おきて
ごみ山、よごれ池、人探し。
僕が初めて任された仕事は、ごみ山のごみを分別することだった。
燃えるごみに燃えないごみ、有害ごみから粗大ごみまで、昼夜を問わず分けに分けた。
大体十人くらいの子どもや大人に交じって、文句一つも無しにただひたすらごみを分け続けた。
それについてどことなくおかしな感じはしたが、そう感じた所で特にすることもない僕は仕方なく彼らにならった。
このときの僕は、自分が子どもなのか大人なのかが分からなかった。
おまけにその間、不思議と腹は減らなかった。
そこには日もあり月もあった。
三日も続いたごみ山整理が終わり、今度は何をするべきかとなやんでいると、何も話さない人々はさも当然のようにどこかに向かって歩き始めた。
自然にできた人の列は、ぼんやりした光の中に向かって行った。
他にすることもない僕はその列について、しばらく歩き続けた。
どれくらいたっただろうか、ふと辺りを見回してみると、列はいつの間にか大きな池の周りを歩き、人の数は十から二十ほどになっていた。
だんだん歩く速さは遅くなり、前の方から順に止まっては目の前の池に向かい合った。
池には雑多の物が浮かんでいて、水の色は青に近いむらさき色をしていた。
無数のガラスが浮かび、何やらするどい棒が突き出ているばかりでなく、においも驚くほどくさかった。
泳ぐなんてとんでもない。
子どもや大人たちがしているように、池のごみを拾い上げては足元のバケツに入れ、少し離れた所にあるごみ捨て場へと捨てに行くことを繰り返した。
もう三十回もすぎたであろう頃、それまでのようにバケツを逆さにして戻ろうとした僕の目にちらと不気味な物が映った。
ひざの高さほどある大きな人形だった。
人形は男の子か女の子かも分からない。丸坊主で、服も一切着ていなかったのだ。
それは、驚いてバケツを落とした僕をただただ見つめ続けていた。
ただの人形と知った僕は、一つだけ息を吐いて気を取り直した。
でも再びバケツを拾い上げたとき、僕はふと思った。
ここにごみを捨てる意味はあるのか、またごみ山ができたらどうするのかと。
それから何気なくうつむいた僕は、これまた何気なくごみの中に寝そべる人形を抱き上げてみた。
持った人形は案外重く、僕はその子と大して変わらない大きさをしていることに気付いた。
人形は腰の高さほどあったのだ。
僕はその人形がとても大切な物のように思われて、ごみ捨て場から両手で抱えながら、こわれかけたバケツの取っ手を握って歩き出した。
池に戻ってみると、今までにごっていた水がきれいに見えた。
となりでもくもくとごみを拾い続ける子どもには悪いと思いながら、そっと頭の上を見上げてみた。
池がいきなりきれいになるわけがない、原因は他にあるはずだと思ったからだ。
案の定、空には月が昇っていた。少しも欠けていないきれいな月だった。
僕は自分がしていることも、おもちゃのバケツも放り出して、夜空に昇った月を眺め続けた。
しばらくそうしている内だんだん眠くなって、立ったままうつらうつらしていると、不意に僕の肩をたたくものがあった。
あわてて振り向くと、そこには大人が一人立っていた。
とっさに怒られると思った僕は少しだけ身をかがめて男の様子をうかがった。
「早く車に乗れ。もうすぐ出発するから」
男はそれだけ言って、言葉の通り近くに停められていた車に向かって歩いて行った。
怒られるとばかり思っていた僕は、これ以上何事もないように急いで男の後を追った。
人形を抱えながらだと思うように走れなかったが、今にも動き出しそうな車に目掛けて必死で足を進めた。
「そんな物は置いて行け」
ようやくの思いで追い付いた僕に向かって、先ほどの男が運転席から顔を出して言った。
「大切な物なんです」
確かに僕はそう言って返した。どういうわけか、胸に持った人形が、その頃の僕にはなくてはならない物に思えていたのだ。きっとそれは、大切な恩人に向けるような気持ちに似ていた。
「いいから乗れ」
男は相変わらずたんたんと言って後ろの方を指差した。
車は小さなトラックで、男は黒いおおいの掛かった荷台を指した。
荷台の方に回ってみると、薄暗い小さな空間にはいくらかの人が乗っているようだった。
荷台の下には踏み台があって、何とか段差は大丈夫だったが、人形を抱えたままの僕にはどうしても乗車は難しかった。
「その子を僕に貸して」
踏み台の上でたじろいでいる僕にそう声を掛けたのは、僕と同じくらいの男の子だった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
男の子のおかげで何とかよじ登ることができた僕は自然とその子のとなりに座った。
どうやら人形が気に入ったらしい男の子は何度もそれを抱き上げたり、よくよくながめたりした。
「あげるよ」
「ううん。じゃあ、もう少しだけ」
なぜだか、それまで大切だった人形が、目の前の男の子が抱き上げたとたんに自分には必要のない物になった。
その子にあげたくなった。この子ならきっと大切にしてくれると思った。
僕と出会った男の子以外、その空間には五人の子どもがいたが、僕が車に乗り込んでからしばらくして眠ってしまった。
だから、始めに出会った男の子だけがたった一人の話し相手だった。
「君はいったいどこから来たの?」
「ここよりずっと遠い所。たぶん」
「僕たちはどこに向かっているの?」
「それは知らない」
今になって思えば、あの時、あの荷台の中で、僕はその子の名前を聞いておくべきだった。
でも、名前を聞くことなんて思い付きもしなかったその頃の僕は、そんな他愛もない話を続けていた。
その中で僕は、乗車前からの眠気と闘いながら、男の子から今まで何をして過ごしてきたのかと聞いてみた。
「いや、よく覚えてないんだ。気が付いたらこの車に乗ってた。君は?」
「僕は色んな物を拾って、決められた所に置いたりしてた。山のようにあるんだ」
となりの男の子には一体どのようにしたらあの山にある物の量を表せるかと考えた。
考えても思い付かなかった僕は、これ以上待たせたらいけないと思って、両手を大きく外に向かって広げて見せた。
「君、けがをしているじゃないか」
男の子は僕の予想に反してそんなことを口にした。
僕はてっきりとても感心されると思っていたのだ。
その子は僕の手を取りまじまじと観察し始めた。それから一言、
「よかった。あまり深くなさそうだ」
と言って心底安心したように笑った。だから僕は何とも言えずうれしくなった。
でも消毒はしないといけないと言って、ポケットから傷薬を取り出して僕の両手にふきかけた。
消毒の液がしみて痛かったが、黙って男の子にされるがままになった。
どうして消毒液を持っていたのか、などという疑問よりも、男の子がしたことへの感心と感謝する思いで胸はいっぱいになっていた。
すっかり安心した僕はいつの間にか眠り、次に気が付いた時には車はどこかに停まっていた。
「着いたみたいだよ。もうみんな降りてる」
揺り起こされた僕は、眠気まなこでゆっくりと辺りを見回したところで、ようやく自分が車に取り残されていたことに気付いた。
あわてる僕の手を男の子は優しく握ってくれた。
男の子は僕が起きるのをずっと待ってくれていたのだ。
降りた所は薄暗い小道だった。
車はその真ん中に停められていて、向こう側がよく見えなかった。
車が通って来た方、何やら音がする方に向かって歩いて行くと、次第に辺りは明るくなり、聞こえる音も大きくなった。
そこでは祭りが行われていた。
明かりは上の高い所につるされたちょうちんで、音は太鼓や笛のおはやしだった。
しばらくの間男の子と僕は手をつなぎながら、茂みの中からぼうっとその様子を見た。
歩く人、屋台、走る人、ちょうちん、笑う人、おはやし。何か物を持つ人、食べる人。
こうこうと燃えるかがり火の下をひっきりなしに行き交う人々。
それに合わせるおはやしとちらちら見える物影が僕らをひどく楽しませた。
その先にある屋台は何だろうか。何だがとてもいいにおいがする。
突然現れた祭りに見入った僕はいつの間にかそんなことを思っていた――つまり腹が減り出したのだ。
「おお、こんな所にいたのか。いい物あげるからこっちにおいで」
いきなり後ろの方から声がしたので、少しだけ体をこわばらせて振り向いて見ると、先ほどの男がすぐ近くのしげみに立っていた。
ただし前のような無表情ではなく、どことなくうれしそうな、やさしい顔をしていた。
それから男の後に付いてしげみからかがり火の下に出た。
まぶしいくらいの光に目を細めながら祭りの中を歩いた。
歩いている内に目がなれ始め、だんだんと周りの様子がおかしいことが分かってきた。
なぜだか、この時から僕は三つ目五つ目の人たちやしっぽの生えた人、顔や手足が複数ある人たちのことを「怖い」と思い始めていた。
始めの内は何か変だと思うだけだったが、時間がたつにつれて、わけも分からず怖くなってきたのだ。
でも、大人や子どもの彼らが、別に僕に対して危害を加えないと知ってからは深く考えないようにしてきた。
「お待たせしました」
少し前を歩いていた男が急に止まったので、そっぽを向いていた僕はあわてて立ち止まった。
目と鼻の先に男を感じながら、その男が向かい合っている別の人をうかがった。
「これで全部ですか」
向かい合った男は、車の男と違って見るからに良い身なりをしていた。
男は、僕やとなりの男の子、元から来ていた子どもたちを見て言った。
あごに手を当てたその男は少しの間じっと何かを考えてから、
「ではその子にしましょう」
そう言って僕のとなりでじっと様子を見ていた男の子を指差した。
そのとき男の子は僕の手をいっそう強くにぎってきた。
僕はにぎられた手が痛かったので、男の子をちらっと見返した。
男の子はうっすらとなみだをうかべて下を見ていた。片手で重たい人形を抱えながら、じっとゆらゆら揺れる物陰を見つめていた。
「さ、行きましょう」
黒い帽子をかぶった身なりの良い男は、男の子の背中にそっと手をそえて言った。
それでも全く動こうとしない男の子を見て、一度だけ車の男と顔を見合わせてから困った顔で男の子を見た。
男の子はうつむいたまま、全く男たちに応じようともせず、ただじっと僕の手をにぎり続けた。
「君もその手をはなしてくれるかな?」
終いには半ば強引に少年の手を引いた男は、いつまでも動かない原因が僕にあると思ったらしく、いら立たしげに言葉を吐いた。
少年は少年で、まるで僕のけがを見たときがうそのように子どもらしく、頭をふっていやいやをしていた。
それから結局、男の子は黒い帽子の男に連れて行かれた。
本当に最後はすごかった。帽子の男はふんばる男の子を後ろから引っぱって、車の男は僕の手をむりやりこじ開けたのだ。
とても悲しい顔をした少年は、何度も何度も僕の方を振り返っては男に手を引かれて歩いていた。
それをどうすることもできない僕はただただ見送り、二人の姿が見えなくなるやいなや、男の子が残していった人形を抱えながら、わんわん泣きわめいた。
僕が初めて出会った男の子とは、こうして別れた。
「これで好きな物を買いなさい」
車の男はそう言って僕の右手に何かをにぎらせ、どこかに行った。
後に残ったのは、他の子どもたちと、手の平の五百円玉だけだった。
もう泣き続けてもどうしようもないと分かった頃、僕は腹が減っていたことを思い出した。
抱える人形はそれまで以上に重く感じていた。
相変わらずにぎやかな祭りを歩き回り、何か食べ物はないかと屋台を探した。
不思議なことに、先ほどまでこれでもかと言うくらいうまそうなにおいがただよっていたはずが、その時ばかりはにおいはおろか、道行く人も物を食わなくなっていたのだ。
空腹で倒れそうになりながらも、足だけはふらふらと動かして、とにかく食べ物を探そうと気だけをあせらせた。
そんな状態になりながらも後生大事に五百円玉だけは握っていて、当然、男の子と別れた悲しみも重くのしかかっていた。
ぼんやりする目にちらちらと光を映し、時折倒れそうになる体や、もつれる足を立て直しては前に進んだ。もう一度でも倒れてしまっては起き上がれる自信はなかった。
何度目か、倒れかかる体を持ち直した時、ふとまぶしい光といっしょになって、初めて出会ったあの男の子が見えた気がした。
あまりの喜びのせいか、倒れる直前に感じたひやっとしたものも忘れて、必死になって光の方へと向かった。
「いらっしゃい。おやおや、しっかり」
光にたどり着いた気になっていた僕の頭の上ではそんな声がした。
恐らく店のおばあさんは当初、僕の歩き方やふるまいを見て、かげろうか何かの仲間だと思ったのだろう。すぐそばで倒れた僕を見て、人間だと気付いたおばあさんはあわてて僕の様子をうかがい出した。
親切なおばあさんは僕の状態が落ち着くまでじっと看病してくれた。
意識がはっきりとして来た僕の目には第一に人形が見えた。
僕が連れていた人形と同じくらいの大きさで、髪は長く、ドレスを着た姿は見るからに女の子だった。
おばあさんは人形屋台の主人だったのだ。
「何か食べる物をください」
やさしいおばあさんに対して初めて出た言葉は感謝などではなく、いやしくも物をこう言葉だった。
いくら子どもの時分とは言え、さすがにこの頃の僕でも、自分の言ったことがいかに図々しいかを理解していた。
ただ、そのおばあさんにそう頼まなければならないほどに僕は限界だった。
おばあさんは大変申し訳なさそうに言った。
「ごめんよ坊や。ここにはもう食べ物はないんだよ」
それを聞いた僕は特に訳もなく涙を流した。自然と流れるままに流したのだ。
何と憎らしい子だったろうか。感謝こそされるべきだったおばあさんに向かって、いきなり涙を流して見せたのだ。
しかしおばあさんは気分を害することなく、僕の機嫌を取ることを選んだ。
「おや。坊やは本当にかわいらしいお人形をお持ちね」
おばあさんは人形に触れてよいかと目で確認を取ってから、僕の横にいた人形を抱えて改めて見つめた。
その間僕は泣き止んだ表情を悟られまいと、編み目のあらいむしろにほおを押し付けていた。
「そうだ。この子にぴったりのいい物をあげよう」
顔をそむけていてよく分からなかったけれど、おばあさんはとても楽しそうにそう言って店の奥の方に行った。
そのすきに僕は急いで涙をふいて起き、きちんと座り直した。
起き上がった僕を見たおばあさんはさもうれしそうに僕に寄り、そっと人形を抱かせてくれた。
人形はいつの間にか服を着ていた。
女の子が着るような、白いフリルの付いた服だった。おまけにつばの広い帽子までかぶっていた。
僕は少し嫌だったが、いつまでもはだかでいるよりはずい分いいだろうと思ったし、何よりおばあさんの親切を大事にしたいと思ってありがたく受け取ることにした。
おばあさんにお礼を言って屋台を出る頃には、心なしか祭りの人が少なくなっているような気がした。自然に空腹もなくなっていた。もしかしたら限界を超えてしまったのかもしれない。
僕は目的も何もなく、ただ体をさまよわせながら祭りの奥へ奥へと歩を進めた。
祭りはやぐらの周りよりも先へと続いていることに気付いたからだ。
ちょうちんがまばらにかかる薄暗い道をずっと行くと、少し先に、やぐら周りよりさらに少なくなった屋台が完全に途切れた場所が見えて来た。
どことなく怖い気もしたが、歩くことより何もすることのない僕はとにかくそこに向かってみた。
そこから先は土か石畳かの違いだった。
それと、そこから先のちょうちんは青白く、辺りは薄いもやがかかっていて、ほとんど何も見えなかった。
「もし」
ふいに何者かが僕に声をかけて来た。驚いて見回すも、僕の周りには何もいなかった。
「どなたですか?」
「前です。私はあなたの前に立っています」
声をたどってよくよく目をこらしてみて思わずぎょっとした。
なぜなら突然に、何の前触れもなく目と鼻の先に男の顔があったからだ。
腰を抜かした僕などお構いなしに、男は青白い光を放つちょうちんを前にかかげて、
「こうすればよかった」
と言っておどけて見せた。
男は自分を「うつせみ」と名乗った。
当たり前だが、これがまともな名前のはずがなかった。
うつせみはよく笑う若者で、歳は二十も半ばといった具合だった。初対面の僕に向かっておどけて見せるようなふるまいや、お世辞にも整っているとは言えない髪や着物を見る限り、その頃の僕を油断させるには十分過ぎる風体であった。
初めて見たときに気付かなかったのも無理はない。
彼は強い念と言葉によって生まれた言霊の一種だったのだから。
「あなたはどうしてこんな所にいるのですか?」
僕ではない。他でもないうつせみという男から、僕が思っているままの質問を口にしたのである。
しかしその答えは難しかった。何しろ全てを成り行きに任せてそこまで行ったのだ、答えようにも答えられない。
「そうですね。私は人を探しに来ました。誰って、そりゃ迷子に決まってますよ」
「は、はぁ……」
うつせみは僕から質問をする前に僕の頭の中にあるそれに答えてしまった。
僕は驚くばかりで何も話せなかったというのに。
彼は時々そういう話し方をする奇妙な性質を持っていた。だからと言って別にこちらが嫌になることはなく、むしろこちらの気を察してくれるだけ有り難いというものだった。
「見た所、あなたは人間ですね。ただ残念なことに、見た目こそ子どもですけれど、迷子と言うにはいささか大人じみている。失礼ですが、ここいらで小さな子どもを見ませんでしたかね?」
全く話の意図が読めなかった。そもそもなぜこの男は僕を迷子と決めつけることもなく、おまけに他の迷子を探しているのだろうか。そう思った。
「見た目ってのは大切ですけどね、それだけで判断してしまうのもおかしな話です。ここいらの人間は特に分かりづらい。その中から子どもを探すってのも一苦労な訳で。ほら、子どもってのはまだまだ未来が長い。それを守ってこその大人であって、つまり迷子探しの本命もそこにあるって訳です」
取り留めもない夢のお話でした。