弟子から師匠へ
親愛なる甘党のクソ師匠へ。
この手紙を読んでいるということは、あなたはまた性懲りもなくレンガ通りのチョコレート屋に行って、山盛りのオランジェを買ったということでしょう。
お変わりなくて嬉しい限りですが、いくら師匠が永劫を生きる吸血鬼だからといって、甘いものを食べすぎると体に悪いので、量には気をつけてください。
さて、今日は師匠にどうしても自慢したいことがあったので、こうして手紙をしたためることにしました。
師匠が花探しの旅に出てから、そろそろ三十年が経ちます。何分いつ師匠が町に帰ってくるか分からないので、とりあえずはこの辺りで一番息の長そうなチョコレート屋に手紙を預かってもらうことにしました。黒マントを羽織ったレイヴンと名乗る男が訪ねてきたら渡してくれと伝えておくので、スムーズに師匠の手に渡りますように。
自慢というのはですね、師匠の探していた花についてのことです。
師匠は昔からずっと花を探していましたよね。チョコより甘い『魔法のバラ』のことです。
それこそおれが師匠と初めて会った六十年前からずっと、師匠はバラを探していた覚えがあります。
懐かしいですね。飯が欲しくてゴミ漁りをしていたら「バラを知らないか。うまいバラ」と怪しいオッサンにいきなり話しかけられたものですから、当時七歳のいたいけな子どもだったおれは、死ぬほど驚いたものです。
「そんなの貴族が庭師に作らせてるに決まってるだろ」と適当に言ったおれを、師匠は問答無用でデカい洋館に連れていきましたね。悪気はなかったのでしょうが、あの時ばかりは「あ、おれ死んだな」と思って世をはかなみました。頭のヤバいデカい男に、全身バラされて食われる予感しかしませんでしたから。
ふたを開けてみれば、師匠はたしかに頭のヤバいマイペース男ではありましたが、おれにとっては良き養い親であり、なんやかんやで人生を捧げることになった花作りの師匠でもありました。
花の育て方はもちろんのこと、文字の読み書きも食事の作法も、大切なことは全部師匠から教わりました。照れくさくてきちんと言ったことはなかったと思いますが、心から感謝しています。本当ですよ。
幼い日のことを想うと、とても懐かしい気持ちになります。
おれが初めて開発した花を覚えていますか?
オレンジ色のバラです。不格好で弱い種だったので、すぐに枯れてしまいましたが、花びらの砂糖漬けは結構うまかったでしょう?
甘いバラは青かったはずだと師匠があまりに言い張るものですから、あのときはたしか野生の青い花とバラを掛け合わせようとしたんです。でもどういうわけか近くの黄色のバラと交配してしまって、オレンジになってしまったんですよね。
花びらは生だと苦くて、品種改良の結果としては失敗もいいところでした。ですが師匠はおれを肩車して大喜びしてくれましたね。
おまえは天才だと言ってたくさん褒めてくれるものですから、おかげさまで調子に乗ったおれは、こうして生涯を花作りに捧げることになってしまいました。
ゴミ溜めで生きていたおれが、今やバラ作りにおいては国で並ぶものがいないというんですから、結構すごくないですか?
どうか自慢の弟子だと言ってくださいね。
昔話のついでに。本当は面と向かって言えたらよかったんですけど、きっともうそんな機会はこないでしょうから、全部ここに書いておきますね。
おれは師匠のことを父親のように思っていました。気恥ずかしくて父さんと呼ぶことはとうとう叶いませんでしたが、おれを育ててくれたこと、心から感謝しています。
あの日おれに声を掛けてくれて、本当にありがとう。
師匠に出会えて本当によかった。師匠の弟子になれたことは、妻のシャロンに出会えたことと、娘のアイシャが生まれてきてくれたことと並んで、間違いなくおれの人生で一番幸せだったことのひとつです。
魔法のバラの話に戻ります。
正直に言うと、あれはてっきり師匠のホラ話だとばかり思っていました。吸血鬼だという割には師匠が人間の血を飲んでいるところを一度も見かけませんでしたし、はじめは魔法のバラの色は青だと言っていたのに、別のときには紫だったり水色だったり、話すたびにころころ色が変わっていくものですから、師匠は息をするようにホラを吹くのだとばかり思っていました。
師匠は鏡に映らないので吸血鬼だというのは本当なのでしょうが、魔法のバラに関しては、ずっと半信半疑のままでした。
ですがおれもこの道六十年のプロです。
食用バラの中でも甘い品種はどれか、幻の青いバラが生えていた時代はいつか。半信半疑ながらも色々と調べては、試行錯誤を続けてきました。師匠が「甘い品種の苗を探してくる」と言って消えたあとも、ずっとひとりで魔法のバラを探し続けてきました。
青くて甘いバラはちっともできないし、できたところで金になるわけでもありません。しかも当の師匠は生きているかどうかも分からないときたら、正直もうやめようかなと思ったときもありました。
ですがあるとき気づいたんです。
よくよく考えてみれば、ふらふら世界を放浪していた師匠が偶然出会ったバラが、手入れをしなければ咲かないような繊細なバラであるはずがないですよね。
六十年近くかかりましたが、おれは答えを見つけましたよ、師匠。
とりあえず墓の周りに広げておくので、この手紙を読んだからにはちゃんとおれの墓まで見に来てくださいね。手紙が師匠の手に渡るまでの年数によっては、もしかすると森に入った段階で見えてしまうかもしれませんが、それでもちゃんと墓の前まで来てください。
墓ですよ、墓。
死ぬ前にもう一度会えたらそれはもちろん嬉しいですが、師匠がこの手紙を読むころには多分、おれは墓の中に入っている可能性の方が高いでしょう。この国の人間の寿命は、どれだけ頑張っても精々が七十年だということを、師匠のことだからきっと忘れていると思うので。
冗談です。
師匠があの日おれたちから離れたのは、きっと何か理由があったのでしょう?
師匠が旅立って十年くらいは、縁を切られたと思って喚き散らしたくなる日もありました。でも、もうおれもジジイなので、少しは師匠の気持ちが分かる気がするのです。
おれもそれなりに長く生きました。病気になった妻も見送りましたし、同年代の人間はもちろん、病気や事故で亡くなる若い人たちもたくさん見送ってきました。
あとに残されるというのは、なかなかどうして寂しいものですね。おれは人間なので寿命も高が知れていますが、人間でない師匠は、なおさら寂しいのではないでしょうか。だからおれたちが元気なうちにそばを離れたというのがおれの予想なんですが、どうですか?
正解は墓の前で教えてください。冥土の土産にしますので。
そういうわけで、おれはおそらく先に天に召されていますが、師匠もきっといつかは死ぬと思うので、それまでの間、花でも眺めながらのんびり暮らしてください。
餞別代わりに、師匠の好きな甘い花をたくさん用意しておきました。野バラを先祖に持つ強い花です。めったなことでは絶滅しないでしょう。どれだけ頑張って駆除しても、根が残っていればどこかで咲きます。生態系には多分影響しないはずなので、安心してください。
色だけは青系統ではなくオレンジ色になってしまいましたが、青の補色なのでまあ良いですよね?
おれの人生は花とともにありました。
おれの命が終わっても、おれの人生をかけて開発した花は種を作り、風に乗って、子々孫々まで続いていってくれるはずです。
寂しがり屋のクソ師匠。おれもおれの家族も、あなたのことが大好きですよ。甘い花を食べるたび、どうかこの不肖の弟子のことを思い出してくださいね。
いつか師匠が天に迎えられるその日まで、師匠の人生も花とともにありますように。
――吸血鬼レイヴンの弟子兼息子、タンジェロより
追伸
この手紙を読んだらおれの家まで来てください。おれはもうこの世にはいないかもしれませんが、おれの娘のアイシャがいるはずです。墓まで案内してくれるでしょう。
しっかりもののアイシャはともかくとして、物覚えの悪い師匠が大きくなったアイシャの顔を認識できるかどうかはとても不安ですが、どうかよろしくお願いします。