13、皇族の義、ひとの心
——静寂の底から、呼び戻されるようにして目を覚ました。
瞼を開けた瞬間、視界がゆらりと滲む。見慣れぬ天蓋。薄い亜麻布のカーテン。外では、夜明け前の冷たい光が静かに差し込んでいた。
「……ここは……」
声に出した途端、喉が焼けるように痛んだ。口の中には薬のような苦味がまだ残っている。上体を起こそうとしたとき、低い声がその動きを止めた。
「動くな」
ユーフェインだった。
椅子に腰をかけたまま、こちらを見つめている。いつもの無表情に戻っているが、その目の下には深い隈があった。
「……どれほど眠っていたのですか」
「二日だ。毒の回りが遅かったのが幸いだった」
毒——。
その言葉が耳に落ちた瞬間、胸の奥に重いものが沈む。あの茶だ。月光花の花茶。ルシアンからもらった。
「ルシアンを拘束した。直前に口にしたものはあの茶だったからな」
「でも、ルシアンがそんなことするはずないと、わかっているのでしょう?」
「ならば、なぜそなたは茶を飲んで倒れた?」
ユーフェインの声は淡々としていた。だが、その静けさがかえって痛烈に響く。
アイリスは唇を噛む。頭の奥がまだ重い。それでも、あのときのルシアンの笑みを思い出す。毒など仕込む者の顔ではなかった。
「彼は……きっと何かの誤解です」
「誤解で済む話ではない」
ユーフェインの拳が、膝の上で静かに震えた。押し殺した感情が、その皮膚の下で軋んでいるようだった。
その時、外で太鼓の音が鳴った。
乾いた音が、夜の終わりを告げるように響く。
「——何の音です?」
「……夜明けとともに、ルシアンの処刑が行われる」
胸が凍りつく。
「お願い、そこに私を連れて行って」
「……だめだ」
「狙われたのは私です! 私には見届ける義務がある!」
その懇願に、ユーフェインはしばし沈黙した。やがて低く息を吐き、呟く。
「命を狙われたばかりで絶対安静なのだぞ。お前という女は……」
皮肉めいた言葉のあと、ほんの僅かに口角が動いた。そして立ち上がり、アイリスを抱き上げて扉へ向かう。
「急がなくては間に合わんな。馬を持て」
宮殿を出ると、ユーフェインはそのままアイリスを抱えたまま馬に跨がった。
再び太鼓の音が鳴る。
二人を包む冷気が、まるで刃のように肌を切った。
城門を抜けた瞬間、遠くでかすかな歓声が上がる。夜明け前の霧の向こうに、処刑台が見えた。
人々の息が、凍りついた空気に白く混ざっていた。
ルシアンは鎖に繋がれ、台の上に立たされている。台の下の男が合図をすれば、足元の板が外れる。
アイリスはユーフェインの腕の中から飛び降り、そのまま処刑台へと駆けだした。
「アイリス! くそっ!」
ユーフェインが叫び、後を追う。
「待って! その処刑、少し待ってください!」
アイリスの声が刑場に響く。
兵たちは驚きに顔を見合わせた。
「命令が——間違っているかもしれない!」
「アイリス!」
ユーフェインが追いつき、彼女を抱き締める。
「皇族を害した者は死罪だ。皇族が法を私利私欲で変えることはできない!」
毒の後遺症で震える身体に、どこにそんな力があるのか。アイリスはユーフェインの腕を振りほどき、叫んだ。
「皇族の権力は、下の者を守るためにあるんじゃないの!
守るべき者を守れずして、何が皇族よ!
こんな時に使わないで、いつ使うの!」
その声が、太鼓の音を止めた。
処刑人が振り返り、縄の影が朝の光に揺れる。
群衆が息を呑む。
冷たい風が吹き抜ける中、ユーフェインはただ黙って彼女を見つめていた。
「……なるほどな」
ユーフェインは静かに目を細め、兵に命じる。
「責任者はいるか。刑の執行は取り止めだ」
「はっ……ですが、それでは——」
戸惑う責任者を前に、ユーフェインは見せつけるようにアイリスを抱き寄せた。
「仕方あるまい。私は今、この寵妃に初めて強請られてな。随分と機嫌が良い。
……問題があれば後ほど報告せよ。ルシアンはこちらで引き取る」
「は、はぁ……」
戸惑いながらも、兵たちは従う。
鎖が外され、ルシアンは地面に崩れ落ちるように膝をついた。
「ありがとうございます! この御恩は——決して忘れません。命をかけて、お仕えいたします!」
朝の光が霧の向こうから差し込み、彼の頬を照らした。アイリスはその光の中で、ひときわ白く息を吐いた。
そして、わずかに震える声で囁いた。
「……期待している」
アイリスは、力が抜けてユーフェインにもたれかかる。
太鼓が二度、空を震わせた。
処刑の合図ではなく——夜明けを告げる音として。




