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若ハゲの至り ―その効果、髪のみぞ知る―  作者: 鈴木りん
第一章 【髪は天下のまわりもの】
12/13

1-4 さようなら気楽なサラリーマン、こんにちは切ない国家公務員(2)

 東京都内、某所――。

 とある鉄道会社の、とある駅。そこから歩いて7分ほどの距離にある、3階建ての雑居ビルが典史の目指す場所だった。

 1階は、青い色のコンビニエンスストアが占拠している。

 正直、ここ数分の様子だけ見てもそんなに来客は多くないことがわかる。面積小さめのコンビニ店入り口から向かって左側に、ビルの2階と3階部分に行くための階段があった。人間ふたりが、やっと擦れ違えるほどの幅しかない、小さな階段だ。

 階段入口の狭い踊り場的スペースに置かれている、立て看板――。それを前にした典史が、看板に書かれた文字を凝視しつつ呆然と立ち尽くしている。


「これって、一体全体、どういうこと……?」


 ぼそり、そう呟いた典史の震える手には、会社から渡された例の紹介状があった。

 そこに記されているのは『株式会社K・H』の社名と電話連絡先、及びその所在地である。彼の目前にあるビルの2階が、受付窓口であるらしい。

 彼の動きを止めてしまったのは、その看板に書かれていた、彼にとっては衝撃的な会社の営業内容だった。


 『株式会社 K・H

  2F:男性専科 育毛サロン「K・hayer」

  3F:抜け毛予防薬研究所        』


「紹介先って、育毛サロンの会社なのかよ!? 大体、このサロンの名前が気に入らないぞ。なにが、ケー・ハエルだ……発毛じゃなくて、育毛サロンのくせにッ!」


 紹介状を床に投げつけ、すぐさまそれをぐりぐりと踏みつけた典史。

 その場から立ち去ろうと足に力を込めたその瞬間、背後から音もたてずに階段から降りて来たひとりの男が、彼に声をかけた。


「いや、間違っては困るね。ケー・ハエルではなく、『ケイ・ヘイヤ―』だ」


 ぱっと見、その男は口周りに髭を蓄えた長身のダンディだった。

 年の頃は40前後か。

 まるで高級レストランの給仕(ウェイター)のような黒をベースとしたフォーマル・スーツと白いシャツに身を包んだその男は、階段を降り切ると、驚いて目を瞬かせる典史の顔をじっと見つめた。

 その目つきは、彼の能力を見定めているかのようである。


「……ケイ・ヘイヤ―?」

「そうだよ、ケイ・ヘイヤ―。これはこの会社の元オーナーであった――英雄と言ってもいいが――イギリス人の名前にちなんでいて――。まあ、そのあたりはゆくゆく説明するとしようか。君が、斉藤典史君だね?」

「?? どうして、僕の名前を?」

「そりゃ、簡単なことだよ。私がこのK・hayerの社長で、この前まで君が所属していた『三九(サンキュー)不動産』から君の就職を頼まれた人間だからさ」

「社長!? あなたが……?」


 ダンディが、にこやかな笑顔とともに頷く。

 今度は、典史が目の前の男の品定めをするように男の全身を眺め回す番だった。

 面接だというのにノーネクタイでよれよれのチェックシャツにデニムという格好の自分とは正反対のきちっとした服装。若干、気取った感じの教養の有りそうな口調――。いつもならそれだけで゛受け付けない゛気持ちになりそうなところだが、典史には彼に対してひとつ(・・・)だけ親近感が湧くところがあった。

 それは、頭髪の量(・・・・)である。

 両耳の上、数センチには髪がたっぷりとあるものの、頭頂部は渇水期の沢水が河床に転がる石ころの間をちょろちょろと流れるがごとく、誠に寂しい量の毛髪が横たわっているだけだった。概ね、地肌が露出している。


「面接の時間を、もう5分ほど過ぎてるな……。本来、ここで面接終了、となるところだが――。とにかく、中に入ってもらおうか。話は、その後だ」

「あ、はい……」


 社長と名乗る男の後を追い、階段を登る。

 踊り場を抜けた、2F。目前に現れた自動ドアを通り抜けると、そこには『サロン』の受付があった。


「いらっしゃいませ。予約はございますか? ……って、なんだ社長じゃん」

「ふん、済まなかったな。現れたのが゛俺゛なんかで」


 受付カウンターにいたのは、20代後半と(おぼ)しき女性だった。

 一瞬立ち上がった感じでは、身長は160センチくらいはありそうである。来訪者が関係者とみるや否や、すぐにカウンター越しの席に座り直し、つまらなそうに小さくため息を吐いた。

 彼女の様子からすれば、お世辞にも繁盛した印象は受けない。有り(てい)に言ってしまえば、゛暇そう゛である。

 そのとき、社長の後ろを『背後霊』のようにくっついて歩く、背中のしょぼくれた男の姿を彼女は認めた。


「あら、社長! もしかして、その方が(うわさ)の斉藤さん?」

「ああ、そのとおりだよ。……そうだ、斉藤君に紹介しておこう。こちらは『中村(なかむら)ひなた』さんだ。確か、君と同い年のはずだ。彼女には、サロンの受付をしてもらっている」

「あたし、みんなから『ひーな』って呼ばれてまぁす。よろしくね!」


 典史にとってその女性は、゛眩しい゛限りだった。

 何が眩しいって――その女性の明るい笑顔が――とか、そういうことではない。ここに訪れる男たちの羨望の的となるような、その豊かなロングヘアーが――である。

 ひなたは、薄めの化粧(メイク)が施された小さめの顔の中で、無邪気にアーモンド形の瞳を輝かせた。典史にとってそれは、更に眩しく思えた。


「さ、斉藤です。よ、よぅろぉしくお願いします」


 ぎこちない動きで、典史はぺこりと頭を下げた。

 だが、ここで彼は、ふと不思議なことに気付く。まだ入社面接すら受けていない自分が、何故か既にこの会社の仲間のように取り扱われていることを!


「あれ、でもおかしいですね……」


 そう言いだしたひなたに、(そうだろそうだろ。だって俺、まだ面接も受けてないもん!)と思った典史が大きく頷く。しかし、彼女から続けて出てきた言葉は、彼にとってとても意外なものだった。


「やっぱりおかしいですよ。だって斉藤さん、頭が『ふさふさ』ですもん」


 思わず、その場でずりっとずっこけた典史。

 ずっこけて低くなった彼の頭を指さしながら、社長が言った。


「いや、これはね……増毛(ぞうもう)なのだよ。つまり、今の姿は彼の『真の姿』ではない、ということだ」

「へえ、そうなんだ……」


 そんな二人の会話を聞いた典史は、ずっこけた体を今度はぴょんと跳ね上げて、理解不能という文字が額に浮かび上がるほどに顔を引きつらせた。見れば、ひなたの両目は、確実に゛増し増し状態゛の典史を非難している。


「な、なぜそのことを――?」

「はっはっは。ここ(・・)をどこだと思っている。その程度の情報を得ることなんて、『お茶の子さいさい』なのだよ」

「おっちゃんの子どもがサイ?? もはや人間でもないということですか……? もう、全然意味がわからないですよ!」

「え、わからないの? 『簡単なことだ』っていう意味だけど、もしかして死語なのかな……。まあ、それはいいとしよう。今はそのことに(こだわ)っているときではないからな。まずは、奥の部屋で話そうか」


 株式会社K・H社長と名乗る男が、向かって右側にあるスライドドアの方を指さした。

 典史は、彼が発する圧倒的なオーラの圧力に負け、素直に後をついていく。

 ドアを抜けると、そこはごくごく普通の事務室だった。

 左側の奥に社長席らしい両袖の事務机があり、その前側に4つの机が左右に二つづつ、着席した人間が部屋の中心に顔を向けるように配置されている。

 目の前には、ローテーブルとそれを挟むように置かれた二つのソファーがあった。


「斉藤君、そこに座って」


 典史が指示されたのは、ローテーブルの入り口側、つまりは下座(しもざ)の二人掛けソファー。ゆっくりとソファーの中央に腰を掛けると、対面に座った社長が満面の笑みとなり、まるで10年も前から知り合いだったように馴れ馴れしい口調で言った。


「じゃ、そういうことでね――。斉藤君、君は明日からこのサロンの『カウンセラー』を担当してもらおうと思う」

「いやいや、おかしいでしょう! まだ面接も終わっていないし、僕もこの会社に入社するなんて言っていないし!! 第一、僕なんか雇ったって、なにもいいことないですよ。聞いていないんですか、前の会社での僕のダメ社員ぶりを?」

「あらら、そうなのかい? でもね、そんなことは関係ないんだ。なぜなら、君がウチの『即戦力』になることは間違いないんだもの」

「えっ……」


 今までの二十数年間の人生において、『戦力』などと言われたことのなかった典史は、嬉しさと怒りとが入り交ざった複雑な気持ちを表すことができず、しばらくの間、ソファーに尻を擦るように、うじうじと(もだ)えてえていた。

 が、予兆もなく突然噴火した火山のように、急に彼は叫んだ。


「いやいや、やっぱり、おかしいおかしい! 僕みたいな、資格も技術も持っていない、しかも頭髪の寂しい(・・・・・)人間が、育毛サロンのカウンセラーだなんて!」

「あ、そう。それなら、3階の研究所勤めにする? 抜け毛予防薬の研究所だけどね……。っていうかさ、君をカウンセラーにするにはきちんとした狙いがあるんだよ」

「狙い?」

「うん。実は、君のほかにも何人かカウンセラーがいてね、皆、君と同じそういう(・・・・)頭の人だから、客があんまりこないんだよ。秘密が知られないように、わざとやってるのさ。なにせここは、『国家機関』だから、儲ける必要はないんだ」

「こ、国家機関!? ここが? えっ、えっ、その情報、いきなり飛び込んで来たけど、全然僕にはわかりませんよ。いったい、どういうことですかっ!」

「まあまあ、そう騒ぐな。そのまんまさ。これを見たまえ」


 社長が、右手を上げ、ぱちりと指を鳴らした。

 すると、部屋に社長の指パッチンを聞き取るセンサーでもあるのか、社長席の背後の壁に飾られている『K・hayer』の看板が、唸るようなモーター音とともにくるりと回転した。横長の金色の看板には、まるで20世紀の夜の繁華街のように光り輝くネオンの文字で、こう書かれている。


『HAGE(Hard Attacks on the Global Enemy) 日本支部』


 社長の、どうだとばかりの自慢げな顔つき。

 それとは正反対の、戸惑いに戸惑った典史の顔。


「は、ハゲ……?」

「ハゲではない、『ヘイジ』。Hard Attacks on the Global Enemy――略してHAGE(ヘイジ)だ。君が発したその言葉は、この日本支部においては禁句(・・)だからな。よく憶えておくように!」


 不機嫌そうに口を尖らせた社長の顔と金色の看板を何度も見比べた典史は、更に戸惑いの色を濃くするばかりであった。


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― 新着の感想 ―
ヘイジ……! え、当然そっちじゃないんてすか?w 職を失いどうなるかと思ったら。すごい職を得ましたね。これから何が起こるのかたのしみてす。
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