第20章: 反則
戦いは、剣で行われるとは限らない。
力ではなく、知恵で決まることもある。
そして、目に見えないその戦場では、
最も強いのは、「いつ動くべきか」を知る者だ。
プレッシャーは人を壊すだけではない。
それは本性を暴く。
震える者もいれば、
震えながらも前へ進む者もいる。
勝負は、大声で勝つものではない。
沈黙を聞き取れる者が制すのだ。
待つ者、見つめる者、
そして最後の一手を準備する者――
混沌の中で、
すべての音が希望をかき消すその瞬間、
真の魔術師は、
最も恐ろしい切り札を取り出す。
誰も予想しない手。
試合を変える一手。
スタンドから鳴り響く太鼓の音は、まるで戦の鼓動のようだった。
スタジアム全体が煮えたぎる釜のように熱気に包まれていた。
叫び声、太鼓、花火…。
その圧倒的な光景の中で、黒い影の選手たちは言葉を失っていた。
「ビビるなよ!」
ユウジロウが真っ直ぐ前を見つめて叫ぶ。
「おいバカ、手が震えてんぞ」
隣にいたアキラが小声でつぶやく。
それを聞いた仲間たちは、苦笑しながらも少しだけ緊張が和らいだ。
この試合が、これまでとはまったく違うことを彼らは感じ取っていた。
そして、ベンチの一番奥には——
未だに決着をつけたい“天才”が、静かにその瞬間を待っていた。
…
「さあ皆さん、ようこそ!本日は東京予選の注目カードをお届けします!」
実況の声がスタジアムに響く。
「本日の試合は、どちらのチームにとっても決勝への運命を握る大一番!」
「勝ち点7の渋谷ウォーリアーズは、全国大会出場をかけて絶対に勝ち点3が欲しいところ!」
「一方、勝ち点10の黒い影は、前回の敗戦で首位から落ちたものの、
今日勝てば全国の切符を大きく手繰り寄せることができます!」
「両者ともに、全国への夢を追い、まさに血を流してでも勝ちに行く覚悟です!」
「そして今日一番の話題は……」
実況が満面の笑みで続ける。
「なんと!あの“魔術師”が数年ぶりにベンチに戻ってきたんです!!」
観客席は大歓声に包まれた。
だが、当の“魔術師”にとって、そんな声援はどうでもよかった。
彼の本当の“悪魔のトリック”は、まだ誰にも知られていないのだから。
…
主審が両チームのキャプテンを中央に呼び、
コイントスのあと、中央サークルにボールが置かれる。
「ピイイイイイッ!」
「さあ試合開始!ボールを動かしたのは黒い影!」
黒い影の選手たちは、息の合った連携でボールを回し始める。
だが、相手は無理に取りに来ず、様子を見ているだけだ。
「この立ち上がり…やはりな」
ジョセフは静かに考える。
「才能はないが、冷静なチームだ。狙いを定めてから一撃を仕掛けるタイプか…」
ボールは矢のように次々と選手から選手へと渡っていく。
相手に触れる隙さえ与えない。
「えっ…何これ?」
エミが自分の体を見つめながら驚く。
「まるで飛んでるみたい…体が羽のように軽い。」
「でも、ちゃんと…コントロールできてる。」
彼の放ったロングパスは、完全にフリーのリョウの足元へと収まった。
「俺のターンだ!!」
リョウはまるでガゼルのようにフィールドを駆け上がる。
その動きはしなやかで、まるで魔法のようだった。
彼の足元にあるボールは、まるで消えたり現れたりしているようで、
敵はどこに抜けられるのか予想すらできない。
左へ、右へ、また左へ。リョウは止まらなかった。
だが——
「ドガンッ!!」
突如、列車のような勢いで突っ込んできた相手選手に体ごとぶつかられ、
リョウはサイドのフェンスに激突した。
あまりの衝撃に、黒い影の選手たちは呆然と立ち尽くす。
その場で立ち上がった敵の選手が冷たく言い放つ。
「調子に乗るなよ、ガキ。」
「な、なんという激しいチャージだぁーっ!渋谷の26番、容赦ない!!」
実況の声にも驚きがにじむ。
「明らかなファウル!しかし、イエローカードに不満の表情を見せる26番!」
「リョウ、大丈夫か!?」
エミが目を見開いて駆け寄る。
「だ、大丈夫だよ…」
リョウは苦しそうに答えながら、ゆっくりと起き上がった。
「7番、続けられるか?」
「……うん、大丈夫です!」
…
エミは手を差し伸べて聞いた。
「大丈夫か?」
「うん、大したことないさ。」
リョウの目に燃える闘志を見て、エミは微笑んだ。
「どうやら、あいつらも容赦する気はないみたいだな。」
「そうだな。でも…俺たちも黙ってやられるわけにはいかないよな?」
リョウはニヤリと笑って言う。
「もちろんさ。」
エミも笑って応じる。
「相手がどんな手を使ってこようが…俺たちは“同じ方法”で返すまでさ。」
二人の視線は、一点を見据えていた。
——北丹将太。
…
試合は黒い影のフリーキックで再開される。
タツヤがキックの準備をしている間、ペナルティエリアではすでに激しい押し合いが始まっていた。
主審の目の前で、選手たちは身体をぶつけ合い、ボールを奪うためなら何でもする覚悟だ。
「取らせるなよ!」
渋谷のゴールキーパーが怒鳴る。
主審の笛が鳴り、タツヤが完璧なキックを放つ。
ボールは空中を美しく描きながら、まさに理想的な高さでエリア内へと届いた。
その瞬間、エンは地面を蹴って高く跳び上がる。
まるで天空の守護者のように、他の選手たちはその姿を見上げるしかなかった。
…
だが——
その翼は突然、もぎ取られた。
天を見上げていたその目は、地獄へと引きずり下ろされる。
渋谷の選手2人が、ジャンプ中のエンに体ごとぶつかり、バランスを完全に崩させたのだ。
「っ!!」
エンは無防備なまま落下し、炎のようなグラウンドに激しく叩きつけられた。
その衝撃に、スタジアム中が静まり返る。
しかし——
主審は、何の反応も示さなかった。
誰もがファウルだと確信する中、観客席からはブーイングと罵声が飛び交う。
まるでエンが“シミュレーション”をしたかのように。
…
「ふざけんなよ、審判ッ!!」
タツヤが怒りを爆発させる。
「今の見えなかったのか!?明らかにファウルだろうが!」
その瞬間、主審が笛を吹く。
タツヤは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「やっとか…」
だが、その直後——
「えっ……?」
彼の目の前に掲げられたのは、イエローカードだった。
「な、なんだと!?」
混乱したままのタツヤに、実況が声を上げる。
「な、なんと…!今の危険なプレーに対し、主審は全く動かず、逆に黒い影の8番にイエローカード!」
「これはさすがに理解不能な判定です!」
黒い影の選手たちは、一斉に主審へ詰め寄り、説明を求めて叫ぶ。
だが、主審はその声を完全に無視していた。
…
一方、ペナルティエリアの端で、ユキが倒れているエンを手助けしていた。
「大丈夫か?」
「うん…ただ、背中がちょっと痛いだけ。」
「くそったれどもめ……」
ユキは憤りを噛み殺すように言った。
「もはや演技すらする気ねぇな。」
「それが、あいつらの“全て”さ。」
エンは相手を見つめながら笑った。
「だったら、俺たちはサッカーでねじ伏せるだけだ。」
「フッ…こんなの、サッカーって呼べるかよ。」
ユキが乾いた笑いをこぼした。
試合の抗議にも関わらず、試合は続行された。ボールはシブヤ・ウォリアーズの足元へ、ロングボールが蹴り出される。
ボールは大きな放物線を描いて宙を舞い、シブヤの選手たちは空中戦を挑む――しかし、その頭上を再び燕が舞った。
勝てないと悟った敵の選手は、イェンの体に軽く体当たりした。すると彼は風を切るような大げさな叫び声を上げて地面に倒れ込んだ。
困惑するイェンだったが、なおもボールを奪取。しかし、1メートルも進まないうちに笛の音が響いた。
「なっ…?」
「危険なプレーだ、9番」と主審が言い放ち、イエローカードを提示する。「次は退場だぞ」
「…冗談だろ…」とイェンは皮肉な笑みを浮かべた。
「何か言ったか?」
「いや、別に…」
その頃、最終ラインからキタニ・ショウダは誇らしげな笑みを浮かべ、全てを見ていた。
「技術では敵わないが、ずる賢さでは負けない」
「勝つためなら、どんな手だって使う。俺たちのようなチームだって、全国を狙えるって証明してやるんだ」
「天才も才能もいらない。必要なのは根性だけだ」
「昔と同じように、また天才どもを黙らせてやる」
「一人ずつ潰す…」
「そして全国大会で、あの野郎を叩き潰すんだ。ケイスケ…お前に壊された夢の仕返しだ」
「その前に――お前をもう一度潰してやる、レオ」
――――
時間は刻々と過ぎていく。
タックル、ファウル、カードの嵐。カードの枚数も、明らかに一方に偏り始めていた。
身体をぶつけ合う激戦の中、どちらのチームにも得点は生まれない。
45分を過ぎた頃、主審は時計を確認し、笛を吹いて前半終了を告げた。
シブヤの選手たちは歓声に迎えられ笑顔でロッカールームへ戻っていく。
一方、クロイ・カゲの選手たちは、罵声と痛みの中、俯いてロッカールームへと消えていった。
そして、その疲労は、ロッカーで明確になる――
呼吸は重く、冷却スプレーを吹きかけながらも、立つことすら辛そうな様子だった。
その姿を見て、ジョセフは不意に笑い出した。
「お前らの顔、ひでぇな」とクスクスと笑いながら呟く。
……
誰も言葉を返さず、歯を食いしばるしかなかった。
ジョセフの表情が一変し、真剣な声で語り始める。
「…本気でサッカーが楽なものだと思ってたのか?」
「もしそうなら、大きな間違いだ」
「サッカーは、そんなに綺麗なスポーツじゃない」
「もっと…ずっと、暗くて痛みを伴うものだ」
「怪我、不安、トラウマ、プレッシャー…世間が言う"美しい"サッカーなんて幻想だ」
「悔しいか? こんなのサッカーじゃないって思ってるか?」
「だがな、それが現実だ。いつだって、また起こりうる」
「人生と同じ。良い奴も悪い奴もいる。常にフェアな世界じゃない」
「裏では力を持った奴らの思惑が渦巻いてる。考えたくもないようなことだって、ある」
「中学サッカーは、まだ誠実であるべき場所だが――そうじゃない奴も、必ずいる」
「今まさに、その相手が前にいる。そして、時間が経つごとに、奴らは勢いを増している」
「だがな、止められる方法は――ある」
その瞬間、選手たちの目に宿る炎が燃え上がる。
「止められるのは、お前たちだけだ」とジョセフは全員を見渡しながら言い放つ。「証明してやれ。お前たちの方が上だと」
「ただ流れに乗るな。ぶっ壊せ」
「連中が勝利を確信したその瞬間――それが“仕掛ける”タイミングだ。さあ、マジシャン…お前の出番だ」
全員が一斉に、ロッカールームの扉を見つめた。
そこから現れたのは、世界を照らすほどのまばゆい光――
深淵のような漆黒のユニフォームに輝く、プラチナの「10番」。
青い瞳は、静かなる闘志に満ち、燃えるような炎を宿していた。
ついに…魔術師の奇跡が、ピッチに現れる。
「はい、監督!」




