第24章: 聖人
極限の熱気。
灼けるような太陽。
張りつく汗、重い呼吸。
静まり返るロッカールームで、蝉の声だけが響いていた。
敗北ではなく、沈黙が選手たちを支配する。
目を閉じれば、浮かぶのは、あの鉄壁の守護神の笑み。
それはまるで、神の領域に触れた存在のようだった。
もう希望はないのか?
心のどこかで、誰かがそう問いかける。
だがその時、少年の笑い声が闇を裂いた。
汗まみれで傷だらけの彼は、まるで太陽のように笑った。
それは言葉ではない、鼓動だった。
そして、その鼓動がチームに命を吹き込んだ。
「まだ終わっていない」と。
「ここからが、俺たちの物語だ」と。
勝利とは、技術ではなく、魂の炎。
そして――
“聖者”に立ち向かうためには、
同じく神域に足を踏み入れる覚悟が必要だった。
呼吸はこれまでになく重たく感じられた。
暑さは影の中ですら肌を焼き尽くすようだった。
蝉の鳴き声が、静まり返ったロッカールームを包み込む。
そして、選手たちの表情は、どこか虚ろだった。
―――
福民先生はロッカールームを歩き回り、冷たいタオルを一人一人に渡していた。
ジョセフの表情には明らかな焦りが浮かんでいた。
「この状況は本当に持たないな――選手たちは汗だくで、息も絶え絶えだ。」
「気温はどんどん上がっていく…しかも、前半45分間ずっと走りっぱなしだ。」
「それだけじゃない…。シンジロウは、セーブで試合のテンポを完全に掌握している。」
「これはただの勝ち負けの話じゃない。彼らも俺たちも、命を懸けてる。」
「ここで全てを賭けて全国を目指すべきか、それとも先を見て堅実に行くべきか…?」
「……くそっ。」
―――
ロッカールームの片隅で、レオはその様子を見ていたが、何も言わなかった。
「今、何を言ったところで意味はない。」
「外からチームを導くことなんてできない。それに、相手はあの天才だ。」
「――あの笑顔は嘘じゃなかった。」
(ゴール前でのシンジロウの姿を思い出しながら)
「今の彼は、まさに絶頂期にある。」
「――ゴールを奪うなんて、無理だ…。」
―――
そんな迷いの霧の中、ふと無邪気な笑い声が響いた。
選手たちは皆、驚いたようにエミを見た。
傷と汗にまみれた体で、それでも彼は満面の笑みを浮かべていた。
「エミ……」とレオがつぶやく。
「これ、めっちゃ楽しいな」
エミは体を伸ばしながら言った。
「キャプテン、これが…全国大会のレベルなんすか?」
「…あ、あぁ…」
「最高だな…こんな強いやつらと戦えるなんて」
その瞳には、凄まじい炎が宿っていた。
その一言で、皆の顔にも次第に笑みが戻っていった。
「お前は…まったく、いつもそうだな」
レオは笑いながら思った。
「こういう時に限って、俺が間違ってるって気づかせてくる。」
「困難なときでも笑顔を忘れない――そんな力を持ってる奴だ。」
(ジョセフも内心でつぶやく)
「どうやら…このチームには“魔法使い”が一人じゃないようだな。」
―――
「みんな!」とレオが力強く叫ぶ。
「全部出し切ってこいよ! 何も残すな!」
「この暑さも、相手の天才も、全部ぶつかっていくのが…俺たちのサッカーだろ!」
選手たちは、力強くレオを見つめ、笑顔でうなずいた。
そのとき、ジョセフが一歩前に出て、頭を下げた。
「…すまなかった。」
突然の謝罪に、ロッカールーム中が静まり返る。
「監督…?」
「俺はまた、重大な過ちを犯すところだった。」
「でも、君たちが…それを正してくれた。」
「たしかに、サッカーは時に残酷で、恐ろしいものだ。」
「だからこそ、俺は何者にもなれなかった。怖かったんだ、失敗するのが。」
「だけど、君たちは違う。失敗を恐れず、未来を恐れず…全てを懸けている。」
「その瞳には、俺にはなかった“覚悟”がある。」
「だから、君たちの意志に応えたいと思う――心から。」
ジョセフはレオの方へ顔を向け、しっかりと目を見て言った。
「へっぽこキャプテン、あとは任せたぞ。」
レオの顔に、力強い笑みが広がった。
「…任せてください!」
観客席の騒音は耳をつんざくほどだった。
誰一人として席を立たず、会場全体が第二ラウンドの幕開けに胸を躍らせていた。
ざわめきが広がる中、選手たちがロッカールームから姿を現す。
―――
「やっと…出てきたか」
シンジロウが自信に満ちた笑みを浮かべてつぶやいた。
「聖人が子羊たちを苦しめてるって話を聞いてさ」
レオは笑いながら返した。
レオはゆっくりとキャプテンマークを腕に巻き直した。
灼熱の太陽の下で、「1」と「10」が並び立つ。
それはかつての仲間ではなく、互いを打ち砕くために存在する“宿命のライバル”だった。
―――
「皆さん、お待たせしました! 再び始まります、黒い影とブラックストロームの一戦!」
「長いハーフタイムを経て、両チームがピッチに戻ってきました!」
「ブラックストローム側には交代はありません。」
「しかし、黒い影はついにその天才を解き放ちました!」
「不可能なトリックの使い手、イガラシ・レオの復帰です!」
その瞬間、スタジアム中が歓喜の声で揺れた。
「行け、レオーッ!」
「超かっこいいー!」
「レオー! サインちょうだい!」
「お姉ちゃん紹介するよー!」
仲間もライバルも、その復活を注視する。
誰一人として瞬きすらできなかった。
これは、二人の天才の衝突だった。
―――
フィールド上では、レオの仲間たちがキャプテンを中心に円陣を組んだ。
「遅れてごめん、みんな。」
「いいさ、レオ。お前はいつもギリギリでカッコつけるのが好きだろ?」
ユウジロウが笑いながら言う。
「主役の舞台はお前に譲るさ、天才くん」
タツヤが続ける。
「でもな、俺はそんなに甘くねぇぞ。必要とあれば、主役の座もいただくからな」
カイは軽く笑いながら宣言した。
「くそったれどもめ…」
レオは苦笑しながら呟いた。
そして全員が肩を組み、静かに円陣を締める。
その表情は、真剣そのものだった。
―――
「俺たちが積み重ねてきた全てが、今日で終わるかもしれない…」
レオは少し苦笑を浮かべながら語り始めた。
「…正直、怖い。」
「負けることじゃない。お前たちともう笑い合えなくなるのが、怖いんだ。」
仲間たちは目を丸くした。
「ユウジロウやカイのくだらねぇ話が聞けなくなるのが怖い。」
「エミがボールを蹴るたびに輝くあの瞳を見れなくなるのが怖い。」
「この“家族”を失うのが、何より怖いんだ。」
―――
「でもな、安心しろ。」
「…え?」
「そんなこと、絶対にさせねぇよ。」
レオは力強く笑った。
「俺が…必ず守る。勝つのは、俺たちだ。」
「おおおおおっ!!!」
皆が叫び、拳を掲げる。
―――
ピッチの向こう側で、シンジロウはその様子を見て苦笑した。
「いつでも来いよ。俺のゴールを抜ける奴なんて、誰一人いねぇよ。」
―――ピーーーーッ!
後半戦が開始された。
ブラックストロームの選手たちは、一気にスピードを上げてボールを回し始める。
だが、黒い影の選手たちは一瞬も迷わず、激しいプレッシングをかけた。
相手が前線へパスを出そうとすれば、そのすべてのスペースを塞いでいく。
ザッ!
リョウが鋭いスライディングでボールを奪い、カウンターを開始。
トン!
素早くボールをタツヤへ送る。
タツヤは一切迷わず、“あの男”を探した。
レオがボールを受けたが、すでに背後には2人のDFが迫っていた。
「悪くないな…」
レオはほんの少し前方へ動き、DFを引きつける。
その瞬間、レオの目線がエミと交わる。
レオはボールをタツヤへ戻す。
まるでネットワークのように、3人の意識が繋がった。
レオがDFを引きつけ、スペースを生み出す。
その意図を理解したタツヤは、完璧なスルーパスを送る。
そして、エミが矢のように走り込み、フリーでボールを受けた。
―――
「黒い影の見事な連携だ!」
「ニシムラが一気にゴール前へと迫っていく!」
DFが全速力で詰めにくる。
トン、トン!
ユウキとのワンツーで再びボールを受け、エミは相手DFの裏へ抜け出す。
―――
「ニシムラ、サイドライン深くまで切り込んだ!」
「顔を上げて中を確認――クロスの体勢だ!」
「アマリとツキシマがエリア内へ猛然と突入!」
パァン!
完璧なクロスが放たれた。
シンジロウが一歩前に出る。
「このエリアは俺のもの。許可なき者は通さない。」
ボールはやや曲がりながら飛んでくる。
「なっ…!」
シンジロウは即座に体をひねり、驚異的なフットワークでボールに飛びつく!
指先でわずかにボールを触る。
カァン!
ボールはポストに弾かれ、フィールド外へ。
「うおおおおおっ!」
観客たちは頭を抱えて悔しがる。
「マジかよ…」
レオは驚きを隠せず呟いた。
シンジロウは地面に伏したまま、エミを鋭く見つめる。
(こいつ…ヤバい。眠れる天才ってやつか。)
エミは息を切らしながら立ち上がり、視線をそらさずにそのままシンジロウを見返した。
その瞳は、まさに“天才”に立ち向かう者の目だった。
―――
「黒い影が再びコーナーキックの準備に入る!」
エリア内では選手たちが押し合い、引っ張り合い、ポジション争いが激しさを増す。
バンッ!
タツヤのキックがエリア内へ飛ぶ。
だが少し短く、ファーまでは届かずニアサイドへ。
その瞬間、ジロウがニアでヘディングし、ボールの軌道を変える!
ボールは選手たちの間を抜け、セカンドポストへ…
ザッ!
稲妻のように、リンがディフェンスの間をすり抜けて現れる!
彼は足を伸ばし、かすかにボールに触れた!
そのボールがゴールへ向かって飛ぶ!
だが…
シンジロウは驚異的な反応で跳び上がり、片手で弾き出した!
ボールはサイドへと飛び、そのまま味方DFが長いクリアを放つ!
「行くぞ!」
―――
ボールは高速で黒い影のディフェンスラインの背後へと飛んでいく。
だが、そこにいたのはエミ。
素早くポジションを取り、ボールを収めた。
(…こいつ、本当に疲れねぇのかよ)
シンジロウは歯を食いしばりながら睨みつける。
時間は刻一刻と過ぎていく。
次々とチャンスが生まれる。
レオやタツヤによるミドルシュート。
カイやイェンの強烈なヘディング。
リョウやユウキの個人技。
エミの奇想天外な発明。
だが――
あの“聖人”は、すべてのチャンスを打ち砕いていった。
―――
「残りわずか!黒い影が最後のチャンスに賭ける!」
「主審は時計を確認し続けている。時間が…削れていく!」
黒い影の全選手が相手ゴール前に集結した。
GKまでもが上がる。
「通すな!絶対に守り切れ!」
「このワンプレーにすべてを懸けるぞ!」
「キッカーは8番、斎藤タツヤ!」
「このプレーに危険性がなくなった瞬間、あるいはボールが外に出たら即座に終了――」
そう主審は両キャプテンに伝える。
「マークを離すな!」
「最後だ、出し切るぞ!!」
・・・
時間が止まったかのように、観客席は沈黙に包まれた。
脚は鉛のように重い。
タツヤが深く息を吸う。
そして――
覚悟を込めたクロスが、エリア内に飛び込んだ。
押し合いへし合いの中、誰もがその一点を狙って空中戦を挑む。
―――ドンッ!
レオの強烈なヘディング!
だが――シンジロウも、全力で跳び上がり、パンチングで弾き返す!
ボールはなおも空中に――
カイが華麗にオーバーヘッドキック!
放たれたボールは、もはやシンジロウの届かないコースへ飛ぶ。
・・・
だが、その瞬間――
DFの一人が身体を投げ出して、頭でクリア!
ボールはペナルティエリア手前にこぼれる。
リンが反応してシュートを放つ!
しかし…相手の密集した壁に弾かれる!
「くそっ!」
ボールはエリアの外側、誰もいない場所へ――
主審が時計を確認し、笛を口に近づける――
・・・
ザシュッ――ドン!
エミが、まるでガゼルのように走り込み、落ちてきたボールに思い切り合わせる!
DFがスライディングでブロックを試みるも、届かない!
シンジロウがよろよろと立ち上がる。
その一歩ごとに体のバランスを崩すが――
最後の力を振り絞り、飛びつく――!
チンッ!
ボールは彼の指先にかすかに触れる――
・・・
ドスンッ!
だが、ボールはそのままゴールネットを揺らした。
―――
「ゴォォォォォル!!」
「ゴール!ゴール!ゴール!!」
スタジアム中が歓喜の雄叫びで揺れる!
「黒い影がついに決めた!決めたのはニシムラ・エミ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
エミは雄叫びを上げながらコーナーフラッグへと駆け出す!
シャツを脱ぎ、両腕を振り回しながら、喜びを爆発させる!
その光景はまるで街全体を揺るがすような騒ぎだった。
―――
シンジロウとその仲間たちは、疲れ果ててその場に崩れ落ちた。
呼吸もままならない。
「左サイドバック・ニシムラの素晴らしいシュート!」
「冷静かつ力強い一撃で、この試合唯一のゴールを叩き込んだ!」
仲間たちはエミに殺到し、歓喜のハグと祝福の拳を浴びせる。
エミの雄叫びが、フィールド中に響き渡る。
・・・
クロイカゲは、やり遂げた。
―――
試合終了:
黒い影(Kuroi Kage) 1 – 0 ブラックストローム(Black Strom)




