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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

屑の遺伝子

作者: 知脳りむ

 私は大変頭がよいのだ。

 今朝は王宮に遣わされ、そこで王子三人の教師を務めてきた。

 昼になると、私は市場に出かけて買い物をしながら商人のくせに会計もできない貧しい者たちを手伝ってやった。

 家に帰れば、王に言いつけられたとおりに城と街を守るための武器を作るために設計図を開くのだ。


 だというのに、父上は一向に私の事を認めてくださらない。

 私が残した輝かしい功績について話せば、彼は空を見上げてしまう。

 私が素晴らしいことをしているというのに、彼は呆けてしまってまともに取り合うことさえできないのだ。


 ああ、もし彼に自慢することができたらどれだけよかったか。

 私は彼が憎いのだ。

 若いころは私を酷くぶった。

 そのうえ、庇った母上を無実の罪に陥らせ、牢獄に閉じ込めたのである。

 本当に憎たらしいのだ。


 彼のせいで、私達がどれだけ苦労を強いられ生きてきたか。

 彼に思い知らせてやりたいけれども、呆けてしまった頭にはもはや情報の一つさえ入らずすり抜けて出ていく。

 私をとことん苦しめたこの男に、いつか復讐してやりたいと誓っていた私だが、その夢が叶うことはないのだ。


 私は酒と名前もわからないような薬を飲んでいないときの父上のことは尊敬していた。

 だが、彼は愚かな行動をするのだ。

 毎晩のように酒を買ってきて、ろくに仕事もせずに母上を働きにいかせ、夜遅くにようやく帰ってくると酔っぱらった素っ頓狂な様子のままで怒鳴る。

 そうして、彼女の頭を殴ってしまう。


 母上の頭から初めて血が垂れてきた時、どれほど怯えたことか。

 私は父上のことがとても恐ろしくて仕方ないのだ。

 今は椅子に座りきりで、耄碌してしまってまともに会話することもできない。

 たまに話すのも、わけのわからない妄言のみである。


 それでも私は、今でも時々彼が酷く恐ろしく感じるのだ。

 彼が突然大声で怒鳴ってきたとしたら、今でも私の体はぶるぶると震えるだろう。

 彼の意識が突然はっきりとしたものになって、呆けていたのが嘘のように、何もかもが健康になった彼が現れたら、私は泣いて許しを乞うだろう。


 結局はそうなのだ。

 私は父上を反面教師にし、努力して王国屈指の地位にまでなった。

 それで、いつも私に人でないような扱いをしてきた彼に絶望を与えてやりたいとか、仕返しをしてやりたいと思っていたが、彼はもう口の聞けない身体で肩を叩いても耳元で叫んでもなんの反応もないくらいなのだ。

 ただ、私はそれが幸いなようにも思えてならないのである。


 父上がもし、未だにあの頃の屑のままであったなら、私は幼い頃のように怯えてなにも出来なかったであろう。

 いや、ただでさえ今でも怯えている。

 結局今でも怯えている。

 だから未だに、彼のことがとても憎いのだが、恐ろしくてなにもすることが出来ないのだ。

 いつも、嫌な衝動を抱くばかりである。


 だから、私はやり場のない怒りを常に抱えるようになったのだ。

 強烈なストレスを抱えて、生きてしまっているのだ。


 今日も、王子三人を理不尽に叱った。


 商人たちが計算もできないのをいい事に、その日暮らししかできない分の稼ぎだけ与えて、そのほとんどをくすねた。


 それでも消えないストレスを抱えて、家に帰る私は、王に依頼された通りの設計図を書くことも出来ない。


 そう、私は結局、父上と同じで屑なのだ。

 彼と同じように酒に溺れているわけでも、出処のわからない薬を服用しているわけでもない。

 けれども結局、私は彼と同じに育ってしまった。


 なにが反面教師だ。

 私は彼のようになりたくないと必死な思いで頑張ってきたのだ。

 それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


 どうして。


 明確なその理由は、考えても分からないばかりである。

 そうして迷い悩んだ挙句に、こんなふうになった理由を、全部父上のせいにしてやりたくなる。


 しかし、それでは駄目なのだ。

 彼から遠ざかろうとしたのは私で、だから結局こうなっているのも私自身の責任である。

 そう考えると、自分への激しい嫌悪感が湧き上がって止まないのだ。

 ただ、こんな考えをする自分を育てたのもまた父上である。

 もう私は限界で、本当にどうすればいいのかわからないのだ。

 私が悪いのか、父上が悪いのか、今私が考えられる結論はどちらもというものであろう。


 今、私の目の前には流れの早い川がある。

 一昨日の大雨で増水したその川は、今でも流れが早く、濁流が川岸の高いところにある舗装された道にさえ少し乗り上げ、濡らしてしまうほどである。


 私は馬車から降りて、ここまで運んでくれた御者に多めに料金を払いお礼を言うと、中から父上を連れ出した。


 一人では立つこともできない衰えた骨と皮だけの身体を抱えて、私は川岸に立つ。

 私は、沢山の罪を背負いここに立っている。

 それは父上も同じだ。

 散々横暴に振舞ってきたツケが回ってきたというもの。

 償いをするためならば、溺死をすることさえ惜しくはない。

 それに、父上だってそうしなければいけないだろう。


 これまでやってきたことを全て精算するならば、こうする他にないのだ。

 覚悟はもう出来ていた。

 私は、もう後五歩も歩けば落ちてしまうというところまで来て、更に三歩進んだ。


 溺死というのはかなり苦しいものらしい。

 それも、ここまで流れの早い川では、そこらじゅうの岩に打ち付けられて、絶対に楽に死ねるわけがない。

 しかし、私はその事を想像すると、不思議と安心した。

 それで、私のやってきたことが全て償えるのならば構わないと思ったのだ。


 だが、そこからまた一歩進んだ時、私の安心は消え去った。

 突然、何もかもが酷く恐ろしくなった。

 目の前の濁流が、飛び込みに行かなくとも飲み込みに来てしまうのではと思うと、いても立ってもいられなかった。

 それで、私は怖気付いて引き返そうとしてしまった。

 重心が前に傾いている中、焦って方向転換しようとして、つまづいた。

 そうするとその拍子に、軽かったそれは私の腕の上を離れて川へ落ちていく。

 流れる様子を見られることもなく、激しい濁流に飲み込まれて見えなくなった父上は、もうどこにもいなくなった。


 私は、ただそこに立って呆然と見ていた。

 私の心の内には、恐怖だけがあって、少しすると川岸からも逃げてしまった。

 私はやはり、あんな風にはなりたくない。


 真夜中、私は初めて、明かりの消えた街を逃げるようにして走った。

 後ろから、私を裁こうとする恐ろしい悪魔が迫ってきている気がした。

 いや、私を裁くのは神の方かもしれない。


 私は父上を殺して、自分だけ怖気付いて逃げているのだ。

 だから、裁きに来るのはきっと神に違いない。

 そう思っていても、引き返す気にはならなかった。


 私は屑である。


 自覚はしているが、治すことはもうできないのだろう。

 この忌まわしい性格と、私は生きている限り付き合っていかなければならない。

 それは、生きている限り辛い日々が続くことを意味する。

 それでも、私はあの時川岸から飛び降りることが出来なかったのだ。

 身体の奥底が、生きていたいと願っている。


 だからその限りは、生きるしかないのだ。

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