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「真琴、まだ寝てたのか。どうしたんだよ、部屋に通したんだろ」
琴海姉さんは、部屋に通したのに後朝の別れに出ないことを心配してくれたのだろう。旦那様を送り出すと、部屋で寝ていた私のもとに二人が来てくれた。
体を起こすと、魂を抜かれかけた体はいつもの感覚を取り戻している。
「まさか真琴の方が振られちゃったのかねぇ」
琴夜姉さんはいつもに増して顔を赤らめ上気させている。
「そういうわけではないのですが、急に体の具合が悪くなりまして。旦那様も帰られて廻し部屋にも出られずに」
「慣れる前に疲れがでたのかねぇ」
「もったいないことしたな。随分、羽振りのよさそうな男だったって言うじゃねえかよ」
羽振りがいいのかはわからないけれど、なにせ神だという。他の旦那様とは確かに雰囲気からして違うのは確かだ。
「お菊さんがニヤニヤしていたねぇ」
琴海姉さんは「真琴は稼げなかったのに、自分だけご祝儀でほくほくだよ。しかし、逃したのは運が悪かったな」と言って、励まそうという気持ちだろう、私の背中を軽く叩いた。
「あの、琴夜姉さん、なんだかやつれていませんか」
強引に話題を変えたいわけではなかった。姉さんは昨日まではこんな顔をしていただろうか。ふと、そんなことを感じて口に出していた。
なんだか今朝はやけに目がくぼみ、頬もわずかに痩けているように見える。
琴夜姉さんの儚げな顔つきはこの見世では一番だけれど、今朝の表情は一層だ。
「あれあれ、夏バテかもしれないねぇ」
「夏バテなもんかよ。一晩中してたからだろ、例の男と」
「例の男って、もしかして魚みたいな目をした小伝馬町の!?」
「なんだ真琴。小伝馬町の番頭ってことまで知ってるのか。やっぱり気になってるんだろ。だからって浮気はダメだぜ。あいつは琴夜の客だ」
「そういうわけじゃなくて。あの噂が。琴夜姉さんが心配で」
「そうだねぇ、あのひとがしょっちゅう来たら体が持たないかもねぇ」
「体が持たないって、それじゃあやっぱり噂は」
「フフ、真琴には男の味がわかるのはまだ先のようだねぇ」
「どういうことですか?」
「あいつのあれが気に入ったってことだよ」
あいつのあれが気に入った?
「やつれたように見えるくらいにねぇ。気に入ったんだ」
二人の姉さんは笑うばかりで、確かに心中するようには見えないけれど、相手は死魔かもしれない。
琴夜姉さんの客を、しかも姉さんは随分気に入った客を死魔だと伝えていいのかわからず、私は黙ってしまった。新之助様が調べてくださるのだから、それを待とう。
「真琴にもそのうちわかるようになるよ。客に惑わせられる心地がよぉ」
「惑わせられる心地ですか?」
「吉原ってところはあれもこれも全部が出鱈目だからね。何もかもが惑わせようとする。金はもちろん、同じ見世の女郎に嫉妬して、あげく惑わすはずの女郎が客に惑わせられる」
「吉原じゃ女郎が好きにできることなんて一つしかないからねぇ」
「どうせ出鱈目なら心地よくいたいだろ。そんなの、惑わすような男がいる時くらいなんだからよ」
二人の姉さんは、その行き着く先が心中でも構わないと思っているのだろうか。
「でも、姉さんは女郎が客を好きになっちゃいけないと教えてくれたじゃないですか」
「ああ、そうだよ。女郎は男を好きになることもできやしない。好きになるのは男の中身じゃない。金と体だよ」
「夜見世まで体やすめておくんだよぉ」
心中は単なる噂だと考えているのだろうか。見世に来た頃、琴夜姉さんは心中する男が欲しいとも話していた。
琴夜姉さんの声は私のことだけを心配する、そんな優しいものだった。
その日の夜見世、張見世からどの姉さんよりも先に抜けたのは私だった。
夜見世の開始の合図でもある楼主の拍子木が鳴る暮六つに、外がまだ暗くなる前だというのに私に会いに来た客が現れた。
引付座敷へ迎えにあがると、そこにいたのは昨日の旦那様。私から魂を抜こうとした神様だった。