11、薬草園
凱旋をした日から数日。
相変わらず、アイリスはユーフェインの宮殿から出ることを禁じられていたが、唯一宮殿にある庭園だけは出歩くことを許可された。
ユーフェインの宮殿に設けられた庭園は、他のどの場所とも異なっていた。
庭園といっても花々の咲き乱れる外庭ではなく、温室の奥にある静かな薬草園——それは戦で疲弊した兵士のため、それから薬草の研究のために設けられたそうだ。
アイリスはナナキを伴って、温室の薄い硝子扉を押し開けた。途端に、湿り気を帯びた温かな空気が肌を包み込む。
薬草の香りが幾重にも混じり合い、少し苦く、どこか懐かしい。
戦場にいた頃、薬草の知識に明るかったアイリスは、皇国軍を率いる大将という立場でありながら、兵士のために薬を煎じていた。この香りはよく知っているものだ。
「……傷薬か」
小さく呟いた声に応えるように、背後から穏やかな声がした。
「この香りをご存じですか」
振り向けば、灰金の髪を束ねた少年が立っていた。白衣の裾を汚しながらも、手には摘み取った葉を丁寧に包んでいる。
目の奥に知性の光を宿したその少年——ルシアンは、軽く頭を下げた。
「申し遅れました。ユーフェイン殿下の命でこの薬草園を管理しております、ルシアンと申します」
「そなたが……この温室を? 失礼だが、とても若く見える……」
アイリスの問いに、彼は微笑む。
「はい、私は十五になります。祖父がユーフェイン殿下の主治医をしておりまして、祖父が亡くなった後は私がここを管理しています」
その言葉に、アイリスの胸の奥がかすかに揺れた。ルシアンの指先は薬草を扱う者のそれで、まだ幼さも残る手は力強くも繊細だった。葉を摘み取る手つきに、どこか祈るような静けさがある。
「皇国では薬としてこの青の聖花を用いるそうですね。ですが、この花は毒を持っています」
「その通りだ」
アイリスが言うと、ルシアンはわずかに目を伏せた。
「私はユーフェイン殿下に従い、戦場にも出ていました。捕虜となった皇国兵は青の聖花を持っていたのです。聞けば、傷薬だと皆が言いました。毒だと疑うことすらしなかった。失礼は百も承知です。アイリス様、皇国は毒を薬だと偽っていたのですか」
ルシアンの真摯な声音に、ナナキは警戒して前に出る。だが、アイリスは真摯に向き合うべきだと考えてナナキを制した。
「偽りなどしない。紛れもなく傷薬として使っていた。私が煎じていた」
「!」
「……皇国は人手不足だったから、皇女でありながら医官の真似事から大将軍の真似事までそれは忙しかった。大方、青の聖花を煎じて薬になるのか調べていたんじゃないか? 見たところ、これは失敗作だ」
「失敗ですか」
「……青の聖花は成熟する前の蕾を使うといい。成熟すると毒が薬効に勝る。ところが、蕾の状態で乾燥させれば長く保存することができる。薬効も低下せず、蕾を崩せば持ち運びも楽だ。唯一の欠点は煎じてしまえば、痛むのが早いということくらいだ」
アイリスがそう言うと、ルシアンは猛スピードでメモに書き残していく。
戦争はもう終わったというのに、ユーフェインは部下に医術の研究を進めさせている。この先、戦場ではない戦いが起こることを予想してのことだろうか。
いずれにしても貪欲に研究を進めるルシアンのような存在は、帝国にとって希望に違いない。そしてそれを支える皇子という存在。故国の内政を振り返ると、未来ある帝国がぐんと大きなものに見えてくる。
「あなたのような人が、この国を変えていくのかもしれないわね」
そう告げたとき、ルシアンの表情にわずかな驚きと、微かな笑みが浮かんだ。
ルシアンはメモを閉じると、少し迷ったように言った。
「……薬草園には、夕刻に月光花が咲きます。緊張を和らげる香りとしてお茶にすると喜ばれるものです。お時間があれば——またお越しください」
その声音には、打算のない純粋な敬意があった。
アイリスは小さくうなずき、背を向ける。
温室の扉を閉めたあとも、青い香りがまだ胸の奥に残っていた。




