第26章: 戦争前の平和
嵐の前に、風は止まり、空は美しく澄み渡る。
心もまた同じ。
怒り、誇り、痛み、希望——
すべてが静けさの中に閉じ込められる。
戦いとは、ただの衝突ではない。
それは、信念と信念の対話であり、魂と魂の衝突だ。
拳を交える前に、本当の勝敗は決まっているのかもしれない。
言葉一つで心が揺れ、
視線一つで火が灯る。
その一瞬の感情が、
運命の歯車を大きく回すことがある。
若さは力だが、
未熟さもまた、武器にも毒にもなる。
誤解、過信、悔しさ。
それらは全て、試練の材料だ。
そして——
静けさの中でしか聞こえない声がある。
それを聞いた者だけが、
本当の「戦い」へと足を踏み入れる。
場内の雰囲気は燃えるようだった。
そこにいた者たちの怒りは、真夏の太陽よりも熱く滾っていた。
全員がスクリーンに映し出された映像に視線を固定した。
——「次の試合に向けて、ライバルチームについてどう思われますか?」
記者が尋ねた。
「予選の行方に、観客の皆さんも期待しているようですが?」
——「期待しないでください」
少年・ツバサは冷たく答えた。
——「えっ?」
「クロイ・カゲはただの通過点です。特別な関心はありません」
——「で、ですが…彼らも今まで一度も負けていないんですよ?それでも不安はありませんか?」
記者が少し焦ったように笑いながら問いかけた。
——「ないですね」
「僕たちの目標は全国大会です。どんな相手でも、叩き潰すだけです」
そう淡々と述べた。
——「そ、そうですか……インタビュー、ありがとうございました。ご健闘を」
——「うん」
映像が途切れ、スクリーンは黒く染まった。
選手たちの顔には、抑えきれない怒りが浮かんでいた。
「何様だあのクソガキは……」
カイが歯を食いしばりながら吐き捨てた。
「早く試合来てくれよ、ぶっ潰してやる」
「口だけは達者な小僧だな」
ユウジロウが狂気じみた目で呟く。
「ユウジロウ、なんかジジくさいぞ」
レオが笑いながら突っ込む。
エミは静かにそのやり取りを見守っていた。他の選手たちもそれぞれ言葉を続けた。
「ラファエルの足元にも及ばねぇだろ」
ユキが苛立った表情で吐き捨てる。
「俺たちは遊びでやってんじゃねぇって見せてやろうぜ」
リョウが力強く笑った。
「おいおい、もう黙れっての」
ジョセフが口を挟む。
「ある意味で、あいつの言ってることは正しい。今の俺たちは、全国レベルに届いてない」
「才能だけなら、やつ一人で俺たち全員をねじ伏せる力がある」
その言葉に、全員が視線を落とした。
「だが、それこそが勝てる理由でもある」
ジョセフは鋭い目で笑った。
「どういう意味だ?」
ユウジロウが少し戸惑いながら尋ねる。
「やつには“未熟さ”がある」
ジョセフが言い切る。
「生まれ持った才能は確かに本物だ。だが、自信過剰で、失敗した時の耐性がない」
「挫折を乗り越えられない天才は、自らの才能で自滅するしかないんだ」
「なあ、レオ」
その言葉に、全員の視線がキャプテンに向けられる。
レオは小さく頷いた。
「己の傲慢さを制御できなければ、あいつは自分で自分を壊す」
そう言って、彼は苦しそうに自らの膝に視線を落とした。
「俺は、それを血を流して学んだ……お前たちがいなかったら、とっくに泥の底に沈んでた」
「やつにも、きっとそんな瞬間が来る。現実という名の衝撃が、やつを見回させるだろう」
レオの壊れたような目を見て、誰もが言葉を失った。
「だが、それは運次第だ」
ジョセフが続けた。
「ツバサがこの試合で自分を超えられたら……誰も止められなくなる」
「だが、俺たちはそこに賭けるしかない」
「――お前ら、それでも行くか?」
ジョセフの問いかけに、選手たちは一斉に顔を上げた。
その目には、消すことのできない炎が宿っていた。
彼らは、自分たちの夢をその一手に賭けていた。
同時刻、東京アカデミーのグラウンドでは――
ツバサはうつむいたまま、キャプテン「加藤トシロウ」の鋭い視線を受けていた。
「……あんな発言、どういうつもりだ?」
トシロウが苛立ちを隠さずに問い詰める。
ツバサは目を逸らし、ぼそっと呟いた。
「何のことか分かりませんけど」
「とぼけるな、このバカ!お前、自分が何言ったか分かってんだろ!」
「さっぱり〜」
バシッ!
乾いた音と共に、ツバサの頭に拳が落ちた。
「いってぇ〜!」
トシロウはため息をつき、肩をすくめて言った。
「本当に……お前には手を焼くよ」
「やっぱり、あのインタビューに一人で行かせるんじゃなかったな」
「ほらほら、それならキャプテンの責任じゃん〜」
「うるせえ、黙れ」
トシロウはベンチに腰を下ろし、天井を見上げながらつぶやいた。
「言いたいことをそのまま口にするな、馬鹿者」
「でも本当のことだもん。俺らはあいつらに興味ないし」
ツバサは肩をすくめて続ける。
「全国に行けるようなチームだけを見てる」
「もし彼らが勝ち進んで全国の舞台に立てば、その時に注目すればいい」
「たとえそれが本心でも、言っていいことと悪いことがある」
「お前には注目が集まってるんだ。少しでも隙を見せたら、イメージを叩こうとする奴らばかりだ」
「……ごめんなさい」
トシロウはツバサの方を向いた。そこには、本気で反省している少年の顔があった。
「俺じゃなくて……相手に謝れよ」
「レオは、たとえ本調子じゃなくても侮れない。油断すれば痛い目を見るぞ」
「でも俺らが勝つ。必ず勝って、全国に行く」
「……そして、俺がチームを代表して日本代表まで引っ張っていく」
その言葉に、トシロウは小さく笑いながら答えた。
「……ありがとな、考えてくれてよ」
...
数日が経った。
太陽は再び空の頂に登り――
これまで以上の熱気と歓声が会場を包んでいた。
試合会場は広大で、近代的な設備が整った巨大な複合施設だった。
そのスケールに、クロイ・カゲの選手たちは思わず苦笑いを漏らした。
「なんか……このチームに所属してもいいかも」
レオが冗談混じりに笑う。
「……ここ、本当に学校か?」
ユウジロウが呆れたように呟いた。
しかし、すぐに空気が張り詰める。
彼らの目の前を、例の天才とキャプテンが通り過ぎていった。
全員の視線がその少年に集中する。あの発言は、彼らの誇りを傷つけていた。
怒りに満ちた眼差しが向けられる中、唯一その表情を崩さなかったのは――エミとレオだった。
レオの視線はトシロウに向き、エミは景色を眺めたまま。
「久しぶりだな、レオ」
トシロウが手を差し出す。
レオも穏やかに握手を返す。
「面白い試合になるといいな、トシロウ」
「フッ……それはどうかな」
トシロウはクロイ・カゲの選手たちに目を向けながら、薄く笑った。
「心配するな。いい奴らさ」
「それに……お前の子分の発言には感謝してるよ。いいモチベーションになった」
「……ご、ごめんなさい」
ツバサが小声で謝る。
「ん?なんて言った?」
「ごめんなさい……」
「もうちょっと大きな声で」
「ごめんなさいっ!」
「ははっ、いや、もういいって、ツバサ」
その瞬間、レオの目が冷たく鋭く光った。
「……後悔しないといいけどな」
その一言に、ツバサの背中を寒気が走る。
——これが、“恐怖”か。初めて感じた。
「……冗談だよ、冗談〜」
ツバサが笑ってごまかす。
「でも、手加減はしないからな」
「俺たちも……全国を心の底から目指してるんだ」
トシロウの顔に、穏やかな笑みが浮かんだ。
「……健闘を祈るよ、レオ」
「そちらもな」
クロイ・カゲの選手たちは静かにロッカールームへと歩みを進めていた。
その背中を、あの二人がじっと見つめていた。
「……怖いな」
ツバサが不安そうに呟く。
「……ああ。アイツは一流の“操り人形師”だ」
「言葉を鵜呑みにしない方がいい」
ツバサの表情が一瞬で変わる。
そのすぐ横を、エミがまるで何事もなかったかのように通り過ぎていった。
「エミ、早くしろ〜!」
遠くからレオの声が響く。
「は〜い!今行く〜!」
...
「……あの子、誰?」
「彼?さあ……たぶん新入りじゃない?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「……怖いんだよ、なんか」
「え?どういう意味?」
「アイツから……何か、恐ろしいものを感じる」
「ちょっ、なにそれ〜冗談でしょ?」
「……いや。あの目……あの雰囲気……」
「……もう、壊れる寸前に見えるんだ」
その言葉と共に、ツバサの頬に一筋の汗が流れるのを見て――
「……監視をつけよう」
トシロウはそう静かに呟いた。
「レオ……お前はいったい、どんな“化け物”を連れてきたんだ?」
ツバサとレオが談笑する姿を遠くから見ながら、彼はそう問いかけた。




