第27章: シャツの重さ
ときに、一枚の布はただの服ではなくなる。
かつて自由を象徴していたユニフォームは、今や夢や約束、そして誰にも語られぬ戦いを背負うものとなった。
足音はもはや若さの軽やかさを奏でず、静かに、だが確かに──背負う者の責任を響かせる。
選手たちの瞳に宿るのは、ただの野心ではない。そこには、恐れ、記憶、そして自分たち以上の「何か」を背負う覚悟が光る。
世界がこちらを見つめたとき、ほんの些細な動きすら、神聖なものに変わる。
そしてその瞬間、人は自問するのだ。
──「果たして、自分はこの重みに耐えられるのか」と。
少しずつ――その瞬間が近づいていた。
クロイ・カゲの選手たちは静かに、そして丁寧に試合の準備を進めていた。
黒いユニフォーム。それは、ただ“影から生まれたチーム”を象徴するものではない。
今では、それぞれの夢、仲間の想い、そして学校そのものの希望を背負う重みの象徴になっていた。
かつて自由を意味していたそのユニフォームは、今、彼らの理解を超えた責任を帯びていた。
ユウジロウはそれに気づき、ぽつりと呟いた。
「みんな、ここに来てからずっと静かで、ピリピリしてるな……エミまで様子がおかしいし」
「心配するなよ」
レオはユニフォームに袖を通しながら答える。
「やっと、自分たちが背負ってるものに気づいたんだろう」
「……どういう意味?」
「うちの学校が全国大会に、ここまで近づいたのは初めてだ」
「三年前なんて、部そのものが消える寸前だったんだぞ」
レオはそう付け加える。
「誰も信じてなかった……でも、秋葉原に勝ってから、この船は前に進み始めた」
「周囲の人たちも、少しずつ、俺たちの背中を押すようになった」
「クロイ・カゲは、“伝説の選手がいるチーム”じゃなくなった」
「今は、“東京の強豪と肩を並べるチーム”になったんだ」
「だけど、それに本人たちは気づいてない」
「クラスメートの期待が、だんだんと重くのしかかってきてることに」
「それを初めて感じてるんだ。乗り越えるしかない、自分自身でな」
「俺たち上級生にできることなんて、もうない」
レオはキャプテンマークを見つめながら、そう言った。
...
ユウジロウは何も言わず、仲間たちの目に宿る“重さ”を見つめていた。
(俺も……わかってなかったのかもしれない)
(カイも俺も、“レオを全国に連れていく”――それだけしか考えてなかった)
(でも、二年と一年の連中は、そこまでの覚悟を背負ってたわけじゃない)
(だけど……今は違う。目の色が変わってる)
(ただの期待じゃない。“先輩たちが引退する”――その現実が、彼らに重くのしかかってるんだ)
パチン!
突然の拍手が、沈んだ空気を打ち破った。
全員の視線が、一人の少年に集まる。
青い髪に、屈託のない笑顔――それは、レオだった。
「レオ…」
ユウジロウが小さく呟く。
「静かな時間を邪魔して悪いな」
レオは明るく言った。
「だけどさ、そんなに難しく考えるのは、やめようぜ」
「うん…この試合がどれほど大切か、もちろん俺もわかってる」
「だけど、それ以上に…今日、みんなの姿を見て、誇りに思ったんだ」
「最初にこのロッカールームに来たとき、俺が見たのは――」
「それぞれが自分のために戦ってる、16人の選手だった」
「ユウキみたいに才能のあるやつや、タツヤみたいなイケメンがいてさ」
その言葉に、タツヤはニカッとした自信満々の笑みを浮かべる。
「カイとエミみたいに、闘志が溢れるやつもいた」
その瞬間、皆の顔に少しずつ笑顔が戻りはじめた。
「でもさ、今日の俺には、まったく違うものが見えてるんだ」
…
「今日の俺には、“家族”が見えてる」
「お互いの気持ちを理解し合える、そんな家族だ」
「一年生は、俺たち上級生との別れに不安を抱いてくれてる」
「二年と三年は、あのバカな一年生たちが余計な重荷を背負わないか、気にかけてる」
視線が交錯する。
まるで、みんなが一つの夢を共有しているようだった。
「マスコミが何を言おうが、相手が誰だろうが、家族がどう思おうが――」
「そんなの、どうでもいい!!」
レオは声を張り上げる。
「今日だけは――みんな、羽を広げて、思いっきり楽しもうぜ!!」
「責任なんか置いていけ! ここに来るまでのお前たちのサッカーを、見せてやれ!!」
「俺たち全員を、ここまで導いたサッカーをだ!! いいか!?」
「おおおおおおおっ!!」
選手たちの叫びが、ロッカールームを揺るがす。
その声はスタンドまで響き渡り、観客たちを驚かせた。
もう彼らの目は、“抑えきれない炎”のような光ではなかった。
その炎を、自らの力として使いこなす目だった。
歓声の中、ひときわ低い声が響く。
「今こそ、俺たちがどれだけやってきたかを見せる時だな」
ジョセフが不敵な笑みを浮かべる。
初めて――その言葉に、選手たち全員が同じ笑みで応えた。
…
太陽が真上に昇り、蝉たちが一斉に鳴き始めた。
観客席は満員だ。
他校の選手たち、家族、友人、そして学校の幹部たちまでもがこの場に集まっていた。
戦の鼓動のように、太鼓の音がスタジアムに鳴り響く。
「皆さん、お待たせしました! ついにやってきました!」
アナウンサーの声が熱を帯びる。
「本日は、東京予選の最終決戦です!」
「本日、全国大会へ直接進出するチームと、沖縄でのプレーオフに回るチームが決まります!」
「現在、18点満点で首位に立つのはトーキョーアカデミー!」
「これまで無敗の完璧な戦績で、驚異の19得点を記録!」
「そして、その中心にいるのは、16歳にしてすでに10ゴールを挙げた天才ストライカー、鈴木ツバサ!」
「一方、勝ち点16で食い下がるのは、今年最大の驚き――クロイカゲ!」
「抜群のチームプレーと、才能ある選手たち、さらに一人の確かな天才を擁して、初の全国大会出場を狙う!」
「本日は、両チームが全てを懸けてぶつかります!」
「果たして、この激戦を制するのは――!?」
「王者候補のトーキョーアカデミーか!? それとも新星クロイカゲが奇跡を起こすのか!?」
「もう待ちきれません!!」
…
観客のざわめきが止まる。
視線はすべて、ロッカールームのトンネルに注がれる。
一人、また一人と選手たちが現れる。
その目は、まるで炎のように燃えていた。
先頭には――
背番号10番、キャプテンの五十嵐レオ。
そしてその向かいには――
背番号12番、ゴールを守る加藤トシロウ。
最後尾には――
背番号30番の鈴木ツバサ。
彼の視線の先には、背番号16番、西村エミ。
剣のように鋭い目をしたその少年が立っていた。
…
選手たちはゆっくりと、戦場――フィールドに散らばっていく。
コイントスの後、レオとトシロウは鋭い笑みを交わしながら握手を交わす。
主審は両ゴールキーパーの準備を確認し――
時計を見つめて…
ピーーーーーーッ!
試合開始!
トン!
クロイカゲがボールを動かす。
カイがすぐにレオを見つけてパス。
迷いもなく、レオがドリブルで前線へと駆け上がる。
スウッ!
その動きは、まるで雷のように速かった。
次々に相手選手がプレッシャーをかけてくる。
シャッ・シャッ!
だが、レオの才能は圧倒的だった。
そのドリブルはまるで幻。目で追うのがやっとだ。
シンプルなステップオーバーで、最初のラインを突破。
すぐに2人のディフェンダーが前を塞ぐ。
チッ・タッ
だが、タツヤとのワンツーで、一瞬にして突破。
ザッ!
一人の選手が激しくタックルを仕掛けてくる。
レオは顔を向けず、視界の隅で状況を察知。
インステップでボールを持ち上げ、
地面に軽く当て、ふわりと宙に浮かせた。
相手は勢いのまま突っ込み、空振り。
レオはそのまま、ボールが地面に落ちる前に体を回転させ――
まるで翼を得たかのように宙を舞い、
ゴールから30メートルの位置からオーバーヘッドキックを放つ!
ドンッ!!
…
ゴオオオオン!!
ボールはバーに直撃!
会場が一瞬、静まり返る。
その瞬間――
カイが矢のように飛び込む!
「これは俺のチャンスだ!」
「おおおおっ!!」
バァン!!
突如として現れた拳が、ボールを力強く弾き返す。
「くそっ…」
それは――
ゴールキーパー、トシロウ!
守護天使のように、そのピンチを消し去った。
「まだ終わっちゃいねえぞ!!」
レオが叫ぶ。
タッタッタッタッ!
ザッ!
今度はツバサが反応。
こぼれ球を素早く拾い上げる。
「今度は、俺たちの番だ」
スウッ!
その瞬間、レオが再び現れる。
ニヤリと笑って、ツバサの前に立ちはだかる。
「これからが本番だぜ」
「その言葉、後悔するなよ。トリックのない魔法使いさん」
ツバサは冷たい目で言い返す。
…
フゥウウウウ…
風が吹き荒れ、全てを消し去る。
その場には、2人の天才だけが存在していた。
瞳が燃えていた。
互いに、一瞬たりとも目を離せない。
小さな油断が、命取りになる。
そして――
この戦いは、まだ始まったばかりだった。




