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「どうだい真琴。夜は眠れているか」

「はい、慣れてきました」

 夜も煌々と灯りを絶やさぬ吉原では、夜に寝るのも一苦労だ。

 新造が寝る部屋は夜は行灯を消していたけれど、客を取るようになってからは部屋の行灯も絶やさない。夜の吉原で女郎は一人で寝ることができないから。

「知らない男の横で寝るなんてねぇ、怖くてあたしは今でも慣れないよ」

「そうなんですか!?」

 琴夜姉さんがまだ慣れないなんて、あまりにも意外で声が上ずってしまった。

「だから寝かせない方が得意になっちまったんだねぇ」

「それは琴夜が好きもんだからだろ」

 琴海、琴夜、二人の姉さんは、女郎として初心な私をからかっているのかもしれないけれど、こうして二人が話しかけてくれることで気は楽になった。

 姉さん方と比べると私に会いに来られる旦那様はまだまだ少ないけれど、一月ほども経ち、姉さん方のおかげもあり狐踊屋ことやの暮らしにも少しずつなれてきた。

 前にいた大見世と違い、小さい見世の狐踊屋にはいくつもの不便はあるが、嫌じゃない不便が一つだけある。湯だ。

 大見世のような内湯のない見世の女郎は吉原にいくつかある湯屋へ行き汗を流す。色々な見世の姉さん方がいるものだから、狐踊屋では聞くことのできない話が聞くとなく耳に入ってくる。

 あそこの遣り手は意地汚いだとか、別の女郎に浮気されたとか、貸本屋が持ってきたあれは面白かった。身請けが決まって羨ましいとか。

 いつも他愛のないものだけれども、吉原の外を知らない女郎にとって湯屋で聞こえてくる噂話は何ものにも代えがたい楽しみだ。

 違う噂を聞きたいからと、その時々で湯屋を変える女郎もいるという。

 噂話に花が咲くと湯屋も早く出ていけだとか、湯を使いすぎるなと口うるさいが誰も従わない。

 もう今日は見世に戻ろうかと思った時だった。吉原は長そうなどこかの見世の姉さん方二人から、どうしても聞き耳を立てずにいられない話が聞こえてきた。

「聞いたかい、心中だってさ」

 心中!?もしかして真那鶴姉さんのことだろうか。でも、亡くなってからは時間も経っているし。

「心中?」

「ああ、昨日やったらしい」

「いまでもそんな間夫まぶがいるもんだね。色は思案の外だ」

「それがね、妙なんだよ。二人は恋仲というほどじゃないんだっていうんだ。見世に上がったのは裏を返した時だっていうんだよ」

 裏を返す、二度目に上がったということ。真那鶴姉さんが心中した相手が座敷に上がったのは初会。たった一度きり。

「じゃあ同じ郷の男なんだろ。ほら、この前もあったじゃないか。周りからは知らない者に見えても、二人は小さい頃から睦み合っていたってやつだよ」

「それがそうじゃないんだよ。見世の男衆がわざわざ調べたんだけど、本所辺りの職人でさ、本当に大した男じゃないんだよ」

「そんなのは女郎の嫉妬さ。いい男だったんだよ。まさに『死魔に憑かれたら聞く耳を持たない』というやつだ。ふと来たのがいい男で、死んじまいたくなるんだよ。それでもう一度来たもんだから」

「でもね、何かと心中したがる物好きもいるもんだけどさ、それとも違うっていうんだよ」

「じゃあ、遣り手がケチだったんじゃないのかい。すぐに貸金にしやがる、いけ好かない遣り手なんだろ。あたしだってそうだよ。年季が明けたっていくらも金が残らないんじゃ、やってられないじゃないか」

 吉原から出ることが出来ても鉄砲女郎になる、そんな話は姉さんからも聞いたことがある。身請けなんて夢は見ちゃいけないと。

「そうかもしれないけどね、でも変な話なんだよ。心中した客の恋敵の男にそそのかされたんじゃないかって話てるのがいてね」

 客の恋敵の男?別の旦那様がそそのかす?どういうことだろう。

「なんだい、そりゃ。心中したその男とは仲が悪い別の男がやらせたっていうのかい」

「いやね、それがさ、二人の男は顔見知りとかじゃないみたいなんだよ。だから、女郎に袖にされたんじゃないのかねえ」

 噂には尾ひれがつくもの、とはいうけれども、心中と聞くと気になってしょうがない。もしかしたら真那鶴姉さんの心中になにか関係があるかもしれないのだから。

「じゃあ、自分のものにならないならいっそのこと死んじまえってことか。随分と勝手な奴だね。いや、でも、そんなのわからないだろ。いくら売れない女郎だって、文を宛てる客の二人や三人いるもんだよ」

「だからだよ。その心中だけじゃないっていうんだ」

「じゃあ女は二度目三度目の心中だったのかい」

「違うよ。男の方だよ、おかしいのは。その男をね、袖にされた方の男を何度か相手をした女郎は死んじまうって噂なんだよ。心中だけじゃなくてさ、首をくくったこともあるって話だよ」

 相手にすると死んでしまいたくなる!?じゃあ、もしかしたら真那鶴姉さんもその男を部屋に上げていたのかも。

「なんだいそれ!気持ち悪い男だね」

「そうだろ。あんたも気をつけな」

「そうだね。ここも嫌なところだけどさ、そんな気味の悪い嫌な男なんて相手しなきゃいいだろ。鉄砲女郎じゃあるまいし」

「そうだよ。まあ、生まれ変わって吉原から出してやろうなんて男がいれば別だけどね」

「なんだい、あんた心中もまんざらじゃないって顔してるじゃないか」

 きっと琴夜姉さんも同じことを言うだろう。やっぱり、吉原の女郎は心中したくなるんだろうか。

 いや、今はそれよりも聞かなくちゃ。

「あ、あの。その男ってどんな人ですか」

 もしかしたら真那鶴姉さんの旦那様だったのかもしれない。件のその男は。

「そうだね、知ってた方がいいよ。脅かすわけじゃないけどさ、あんたみたいに若いのは目をつけられるかもしれないからね」

 なんでも男は小伝馬町で塗物屋の番頭をしていて、魚みたいな丸い目で、顔も魚みたいに目が離れているという。吉原では珍しい塗り笠を被っているからすぐにわかるらしい。

 真那鶴姉さんの旦那様にはその男はいない。姉さんの心中と関係はないだろう。

「いいかい、廻し部屋には上げてもお前さんの部屋に入れちゃ駄目だよ。みんな部屋で死んじまったらしいからね」

 見世に戻ると、琴夜姉さんの部屋で体を休めていた琴海姉さんに呼び止められた。

「真琴、湯屋で聞いただろ。心中だってさ。琴夜が喜んじまって。あたしの代わりに話聞いてやってくれよ」

 琴海姉さんは心中未遂で横っ腹を刺された傷をわざとらしくさすりながら言った。

「気味の悪い男がいて、そいつが悪いんだって聞きましたよ」

「面白いじゃないかいねぇ。心中したくなる男だなんて。見た目よりもずっといい男なんじゃないかねぇ」

「でも、そいつは間夫まぶってわけじゃないんだろ。どうせ心中するなら、あたしは顔のいい男がいいねえ」

「どうせ廓で死んじまうんだぁ。誰だっていいじゃないかよぉ」

「とんでもないよ。この命かけるんだ。あたしは世帯持った若旦那がいいね」

「あんたぁ、浄瑠璃にでもなるつもりかい」

 この間、琴夜姉さんが話して聞かせた貸本は世帯を持った紙屋の若旦那と女郎の心中物だった。なんだかんだ言っても、琴海姉さんも心中ものが好きらしい。

 だけど私は心中物のどこがいいのか、さっぱりわからない。吉原に長くいれば、あるいは真那鶴姉さんのように立派な女郎になれば、わかるのだろうか。

 心中に憧れを抱くのだろうか。

「琴海姉さんの読本よみほんなんていやですよ」

「大丈夫だよ。心中するつもりなんてないよ、あたしは。心中はもう懲り懲りだ」

「だって、いい男がいないものねぇ」

「それは琴夜だって同じだろ」

 琴夜ねえさんは「そうだねぇ」と言いながら笑っていた。

 張り見世のまがき越しに噂の男を見たのは噂を聞いてから数日後だった。

 黒い塗り笠で顔は隠れてよくわからないが、湯屋で聞いた男だろう。周りの男とは雰囲気がまるで違い、その男は異様で目立っている。

 吉原では総じて男は編み笠で顔を隠すものだけれど、湯屋で聞いた通りの黒の塗り笠だ。それに男を誘う女郎を前にして、その男から浮かれる様子が感じられない。

 籬の向こうで冷やかす並の男は、夜に輝く吉原の行灯の光、香木と白粉の香りにあてられて、浮足立って鼻の下を伸ばしてだらしなく口を開けるのが常だ。

 でも、この男にはそれがない。

 蛇のような目で、まるで値定めをするかのように女郎を一人ひとり冷静にじっくりと相対している。

 小見世でも吉原の女郎は安くない。職人なら揚代を工面するには一年かかることも珍しくないという。慎重に女郎を選ぶのは当然だ。

 だけれども、この男は何かが違う。他の男とは女郎に求めているものが違う気がする。色香だとか愛嬌だとかではない別のものと探しているように見えた。

 琴夜姉さんもその男が噂の心中男だと気がついているだろうに、吸いさしの長煙管を男に向けて差し出した。男はそれが気に入ったのか狐踊屋へ上がった。

 まもなく、遣り手のお菊さんは琴夜姉さんに声をかけた。

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