡に請け負う。
捕獲。無力化。殺害。
オーダー次第。
ここはジャンク屋であり、処刑屋でもあった。
「……で、聞きたいことってなんだ?」
マッドは作業台から顔を上げない。拡大鏡の下で、培養槽の配線をいじり続けている。その手元には、白い肉片と金属が混ざったような「部品」が転がっていた。
薄汚れたソファに腰を下ろした白いスーツの男――ホワイト・タイガーが、雨粒ひとつ落ちていない袖口を軽く払った。
「今日のターゲットも新型を入れてた。高出力型だ」
「例の『右肩上がり』か」
返事はした。興味はない。
マッドの視線は、電脳容量の一パーセントもこっちに割かれていない。
タイガーは床に転がっていたジャンクパーツを拾い、爪で擦った。
金属の粉が指先に付着する。
「ここ最近のジャイル事件の四割。新型使用者だ。しかも増えてる」
「……商売繁盛。忙しくなって、なによりじゃねぇか」
「笑えないところまで来てる。ラビットが寝てるのが、何よりの証拠だろ」
タイガーの視線が、奥の手術室へ滑る。
カーテンの隙間。冷却ミストの白。ベッドの上に足だけが見えた。
マッドの手が一瞬だけ止まった。
「……アイツは、出す必要ない出力で目が回って休んでるだけだ」
そう言いながら、マッドはカーテンを乱暴に引いて、隙間を潰した。
タイガーは薄く笑う。笑ってるのは口元だけだ。
「ま、いい。――で、アンタに聞きたいのは、この男だ」
タイガーが一枚の画像を転送する。
空中に浮かび上がる顔。作り物みたいに整った表情。
『リョウ・ヤマウチ』
アカーシャ・システムズ、元システム開発主任。
マッドは、その名前を目に入れた瞬間だけ電子網膜の光が淡く走った。
気づかれないほど一瞬。だが、ゼロではない。
「……おい。ウチはジャンク屋だ。情報屋と勘違いしてないか?」
「アングラ相手の商売だろ。こういうところに一番流れる」
「流れたとしても、そう簡単に言うか。それこそ金になる」
マッドは手を動かしながら言う。
言葉は平然としていたが、ペンチの握りがほんの少し強い。
タイガーは、声の温度を変えずに続ける。
「俺の見立てじゃ、この男がジャイルブレイカーどもを束ねてる黒幕だ」
「……そりゃ、物騒な話だな」
マッドが鼻で笑う。
同時に、タイガーの視線だけが電脳空間へ沈む。
「リョウ・ヤマウチ――『ジャイル』のプロトタイプ開発者。のちにプロトタイプを持ち逃げを企てるが失敗。死亡したとされるが死体は見つかっていない。アカーシャ・システムズが行っていたとされる、非人道的な人体実験『プロジェクト・ネオ・アダム』の一員でもあった可能性も噂される」
タイガーの視線がゆっくりと戻る。
「死んだ人間に伝説がつくのは、よくある話だ。情報のゴーストだな」
マッドは吐き捨てる。いつもの調子で。
だが、言葉の後に沈黙が落ちた。ほんの半拍。
タイガーは、その半拍を逃さない。
「この街じゃ、都市伝説が実在する。……奥の『足』みたいにな」
マッドの目が一瞬、殺気を帯びた。
「……アイツは特別だ。俺が精魂込めて調教したからな」
「調教、ねぇ」
タイガーは肩をすくめる。
その仕草が、スラムの埃をまったく受け付けない。
「ヤマウチの件、何か掴んだら教えてくれ。それと……」
タイガーは立ち上がり、テーブルに「錠剤」をひとつ置いた。
白くて小さい。やけに清潔。
「次の症例だ。天と地がトリップする類。処分しといてくれ」
そう言い残し、タイガーは裏口へ向かう。
ドアベルは鳴らない。音も立てずに消えていく。
残されたマッドは、しばらく錠剤を見つめた。
それから、躊躇なく飲み込む。
目を閉じる。椅子に沈む。
脳内に情報が展開された。
『コードネーム:スカイダイバー/ランクA』
『オーダー:無力化・拘束(状況に応じて殺害可)』
『概要:第10セクター「金龍会事務所」にて待機。対象を迎撃し排除。周辺被害は関知義務なし・保護対象者1名あり』
『報酬:15,000,000円』
文字列が崩れ、意味を失って消える。
マッドは舌打ちし、奥のカーテンへ目をやった。
「……天と地、ね。明日、調教しておくか」
店のネオンが消える。
路地に転がる浮浪者のうめき声だけが、雨の下で続いていた。




