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血が怖いんだ




 目の前にいるボロボロなシュヴァッハから目を逸らし、どう答えようか迷って口の開閉を繰り返すだけ。

 やがて訝しんだシュヴァッハが先に口を開いた。


「それに、街から離れた場所に一人だけ住んでるし。街の周りは最近だと魔獣の目撃情報が多いし、こんな所に住もうって人は中々いないと思うぜ?」


 魔獣とは、魔族と同じく人類の敵だ。

 神出鬼没で、何故何処で生まれるか原因もはっきりとしていない。普通の獣よりも人を優先的に狙って捕食し、しかも魔力を使うので小さい個体でもかなり危険度が高い。

 そんな魔獣がこの森でよく見かけられるらしく、小屋を建てて生活するには危ない地帯になっていた。

 純粋に心配でシュヴァッハが尋ねれば、老人はそれを鼻で笑う。


「お前には関係ないだろう」


「そりゃそうだけど。変だなーって」


「……お前が強い冒険者だったなら打ち明けられたんだが、腰抜けじゃなぁ」


「がふっ」


 心配したのにダメージを負う羽目にあってシュヴァッハの目が涙で潤む。

 誰だってシュヴァッハに当たりは強いが、この老人は最近稀に見る火力だった。閉じかけた傷口からじわりとまた血が滲んで、もう心の方が痛いんだか頭の傷が痛いんだか分からなくなっていた。


「それに安心しろ。こう見えて昔は冒険者でな。獣への対策はバッチリだ。ここも一月くらい生活してるが問題ない」


「そ、そうなんだ」


「少なくともお前よりは強い。兎より弱いやつなんざ赤子以外に初めて聞いたわ」


「ぶへっ」


「だから心配なんざ不要だ。とっとと出てけ、扉の修理も要らん」


 涙を拭いつつ、シュヴァッハは心配要らないのだと思い直す。

 まだ人殺しの件について気になる部分はあるが、この森へは何度も通う予定なので、いずれ心を開いて言ってくれるかもしれない。仮に本当に危険な事態に発展した時は冒険者組合に相談して強い人を派遣して貰おう、と思案する。……自分の要請に答えてくれる人がいるかは考えない事にして。

 シュヴァッハは集めた木端を抱えながら小屋を出る前に戸口で一旦立ち止まり、老人に振り返った。


「あの、次来る時は優しくしてね」


「黙れクソガキ」


「こはっっ」


 血を吐きながらシュヴァッハは小屋を出て行った。

 老人はとぼとぼと歩いていく情けない後ろ姿に嘆息を禁じ得ない。魔獣を相手取る仕事も多い冒険者の端くれなら、もう少し胸を張ってくれないと同業者も可哀想だと思った。

 兎にも敗北する前代未聞の弱さだが、老人を心配する様子は噂で聞いたような誰かを盾に生き延びようとする卑しさまでは感じない。

 有名人なら風評被害など付き物だが、果たしてどこまでが事実に基づいているのやら。


「……そういや、あいつ帰りは大丈夫なのか?」


 老人は少しだけ、自分を心配してくれた分だけシュヴァッハの帰路の安全に思いを馳せる。

 シュヴァッハの言う通り、この森は魔獣の目撃情報が多くなっている。老人だって森で生活している内に何体か見かけた。

 そんな場所を兎に吹っ飛ばされる男が歩いて大丈夫なのだろうか。


「まあ、関係ねえな」


 老人は部屋の中を掃除する。

 そして、壁に立てかけられた二振りの剣を見てその瞳に強い憎悪の炎を滾らせた。


「きゃあああああああああ!!」


 突然、森の中から響いた叫び声に老人がはっとする。

 声のした方から、鳥が飛んでくる。

 誰かが襲われているのかもしれない!

 老人は壁に立てかけた剣を手に取り、森の中を走っていく。距離はそう遠くないので、直に到着するだろう。

 獰猛な獣に襲われたか、それとも魔獣か。

 考えている内に、ふと老人は自身の走っていく方向に違和感を覚える。

 あれ、これたしかシュヴァッハが歩いていた方向では……。


「たた、助けてぇっ」


「何してんだおまえ!?」


 叫び声の正体は――やはりシュヴァッハだった。

 頭を抱えて地面に伏せており、その背中の上を兎が二羽飛び跳ねている。

 弁解のしようが無い光景を目の当たりにして、老人は助けに来た事を大いに後悔しながらもここに来た事をせめて徒労に思わないように兎を鞘ぐるみの剣で追い払った。


「マジで何してんだ本当に」


「た、助かったぜ。あいつら酷いんだ、寄って集って俺を襲ってさ。きっとあのままだったら食べられていたかもしれない」


「こんな弱肉強食の逆転っぷり初めて見たわ」


「市場に並んでる肉を見る度に思うんだ。凄いな、兎をあんなに仕留められる人がいるんだなって」


「もうおまえが分からん」


「あれ、爺さん。俺を助ける為に大きな犬まで連れてきてくれたのかよ?」


 兎に蹴られただけなのに顔中に青痣を作っているシュヴァッハは、老人の後ろを指差した。

 大きな犬とは?

 老人はその言葉の意味が理解できず、怪訝な顔で背後を振り返る。


「あ?何言って……んだ……」


 シュヴァッハの言う通り、そこに犬はいた。

 たしかに、犬かもしれない。

 だが、見た目が似ているだけで正体は明らかに犬とは程遠い存在である。老人やシュヴァッハを見下ろす高い位置で獰猛な牙を光らせ、人ひとりを丸呑みにできる大きな口を開く黒い毛並みをした巨犬のような獣だった。

 頭一つなのに二人を見る視線を四つも送っている。

 巨体の後方では、木々を薙ぎ払う勢いで先端が蛇の頭になった尻尾を振っていた。


「ま、魔獣……!」


「あ、やっぱり?薄々こんな犬いるわけないって思ってたんだ」


「呑気に言ってる場合か!?」


『グワァァァァァァァアアア!!』


「きゃああああああああああ!?」


 巨大な魔獣が咆哮し、共鳴するように恐怖したシュヴァッハが絶叫する。

 老人が剣を構えて臨戦態勢に入るが、それよりも先に地を這うように走った尻尾の蛇の鼻先が老人の腹部を強打する。

 あまりの威力に自分の骨が軋む音を聞きながら、老人は地面を転がって木に打ち付けられた。


「ぐ、あ」


「っ爺さん!お腹大丈夫か!?」


 心配するシュヴァッハに強がりの一言すら返せない激痛で悶える。

 相手は魔獣、老人は状況の最悪さに歯噛みした。

 あれだけ魔獣対策もあると豪語し、一月も森で生き延びた事で緊張感を欠いていた。気を抜いていた自分の落ち度である。

 老人は立ち上がろうとするが、あまりの痛みに四肢が萎えて起きることもままならない。

 戦えない自分と、腰の抜けたシュヴァッハ。

 目の前には飢えた魔獣がいる。

 終わった、と老人は悔しさに涙が滲んだ。


「わ、分かるよ爺さん。その悔しさ」


「……?」


「魔獣だけなら良かったかもしれない。……でも、さっき追い払った兎が退路を塞ぐように立ってやがる!!」


「大した障害かそれ!?げほっ、ごほっ」


 思わずツッコんでしまい、痛みで噎せる。

 シュヴァッハは、この状況においてもシュヴァッハらしい。魔獣よりも兎の方が脅威として恐ろしいようだ。

 つくづく価値観が人と外れたヤツだと呆れる。

 弱い上に頭も抜けている。――が、悪いヤツではない。

 現に、老人を置き去りにして逃げない。冷静でなくても、状況を見れば一人を囮にすればまだ逃走の余地はある。

 負傷した老人など、魔獣にとっては注意を引けるいい餌だ。

 老人が呆れ笑いをこぼす前で、シュヴァッハは戦斧を構えた。


「う、うう……やらなくちゃいけねえのか……!」


「わ、ワシを置いて逃げろ」


「そ、そんなことできるかよ!」


 老人は何とか痛みを堪えて立ち上がる。

 多少は動けるが、魔獣を相手に戦える力は出ない。

 シュヴァッハを囮にしたって逃げるのも叶わない。シュヴァッハを始末した魔獣に忽ち食われる結果が目に見えている。


「このままじゃ、二人とも死ぬ……」


「でも!」


「こんな所で死ぬわけにはいかなかったが、あの腰抜けシュヴァッハだろうと見捨てるほど人を捨てちゃいねえ」


「ぐぶっ!!ここでメンタル攻撃……爺さんも、味方では、なかった……」


「ワシが囮になる。その隙に逃げろ」


「…………!」


 老人は、剣を二本構えて立つ。

 ここが人生の終着点と見定めたその顔は、シュヴァッハの目には痛々しくも晴れやかに見えた。

 その顔が、小屋で目覚める前に見た青年の顔と重なる。

 胸に刺されたような痛みを覚え、吐血しながらシュヴァッハは魔獣と老人の間に躍り出た。


「見捨てられるか!もう二度と」


「よせ!雑魚のおまえに何ができる!?兎に梃子摺るくらいだから、どうせ獣一匹殺したことも無いんだろ!」


「ないさ!」


 老人の叫びも虚しく、退かないシュヴァッハへと突進する。

 大きな口を開けて、二人を丸呑みにするつもりだった。

 対するシュヴァッハは、正面に半身だけ向けるように構え、その場で後ろへと戦斧を引き絞ったまま低く腰を落として迎撃の姿勢を取る。

 その背中に逃げの一念は無し。

 次の瞬間には、自分より先に魔獣の口に飲み込まれる姿があるだけだと老人は頭を抱えた。


「逃げろーーー!!」


「殺せないんじゃない――」


 老人が最後に叫ぶ。

 シュヴァッハの戦斧を握る手に力がこもった。

 迫り来る魔獣の大口へとタイミングを合わせて、シュヴァッハが戦斧を振り上げる。

 魔獣を跳ね返すつもりか!?

 老人は逃げずに攻撃を繰り出したシュヴァッハに目を見張る。

 だが、魔獣の体躯はシュヴァッハの数倍はある。

 その巨体が発揮する膂力から考えて、脆弱なシュヴァッハの一撃など当てた瞬間に弾かれて食われるだけだ。

 残酷な未来が見えた老人が最期の瞬間に見を固まらせる前で、シュヴァッハの戦斧が魔獣の顎を捉える。


 終わった、弾かれる。



「俺は――殺したくないだけだ!!」



 次の瞬間、森の中で雷鳴が轟いた。

 縦一文字に魔獣の体が割れて、二人を避けるように後ろへ通り過ぎていく。

 血を浴びたシュヴァッハは、戦斧を振り抜いた体勢のまま止まっていた。

 信じられない光景に老人は唖然とする。

 まさか、兎の体当たりで失神するような弱い人間の一撃で魔獣が唐竹割りにされると予想できなかった彼を誰が責められようか。

 驚きながら、シュヴァッハと同じように浴びた血を払いながら立ち、眼の前で偉業を成し遂げた戦士の後ろ姿に自然と笑みが漏れる。


 老人の目には、さっきまでの臆病者としてではなく、とても強い戦士としてシュヴァッハが映されていた。


 そうか、と老人は納得する。

 魔獣の目撃情報がある森に、どうして足を運んで生きていられたのか。小屋でのシュヴァッハを見れば疑問しか無いが、今の出来事ではっきりとした。

 殺したくはないだけで、倒す力はあるのだ。

 なぜ兎に負けるのか疑問が深まりはするが、只者ではない事はたしかである。

 老人はシュヴァッハを讃えようと、痛む体を叱咤して隣に移動する。


「おい、すげーな小僧!見直し……たぞ……」


 老人はシュヴァッハの肩を叩いて笑い、その顔を見て何度目かの驚愕に打ちのめされた。




「こいつ……………気絶してる………!!」



 おそらく、血も怖かったのだと思われる。

 殺したくないのは、単にそういう事のようだ。

 何だコイツ。





 


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