10 あなたにお似合いの櫛よ
「「白雪姫!?」」
7人は倒れている白雪姫に声をかけたり揺さぶったりしましたが、息も脈もありません。
どう見ても亡くなっています。
ですが、そのうちの1人が、白雪姫の胸に見慣れない紐が固く結ばれていることに気づきました。
「この紐は何だ?」
鋏でちょきんと切りますと、白雪姫の胸がゆっくり上下しはじめ、しばらくして意識を取り戻しました。
「何回見ても、白雪姫がタフすぎる。
普通、紐を外したって生き返らないよ?」
部屋の隅で、ヴィルヘルムが腕を組んでしみじみと突っ込みます。
その隣で小人たちの介抱を見ているヤーコプも、その言葉にうなずきます。
「雪のように白く、黒檀のように黒く、血のように赤く。
この王妃の言葉によって、白雪姫に祝福あるいは呪いがかけられたと解釈できる。その力によって、死が仮死に和らげられると。眠り姫の死の予言が、百年の眠りに緩和されたように。
また、3滴の血は呪的逃走を連想させる。
KMH56『恋人ローランド』のように、主人公が人殺しの身内から逃れる時、扉や窓枠に血を3滴かけて自分は逃げるというモチーフだ。
殺人者が『そこにいるか』と言うと、血が『います』と答え、それが3回繰り返される。その間に主人公は遠くまで逃亡する。
バージョンにもよるが、白雪姫もまた、胸ひも、毒の櫛、毒リンゴと3回の死を回避する……」
小人たちにはヤーコプの長口舌など聞こえてはいませんので、白雪姫に今までの経緯を尋ねていました。
ヴィルヘルムも、兄を無視して小人たちのやり取りを聞いています。
「白雪姫よ、そいつは行商人に化けたお妃だ」
「間違いない。魔女の技を使ったんだ」
小人たちが口々に白雪姫に言い聞かせますが、ベッドに横たわった白雪姫は、納得いかない様子で口を尖らせます。
「だって、どこから見てもお婆さんだったのよ。顔も手も皺だらけだったもの」
「魔女の膏薬だよ。化粧みたいに肌に塗りたくると、顔も手も望んだ姿に変わるんだ」
「声もしゃがれていたわ」
「それは声を変える薬だな。一時的に望み通りの声になるんだよ」
「あの人がお母様だとしたら、どうしてわたしのいる所が分かったのかしら」
「呪いで探したんだろ。鏡とか水晶玉とかを使ってな。
あとは魔法の靴を履いて『白雪姫のいる所へ』って言えば到着さ」
小人たちは白雪姫のベッドの周りに小さな椅子を置いて座り、説明をします。
「おじさんたち、どうしてそんなに詳しいの?」
さすがに疑問を感じたのか、白雪姫が質問しました。
「俺たちゃ地霊、魔法の技についちゃあ人間よりは知識がある。
魔女のやり口も、その防ぎ方もな」
「おうよ、俺たちの家は特別製だ。魔女であれ他の魔法使いであれ、この家の中では魔法をかけられねえし、家そのものに魔法をかけることもできねえ。窓と入り口以外には、ネズミの這い出る隙間もねえ。煙突も金網で塞いでる」
「なるほど。以前、魔法の石臼を外に出して使っていたが、このせいか。
この家の中では、石臼の魔法を使うことはできないんだ」
ヤーコプが感嘆して、急いで帳面に書きつけます。
「だから姫さんよ、次に誰が来ようとも、絶対扉を開けちゃいけねえよ。
そうすりゃ魔女は手出しできずに帰るしかねえ」
そう言って、彼らのいない昼間は気をつけること、家にいる時は、扉の閂をしっかり掛けておくように約束させました。
「分かったわ。誰が来ても絶対開けない」
「前振りだな」
「前振りだよね」
グリム兄弟は当然これからの展開を知っていますので、なんとも言えないぬるい目で、白雪姫が健気に宣言するさまを見ていました。
さて、城に帰った王妃は、水と清潔な布で膏薬を念入りに落としました。たちまち元の美貌に戻ります。
身づくろいをして化粧も衣装も整えると、意気揚々と魔法の鏡に向かいました。
「鏡よ鏡、この国で1番美しい女はだれ?」
もちろん、鏡は淡々と答えます。
『王妃様、貴女は美しい。
だがあなたの娘、白雪姫は貴女の千倍も美しい』
「鏡か……。
大抵の宗教では、真実を写すことから神霊が宿るとされるが、キリスト教社会においては悪魔と関連づけるところが大きい。
鏡に映った自分に見惚れ、また他人と比較することから人間の傲慢や嫉妬を増幅させる、すなわち悪魔が誘惑する道具。虚栄の寓意ともされる。
また無生物が喋ることに違和感を持つ話者がいたのか、ドイツの類話では犬、スコットランドの類話では泉の中の鱒が透視を行って答える。鱒は明らかに、あらゆる質問に答えるケルト神話の『知恵の鮭』との関連がうかがえるが……」
「兄さん今大事なシーンだから大人しくメモしておいて」
王妃を見たまま、ヴィルヘルムが容赦なく断ち切りました。
「……わかった……」
弟に冷たくされたのが効いたのか、これ以降はしょんぼりした顔で、おとなしく帳面にペンを走らせていました。
さあ、王妃の方は、鏡に白雪姫が1番と言われて、顔色が赤になるやら青になるやら大変なものです。
「あの呪いの紐では足りなかったの……?
いいわ、もっと素敵で強力な呪いをプレゼントしてやろう」
独り言を口にしながら寝室に戻り、鏡台や小物を入れた箱からいくつも櫛を取り出しました。
それから魔女の部屋に戻って鍋にいくつかの毒らしき液体を入れ、呪文を唱えながら煮込んで凝縮させます。
その鍋に、ひとつずつ櫛を取って歯の部分を毒液にひたし、注意深く取り出しては乾かしていくのでした。
数日後、森の中の小人の家。
白雪姫が料理の支度をしていますと、扉がほとほとと叩かれました。
「こんにちは、どなたかおいででしょ? 煙突から煙が出ておりますもの。
上品な品物はお入り用じゃございません? 一目ご覧になってくださいましな」
前とは別のお婆さんの声です。
「ごめんなさい、お家に他人を入れちゃ駄目なの。
よそを当たってくださいな」
「なんの。人を入れちゃ駄目でも、お品物ならよござんしょ。
珍しい品が入りましたのよ。窓からご覧になるだけなら、よろしいでしょ?」
そう言われると、白雪姫も好奇心が勝ってしまいます。
白雪姫は言われるまま、窓の鎧戸を開けて、外をのぞきました。
そこにいたのは平民ながら洒落た旅装の、陽気そうなお婆さんです。
笑顔で籠からいくつも櫛を取り出して、よく見えるようにかざします。
美しい浮き彫りを施した香木の櫛、細かな貴石を嵌め込んだ櫛、金や銀を惜しげもなく使った櫛。
白雪姫はまたもやすっかり夢中になって、閂を外して扉を開けてしまいました。
2人でしばらく品定めをしていましたが、白雪姫がとりわけ気に入った櫛をお婆さんが手に取りました。
「お嬢さん、お目が高い。これは、見た目だけでなくて使い心地もとっても良いのよ。
試しに梳いてさしあげましょ」
お婆さんが言って白雪姫の金の髪に櫛を挿し込むと、白雪姫はあっという間にその場へ倒れてしまいました。
お婆さんは彼女を見下ろして愉悦に目を細め、
「お嬢さん、これがあなたにお似合いの櫛よ」
言い捨てて立ち去りました。
ですが、夜になって帰ってきた小人たちは、白雪姫の髪にささった櫛に気づきました。
櫛を抜くと、白雪姫はあっさりと息を吹き返したのでした。




