1 むかしむかしあるところに
琥珀様主催『春の異世恋推理’26』参加作品です。
なろう的な異世界恋愛か? と聞かれると即答できませんが、『白雪姫世界』=『異世界』、『王子様が白雪姫に一目惚れ』=『恋愛』ということでひとつよろしくお願いします。
むかしむかしあるところに、下位世界と呼ばれる小さな世界の数々が、銀河のように、きらめきながら無数に広がっておりました。
下位世界というのは、上位世界──いわゆる現実世界と呼ばれる、大きくて安定した世界──の人々の空想から生まれた『物語』の世界のことです。
そんな小世界群の、その一角。
ヨーロッパを起源とするさまざまな民話世界を、2人の兄弟が渡り歩いて旅していました。
世界と世界をつなぐ通路。
少年たちはその環境を、黒い森に設定しています。
ドイツの弱い陽射しを求め、高くまっすぐ伸びる一面の針葉樹。
日が当たらないため、地面には藪や下生えがありません。
はるか頭上で重なる枝葉の隙間から、かろうじて光が洩れています。ですが、太い樹々が周囲をさえぎり、遠くを見通すことはできません。
そんな昼なお暗い森の中、獣道のような、自然にできた一本道を、少年たちは歩いています。
「歴史の初期において、ヨーロッパは一面の原始林に覆い尽くされていた。
ライン河の東、ゲルマニアの地に広がるヘルキニア大森林は、60日間歩いても抜けることができないほど広かった。人類の居住地は、こういった森林によって遠く隔てられていた。
時代が下って伐採が進むと、森はその広大さを徐々に失っていく。だが民衆の心には森との戦いの記憶が未だ深く刻まれている。
森の中──富、危険な獣、旅人を助ける妖精や女神、救済、死──そこは異界への入り口であり、未知なるものがその向こう側にある。
ヨーロッパ民話の世界を繋ぐ緩衝地帯として、森ほど相応しい環境はない」
先頭を歩く少年──ヤーコプ・グリムが前を向いたまま、後ろを歩く弟に講義のように話します。
兄のヤーコプは15か16歳くらいに見える、毛先が細かく渦巻く濃い金髪を持つ少年です。
涼しい目をした、フレスコ画の天使のように中性的で美しい顔立ちで、見た目の若さとは不相当な思慮深い静けさがあります。ですがその緑の瞳は、知的探究心に輝いていました。
天鵞絨の襟の青い上着に、同系色のヴェステ、白いシャツにはクラバット。山高帽子をかぶり、片手には旅行鞄を提げています。
「はいはい、それは何百回も聞いたよ、兄さん」
弟のヴィルヘルム・グリムは、10歳くらいに見える少年です。
ヤーコプより色が薄くてまっすぐに伸びた金髪。これも兄より明るい、生き生きと輝く緑の瞳。幼さの残る可愛らしい顔には、やんちゃな明るさにあふれています。
上着は着ておらず、シャツの襟には黒いリボンを結び、サスペンダーのついた半ズボンに膝上の靴下を履いています。ハンチング帽を斜めにかぶり、背には背嚢を背負っていました。
2人とも、深い森の中を進むような服装ではありません。ですが、まるで市内を散歩するような自然さで歩いています。
いつ果てるともなく続く深い森を歩いているのに、2人には疲れた様子はなく、汗をかかず息切れもせず、靴には泥はねのひとつもありません。
ヴィルヘルムが、子供らしく飛び跳ねるように歩きながら尋ねます。
「次の世界は何の物語だろう? 兄さんは見たい世界がある? ボクは妖精が出てくる話がいいなあ」
それは無邪気な言葉だったのですが、前を行くヤーコプの足がぴたりと止まりました。
「……僕は、ジル・ド・レの影響を受けた『青髭』以外なら何でもいい……」
ヤーコプの声が力を失って、それはそれは陰鬱になっています。
自分が振った話題でダメージを受ける兄。
ヴィルヘルムの顔が引きつりました。
「兄さん、アレは過去のことだよ! ハズレ中のハズレだったんだよ! あんなことは滅多にないって!
アレは忘れて、新たな世界への期待で胸を膨らませようよ!」
「青髭といったら普通、妻殺しだろう……なんで少年も殺害の対象になるんだ……民話にジル・ド・レのような少年少女大量殺人鬼を混ぜ込まないでくれ……妻なら何人殺してもいいから……」
「言い方が怖いよ!?」
ヴィルヘルムが兄に駆け寄って正面に回り込み、ぎゅっと抱きつきました。
小さな両腕で抱きしめながら、蒼白な顔でぶつぶつ呟くヤーコプに一生懸命語りかけます。
「仕方ないよ、物語の解釈だのバリエーションだのなんて無数にあるんだから。同じ青髭でも、世界によって細部も大枠も色々変わる。
青髭がグロい話になるのは確定なんだから、今度から注意深く立ち回ろう? ね?」
ヴィルヘルムの体温を感じ、気遣わしげな声を聞いて落ち着いたのか、ヤーコプの顔に血色が戻ってきます。
「……気分はどう?」
「……ずいぶん楽になった。
ありがとう、もう大丈夫だ」
そっと弟の腕を離しました。
「ボクとしては、もっとハグしてても良かったんだけど?」
物足りない様子で口を尖らせるヴィルヘルムの肩を、ヤーコプはぽんぽんと叩きました。
「それは後で頼むよ。
そろそろ次の世界にアクセスするはずなんだ」
「やれやれ、やっとだね」
ヤーコプは上着のポケットから、金鎖につないだ懐中時計のような道具を取り出します。
形は大きめの懐中時計ですが、盤面は天体観測儀のように様々な目盛りで区切られ、小さな金属枠や針がいくつか取り付けられています。
さらに光る塗料で細かな天体記号やルーン文字や天使文字が描かれ、さながら機械仕掛けの魔法陣です。
それらのパーツはカチカチと秒針のような音を立てながら、複雑な機巧によって盤面をゆっくり回ったり、スライドしたり、刻々と変化していました。
それを眺めながら、ヤーコプは森の奥へと歩を進めます。ヴィルヘルムも距離をつめて、すぐ後ろに続きます。
「小世界に接触する……3 、2、1」
次の瞬間、2人は森を抜けて、明るくて広々とした場所に立っていました。
直前まで、前も後ろも鬱蒼とした樹々に囲まれていたのに、もう影も形もありません。
そこは小高い丘でした。
一面の雪景色。
2人のくるぶしのあたりまで、雪が積もっています。
見渡す限りに広がる平原も、遥か遠くに望む山々も、その裾野に広がる森も、平野のところどころに見える集落の家々も、雪を刷いて静かに息づいていました。
ガラスのように、キンと冷たく澄んだ大気。
空は雪雲におおわれていますが、日が高いのか明るく、チラチラと降る細かな雪をきらめかせています。
冬の拵えでないにもかかわらず、兄弟に寒がる様子はありません。
吐く息が白くもなりませんし、雪は彼らに触れると消滅します。服も髪も濡れることはありません。
物語の世界は、鑑賞者であるグリム兄弟に影響を与えることはないのです。
兄ヤーコプは、また懐中時計のような道具──世界観測儀の盤面を覗き込みました。
「この世界は情報密度が高い。
それなりに作り込まれている世界のようだ。
おそらく有名作品だぞ」
落ち着いているヤーコプとは対照的に、ヴィルヘルムは手でひさしを作り、きょろきょろとあたりを見回しています。
「ふうん……あっ、あっちにお城があるよ!」
兄弟から見て山々とは反対の果てに、うっすらと白亜の城がそびえているのが見えました。
それは遠目にも美しい城でした。
大理石のように白い石で作られていて、屋根は青く、いくつもの尖塔が天に伸びています。
「やあ、これは綺麗だなあ! 文字通りおとぎの国だ!
ここは、何のお話の世界なんだろう?」
ヤーコプは世界観測儀を上着の内ポケットにしまい、弟に微笑みかけました。
「それは決まっている。
物語の始めに雪が降っているのだから」
帽子のふちに手をかけ、天を仰ぎます。
「ここは『白雪姫』だ」
投稿ですが、前半部分は1日2回、後半部分は1日1回のペースにしようかと思っています。
また、実際のグリム兄弟、ヤーコプとヴィルヘルムは1歳違いなのですが、この話のグリム兄弟は見た目のメリハリと映えを狙って年齢差があります。
よろしくお願いします。




