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ヴァラアニカ戦記  作者: 桐乃
9/18

9 紅の交錯

しばらく投稿が週一回となります。


 鐘が三度、鳴り響いた。

 空に光が満ち、歓声が再び高まる。

 帝都グランフィードの広場は、人と声と旗で波打っていた。


 ユーフェインが高壇に立ち、群衆に手を掲げる。

 その隣でアイリスは一歩下がり、冷たい風の中、静かに頭を垂れた。

 光を浴びるその姿は、もはや敗戦国の姫ではなく、帝国の象徴の一つのように見えた。


 ——その瞬間だった。


 ひゅ、と空を裂く音。

 誰かが叫ぶより早く、矢が風を切って飛来した。

 狙いは壇上。

 ユーフェインか、それとも——。


 アイリスは息を呑み、即座に動いた。

 背後の護衛の腰から剣を抜き、矢の軌跡を読む。刃が光を反射し、風を裂いた。金属音と共に矢は弾かれ、地面に突き刺さる。


 観衆の悲鳴が広場を包んだ。続けざまに数本の矢が飛ぶ。ナナキが即座に前へ出て盾を構え、兵たちが群衆の中を走る。

 覆面を被った数人の男たちが、混乱の中から剣を抜いて飛び出した。


「皇女を狙え――!」


 叫びと共に剣光が交錯する。だがナナキの動きは一瞬も遅れない。彼は一人を蹴り倒し、二人目の腕を弾き飛ばす。刃が火花を散らし、帝都の石畳に血が落ちた。


 その隙に、再び放たれた一本の矢。

 今度ははっきりと——ユーフェインの胸を狙っていた。


 誰よりも早く、それに気づいたのはアイリスだった。

 咄嗟に身を投げ出し、剣を横薙ぎに振る。矢は弾かれ、地へと転がる。風に舞ったアイリスの銀色の髪が、陽の中で煌めいた。


 ユーフェインの視線がわずかに揺れる。

 ほんの一瞬、冷ややかな瞳に驚愕の色が走った。


「……アイリス」


 彼女は息を荒げながら、短く答える。


「……ご無事ですか」


 混戦はすぐに終息した。

 帝国兵が男たちを取り押さえ、広場は再び静寂を取り戻す。だが、民衆の視線はすでに変わっていた。


 敵国の皇女が、殿下を守った。


 その事実だけで、群衆の中にどよめきが走る。やがて歓声へと変わり、波のように広がっていく。


「殿下を守ったのか……?」

「殿下が選ばれた妃とは一体……」

「いや、見たとおりだろ!」

「戦姫が殿下を守ったんだ!」


 誰かが叫び、それに呼応するように拍手が起こる。

 旗が揺れ、歓声が空を突き抜けた。


 ユーフェインは壇上から降り、捕らえられた男たちの前に歩み出る。

 覆面を剥がされた彼らの顔には、憎しみと悲哀が入り混じっていた。

 その中の一人が壇上のアイリスに向かって叫ぶ。


「我らの家族を、殺したのは貴様ら皇国だ! なのになぜ——その皇女を妃になど!」


 ユーフェインは何も言わず、その言葉を受け止めるように視線を落とす。

 やがて、静かに口を開いた。


「——我らは、この大陸を支配するために剣を振るったのではない。統べるために、治めるために剣を振るってきた。最後の皇国とは一番凄惨な戦いを繰り広げた。だからこそ、その統治は支配であってはいけないのだ」


 その声は、広場の隅々まで響いた。

 風が一瞬止まり、誰もがその言葉を聞いていた。

 ユーフェインは男たちから視線を外し、隣に立つアイリスを見やる。


「この女は、かつて我らの敵だった。だが今は、帝国と皇国の橋だ。血で争いを終わらせ、心で両国を繋ぐための……私の妃だ」


 言葉の最後に、ほんの僅か、彼の口元が動く。

『寵妃』という噂を肯定するように。

 それは政治のための演出であり、群衆を熱狂へ導くための劇だった。


 広場が再び沸き立つ。

 人々は歓声を上げ、旗を掲げ、鐘が鳴り響いた。

 アイリスはその中心で、光に照らされながら静かに立っていた。


 ユーフェインが隣へ戻ってくるなり囁いた。


「……見せしめのはずが、英雄を作ってしまったか」

「お上手です、殿下。見せしめと言いつつも、私の立場を確固たるものとしてくださった」


 ユーフェインは一瞬だけ目を細め、それから笑った。


「……噂は囁くもの、であるからな。それにほんの少しスパイスを与えたに過ぎん」

「なるほど。では、こんなものはいかがでしょう」


 アイリスは小さく微笑むと、ユーフェインの手を取って口づけをしてみせた。


 再び歓声があがる。

 ユーフェインが仕掛ける化かし合いにも少しずつ慣れてきた。だが、アイリスは未だユーフェインの真の姿を理解することはできていない。


 それはユーフェインも同じであった。

 帝国の勝利を三年も遅らせた原因は間違いなくアイリスだ。そんな面白い存在をむざむざ殺してなるものかと、側においていたはずだった。それが今、この寵妃には底知れない興味が宿っている。

 

 作り上げた笑みの奥で、二人は互いに測りかねていた。

 敵か、伴侶か——その境を越えるには、まだ時が足りない。

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