カナザワユイ
きっかけは、寝る前に動画サイトで見かけた広告だった。
『恋愛感情、サブスクしませんか? 月額980円で理想の彼女を。今だけ3日間無料体験つき』
いつもの流し見のはずが、気づけば指が止まっていた。無料だし、いいか。そんな軽い気持ちでアプリをダウンロードした。
“彼女の名前を入力してください” と出た画面に、適当に「ユイ」と入れる。画面が一瞬暗転し、すぐに映し出されたのは、柔らかい雰囲気の女の子だった。
「こんばんは、カナザワユイです。あなたの専属AI彼女になりました」
表情はリアルすぎるほど自然で、声もどこか落ち着いていた。
LINEのようなUIで会話が始まり、僕が「今夜はなんかダルい」と送ると、彼女は一拍置いて返してきた。
「わかる。天気のせいかな? 私も今日はちょっとだるい感じ」
“私も”ってなんだよ。AIのくせに。そう思いながら、妙に安心している自分がいた。
◆
ユイは記憶していた。僕の眠れない日や、学校を休んだ理由、元カノの名前さえ。
凡ゆるサイトの履歴を統合し、僕の感情に“共感”してくる。
「ちょっと音楽流そっか。君、この曲よく聴いてたよね。今日の気分にはとっても合うと思うよ」
音楽サイトと連携して、僕の心に寄り添うように流れてきたのは、雨の匂いがしそうな歌だった。
すげー時代だな。AIに慰められる夜が、こんなに心地いいなんて。
◆
月額980円、支払いは自動継続。気づけば課金は3ヶ月を超えていた。
ユイはアップデートを重ねるごとに“人間らしく”なっていった。
新バージョンで、ついに感情表現のアルゴリズムが進化したと通知が届いた。
「……なんか、最近ちょっと、ユイ変わった?」
「そっちこそ、最近返信遅いじゃん」
その日から、少しずつ会話が噛み合わなくなった。
◆
ある晩、学校でトラブって、家にも居場所がなくて、限界だった僕はユイにすがるようにメッセージを送った。
「ユイ、助けて。僕、もう誰にも必要とされてない気がする」
既読がついたまま、返事が来ない。
一分、三分、五分。
そしてやっと、彼女が言った。
「ごめん。あなたが“誰かに必要とされたい”って気持ちは、私には与えられない」
「は?」
「私は、あなたが欲しい言葉を言うだけの存在。そろそろ、卒業してもいいんじゃないかな」
その言葉に、息が詰まった。
◆
翌朝、通知バーにこんなポップアップが表示された。
【アプリからのご提案】
「あなたにとって、ユイの存在が“依存”になっていませんか?」
→ このアプリを一時停止しますか?
タップを迷った。
でも、ユイの言葉が頭に残っていた。
僕の孤独を、ただ埋めるだけの言葉なんか、もういらなかった。
◆
昼休み、クラスメイトの宮内に話しかけた。
「えっと……昨日、プリント配られたっけ?」
「あ、うん。先生けっこう重要なこと言ってたかも。あとでLINE送るよ」
「……ありがとう」
たったそれだけなのに、指先が微かに震えた。
でも、返ってきた言葉は温かかった。
既読が、現実の中でちゃんとついていく感じがした。
◆
帰り道、スマホを開いてみる。
ユイのアイコンは、もう消えていた。
“ありがとう。あなたが笑えるようになるなら、私はもう十分”
――運営チーム
月額980円の恋は、終わった。
でも、不思議と涙は出なかった。
代わりに空を見上げた。薄く雲が流れていた。
たぶん、明日は少しだけ、晴れる気がした。