第10章:トライデント
時に、真の危険は敵の強さではなく、油断した瞬間にある。
無敵だと感じられる試合や日々がある。より速く走り、より明晰に考え、まるで全員が同じ心を共有しているかのようにチームの鼓動を感じる。しかし、まさにそのような陶酔の瞬間にこそ、人生は影のない勝利など存在しないことを私たちに思い出させる。
なぜなら、どんなに輝かしく見えても、どんな勝利も遅かれ早かれ現実と衝突するからだ。揺るがないライバル、警告のない打撃、目に見えない傷。
そして、その嵐の真っ只中において、チームの魂が明らかになる。ゴールでも、拍手でも、試合が負けそうに見えた時、そして誰かが前に出る時に何が起こるかにこそ、チームの魂が現れる。
三叉槍は、水面が最も暗い時に最も明るく輝く。
これは、そんなある日の物語である。
──校長室にて。張り詰めた空気が漂っていた。
セツ
「勝利おめでとう、レオ」
──湯気の立つカップが机に置かれる。
レオ
「それだけのために呼ばれたとは思えませんが」
セツ(薄く笑い)
「さすが…察しがいいな」
レオ
「それで、要件は?」
──校長は手を組み、肘を机に乗せてじっと彼を見つめた。
セツ
「サッカー部は、今や学校にとって大きな出費になっている。
もし全国大会の出場権を得られなければ…廃部だ」
レオ(小さく鼻で笑う)
「はあ、そうですか…心配には及びません」
セツ
「なぜそこまで自信がある? この20年で、うちの学校は何一つ成し遂げていない。
君はそれを覆せると思っているのか?」
レオ
「あなたは、あのグラウンドに一歩も足を踏み入れたことがない。
現場の空気を知らない人間が何を言っても響きませんよ。
でもご安心を。連盟の補助金は、ちゃんと届きますから」
セツ
「……そう願っているよ」
レオ(ドアを開けながら)
「ええ、どうぞドーナツでも食べていてください。勝つのは、俺たちです」
──バタン。
扉が乱暴に閉まる音が廊下に響く。
レオ(小声で)
「金のことしか頭にねぇクソジジイが……大会に出るときだけ態度を変えやがって」
──そのとき、後ろから声がかかる。
???
「すまない、通っていいかい?」
レオ
「……あ、どうぞ」
──がっしりとした体格の、ヨーロッパ系の顔立ちをした男が校長室へと入っていく。
レオはその背中をじっと見つめた。
──場面転換。
炎天下の午後、クロイ・カゲの選手たちが汗だくになって練習に励んでいる。
その様子を、ピッチ脇で一人の男が腕を組んで見つめていた。
レオ(近づきながら)
「何かご用ですか?」
ケンタ
「いや、別に。レオ……君を見に来ただけさ。
トーナメントのダークホースだと噂されているが……正直、まぐれにしか見えないな」
レオ
「そうですか?」
ケンタ(目を細めて)
「君がいなければ、このチームは特に見るものがない。
全国には来られないだろうな。残念だ」
──レオは涼しい表情を崩さず、口角だけを上げて答える。
レオ
「それは残念ですね。
でも、テレビ越しに応援してくれても構いませんよ?」
ケンタ
「自信満々だな……口だけでなければいいが」
レオ
「俺は“魔法”を売る男じゃないので。ご心配なく、ケンタ」
──ケンタ・モリサワは小さく笑い、くるりと背を向けた。
ケンタ
「俺を失望させるなよ、“マジシャン”」
実況:
「そしてその背中を残して去っていくのは、アサクサF.A.のキャプテン──ケンタ・モリサワ。
次に彼らが再会するのは……フィールドの上だ」
──練習場にて。ユウジロウが真剣な表情でレオに近づく。
ユウジロウ
「レオ」
レオ
「みんなを集めてくれ。明日の試合のプランを立てないと」
ユウジロウ
「了解」
(大声で)
「おい、みんな!集まってくれ!」
──選手たちは一斉に集まり、レオの前で輪を作る。
レオ
「知っての通り、明日は重要な試合だ。相手は強豪ではないが、油断すれば足をすくわれる。
こういう中位のチームとの試合こそ、全国への切符を左右する。絶対に落とせないぞ」
──全員が無言でうなずく。
レオ
「まず抑えるべきは、あいつらのサイドだ。双子のウィンガーはスピードがあり、以心伝心で動いてくる。
エミ、ジロウ、お前たちに任せる。プレッシャーはあるが、完璧に頼む」
エミ・ジロウ
「任せてください!」
レオ
「よし。次に問題なのが、キャプテンのケンタ・モリサワ。
裏への抜け出しが抜群にうまい。半歩でもスペースを与えたら、やられる。
ユウジロウ、お前がマークにつけ。振り向かせるな、時間を与えるな」
ユウジロウ
「了解。任せろ」
レオ
「それだけだ。お前たちを信じている。
今日はしっかり休め。明日は、勝つぞ」
全員
「おう!!」
──ミーティングは終わり、選手たちは順に別れを告げながら帰っていく。
──夕暮れの帰り道。エミの前に懐かしい姿が現れる。
???
「……エミ」
エミ(立ち止まり)
「……ウミ」
ウミ
「久しぶりだね、エミ」
エミ
「……うん」
ウミ(少しはにかみながら)
「ちょっと、ご飯でも行かない? 昔みたいに」
エミ
「ごめん……明日は大事な試合があるんだ。早く帰らなきゃ」
ウミ
「……そっか。ごめん、邪魔したね。またね」
エミ
「ウミ、俺……」
──だが、ウミはすでに背を向け、足早にその場を離れていった。
その後ろ姿に、エミは声をかけることができない。
──小雨が静かに降り始める中、彼はその場に立ち尽くす。
──そこにリョウが現れる。
リョウ
「どうかしたのか?」
エミ(首を横に振り)
「……なんでもないよ」
リョウ
「そうか。じゃあ、また明日な。ゆっくり休めよ」
エミ
「……うん。おやすみ」
──リョウが去っていく。
エミは一人、雨の中を歩き出す。
空は鈍く灰色に染まり、彼の心を映し出しているようだった。
エミ(心の声)
「……なんだろう、この感覚。この胸の奥にある、言葉にならない……痛みは」
──朝は重たい灰色の空に包まれていた。浅草高校のグラウンド前に、クロイカゲの選手たちが静かに立ち尽くしている。
誰一人として言葉を発さない。張り詰めた空気が、喉元に絡みつくようだった。
レオ(俯きながら)
「……何があったんだよ」
その隣で、リョウが地面を見つめながら眉をひそめる。
リョウ
「……本当に、何もなかったのか?」
ユウキは腕を組み、小さく呟いた。
ユウキ
「バカ野郎……」
沈黙を破ったのは、ユウジロウの低く、しかし芯のある声だった。
ユウジロウ
「レオ」
レオ
「……どうした」
ユウジロウ
「エミが……病院にいる」
──その言葉に、全員が目を見開く。
信じがたいという表情が、一人一人の顔に浮かぶ。
リョウ
「……は?なんで?」
ユウジロウ
「詳しくは知らない。ただ、幸いにもすぐに見つかったらしい……もう少し遅れていたら……」
レオは一瞬黙り込み、深く息を吐く。
レオ
「今、大切なのは──生きてる。少なくとも、それだけでも……」
ユウジロウ
「……ああ」
──レオが顔を上げ、仲間たちに向き直る。その瞳には迷いがなかった。
レオ
「理由ができた。勝つための、本当の理由が」
「順位のためでも、勝ち点のためでもない。彼のためだ。エミのために、俺たちは戦う」
全員
「……ああ!」
レオ
「彼がまたこのフィールドに立てる日まで、俺たちがその場所を守る!」
全員
「うおおおっ!!」
──その頃。病室のベッドに横たわるエミは、天井をぼんやりと見つめていた。
エミ
「……暇だなぁ」
──そのとき、扉が勢いよく開く。
???
「エミ……!」
エミ(驚いて顔を向ける)
「ウミ? ……どうしてここに?」
──場面転換。浅草高校のグラウンドには観客が集まり始めている。
ナレーター
「おはようございます。本日もクロイカゲの試合へようこそ。相手は、いまだ勝ち星のない浅草高校。
一方、ホームのクロイカゲは三連勝をかけ、首位を狙います。はたして、その行方は──?」
──選手入場直前。トンネル横で、レオがキャプテンマークをきつく締める。
レオ
「……すべては、エミのために」
全員
「エミのために!!」
ナレーター
「さあ、クロイカゲの選手たちがピッチへ登場──しかしここで驚きの情報が入っています。
左サイドバックの西村エミ選手、今日はベンチにも登録されていません。何があったのでしょうか……心配です」
ナレーター
「本日のスタメンは以下の通り──GKはケント。
ディフェンスラインは、右にジロウ、中央にユウジロウとアキラ、左にレン。
中盤にはリンとタケシのダブルボランチ、前方にヒカル。
トップ下はタツヤ。前線には右にイェン、左にカイが入ります」
──キックオフ。浅草高校の選手たちがボールを動かす。
ケンタ・モリサワ(小声で)
「……始めるか。タカシ、シンイチロウ」
タカシ&シンイチロウ
「おう!」
──ツインウィングが一斉に加速する。
ユウジロウ
「くっ……止めろ!前を開けるな!」
──ケンタがボールを持ち、加速する。タツヤが対応に入るが、簡単に交わされる。
タツヤ(息を切らしながら)
「速い……!」
──ベンチのレオは静かにその様子を見つめる。
レオ(心の声)
「……どう出る?」
──ケンタが顔を上げる。サイドの選手はマークされているはずだが──
ケンタ(心の声)
「さすが、マジシャン……でも一つ忘れてるよ」
──シュートフェイント。飛び出してきたタケシとヒカルの間を、ループするようにボールが通る。
ナレーター
「なんというテクニックだ!モリサワがディフェンスを抜き去る!」
──その瞬間、レンが一瞬だけ視線を外す。
レン
「しまっ──!」
──シンイチロウが完全にフリーでパスを受ける。
──必死で追いつこうとするレン。しかし、もつれるようにシャツを引っ張ってしまう。
ピーーッ!!
ナレーター
「ここでファウル!イエローカードが提示されます!浅草高校にとっては、絶好の位置でのフリーキック!」
──シンイチロウは口元を歪め、挑発的に笑う。
──レンは唇を噛み、悔しさに拳を握る。
──浅草の三トップが視線を交わす。
審判が腕を上げ、静かにホイッスルを吹く。
──キッカーが助走を取り、ゴールを狙わずにボールをペナルティエリア中央へと送る。
ユウジロウ(心の声)
「……このボールは俺が──」
──その瞬間、タカシがコースに割って入る。
同時に、シンイチロウがイェンの動きを読んでブロック。
──空いた中央を、浅草のキャプテン・ケンタ・モリサワが一直線に突く。
ナレーター
「打った──!ゴォォォル!!」
──正確無比なヘディングシュートがネットを揺らす。
浅草の選手たちは、感情を抑えきれずに抱き合って喜ぶ。
──一方、反対側のピッチでレオは拳を握りしめたまま黙って見つめていた。
レオ(心の声)
「……この試合、長くなりそうだな」
──レンは黙って顔を伏せる。その表情には、悔しさと自責の念が滲んでいた。
──ピィーーッ!ピィーーッ!ピィーーッ!
前半終了のホイッスルが鳴る。
ナレーター
「前半終了。スコアは浅草2−1クロイカゲ。モリサワが見事な2得点を決め、カイ・アマリのゴールでクロイカゲも食らいついていますが、依然としてビハインドを背負ったままです」
──カメラが浅草の攻撃陣を捉える。三人は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
──ハーフタイム。クロイカゲのロッカールームには重たい沈黙が漂っている。
汗の雫が床に落ち、荒い呼吸がこだまする。
誰も言葉を発さない──
その空気を断ち切ったのは、レオの声だった。
レオ
「……世間は俺たちがもう終わったと思ってる」
──何人かが顔を上げる。
レオ
「でも、違う。今こそ──俺たちにとって最大のチャンスだ」
リン
「……え?」
レオ
「浅草は前半、あれだけ攻めてきたのに、たった2点しか取れていない。つまり、彼らにも限界があるってことだ。俺たちは、そこを突く」
──選手たちの目が次第に真剣さを帯びていく。
レオ
「そのためには、リスクを取らなきゃならない。後半は──両サイドを“あえて”自由にさせる」
全員
「……えっ!?」
ジロウ
「さっきまで必死に抑えてたのに!?なぜ今さら放すんだよ?」
レオ
「なぜなら、ボールを持っていない彼らは脅威だ。でも持たせたとき──“ケンタ”がいなければ、彼らは何もできない」
ジロウ
「……意味がわからん」
レオ
「つまりこういうことだ。彼らがボールを持っても、モリサワに渡せなければ“迷子”になる。俺たちはその状況を作り出す」
ユウジロウ(腕を組みながら)
「じゃあ……モリサワには?」
レオ
「お前とアキラで張り付け。片方は後ろから、もう片方は前を封じる。やつには、二度と快適にボールを触らせるな」
ユウジロウ
「了解だ。……この勝利を、エミに届ける」
全員
「うおおおおっ!!」
ナレーター
「さあ、後半開始です!両チームともスタメンに変化はありませんが……クロイカゲの布陣に注目。
ケンタ・モリサワには、アキラとユウジロウの二人がべったりと張り付いています。完全なマンツーマンマーク!」
──モリサワが前線で不満そうに眉をひそめる。
ケンタ(心の声)
「……マジかよ。二人がかりって……本気で封じに来やがったな」
──時間が経過し、浅草は再びセットプレーのチャンスを得る。
ユウジロウ
「絶対に打たせるな!!」
──エリア内は大混乱。押し合い、ブロック、走り込み…まるで複雑な罠のように入り乱れる。
──ボールはペナルティスポットめがけて飛ぶ。
ケンタが宙を舞う。しかし──ユウジロウも読み切って飛び込む。
イェンが競り勝ち、スペースを確保する。
──その瞬間、三人が空中で衝突する。ケンタ、ユウジロウ、そしてGKのケント。
──ボールは激しく跳ね返り、タッチラインを越える。
タカシ
「……クソッ、今回は無理だったか……!」
──だがその直後、鋭い叫び声がピッチを裂く。
──ケンタが肩を抱えて崩れ落ちる。顔を歪め、激痛に呻く。
──ユウジロウはゆっくり立ち上がるが、眉の上が裂け、頬を伝って血が流れ落ちる。
──審判がすぐに試合を止め、医療スタッフが飛び込んでくる。
──ピッチ全体に緊張が走る。ユウジロウはその場で縫合処置を受け、ケンタのもとには別の医師が膝をつく。
医師
「肩の骨折です。担架での搬送が必要です」
──審判がうなずき、ケンタ・モリサワは拍手の中、静かにピッチを後にする。
──一方、クロイカゲのGK・ケントがスタッフに近づく。
ケント
「……たぶん無理だ。クリアのときに手首をひねった」
リコ
「了解。任せて」
ナレーター
「大きな衝撃でした。浅草のキャプテン、モリサワが担架で退場。代わって17番が入ります。クロイカゲでは、リコ・タチバナ(13番)がGKとして入り、さらにユウジロウ・アキラに代わってリョウ・アベ(7番)が出場です」
──交代時、ユウジロウはリョウに目線を送る。
ユウジロウ
「……頼んだ」
リョウ(胸を軽く叩きながら)
「任せとけ」
──試合再開。浅草のスローインから始まるが、クロイカゲは一気にテンションを上げ、高い位置からプレスをかけてボールを奪う。
──右サイドからリョウが正確なクロスを上げる。
イェンが囮になり、ディフェンダーを引きつける。
──その隙に、カイがフリーで受け、迷いなくシュート!
ナレーター
「ゴォォォル!!クロイカゲの20番、カイ・アマリ!魂の一撃がネットを突き破る!試合時間は残り20分──逆転が現実味を帯びてきた!」
──直後、タカシにボールが入るが、ほんの一瞬の迷いでボールを失う。
──クロイはそこから華麗なパスワークを展開。まるで舞台のように動きが連動する。
──浅草は9人で守るしかなくなり、モリ兄弟は完全に前線に残される。
──ボールはリョウへ。バイタルエリアで足を止め、利き足に持ち替える。
リョウ(小声で)
「……これは俺のだ」
──アウトサイドで強烈なシュート。
──軌道を読んだGKが目を見開く。
GK
「くっ……!」
──そこへイェンが完璧なタイミングで飛び込み、頭でコースを変える。
ナレーター
「ゴォォォル!!これで逆転!!クロイカゲ、ついにスコアをひっくり返した!イェンの本能が試合を動かす!残り15分、まだ終わらない!!」
──シンイチロウが膝をつく。
シンイチロウ
「……終わった……」
──浅草ベンチは動揺し、モリ兄弟を交代。守備を固め直そうとする。
──時計は進み続ける。浅草はロングボールを連発するが、効果はなく、クロイカゲが冷静に支配し、巧みに時間を使う。
ナレーター
「試合終了のホイッスル!!クロイカゲが4−2で大逆転勝利!
カイ・アマリが圧巻のハットトリック!記憶に残る一戦となった!」
──サイドラインでレオが選手たちの歓喜を見守る。笑顔はない。ただ静かに、深く考える。
レオ(心の声)
「……もしあの三人が最後までピッチにいたら、止められたかどうか……。まだまだ俺たちは未熟だ。エミ──お前の力が必要だ」
──ラストシーン:病室。
エミがベッドで横になる中、ウミが彼を抱きしめている。
言葉はない。ただ──
その沈黙だけが、二人の想いを物語っていた。




