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第15章: 血の契約

見える傷もあれば――

時さえ触れることのできないほど深く隠された傷もある。


夢が砕ける時、音はしない。

あるのはただ、どんな叫びよりも痛む重い沈黙だけ。


それでも痛みの中で、立ち上がる者がいる。

簡単だからではない。

置き去りにできない約束があるからだ。


その契約に紙も、インクも必要ない。

必要なのはただ――視線。

共に刻まれた傷。

そして決して諦めないという願い。


血で築かれた基盤は、

雨にも――

恐怖にも――

決して崩されはしない。

東京の空は、夕焼け色に染まっていた。


そのやさしいオレンジの光は、病院の窓から穏やかに差し込んでいた。


──けれど、そのやさしさは、

ベッドに横たわる一人の少年の心には届いていなかった。


彼の瞳に宿るのは、ただ、闇と痛み。


「バカヤロウ……!

だから言っただろ、完治するまでは中学サッカーなんて忘れろって……!」


イガラシ・タケル──レオの父が、苛立ちを露わにする。


「10ヶ月以上のリハビリが、全部これか……

少しは自分の将来を考えろよ、レオ。」


ベッドの上、脚にはギプスと包帯。


レオはただ、虚空を見つめていた。


その沈黙にため息をついたタケルは、何も言わず病室を後にした。


残されたのは、うす暗い部屋の中。

夢を失いかけた──魔術のない“魔術師”。



しばらくして、静かに扉が開く。


言葉を発することなく、ユウジロウが部屋に入ってきた。


彼は何も言わず、レオの横に腰を下ろす。


……


「……ずっと黙ってるつもりか?」

レオが珍しく困ったように聞いた。


「何を言えばいい?

俺の言葉でケガが治るわけでもねぇし。」


「……お前、冷たすぎ。鬼かよ。」


「俺? はは、いやいや、超優しいっしょ。」


そう言って、なぜか天使のように光り輝くポーズをとるユウジロウ。


……


そのくだらなさに、レオが思わずふっと笑った。


「……バカ。」


「ん? 今なんか言った?」


「いや、別に……」


視線を逸らしながら、レオがつぶやく。


……


「で? なんで来たんだよ。」


「特に用はない。ただ、お前の顔が見たくてな。」


「ふーん……ま、少なくとも生きてるとは言えるか。」


「だな。」



そのとき。


──ポスッ。


「いてっ!? なんだ今の!?」


飛んできたのは──チョコパンだった。


「……食え。」


「これ……」

レオはパンを手に取り、不思議そうに見つめた。


「お前、毎日これ食ってるだろ。

見てたら、結構好きそうだったからよ。」


(……いつの間に?)

レオの脳裏に「観察されてた」疑惑がよぎる。


「食って、元気になれ。

……またピッチに戻ってこい、天才。」


「……簡単に言うなよ。」


「いくらでも待つさ。」


「……は?」


「お前がピッチに立ってるのを見たとき、確信したんだ。

お前はただの“魔術師”じゃない。

このチームの中で、誰よりも──サッカーを愛してる。」


ユウジロウはあの時見た、星よりも強く輝いたレオの“青い瞳”を思い出していた。


「……ま、ちょっと“執着”ってレベル超えてる気もするけどな。

もはや変態?」


「はあ!? お前今、何か失礼なこと言ったよな!?」



──次の瞬間。


どこからか、大量のチョコパンが投げ込まれ、レオの上に降り注ぐ。


レオはパンの山に埋もれながらも、

その中で、誰にも見せたことのないような──静かで、誇りある笑みを浮かべた。


「……必ず、戻ってくるよ。」


(もう、俺だけの夢じゃない。

あのオヤジに“俺は諦めない”って証明するため。

あの笑顔を、フィールドでもう一度見るため。

俺のプレーを待ってくれてるやつらのため──

そして、こいつ。

このチョコパンの悪魔のためにも……)


(俺は、必ず戻る。誓うよ。)


レオはそのパンに、全ての想いを込めて──

強く、噛みしめた。


──────


ここ数日、いや──


ここ数晩、レオは止まらなかった。


食べて、リハビリに行き、体を鍛える。

汗を流し、息が切れ、痛みに顔を歪め、

夜には誰にも見られないように涙を流した。


それでも──決して、立ち止まらなかった。


彼が本当に恐れていたのは、

痛みじゃない。


「諦めること」だった。


レオはまだ──夢を、見たかった。



雨が降る午後。

黒いクロイカゲの仲間たちはグラウンドで練習に励んでいた。


その横で、レオは一人ベンチに座り、

仲間の動きを一つひとつ観察していた。


ほんの小さなステップ、視線の動き、パスのタイミング。


彼の目は一瞬たりとも逸らさなかった。



練習が終わり、選手たちは荷物をまとめて帰ろうとする。


その時、レオが声をかけた。


「キャプテン、まだ遅いよ。

……俺が渡した“プラン”、ちゃんと試してるか?」


「……ああ、あの紙? あれならゴミ箱に捨てたかも。」


「キャプテン、それは本当に大事なんだ。

言われた通りにやれば──全国大会も、夢じゃない。」


「また“天才”の戯言かよ。」

エイコウが重たいため息をつく。


「違う。これは“目標を叶えるための”完璧な戦略なんだ。」


「……“俺たちの目標”? いつからそんな話になった?」


そう言って、トベがゆっくりとレオに近づき、

威圧的にその前に立ちはだかる。


その様子を、ユウジロウとカイが黙って見ていた。


「言っとくけどな──」


「みんながサッカーやってるのは、楽しむためなんだよ。

お前みたいに、人生かけてるわけじゃない。」


「それに……足すら動かせない奴の指示なんて、誰が聞くかよ。」


……


レオはその言葉に怒りを感じながらも、

拳を握りしめることしかできなかった。


──そうだ。トベの言う通りかもしれない。

心の奥で、そんな弱さが芽生えかけた──その瞬間だった。


バキッ!


閃光のような拳が、トベの顔面に炸裂した。


吹き飛んだトベはロッカーに激突し、

そのまま意識を失う。


──拳の主は、アキラ・ユウジロウだった。


「ユウジロウ……」


「おい、アキラ! 何してんだ、てめぇ!!」

キャプテン・エイコウが怒鳴る。


「それは、こっちの台詞だろ……キャプテン。」

ユウジロウの目が、獣のように光る。


「お前、これで済むと思うなよ……!」


「済まねぇよ。

……でもな、それは“お前ら”の方だ。」


ユウジロウが静かに拳を構えると、

上級生たちが彼を取り囲み始める。


「ユウジロウ! やめろ、バカなことするな!」


「黙れ、“天才”。

俺は……お前のことを“キャプテン”って呼んでんだよ!」


「キャプテン……?」


「こいつら、勘違いしてやがる。

“自分たちだけで”強くなったとでも思ってんのか?」


「違う……全部、お前が影で支えてたからだ。」


「それを分かってもねぇくせに……

……俺は、絶対に許さねぇ。」


ユウジロウは歯を食いしばり、

敵に向かって一歩踏み出す。


──そして、暴風のように殴りかかった。


上級生たちも負けじと飛びかかり、

ロッカールームは瞬く間に“戦場”と化した。



レオは、動けなかった。


ただ、その光景を見つめていた。


だが──その時。


後ろから近づいてきた上級生が、レオを狙って拳を振り上げた。


「危ない──!」


ドカッ!


宙を舞うキックがその上級生を吹き飛ばす。


その正体は──アマリ・カイ。


「こりゃ楽しくなってきたなァ!!」

と、カイは笑いながら叫んだ。



その日──

殴られて語り、蹴られて示した尊敬。


拳で繋がれた、痛みの絆。


そして──新たな“黒い影”が生まれた。


のちにスポーツ新聞にこう刻まれることになる。


「血の雨」──

新・クロイカゲ、誕生の日。


——————————


数時間後──


包帯だらけ、血まみれ、傷と青あざだらけの三人──カイ、レオ、ユウジロウ。


その目の前には、激怒した校長がいた。


「……バカか、お前らは!

新聞部にでもバレたらどうするつもりだったんだ!?」


……


しばらく沈黙が続いた後、校長はため息をついて言った。


「……部活動は今年と来年、完全停止だ。

スポーツをしたいなら、学校の外でやれ。いいな?」


「……はい……」

三人は揃ってうなずいた。


「……訳が分からんが、カツラ監督が全責任を引き受けると申し出た。

お前らを退学から救ってくれたんだ。少しは感謝しろよ。」


「感謝してます。」

三人は、今度ははっきりと力強く答えた。


「……さっさと帰れ。お前らのせいで仕事が山積みだ。」



廊下のベンチに並んで座る三人。


疲れ切っていたが、どこか清々しい空気が漂っていた。


「……ヤバいことになっちまったな。」

ユウジロウがぽつりとつぶやく。


「“なっちまった”じゃねえよ、

あの地獄を始めたのはお前だろ、バカ。」

レオがため息をつきながら、頭をかく。


「だってさ、アイツら、ぶん殴られて当然だったろ?」


「……まぁな。

でも、ありがとうな、ユウジロウ。マジで。」


「礼なんていらねぇよ、“天才”。」


──すると突然、背後から声が響く。


「ちゅっちゅ〜。

ここに、ラブラブなカップルを発見〜。」


……


二人が振り返ると、そこには金髪の少年、カイがいた。


……


「おい、なんでお前がここにいるんだよ!?!?」


「ずっといたけど?」


「え? マジで!?」


「マジだよ。」


「本当に!?」


「本当。」


「嘘じゃ──」


パァンッ!


「マジだって言ってんだろ、バカ!!」

──カイのビンタがレオの頬に炸裂。


頬を赤く染めながら、レオは一言だけ。


「……ごめんなさい。」


「……お前、思ってた“天才”と違ったわ。」

カイが頭をかきながら、ちょっとだけ呆れた表情を浮かべる。


「だろ?」

ユウジロウが満面の笑みを浮かべる。


「は? どういう意味だよ!」

レオがむくれながら言う。


三人はふっと笑い出し、そしてカイが言う。


「……全国大会か。悪くねぇ響きだな。」


「バカな“天才”しかいねぇのが残念だけどな。」


「うるせぇよ!」


……


「行こうぜ、全国。三人で。」

ユウジロウが手を差し出す。


「いや……優勝しようぜ。」

レオが自信満々に手を重ねる。


「乗った。」

カイも静かに手を添える。


──こうして「黒いクロイカゲ」の土台が築かれていった。


この三人こそが、チームの柱であり、魂となる存在だった。



──時は戻って現在。


公園の芝生に座り、ボールを眺めながら語り合うユウジロウとレオ。


「……あの日から、本当にいろんなことがあったな。」

ユウジロウがしみじみと語る。


「そうだな。言い出したらキリがねぇけど……

全部、俺たちを強くしてくれた。」


「そして今回も……きっと同じだ。」


「……あぁ。」


……


その時、足音が近づいてくる。


雨の中、現れたのは──もちろん、カイ。


「……風邪ひくなよ、バカども。」


彼は二人にホットコーヒーを手渡す。


「……あのカフェにもう一つ星つけるか。」

レオが微笑む。


「どういたしまして、我が君。」

カイが90度の完璧なお辞儀をする。


三人はまた笑い出す。


雨なんて関係なかった。


そのひとときを、ただ心から楽しんでいた。


でも胸の奥では、同じ想いがあった。


「もう、俺たちは──一人でサッカーをやってるんじゃない。」

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