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第12章:地平線を見つける

魂が静寂の中で砕け散る瞬間がある。

涙も叫びもない。ただ心の中で響き渡るこだまだけが、誰も問いたくない問いを繰り返す。

いつ私たちは自分を見失ってしまったのか?


時に、成長とは前進することではなく、むしろ崩壊することだ。

かつての自分が、もはや夢見るものを支えるのに十分ではないことを受け入れること。

そしてそれは辛い。どんな転落よりも辛い。なぜなら、責めるべき外敵などいないからだ。鏡の前に立つ、ただ自分自身だけ。


しかし、まさにその深淵の中で、すべてが消え去っていくように思える時、閃光が灯る。

忘れられない言葉、視線、仕草。

たとえ私たちが壊れても、見返りを求めずにその破片を拾い集める人がいるからだ。


この章は始まりではない…

それは、プライドが砕け散り、壁が崩れ落ち、

ついに光が差し込む時に起こることだ。


再出発とは、出発点に戻ることではない。それは、最も人間的な心で続いています。

月の光が東京の街をやさしく包み込み始めていた。

街灯の下、主人公たちは明らかに苛立ちながら歩いていた。


「ったく、あの男は何様だってんだよ!?」

エミが声を荒げた。ジョゼップの発言に、苛立ちが収まらない。


「いきなり現れてさ、まるで俺たちがゴミみたいな扱いだった。」


「しかも、今週のチーム活動は全部中止だってさ…」

リョウが不思議そうに眉をひそめた。


「何を考えてるんだか…」


「知るかよ。けど、たぶん今までよりも厄介な状況になった気がするな。あのジジイのせいで。」


「そういえば、エミ。」


「ん? どうかした?」


「頭の具合は? すぐに復帰できそうか?」


「もちろんさ!」

エミは即答した。

「抜糸までの時間だけだよ。すぐ戻れる。」


「そっか…よかった。」

リョウは小さく安堵の笑みを浮かべた。


二人はやがて交差点に差し掛かり、それぞれの家の方向へと別れた。


エミの視点で、彼の心が静かに揺れ始める。


(…信じられない。あのじいさんがあんな暴言を吐いてるのに、キャプテンは黙って見てただけだなんて。)


(カイやユウジロウがバカにされても、何も言わなかった。…なんで、止めなかったんだ?)


その思考を破るように、どこか聞き慣れた声が響いた。


「考え事でもしてたのか、エミ。」


その声の主は、レオだった。穏やかな微笑みをたたえている。


「キャプテン…」


「少し歩かないか? 俺も…ちょっと頭を冷やしたい。」


「う、うん。」


夜風がそよぎ、川辺の木々を優しく揺らしていた。

エミとレオは無言のまま並んで歩いていた。草の匂いが微かに漂い、二人の沈黙を包み込んでいた。


「…聞きたいことが山ほどあるんだろ?」

前を向いたまま、レオが静かに口を開いた。


エミは小さく笑った。


「さすがだね、キャプテン。」


「そう言われるの、初めてじゃないよ。」

レオは穏やかに微笑んだ。


エミの笑顔がふと消え、視線はそのままに問いかける。


「なんで…あの新しい監督がユウジロウやカイを侮辱した時、何も言わなかったの? キャプテンは、ずっと黙って見てただけだった。」


「やっぱり、それが気になってたか…」


レオは歩みを止め、エミを見つめた。


「お前って本当にいい奴だよ、エミ。今まで会った“天才”の中で、いちばん驕ってない。」


「…それ、褒めてるつもり?」


「受け取り方は、君次第。」

レオはからかうように笑った。


「でもな、仲間を思う気持ちは嬉しいよ。…ただな、カイもユウジロウも、それに俺も──監督の言葉に嘘はなかったって気づいてた。」


「え…? どういう意味だよ?」


「やり方は嫌いだ。けど、アイツは本物だ。チーム全員の課題を、たった一目で見抜いたんだ。」



──シーンは切り替わる。

ジョゼップ・モウが初めて部室に現れたあの瞬間。


「今の君たちは、誰ひとりとして“選手”として通用しない。もし俺が引退した連中を呼んできたら、今すぐ叩きのめされるだろうな。」


その言葉に、部室の空気が張りつめた。誰もが誇りを傷つけられ、顔をしかめた。


「てめえ…ジジイ、調子に乗るなよ。」

カイが立ち上がり、ジョゼップを睨みつけた。


「威厳を見せたいのか知らねえが、こっちは全然笑えねえぞ。」


「まあまあ、落ち着けよカイ…」

ユウジロウが肩を軽く叩きながら宥めた。


だが次の瞬間──


「カイ・アマリ、18歳。元不良グループ所属。」

ジョゼップが口を開いた。


──カイの目が一瞬、見開かれた。

それは、ごく限られた者しか知らない過去だった。


「身体能力は優れているが、常に“全力”を恐れている。激情に呑まれやすく、安定感に欠ける。」


「……誰に聞いた、それ。」

カイの声には、怒りだけが宿っていた。


ユウジロウが立ち上がり、前に出る。


「監督。目的はなんですか? 今は…止めた方がいい。」


ジョゼップの視線が移る。


「ユウジロウ・アキラ、18歳。熱心だが問題児。チームメイト5人を病院送りにし、退部寸前だった経歴あり。」


──その瞬間、ユウジロウの動きが止まる。


「パワーはあるが、足は遅い。だが──何より、ミスを恐れて動けなくなる傾向がある。」


怒りに震えたカイが、ジョゼップの胸ぐらをつかんだ。


「もういい加減にしろよ、このクソジジイ…」


だがジョゼップは一切表情を変えず、ただ静かにカイを見つめていた。


カイはレオに視線を向ける。


「なあ、レオ。さっさと校長に話して、こいつをクビにしろ。今度口開いたら、俺がぶん殴ってやる。」


だが、レオは何も言わなかった。


その沈黙に、カイの怒りが爆発する。


「おい、聞いてんのかよ! キャプテン!!」


返事はない。


カイはつかんでいた手を離し、目を伏せたままレオを睨んだ。


「…お前の言葉を信じた俺がバカだったよ。仲間を侮辱されても、何も言えねぇキャプテンなんて…信用できねぇ。」


「…じゃあな。」


カイはバッグを手に取り、バンッと音を立てて部室を出て行った。

誰一人として、何も言えなかった。


ユウジロウがレオに近づき、低い声で囁く。


「…地獄まで一緒に行くって言ったろ。けどな、全員を道連れにはするなよ、キャプテン。」


それだけ言って、彼も黙って去っていった。


次々に、上級生たちが立ち上がり、部室を後にした。

いつもは笑いが響くこの場所に、ただ、沈黙と敗北の空気だけが残った。


「さあ、無能なゴミが消えたところで──ようやく始められるな。」


ジョゼップは冷たくそう言い放った。


そこに残っていたのは、たった五人だった。

エミ・ニシムラ。レオ・イガラシ。リョウ・トレド。ユキ・タナカ。そしてイェン・ツクシマ。


誰もが悔しさと痛みを抱えたまま──

けれど、言葉を発する勇気はなかった。


川辺に吹く夜風が、かすかに水面を揺らしながら、遠くの記憶を連れてくる。

レオとエミは並んで座り、闇に溶ける水面を静かに見つめていた。


「…カイとユウジロウの気持ち、すごくよく分かるよ。」

レオがぽつりと口を開いた。

「俺が同じ立場でも、きっと同じように怒ってたと思う。判断を間違えたかもしれない。でもさ、あの男が──もしかしたら──俺たちが全国大会に行くための“最後のチャンス”かもしれないって思ったんだ。」


その目には、後悔と苦渋がにじんでいた。


「…初めてサッカーを見た時のこと、今でも覚えてる。」

エミはそう言いながら、視線を夜の川の向こうに落とした。


レオは少し驚いたように目を見開き、黙って彼を見つめた。


「その日、父さんと一緒にある“式”から帰ってきたばかりだった。俺、その時は…まだ現実を認められなかった。というか、認めたくなかったんだ。あの式は──母さんの葬式だった。」


レオの体が凍りついたように動きを止めた。まるで魂が抜けたかのように。


「それでも父さんは、何もなかったように夕飯を作ってくれてさ…まるで、愛する人を失ったばかりじゃないみたいに。」


「俺は部屋で、なんとなくテレビをつけた。間違ってチャンネル変えちゃってさ。…運命だったのか、ただの偶然か分からないけど──そこには、22人の男たちが、ボールを追いかけてた。」


エミは小さく笑った。


「最初は“こいつら、バカじゃねえの?”って思ったよ。大人が本気でボール追っかけてんの、滑稽だった。」


「でも──そいつがボールを持った瞬間、全部が変わった。」


エミの目が、遠い過去を見つめるように輝いた。


テレビから、実況の熱い声が響いてくる。


「マルコスがボールを奪った! 左サイドに開いて…ブラジルの名サイドバック、ロベルトーニョ! 一対一──パスを出すか? いや、フェイントだ! 股抜き! 加速する! クロスか? いや、切り返し! なんというプレーだ! シュート体勢に入る──!」


──数秒の沈黙。


「ゴーーーーーーール!! ロベルトーニョのゴールだ! ゴール隅に突き刺した! チームを2-1に導く、まさにクラシックな欧州の夜だ!」



場面は現在へと戻る。


「“すげえ…まるでヒーローみたいだ”って、そう思った。俺もあんな風になりたいって思ったんだ。…初めてのサッカーだったけど、あの選手に──恋したと言ってもいい。バカみたいだろ。でもさ、あの時、本当に救われたんだと思う。現実から逃げる手段だったのかもしれないけど。」


エミは拳を握りしめた。


「父さんは、俺のために全部やってくれたのに──俺は馬鹿みたいに反抗してさ、“信じてくれなかった”なんて、どの口が言うんだよ。あの人の方が、よっぽど重いものを背負ってたのにさ…」


強く噛みしめた唇から、血が滲み出る。

それでも、エミの声は止まらなかった。


「父さんが愛してたサッカーから離れれば、少しは苦しみから抜け出せると思ってた。けど違った。俺はただ、目を背けてただけなんだ。」


「それなのに…それでも父さんは、いつも俺の味方でいてくれた。ずっとサッカーに誘ってくれてたのに、俺は耳を塞いでた。」


「──でも、キャプテン。あんたが来て、変わったんだ。」


エミはレオをまっすぐ見つめた。


「…エミ。」


「父さんも、ウミも、みんなも。そして、あんたも。みんなが、俺を救ってくれたんだ。カイも、ユウジロウも、あのバカな仲間たちも──みんな。」


「だから俺も、全国大会に行きたい。けど一人じゃない。適当なメンバーでもない。──みんなで、あの場所に行きたいんだよ、キャプテン。」


レオの目が潤んだ。だが、それは喜びの涙ではなかった。


「…ありがとう、エミ。」


その声は震えていた。


「お前って、本当に変わってるよな。…一緒にピッチに立つのが、楽しみだ。」


「キャプテン…」


レオはエミの胸を軽く叩いた。


「これからは俺の番だ。守られてばっかりじゃいられない。俺がみんなを守る番だ。」


風がふわりと吹き抜ける。


二人の顔に浮かぶ笑みは、喜びではなかった。

けれど、どこか安堵に満ちていた。


長く求めていた「答え」に、ようやくたどり着けたような──

そんな静かな夜だった。


──場面が切り替わる。

エミが自宅に帰ってきたところだった。


玄関で靴を脱ぎ捨てるように脱ぎ、そのまま全速力でダイニングへと駆け込む。


「おかえり。練習はどうだっ──」


ユエイが言葉を終える前に、息子が飛び込んできた。


「──っ! エミ?」


突然の強い抱擁に、ユエイは驚きを隠せなかった。


「な、何かあったのか?」


「…本当に、ごめんなさい、父さん……」

エミはさらに強く父を抱きしめ、ぽつぽつと涙がこぼれ始める。


「…俺、本当に最低な息子だった……」


「エミ、大丈夫か? 何があったんだ……?」


ユエイの問いに、エミは首を横に振る。

泣きながら、途切れがちな声で言葉を紡ぐ。


「ずっと……謝りたかったんだ。でも、タイミングが分からなくて……。でも今は、本当に……ごめんなさい。」


ユエイの表情がふっと緩み、静かに息子の頭を撫でながら言った。


「まったく…本当にバカだな。お前は、あいつにそっくりだよ。」


──ユエイの脳裏に浮かぶのは、緑色の髪をなびかせた、優しく微笑むひとりの女性の姿。


「…ごめん、父さん……ごめんなさい……」


「たとえお前が間違った道を選んだとしても──お前は、俺の息子だ。それだけは変わらない。」


「もし善の道から外れそうになったら、その時は──俺が正してやる。

…それが、父親ってもんだろ?」


二人はそのまま、静かに、深く抱き合った。


窓辺には──

緑の髪を持つ若き女性の幻影が、ふたりをやさしく見守っていた。

その笑顔は、あまりにもあたたかくて、どこまでも幸せそうだった。

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