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「な、なにしてるんですか!」
遊び人が勝手に姉さんの部屋の戸を開けるものだから、慌てて止めに入るが、ボサボサの頭をかくだけで悪びれた様子はまるでない。
障子戸を開けられたのは琴海姉さんの部屋。姉さんはまだ起きてこない。旦那様と床に入っているかもしれないというのに、それなのに遊び人は邪魔をするかのように勝手に障子戸を開けるなんて。
「なにって、冷やかしは振られた男の特権だからね」
「そんなことする人いません」
「いるよ、いる。沢山いる。僕だって何度もやられてるし」
大見世には廻し部屋がないから、振られることもないし、当然そんなことをする人はいなかった。いくら小見世だからって、部屋の戸を勝手に開ける人が他にもいるなんて信じられない。
「それでもよくありません。姉さんだって嫌がります。また振られますよ」
床入りしてなくても、きっとまだ起きたばかりで着物だって乱れて、そんなところは見られたくないはずだ。
「そうかな。どうせ琴海は部屋にいないだろ」
そう言われて開いた戸から中の様子を確認すると、布団は乱れることもなく敷いたまま。部屋には誰もいない。
そうだった。
大引けを過ぎてから琴海姉さんに言われたように床入りの様子を見せてもらおうと思い、こっそりと障子戸をあけたけど、その時も部屋には誰もいなかった。
「なんだ琴海は部屋にいないのか。それなら冷やかしは止めだな」
わざとらしく一人でそう言うと、顔を洗いに行ってしまった。
「他の部屋の戸も開けるようなこと言ってますけど、いつも琴海姉さんのとこだけなんですよ」
イマさんは顔をしかめるどころか、いつものニコニコとした笑顔で教えてくれたけど、その言葉の意味も笑顔の意味もわからなかった。
あんな不躾な男に対し、どこに微笑むところがあるのか。
玄関先で旦那様方を見送った琴海姉さんが、戻ってくるなり声をかけた。
「真琴、悪かったね。床入り見ておけなんて言ったのに。あたしのいい男が来たもんだからさ」
まだ上気が残り耳まで赤くなった顔で「あいつの浮気は許さないからな。あたしのもんだ。真琴だって手を出しちゃだめだぞ」なんて言われているところに、最後まで後朝の別れを惜しみ、ようやく戻ってきた琴夜姉さんも加わる。
「廻し部屋で声かけられてたじゃないか。どんな男か少しわかっただろぉ。浮気しても許される理由がさぁ」
眠いはずなのに琴夜姉さんも夜と同じくらいか、それ以上に表情に色香がある。朝の見送り、後朝の別れは女郎の手練手管。二人の姉さんの客は色香を惜しみ、思い出し、仕事も手につかず落ち着くこともなく、たまらず一月と待たず戻ってくるのだろう。見世は大きくないけれど吉原の女郎だ。真那鶴姉さんと違いはない。
「皆さんいい人だって話してくださいますが、私の目にはそんな感じにはとうてい思えません。愛想はいいのかもしれませんが、誠意がないというか」
「誠意が欲しいのは嫉妬してるからだよぉ。真琴の嫉妬だ」
嫉妬?嫉妬なんてするわけがないのに、あんなにだらしのない男に。
「琴夜より重い女郎か、そりゃいい」
「そんなんじゃありません。それに朝は起きるなり琴海姉さんの部屋を開けるし」
「ああ、あれか」
琴海姉さんの声からも顔からも怒りのような感情はまるで感じられない。むしろ後朝の別れが今も続いているかのように、潤んだような目が色香を隠そうともしない。
「あの人なりの優しさなんだよ」
「優しさ?」
「そうだよ、優しいのさ」
「どういうことですか?」
「長くなるから琴夜の部屋に行こうか」
昨日と同じように琴夜姉さんの部屋に座ると琴海姉さんが教えてくれた。
「真琴は知らなかったね。あわしは前にね、部屋に通した客に殺されそうになったことがあったんだよ。今でもまだ傷が残ってるけどさ」
琴海姉さんは何も言わずにあわせをはだけさせ、脇腹からヘソにかけて残る痛々しい傷跡を見せてくれた。
「結構凄いだろ。医者が言うには、命がどうにかなるほどじゃなかったんだけどね」
「こんなに大きい傷はお侍の体にも見たことがないもんね」
「違いねえ」
琴海姉さんは笑っているけれど、これだけの傷だ。本当は命も危うかったに違いない。
でも、この傷とあの男にどんな関係があるのだろうか。浮気者でもさすがに刺したわけじゃないだろう。
「おかしな客が琴海と無理矢理心中しようとしたんだよぉ。あたしが心中してくれなんて言っても、誰も相手にしてくれないのにねぇ。琴海はそういう客が多いのさ」
その日のことを思い出しているのか、琴夜姉さんは目を細め優しく傷の上を撫でている。
「琴夜は心中立てじゃ済まないって見透かされてるんだよ」
「そうなのかねぇ」
「そうだよ。男にも心中ものが好きな奴もいるし、女郎に心中を迫られて鼻の下を伸ばす奴ばっかりだけどよ、本当に心中したいやつなんていくらもいねえ。あたしだってそうだ。あぁ話が逸れちまったね。客に無理心中迫られたその時にあたしを助けたのが、あの遊び人なんだよ」
「あのひとが?」
「そう。でも、助けてくれただけじゃないんだ……」
言葉を詰まらせた琴海姉さんを見ると、今朝客と別れた時のように耳を赤くしていた。
「あれ以来ね、部屋に男を通すのが怖くなっちまってさ。それであたしの部屋は使わず、廻し部屋で床に入ることにしていたんだ。だけどね、廻し部屋じゃあ嫌だって客がいてね。そりゃそうだよな、それまでは毎回あたしの部屋に通していたんだ。金払いのいい客なんだからさ。廻し部屋じゃ不満だろう」
「男ってのは子供みたいに我儘だからねぇ」
「半年くらいだろうかね。あたしも、そろそろ大丈夫かもしれないって。部屋に通した方が金もいいしね。でもね、いざ部屋に通したら怖くなって思わず声を上げちまったんだよ」
「偶然だけど、その時も遊び人がいてね、あたしの声を聞いて迷わず戸を開けてくれたんだ。廻し部屋はうるさいってのにさ、よく聞こえたもんだよ。それからなんだ。あたしの部屋に客を通さないように冷やかすようになったのは。客も嫌がるだろ、ああして戸を開けるとさ。おかげで客を何人かなくしたけどね」
思い出した琴海姉さんだけでなく、横で聞いていた琴夜姉さんもいい顔をしている。本当にあのひとを、いい男だと思っているのが表情からよく伝わる。
他にもあのひとにまつわる思い出があるのだろう。遊び人と言われるくらいに、この見世に通っているのだから。
私もあのひとのことを思い出して、姉さん方のような顔になれるのだろうか。