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師匠から弟子へ

 手紙を読み終えるなり、レイヴンは天を仰いで深々とため息をついた。

 

 まったく生意気な弟子である。

 ジジイになったと手紙の中で言っている割には、子どものときとたいして変わらぬ減らず口ばかりだし、だいたい締め方からして生意気なのだ。


「……いくらなんでもアイシャを見間違えるはずあるか。なあ?」


 レイヴンがぼそりと悪態をつくと、アイシャは白髪の混じり始めた榛色の髪を揺らしながら、クスクスと声を上げて笑った。


「お父さんは素直じゃない人でしたから。レイヴンさんにもっと早く会いにきて欲しかったってことですよ、多分」

 

 賑やかに駆け回る子どもたちをちらりと見ながら、アイシャは親譲りのたれ目をくしゃりと細める。ただでさえ父親に似ているアイシャは、笑うと余計に弟子に似る。


「お父さんのお墓に案内しましょうか」


 日が暮れる前に。

 アイシャの言葉に頷いて、レイヴンはアイシャたちの先導のもと、森の中を進んでいく。

 春らしい若葉に彩られた緑の森の中には、小さな小花がいくつも見えた。

 鈴なりになった白い花。

 地面に這うように咲く水色の花。

 木々に紛れて咲く桃色の花。

 おそらくは弟子たち一家が植えたのだろう、親しみを感じる花々が目を引いた。

 森を抜けると、小さな丘にたどり着く。記憶よりもわずかに墓石が増えてはいるけれど、墓地特有のもの寂しい静けさは昔のままだ。――墓地を彩る、色鮮やかな花々以外は。

 

 ざあ、と一際強い風が吹く。

 夕焼け空の下、辺り一体に群生するオレンジ色の花々が、風に吹かれてかすかに揺れた。


「……ずいぶんと、まあ……」


 一面の花畑が、目の前に広がっていた。

 呆気に取られて呟くと、アイシャは得意げに胸を張った。

 

「うふふ、きれいでしょう? お父さんの作った花です。『師匠が見に来なくても見つけてしまうくらい繁殖力の強い花にする』って張り切ってたんですよ」

「それ、思いっきりほかの植物に迷惑かけてるだろ」

 

 バカ弟子め。

 手のひらにすっぽり収まるサイズの小ぶりな野バラを一輪ちぎって、レイヴンはそっと鼻先を寄せてみる。

 甘く優しい香り。食欲をそそる香りだ。

 貴族の庭園に咲くバラほど華やかではないけれど、控えめながら明るい色をした野バラには、見る者の目を引く不思議な魅力があった。


「あいつらしい花だ。大きさなんて特に。大人になってもチビだったもんな」

「まあ! お父さん、そこできっと怒ってますよ? ずっと身長を気にしてたんですから」


 片眉を上げたアイシャは、そっとひとつの墓を手で示す。頷いたレイヴンは、タンジェロの名が刻まれた墓石を指でなぞって、静かに目を伏せた。

 握りしめていた花を墓石に見せつけるように、ゆっくりと手を開く。鮮やかなオレンジ色をした花は、レイヴンの手の中で、みるみるうちにしおれて枯れた。


「――甘い花だ。俺の知ってるどんなバラより甘い。おまえはやっぱり天才だよ、タンジェロ」

 

 枯れてチリになった花弁を風に乗せて飛ばしながら、レイヴンは小声で呟いた。

 野生でも勝手に増えて、のびのび元気に咲き誇るだけの生命力を持った花。同じ色の髪を持っていた、どこぞの弟子とそっくりだ。


「食べないんですか」


 アイシャが不思議そうに首を傾げる。

 

「もう食べた」


 短く答えると、それを耳ざとく聞きつけたらしい子どもたちが、パッとこちらを振り向いた。


「おじさん、何食べたの? 僕も食べたい!」

「ダメだダメだ、これは大人の食べ物だからな!」

「えー! ずるい!」

「ずるくない。子どもはチョコでも食べてなさい」


 言いながら、レイヴンはここにくる直前に買ったオランジェを取り出した。


「レンガ通りのやつだ!」


 表情を輝かせた子どもたちは、レイヴンからチョコレートの包みを受け取るなり、許可を求めるようにアイシャへ視線を向ける。アイシャが苦笑しながら頷くと、子どもたちは「やった!」と歓声を上げながら菓子に食いついた。


「こら、食べる前に言うことがあるでしょう?」

「ありがとう! 黒マントのおじさん!」


 元気のいい感謝の言葉を、レイヴンは口角を上げて受け止める。


「喉に詰まらせるなよ」

「はーい」


 聞いているのかいないのか、子どもたちはチョコレートを頬張りながら駆けていく。そんな子どもたちを見送りながら、決まり悪そうにアイシャが身を縮こまらせた。

 

「すみません、あの子たちったら……。あのチョコレート、レイヴンさんの大好物なんでしょう? いただいちゃってよかったんですか」

「もちろん。……買うのが癖になっていただけで、特別好きなわけじゃないしな」


 あの店の菓子が一番安くて、食べ盛りだったタンジェロの腹を満たしてやるのに都合が良かったというだけの話だ。そもそも血と花からしか精気を得られぬ吸血鬼に、人間の食べ物の味など分かりやしない。

  

「え……? そうなんですか?」

 

 目を丸くするアイシャには曖昧な笑みを返して、レイヴンは墓石へと向き直る。


「おまえも昔はあんなんだったな、タンジェロ」

 

 ――幼い日のことを想うと、とても懐かしい気持ちになります。

 弟子の手紙に書かれていた一文を思い出し、俺もだよ、と心の中だけで呟いた。

 気まぐれに連れ帰った野良犬のような子どもと過ごした日々は、レイヴンの長い生にとっても、たしかに最も幸せな時間のひとつだった。


「死んだ後に冥土の土産も何もないだろう、アホ弟子め」


 前置きがわりに罵りながら、レイヴンはそっと墓石の前へと跪く。祈る代わりに墓石へ手のひらを当て、レイヴンは静かに呟いた。


「半分当たりで、半分はずれだ、タンジェロ。今まで会いに来てやれなくてすまなかった。おまえはすごいよ。俺のホラ吹き、本当にしちまうんだから」


 甘いバラなんて存在しない。

 レイヴンにとって甘く感じられるのは人の血だけだ。とりわけ、愛する者の血は抗いがたいほどに強く吸血鬼を惹きつける。血の最後の一滴までを飲み干して、その命と魂とを自らに縛り付けてしまいたくなる。

 薄い精気を含んだ花はたしかに非常食がわりにはなるけれど、甘くもなければ、吸血鬼の命を繋ぐだけの力も持っていない。

 血を啜らなければ生きていけない。

 どれだけ人間のフリをしてみせようが、所詮レイヴンは化け物だった。飢餓感は年々増すばかりで、代わりの人間で腹を満たそうにも、極上のエサを目の前にして粗悪な血が喉を通るはずもない。

 子のように慈しんだ弟子も、生ぬるい人間ごっこをさせてくれた弟子の家族も、大切だった。愛していた。

 

 だから一緒にいられなかった。


「……ありがとうな、タンジェロ。花はおいしくいただくよ。でもな、花を見なくたって、俺はいつだっておまえたちのことを想っていたよ」


 これまでも、これからも。

 死んだ後に言ったところで意味なんてないけれど。

 内心で自嘲しながら、レイヴンはゆるりと立ち上がる。

 眩しいくらいに夕焼けが赤かった。橙色に染まった空を、カラスの群れがやかましく騒ぎながら駆けていく。

 鳥たちを追いかけるように一陣の風が墓場を吹き抜け、オレンジ色の花弁を舞い上げていった。

 きゃあ、と楽しげに子どもたちが歓声を上げる。ひらり、ひらりと舞い散る花弁を手で受け止めて、レイヴンは一瞬だけ目を閉じた。


「また来るよ」


 未練を断ち切り、レイヴンはくるりと墓石に背を向ける。

 そのまま両腕を大きく広げ、レイヴンは亡き弟子の面影を残す孫娘に笑顔を向けた。

 

「達者でな、アイシャ。伴侶と子どもたちと、仲良く暮らすんだぞ」

「レイヴンさん……?」

「どうか、幸せに」


 短く言い残して、レイヴンは霧へと姿を変えた。

 つむじ風に乗って空へと身を揺蕩わせながら、高く高く高度を上げていく。

 遠ざかっていく墓地を見下ろすと、オレンジ色の花々がいやでも目に入った。こんな派手な花が雑草のように広がれば、それこそどこに行っても目に入ってくることだろう。

 

「……おまえは俺の自慢の弟子だよ、タンジェロ」

 

 鮮やかなオレンジ色を目に焼き付けながら、夕焼けに向かってレイヴンは飛んだ。

 誰も自分のことを知らぬ地を探すため、遠く高く飛び続けた。


 


 辺境の町で生まれた橙色の野バラは、やがて野を越え山を越え、いつしか大陸中に広がる野花となった。

 永劫を生きたとうたわれる古き吸血鬼は、吸血鬼でありながら、誰の血を吸うこともない変わり者だった。

 人の世に紛れてひっそりと生きた奇妙な吸血鬼は、灰に姿を変える最期の一瞬まで、そのありふれた橙色の野花をこよなく愛したという。

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