第14章: 天才
ある者は生まれながらに光を持ち、
ある者は努力によって光を作り出す。
そして――ただ燃え尽きる者もいる。
彼らは拍手も、理解も求めない。
ただ支配する。
他人がまだ駒の動かし方を学んでいる間に、
彼らは試合をチェスのように見ている。
だが天才であることは祝福ではない。
それは重荷だ。
高みに立てば立つほど、孤独は深まり、
見えてしまえばしまうほど、無視できなくなる。
この世界で、一歩先を行く者を理解できる人間は多くない。
ある者は敬い、ある者は憎み、そして多くは――恐れる。
だが、天才にも必要なものがある。
真正面から見つめてくれる存在。
ついていくためではなく――
「まだ人間である」と思い出させてくれるために。
ギラギラと照りつける太陽が、大地を照らしていた。
グラウンドには、黒い影の選手たちの足音が響いている。
彼らは皆、真剣な眼差しで走り、呼吸は荒く、顔には汗が滴り続けていた。
そんな中、ただ一人離れた場所に立っている者がいた。
“フィールドの魔術師”、五十嵐レオ。
彼は沈黙のまま、仲間の一挙手一投足を見つめていた。
(特別なやつなんて、ここには一人もいない。
確かに、フィジカルに優れてる選手はいるが──
筋肉だけじゃ、全国には行けねぇ。むしろ足枷になる。)
彼は目を細めながら、冷静にそう分析していた。
◆
その頃──
フィールドの端では、数人の上級生たちが苛立ちを隠しきれずにいた。
「ったく……あのガキ。入部してからってもん、ずーっと座って眺めてるだけじゃねぇか。あのバカ面でよ。」
キャプテン・神楽坂エイコが眉をひそめてぼやく。
「まあまあ、キャプテン。」
戸部トベ(三年)は肩をすくめて言った。
「なにせ、うちの“エース”をボコボコにした天才様だぜ? たぶん、俺らのレベルにガッカリしてんだろ。」
「……黙れ。」
「でもさ、不思議だと思わない?」
「何がだ。」
「こんなレベルの高校に、あんな天才が来るか?
マジなら、全国クラスの強豪にスカウトされててもおかしくないだろ。」
「さあな。──ま、あの態度見てりゃ、どこにも受け入れられなかったのも納得だがな。」
「だな、だな。」
そのやりとりを横から見ていたユウジロウは、無言でレオをじっと見つめていた。
◆
練習が一区切りし、選手たちは水分補給のための小休憩に入った。
ユウジロウは、ベンチでノートを開いているレオに近づき、真正面から問いかける。
「なあ、天才。そんなに差があるのか、俺たちと。」
「あるよ。──話にならないくらい。」
ふたりの視線がぶつかる。
しかし、そこに敵意はなく、どこか自然な静けさがあった。
「……ひとつ聞いてもいいか。」
「何だよ。」
「どうしてここに来た? 色々噂は聞いてるけど、やっぱ本人の口から聞くのが一番だろ。」
「さあな。どれか一つは本当かもよ。お前のちっぽけな脳で悩んでも答えは出ねえって。」
「……やっぱ天才ってのはバカばっかりだな。」
「そうだよ。」
「……気に入った。」
「は?」
「お前みたいな天才を、俺がどう手懐けるか……楽しみだ。」
「ドMかよ。」
「さあな。」
ふたりは、ふっと笑い合った。
ユウジロウは水のボトルを放って寄越す。
「水分補給はちゃんとしとけよ、天才。
お前の“魔法”が必要になるんだからよ。頭、燃やすなよ。」
レオは皮肉気に笑って、ぼそりと呟いた。
「クソ野郎……」
◆
──日が昇り、また沈む。
それが何度も繰り返される中、黒い影の選手たちは、容赦ない夏の灼熱の下で汗を流し続けていた。
……ただ一人、“魔術師”だけは、沈黙を守ったまま。
「……もう無理。死ぬ。」
トベが地面に寝転がってバテる。
「このクソガキのせいで、走ってばっかだ……」
エイコも息を切らしながらレオを睨む。
「なあ、あいつだけずーっと座ってるよな。」
トベが身体を伸ばしながら呟いた。
◆
夕焼けが空を染め始める頃、選手たちは次々と帰路につく。
ユウジロウは自分の荷物をまとめながら、ふと視線を向けた。
そこには──一人ノートに何かを書き続けるレオの姿。
「なあ、天才。何書いてんだ?」
「お前の筋肉じゃ理解できないことだよ、“ムキムキくん”。」
(……あいつ、俺にあだ名つけやがったな?)
ユウジロウは苦笑いしながら、少しムッとする。
「それで、“天才さん”に聞きたいんだがな。」
「なんだよ。」
「──まだ、演技続けるつもりか?」
「演技? 何の話だ。」
「……いつも一番最後まで残って、全員の動き、クセ、課題……全部分析してんの、バレバレなんだけど。」
「練習も、それぞれの能力に合わせて微調整してる。
けどお前、誰にもそれを言わない。
むしろ“嫌われ役”を自分で買ってる。なぜだよ。」
レオはその言葉に、わずかに笑みを浮かべた。
「“悪役”ってのは楽しいもんさ。
影から全てを操るのって、たまらなく快感だ。」
「……でもな、いつか天才様が命令しようとした時、
他のやつらのプライドが邪魔して、従わねえかもしれないぜ?」
「関係ないね。
俺は全員の実力を把握してる。思い通りに動かす自信がある。」
「……それじゃ、チームじゃねぇだろ。」
「どうでもいい。
俺の目的は“世界の頂点”だ。
誰を踏み台にしても、辿り着いてやるよ。」
ユウジロウはその言葉に少し失望しながら、荷物を持ち上げた。
「……アイザック・ニュートンもな、
重力の法則を作るには“誰かの助け”が必要だったらしいぞ。天才。」
「は? なんだその例え……?」
レオはポカンとしながら、ユウジロウの後ろ姿を見送った。
◆
(……こいつら。なんか、ほんと面倒くせぇ。)
だがその顔は、なぜか少し嬉しそうだった。
————————
──日々は容赦なく過ぎていく。
その日は、雨だった。
グラウンドには、雨粒が無数に降り注いでいた。
選手たちの足音は、水を弾き、泥を蹴り上げる。
息は荒く、視界は悪く──ユニフォームは泥で染まっていく。
激しいボールの奪い合い。
誰かが倒れ、泥まみれのまま立ち上がる。
誰かが滑り、顔にも泥が飛び散る。
黒い影の監督──桂兵助は、苛立ちを隠せなかった。
(動かねえ……)
試合は完全に膠着状態。
両チームとも決定打を欠き、均衡を崩せずにいた。
桂はベンチを振り返る。
すでにほとんどの交代枠を使い切っていた。
残っているのは──たった一人。
天才と呼ばれながら、問題児扱いされる男。
その名は──五十嵐レオ、16歳、1年生。
異名は「魔術師」。
◆
「──五十嵐。アップしろ。五分後に入れるぞ。」
「はい。」
「おおっと! これは驚きの展開です!」
実況席のアナウンサーが声を弾ませる。
「黒い影のベンチに動きがありました。
今、ウォーミングアップをしているのは──あの“天才”、日本ユース代表でも話題になった選手です!」
「14歳でU-17に出場し、“魔術師”の異名を持つ天才レフティ。
五十嵐レオが、ついに動き出します!」
◆
タッチラインに立つレオの背中には、18番の文字が光る。
交代選手と手を叩いて交代し、
ついに“魔術師”がピッチに現れる。
──その瞬間、観客席にざわめきが走る。
「……たぶん、あのときの俺たちは、
何を“見る”ことになるか、まだ分かってなかった。」
ユウジロウは、あのときを振り返りながらそう思っていた。
◆
彼の15分は、まさに“異常”だった。
ピッチ上のすべてのプレーが、レオを中心に回り始めた。
タッチ数は最小、パスは完璧。
トラップ、フェイント、ドリブル、ターン──
すべてが研ぎ澄まされ、精密機械のようだった。
彼のパスは味方さえも混乱させるほど鋭く、意図が読めない。
それほどまでに、彼の“視野”は常人を超えていた。
試合終了。
黒い影、5対0の圧勝。
だが、その中心人物であるレオの顔には──
感情の欠片さえなかった。
◆
──数日後。
チームは一躍ヒーローに。
相手は“西花中学”、全国でも名のある強豪校。
その相手に、完封勝利。
部内では歓喜が広がっていた。
「俺のゴール、やばかっただろ?」
「最後まで走り抜いた俺のスタミナな!」
……そんな中、誰にも注目されない片隅に、
ユウジロウとレオの姿があった。
「……あんま、嬉しそうじゃないな、天才。」
「……何が嬉しいんだよ。所詮は練習試合。
しかも西花は控え中心の構成だった。要するに、俺たちはテスト台。」
「おいおい、そこまで腐るなよ。
練習試合でも、チームにはいい刺激になったろ。」
「そうかもな。……だが、」
「ん?」
「もう“全国制覇だ!”なんて言ってるバカがいるらしい。
実力も知らずに夢見るのは、ただの愚か者だ。」
「お前も、最初に言ってたじゃん。“俺は世界一になる”って。」
「……だって、なるからな。」
(なんだコイツ、ホントにどこまでも自信家だな。)
ユウジロウは呆れながらも、笑みを浮かべた。
「でも、チームはお前と違って無敵じゃない。
しっかり準備しないと、潰される。」
「だからお前がいるんだろ? うちの“頭脳”。」
「……この野郎。」
レオが小さく笑った。
「──ってことは、仕方ないな。俺がやるか……」
レオの声は小さく、だが確かにそう呟かれていた。
————————
《親善試合 VS 鎌倉・東海大中学》
──雨は激しさを増し、
選手たちのユニフォームもスパイクも、水を吸ってずっしりと重たくなっていた。
ボールは止まりがちになり、バランスを崩して倒れる選手も続出する中──
ただ一人、あの“魔術師”だけは異彩を放っていた。
ピッチを滑るように駆け、
冷静に、そして正確に、相手を一人、また一人とかわしていく。
「……くそっ、あのチビ、まじで厄介すぎる。」
東海大中のキャプテン・新井翔虎が歯を食いしばる。
「……ああ。このままじゃ、やられる。」
背番号4・北二荘太も同意するように返す。
「潰すぞ。」
翔虎のその言葉に、荘太は無言のまま、ただ一度だけ頷いた。
◆
「──黒い影、魔術師を中心にスピードアップ!
右サイドへ展開、そしてすぐにリターンパスだ!」
「魔術師、ペナルティエリア正面に入る! トラップから、シュートモーション──!!」
その瞬間だった。
翔虎がサイドから、激しくスライディングを仕掛ける。
同時に、正面からは荘太がブロックに入り、
レオの進路を完全に塞いだ──
──バキッ。
鈍く、そして嫌な音が響いた。
直後、ピッチに轟くような叫び声。
「ぐあああああああああああああっっ!!」
──その叫びは、まるで風を切り裂く悲鳴のようだった。
「最悪だ……! 魔術師が……地面に倒れ、激しく苦しんでいます!!
東海大中の選手による、明らかなファウルプレー!!」
主審は即座にレッドカードを提示。
翔虎は一切反論せず、むしろ不気味な笑みを浮かべながら、ゆっくりと退場していく。
◆
「救急車!! 早く呼べ!!」
黒い影の監督・桂が叫ぶ。
フィールドには、叫び声が止まらない。
レオは、まるで壊れた人形のように、
地面にうずくまり、泣き叫んでいた。
その姿を見つめるユウジロウの瞳には、恐怖が宿っていた。
(あの……最強の“天才”が──)
(まるで、何もできない子どもみたいに……)
◆
──あの日を境に。
中学サッカーのフィールドに、
“魔術師”がその姿を見せることは、二度となかった。




